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34.初朝ごはん初デート

「しょ、しょうがないなぁ」


 私がそう呟くと、航平は寝袋を抱き締めて喜ぶ。


「やったあ。明日は、祥子と朝ごはん!」


 あーあ、何か色々となし崩しになって行くなぁ……。


 でも、彼がこんなに喜んでくれるなら、これでいいのかもしれない。


 私は先にシャワーを浴びる。パジャマに着替えて出て来ると、航平は今まで見たこともないくらい幸せそうな顔をする。私は熱に当てられて、どきどきと胸を鳴らす。


 世の中の男女は、みんなこういう経験を経ているのだろうか。だとしたら、この世界って何か凄い。


 私はベッドに背をもたれ、クッションに座り込んで彼を待つ。航平もシャワーを終えると、風呂場から出て来る。あ、この人もパジャマ派なのかぁ。


 そのまま直線的にこちらにやって来て、航平はまだ熱い体で私を抱き締めた。私はそれを座ったまま受け止める。お互いの湿った髪が触れる。何だかとっても優しくて、ふわふわして、新しい感覚。


「明日は、祥子の部屋で使う食器やクッションを買いに行こう」


 私を抱き締めたまま、航平が言う。


「それから、一緒に夕飯を食べて……」


 猫耳を撫でられて、私は少し泣きそうになる。こんな幸せが、きっと世の中のそこかしこに転がっているのだ。


 私はふと、松葉先生のタブレットに映っていた猫耳の少女のことを思い出した。


 売られて、回り回って、ドイツに不法入国したという猫耳少女。


 私の猫耳を解き明かせば、あの子も幸せにしてあげられるのだろうか。


 ふと、航平が唇を重ね合わせて来る。私はどこか上の空で、地球のどこかに隔離されている猫耳少女の夢を見ていた。




 次の日の朝。


 私は聞き慣れない物音で目を覚ます。昨晩寝袋に入ったはずの航平を見下ろすが、その中に姿が見当たらない。


 あ、湯を沸かす音。


 航平がキッチンから出て来て、私のテーブルにことんと紅茶の入ったマグカップと湯呑を置く。


 あああ。飲料を入れるものがそれしかなくて、申し訳ない。


 ふと、彼と目が合う。


「何だ祥子、起きてたの」


 航平は歩いて来ると、布団をめくってベッドに入って来ようとする。私は慌てて布団を取り返した。


「んなっ!やめてよ急に……!」

「えー、こういうのもダメなの?」

「わ、私、簡単にそういうことさせないんだからね!」

「ちぇー」


 航平はじっと私の顔を眺める。


「……何よ」

「かわいいな、祥子は」


 ぐっ。情に訴える作戦か……?私が顔を真っ赤にしていると、航平は吹き出した。


「そんな顔するなって。昨日、百貨店の地下で美味しいパン買って来たんだよ。食べる?」


 あ、昨日買って来てくれたんだ。私は彼が持って来た袋の中を覗き込む。


「あ、美味しそう。メロンパンだ」


 朝日の中、電灯もつけずにささやかな朝食。


 私達は話し合って、午前中から二人で使う雑貨を見に行くことにした。


 初めて二人で、出勤以外の外出をする。ウィッグを被り、コンタクトを入れて準備完了だ。


 晴れた冬の空の下、都会の少しすえたアスファルトの匂いの中を連れ立って歩く。行き先は航平にお任せして、私はついて行くのみだ。


 電車に乗って、遠出する。改札を通る以外は、航平は私とずっと手を繋いでいる。私は少し緊張して周囲を見渡す。ごく自然にこんなことをしている巷の恋人たち、尊敬の眼差しで眺めてしまうなぁ。


 お店に入り、お目当ての食器にありつく。ふーん、これがアラビアのパラティッシか。航平はカラフルなのを所望したけれど、私は趣味に合わないと思ったのでモノトーンのフルーツ柄にしたいと訴えた。彼は引き下がってくれ、私達はお揃いのカップを手に入れた。


 お箸もシンプルな樫の箸を購入し、次はインテリアショップに入る。私の部屋にある唯一のクッションは60センチ四方なので、同じサイズのヌードクッションと、濃い藍染のクッションカバーを二枚購入する。


「ねぇ、祥子。あっちも見てみようよ」


 航平の促した方向には、家具のお店がある。私は勉強がてらそのお店のディスプレーを眺め、ふとあるものが目に止まる。


 それは、何の変哲もない折りたたみ式のちゃぶ台。私がその前で佇んでいると、彼が後ろから声をかけて来た。


「それ、先生に?」


 ……うっ。なぜ分かった。君はエスパーか何かか?


「……松葉先生の家、食卓がなかったの」

「うん」

「何かね、それがずっと引っかかってるの。先生が体を壊したのも、それがないせいって気がして」


 航平は少し真剣な顔で頷く。


「まぁ、そうだろうね」

「心を亡くすって書いて、忙しいって言うじゃない」


 彼はどこか私の瞳の奥を覗き込むように見つめて来る。


「でもさ。それ、祥子は先生にとって、本当に必要なものだと思う?」


 私は怪訝な顔を上げ、彼を見る。


「俺達は家具の販売員だから人様に足りない家具を買わせようとする癖が付いてるけど、俺、最近ちょっとそういうの、疑問を感じてるんだ。祥子もそう思うこと、ない?」


 その時。


 私の脳裏に、弾けるように小宮山邸が浮かび上がった。ウォールナットの家具以外に、まるで興味のない小宮山さん。けれど、満ち足りていた小宮山さんの部屋。


「多分だけど、立って食べる癖が先生を蝕んでると思うんだよな。何とか松葉先生に、座ってもらう方法はないかな……」


 何だか今、私、航平からとても大きなヒントを貰ったような気がする。


 私は松葉邸の部屋の隅にあったデスクを思い出していた。


「……あれだ」

「どうした?祥子」


 私は航平にしがみつくように向き合う。


「ねぇ、お昼にまた松葉先生のところへ行こう。何となく、私、先生を助けられる気がしたの」

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