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41.猫耳と猫耳の対面

 オフィス街の一角に、ジモン・ケルル研究所の日本支部はあった。


 細長いビルに入り、受付に言伝をする。すぐに5階の応接室に通される。研究員の方が色々と書類を持って来て、研究了承のサインをするように告げる。守秘義務や個人情報、様々な報告義務などの規定があるようだ。


 それを終えて私と航平が待っていると、白衣姿の芝マリエさんが入って来た。


「お待たせ。じゃ、安岡さんはここで待っていてもらえる?伊藤さんだけ、こちらへ」


 私は帽子と荷物を航平に預け、どきどきと胸を鳴らしながら案内された会議室へ入る。


 と、私達の他に先客がいた。この研究所の研究員が10人ほど、席について待ち構えている。あ、もしかしてこれ、記録されるのかな。


 会議室が薄暗くなり、私の目の前にノートパソコンが差し出される。


 私は目を見開いた。


 既にその画面には、例の猫耳の少女が映し出されていたのである。


 彼女の背後にも、白衣の人影がある。


 少女の方も私が映ったことに気づいたらしく、画面を指さして微かに笑った。


 あ、とってもかわいい。


 猫耳、おかっぱ、垂れ目の女の子。頬に影が出来るんじゃないかと思うほど、睫毛が長い。泣くように笑う。とても儚げな笑顔を見せる子だ。


「さ、伊藤さん」


 促され、私は画面の向こうに語りかける。


「初めまして。私は伊藤祥子。あなたのお名前は?」


 芝さんがドイツ語に通訳する。更にそれが画面の向こうで通訳され、少女は微笑んだ。少女が何事か言い、訳される。


「私には名前がありません。行く先々で名前が変わりましたから。でも、ここでは〝マオ〟と呼ばれています」


 名前がないというのは衝撃だった。それに後からつけられた今の名前は、中国語で猫という意味ではないか。私は安直な名前を不憫に思うが、本人に嫌がっている様子はない。


「マオさん」


 私は覚悟を持って語りかける。


「あなたは小さいころ、どのような暮らしをして来たの?家族はいたの?」


 マオさんはにこりと笑う。


「家族はいました。両親と、兄がいました。その時の名前は、もう覚えていません。家族を裕福に出来ると聞いて、家族の意向もあって外国へ引き取られました」


 私は少し震える。語る彼女にちっとも悲壮感がないところが、むしろ胸をえぐられる。


「その……あなたを売った家族を、恨んだことはない?」


 こんな質問、するべきではないのかもしれない。けれど芝さんもあっちの研究員も、止めようとはしない。


 小さなマオさんは言った。


「恨んではいない。私は家族が裕福になったら、幸せ」


 ああ。


 何ということだ。


「そうですか……」


 私が力なく声と猫耳を落とすと、今度はマオさんから声が飛ぶ。


「ショーコさん。あなたのご家族はいますか?あなたは日本で、どんなお仕事をされていますか」


 マオさんの声から未来への期待を嗅ぎ取り、私ははっと顔を上げる。この子が私に聞きたいこと。それは、彼女の未来像に直結する。私はぐっと歯をくいしばり、心を整えると、答えた。


「私にも家族がいたけど、独り立ちをしたの。今は、恋人と二人で暮らしてる。いつか結婚をしようって話し合ってるよ。私もその人も、日本で家具を売って生活しているの」


 私は一息にそう言って、微笑んで見せた。するとマオさんも嬉しそうにはにかんだ。


 ああ、この子。なんていい笑顔をするんだろう。


 だめだ、ちょっと泣く。


 私は目をこすった。少しでもこの子に素敵な未来や生きる希望を見せてあげたいな。


「いいですね。そのお仕事は楽しいですか?」

「楽しいですよ」

「恋人は、どんな人ですか」

「背が高くて、よく家具を売る人です」

「恋人は、頑張り屋さんなんですね。恋人は猫耳について、どう思っていますか」

「かわいいと言ってくれます」

「なら、いいですね。日本でほかに猫耳の人はいますか」

「いません」

「そうですか。私の村には、十人ほど猫耳の人がいました」

「十人しかいなかったの?」

「はい。ほとんどが売られて行きましたから」


 そっか……


「では世界に、まだ猫耳の人がいると」

「いると思います。私はその人たちに、もっと出会いたいと思います」


 なんだか、私なんかよりしっかりした子だな、マオさん。


「……出会ったら、集まれたら、何をしようか」

「みんなで写真を撮りたい。お菓子を食べて、お話ししたらきっと楽しい」

「そうだね。みんなで……」

「みんながどんな生活をしているか、お話を聞きたいです。自分のことのように思うからです」


 うう、マオさん……


 それからはもう、涙腺が壊れてしまい、駄目だった。言葉も質問も出て来なかった。ただ私は私の流した涙に、心をぴかぴかに洗われて行くような気がしていた。


 私の異変を察して、芝さんが駆け寄って来る。芝さんは画面の向こうの研究員に何か伝え、パソコンを一時的に閉じた。私は嗚咽しながら部屋を出、応接室に戻る。


 応接室で私を出迎えた航平はびっくりしていたけど、すぐに私を座らせて、落ち着くまで背中をさすってくれた。芝さんは気を利かせて、少しの間部屋を出て行く。


 それからようやく落ち着きを取り戻した私は色々と研究データのサンプルを採取され、航平と共に研究所を後にした。

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