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4.猫耳、出社

 安岡は私の慌てた様子を見て、あははと軽く笑った。それから少し真剣な眼差しを向けて来る。


「ま、冗談はこのくらいにして……つまり伊藤さんは直属の上司──田崎さんに、猫耳のことを言いに行かなきゃならないってことですよね?」


 私は少し震えながら頷いた。


 そうだ。明日、アレを見せなければならない。


 この、ふざけた猫耳を。


 安岡はずいっと私との距離を詰めると、


「何時に行きますか?俺も同行します」


と言い出した。私は首を横に振る。


「いいよ、ひとりで行けるし……」

「……あの」


 安岡は何かをそこで言い淀む。私は彼の醸し出すただならぬ空気に眉根を寄せた。


「伊藤さんは、俺が守ります」


──ハァ?


「遠慮します」


 私は全力で遠慮した。


 すると安岡は苛々した様子で静かに言う。


「……こんなことで伊藤さんが辞めさせられたら、俺困りますし……」

「……あっ」


 その時私は、ようやく安岡の言わんとしていることに気づいた。


 そうだ、猫耳が生えて来たなんて言ったら、この仕事を辞めさせられるかもしれないのだ。たとえ猫耳を取っ払ったとしても、こんなおかしい体質の奴、社が扱いに困って排除しようとしてもおかしくない。閑職に追いやられることも容易に予想出来る。どうしてそんなことに気づかなかったんだろう。


「そ、そっか……!」

「だから、味方はひとりでも多い方がいいと思うんです。単独で行くと、何を言われるか分かったもんじゃない」


 私は安岡を見上げる。


「伊藤さんはいっぱい売り上げて来たし、俺も頑張ってるの見て来てるし。伊藤さんが猫耳のせいで販売が出来なくなるなんて、本当にもったいないと思うから」


 褒め殺しにされ、何だかこそばゆい。


「あ、ありがとう……」

「だから明日、事務所まで行きますよ。一緒に」


 後輩よ……急にどうしたんだ?


「そこまで言うなら……」

「よしっ、ここで会ったのも何かの縁です!明日九時に従業員入口で待ち合わせましょう」

「……分かった」


 私と安岡はそう約束すると、うどん屋を出た。


 うーん。


 何だかおかしなことになって来たような?


 でも安岡が、あそこまで親身になってくれるとは思わなかった。


 正直、私には人望がない。


 よく売り上げる販売員とは、結局のところ他の人の売り上げの機会を奪っているようなものなのだ。努力して得た知識、見識、勘所かんどころ。そういったものを駆使して販売しているのだが、その努力というのは得てして見えにくい。だから、私のような「売る」販売員は、奪う者として嫌われる。時に同僚販売員から、執拗な嫌がらせに遭うこともある。


 私はてっきりこの安岡も敵だと思い込んでいた。が、昨日の勝利宣言は決して私を煽ったわけではなく、純粋に褒めて貰いたがっていただけだったのかもしれない。


 彼は、どうやら私の敵ではなく、味方であるらしい。


 それに気づくと、私は安堵する反面、何だかそわそわと落ち着かなくなって来た。


 がらんどうの、自室に戻って来た。


 まだ明るい日差しが照らすベッドに、ごろんと身を横たえる。


 帽子を取る。びょんと猫耳が飛び出す。


 私は急に、この猫耳を悪いものだと断言出来ない気分になっていた。


 これがなければ、私は安岡の本音を聞き出せなかった。昨日のようにずっとあの後輩のことを敵認定し、なるべく無視して過ごしていたに違いないのだ。


 そういえば、松葉先生も「可愛い」って言ってくれたな。


 異性にそんなことを言われたのは、よく考えたら初めてだ。


 この猫耳は、そのように人の本音を引き出すものらしい。


 私は猫耳のまま家具を販売する自分を想像した。


「……案外、悪くないかもしれない」


 私はふと時計を見上げ、携帯を取り出した。


「もしもし、田崎さんですか?今日、病院に行ってきまして……はい、それでですね、明日の朝、お時間ありますか?事務所で、少しお話ししたいことがあるのですが──」




 次の日。


 百貨店の従業員入り口に、約束通り安岡の姿があった。


 私は例のニット帽を被り、少し下を向く。安岡が近づいて来て、私を見下ろす。なぜだろう。今日は何だか、彼と視線を合わせられない。


 事務所は百貨店の最上階にある。


「……行きますか」


 下を向いたままの私に安岡が声をかけ、私は頷く。


 何だか、死刑執行場に連れて行かれるような気分だ。


 田崎さんはこんな風になった私を見て、何て言うだろう。とても緊張する。


 エレベーターには他の従業員も乗り合わせている。同じ各売り場の女子社員のグループもいた。


 彼女たちは少し緊張した顔の安岡を見て、色めき立ち、囁き合っている。


 私は知っている。


 安岡はめっちゃモテる。


 女子のロッカールームで、最早アイドルのような扱われ方をしている。一挙手一投足を観察され、最近彼女が出来たとか別れたとか、そんな噂まで飛び交っている。どこからが本当でどこまでがガセなのか分からないくらい。まさにアイドルだ。


 だから安岡を妬ましく思うこともあった。


 あそこまで愛されるキャラクターに、私はどう逆立ちしたってなれない……


 コン、と音がし、女子社員たちはエレベーターから出て行った。


 そして最上階まで向かう我々を、不思議そうに見送る──


 再びコン、と音がする。


 最上階の扉が開かれた。フロアに降り立つと、そこにはすぐに事務所がある。


 事務所の前では、携帯に向かって喋っている田崎さんの姿があった。


 彼は私と安岡の姿を認めると忙しく電話を切り、こちらに笑顔で向かって来る。


「おー、おはよう伊藤。どうした?安岡まで引き連れて」

「は、はい。おはようございます。えーと」

「医者は何て言ってた?」


 単刀直入に問われると、私と安岡は覚悟を決め、互いに顔を見合わせた。


「あの、とりあえず、これを見ていただけますか?」


 私はそう言うと、ニット帽を外した。


 猫耳が、ぴょこんと飛び出す。


 田崎さんはあんぐりと口を開け、信じ難いと言うように目を見開いた。

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