37.猫耳の謎、解明
居酒屋に入ると、芝さんは沢山の資料を取り出した。
「まっつんと伊藤さんに、ちょっとこれ目を通しておいてほしいの。まっつん、解説してあげて」
松葉先生が私に説明する。
「猫耳が生えて来る症状は、感染などではなく遺伝で発生するようです。研究所は、一部地域に住む部族に、猫耳が生えて来る集団が存在することを突き止めました。この部族は最初は普通の人間として生まれるのですが、途中で猫耳が生える病変が発生します。それがいつなのかは個人差によるところが大きく、予測は不可能らしいです」
私は頷く。航平はただ目を丸くしている。
「あのドイツの猫耳少女の足跡を追跡した結果、彼女は中国の出身らしいことが分かったんだ。でも、その地域はないことにされている。彼女は猫耳の村で生まれたみたい。名前もない村」
芝さんはそう言って、早速金目鯛の煮つけを食べる。
「かの国の政府は彼らの存在を隠したいみたい。そこが、余計に事態をややこしくしてるの。詳しくは話せないんだけど、あの子を売ったのは中国マフィア。買った連中はかなりの大物ばかりよ。恐らくだけど、彼女たちは輸出品なの」
輸出品……その言葉に、私より先に航平が反応する。
「輸出品!?何だよそれ。祥子はモノじゃねーぞ」
「あの国でその理屈が通るかどうか……」
「……だとしたら、祥子の身も危ないのか」
芝さんは怒る航平を眺めると、静かに言う。
「そこであなたに、ちょっと頼みがあるんだけど」
私は意外に思う。芝さんから航平に、お願い?
「安岡航平さん。あなた、かつて芸能事務所に所属してたらしいね?」
航平は目を丸くする。
「……そんなことまで知ってるの?」
「まだそことの繋がりはある?」
「うーん、まあ。たまに馴染みのスタッフさんとかと遊んだりはするぐらい」
「折り入って頼みがあるの。伊藤さんをその事務所に所属させることは出来ない?」
沈黙。
一瞬、彼と私の間に同じ類の嫌な予感が流れる。芝さんは私に目を移し、真剣にこう訴えた。
「伊藤祥子さん。あなた表舞台に立つ気、ある?」
私はぎょっと目を剥く。すぐさま航平が割って入った。
「だ、駄目ダメそんなの!その、中国マフィアに目をつけられるかも……」
芝さんはその意見に対し、首を横に振った。
「むしろ逆。表舞台に出た方が安全なの。だって、もう伊藤さんの画像は出ちゃってるのよ?本当は誘拐されたり、秘密裏に殺害されてもおかしくなかったの。でも幸いにも伊藤さんの写真は思いの外急速にネット上に拡散されて行った。私、ラッキーって思ったんだよ?これで、伊藤さんがいきなり殺される可能性はなくなったんだって」
私も航平も松葉先生も、ごくりと息を呑む。
「今回来日した理由はそれなの。まず伊藤さんの身の安全を確保したい。芸能事務所はそこら辺のノウハウがあるから、今よりも安全に暮らせるよ。詳しい調査に協力して貰うのは、それからでも構わない」
私は航平をそろりと仰ぐ。
「えー……急だなぁ。祥子が芸能人になるの?」
「芸能人にならなくてもいい。とにかく、一般に広く周知させたいってこと。雑誌に載るとか、ツイッター始めるとか、エッセイを出版するとか、方法は何でも構わないよ!」
松葉先生が割って入った。
「芝さんの未来予想図を聞かせて欲しいな。どうなれば、研究所的には成功なの?」
芝さんが答える。
「猫耳部族の周知、コレよ。とにかく、これはいずれ人権問題に発展する。その前に、一般の人に広く親しみを持たせたいの。それからなら、猫耳を餌にして儲ける連中からの圧力を跳ね返せる。幸運だったのは、伊藤さんが日本国籍を持っていたことね。これはとても強いアドバンテージになるんだよ」
話がどんどん大きくなって来て、私はくらくらと眩暈を起こす。芝さんは時間がないと言わんばかりに、どんどん話を進めにかかる。
「ところで伊藤さん。あなたのご両親とか先祖に、中国の人はいない?この猫耳は遺伝性疾患だから、きっと遡るとそうなると思うんだけど」
私はびくっと体を震わせ、思い当たることがあって青ざめた。
「お、おじいちゃんが満州出身で、おばあちゃんが中国人だったって聞いた記憶が」
「おー!それそれ。そう、かつての満州に、猫耳族が紛れ込んでいたのね?」
うそうそ。そういうことなの?パズルのピースがどんどん現れて、ぴたりとはまって行くような感覚。
私、猫耳族の末裔だったんだ……
「落ち着いたら、遺伝子検査をしてみようよ。あの女の子との類似点が見つかるはず」
じゃあ、あの子と私は遠い親戚同士なのか。
私は前よりも、その少女に親しみを覚え始めた。
「あの、その猫耳族の女の子は、何て言う名前なんですか?会ったりすることって出来ます?」
おい、と航平がたしなめる。
「もうこの件にあんま深く頭突っ込むべきじゃないよ。俺、物凄く不安」
彼の言い分も良く分かる。
でも。
「私、芝さんの言うことにも一理あると思うの。私最近、この猫耳を隠して生きることに疑問を持ち始めたんだ」
航平は予想だにしない返答が来たらしく、面食らっている。私はいい機会だと思って、更に続けた。
「こう思えたのも、松葉先生や航平がいたからなんだよ。異形になった私を、初めて会った松葉先生や、見知った航平がすんなりと受け入れてくれたから、私、結果的に猫耳を好きになれたの。あの猫耳の女の子は売られたって言うから、きっと自分の耳のことを呪ってる。私、あの子を少しでも幸せにしてあげたい。自分っていう存在を肯定させてあげたいの」
航平はうなだれる。松葉先生は、なぜか顔を赤くしている。
「そっか……祥子、そんなことを考えてたんだな」
「伊藤さん、苦労されましたね……」
居酒屋の喧噪の中、静まり返る個室。
ふわ、と、航平がようやく顔を上げた。
「分かった」
航平が私の目を見る。
「事務所にかけあってみるよ。ただ、ちゃんと百貨店にも話を通そう、副業になるだろうからな。それと……」
航平は言い淀んでから、覚悟を決めたように宣言する。
「俺も限定的に復帰する。祥子ひとりで表舞台に出すのは危険だから」
は、はいいい?
「つまり、セット売りというわけですか?りゅうちぇるとぺこ、ペーとパーみたいに」
松葉先生ったら、急に何を言い出すのかな?
「あ、それいいアイデアだね!おかしなファンがつく前に彼氏を前面に押し出しておくってことか。伊藤さんは地味だから単体でキャラがつかなくても、安岡さんの印象がつけばキャラとして動かしやすくなるし」
芝さん、この人軽そうに見えて相当な戦略家だな。
「あとは、スケジュールを合わせやすいっていうのがある。移動が二人で出来る」
おいおい……
何だか妙に話が具体的になって来たぞ?