33.女は猫で男は狼
航平は松葉先生の家に上がるとその惨状に顔をしかめた。
「こりゃなかなかにとっ散らかってんな……」
「まず、どこからやろうか?」
「幸い明日はゴミの日だ。これをまず出すとして……」
松葉先生は、布団に入り込んだまま起き上がらない。私が顔を覗き込むと、先生は顔を真っ赤にし、小さな声で言う。
「あああ、お恥ずかしい……」
「先生、大丈夫です。部屋が片づけば、きっと色んな課題も片づき始めますよ」
私は先生を慰め、航平はゴミ袋の中を確認する。
「あ。これ、全部コンビニ弁当とカップ麺だ」
私はその声に振り返る。先生も布団から顔を出した。
「先生が倒れた原因はこれだよ。こんな出来合いのものばかり食べてたら、体がもたない」
「けど、自炊の時間がね……」
「医者の不養生っつー言葉のまんまじゃねーか。こんな生活続けてたら、その内死んじゃうよ」
「申し訳ない……」
「そう思ってね。じゃーん」
航平はタッパーを取り出した。
「これ、けんちん汁です。良かったら食べて下さい」
すると、松葉先生は目を輝かせる。
「ありがとうございます。けんちん大好きなんです!」
先生はまたいそいそと台所に立って食べ始める。航平はそれを眺め、口を開けている。
「先生、食卓がないのか」
確かに、部屋を見渡せば食卓がない。航平は少し考える。
「伊藤さん、明日休みだよね。予定は?」
あ、伊藤さん呼びに戻った。彼なりに、先生の前では遠慮があるらしい。
「夜にまた教習があるよ。あとは自由」
「じゃあ、大丈夫だな。今から大掃除するぞ。まずは、明らかにごみと思われる袋をまとめよう」
私と航平はところどころに放置されたままのコンビニの袋を寄せ集めた。私の自宅から持って来たポリ袋にひとまとめにする。それだけでも、大分部屋は見違えた。
それから床が見えるまで、ポリ袋に使えそうなものを拾い上げて入れて行く。床が見えると、埃をかぶった掃除機をクローゼットから出して作動させる。応急処置的に部屋は片づき、どうにか家らしい姿を取り戻した。
「いやぁ、本当に助かりました」
「何言ってるんですか。こんなの、まだまだ。本当はもっと綺麗に掃除したいんですよ。我々はインテリア部門の社員ですから」
そう言った航平に、松葉先生はタッパーを返す。
「これも、ご馳走さまでした」
「あ、どうも」
「これ、安岡さんが作ったんですか?」
「はい。それ、今日作って残った分です」
そうなのだ。先生の状態を知り、二人で全部食べる予定だったけんちん汁を少しずつ遠慮してひとり分残したのだった。先生は少しうなだれる。
「イケメンで料理出来るなんて、もう敵わないなぁ」
航平は首を横に振った。
「俺も、先生には敵わないよ。伊藤さんの猫耳の心配を本当に取り除いてやれるのは、松葉先生しかいないんだから」
静かに互いの健闘を称え合った航平。私と松葉先生は今日は特に思うところあって、二人気まずそうに口をつぐむ。
もう11時になる。先生も布団に入ってうとうととし始め、私と航平はまた来ると先生に約束し、今日はこのあたりで引き上げることとする。
私達は、私の部屋に戻る。ベッドに背をもたれ、二人並んで床に座り込んだ。
「……何か、大変なんだな、先生も」
私は責任を感じ、彼の言葉に押し黙る。先生の疲れの一端は、私のせいで発生しているのだから。
航平は私の横顔を見やると、
「……あんま気に病むなよ。祥子のせいじゃない」
と取り成してくれる。ああ、そうか。彼は松葉先生が失恋の痛みを引きずっていると勘違いしているのだ。私は悩まし気に頭を掻いた。
「そ、そうかな……」
けど、私は言い出せなかった。私の猫耳が追跡されていたこと、松葉先生が猫耳研究を行っている機関に入ろうと勉強し始めていたことを。私と航平が付き合っていて、部屋を行き来していることなんかも、その研究機関に知られているのかもしれない。こんなこと航平に話したら、何て思われるか。
「?……何だよ祥子……」
「な、何でもない。とりあえず、明日は……」
言いながら、私は今、ようやく気づいた。
「航平……そこに置いてあるのは、何?」
私は部屋の隅に、大き目のキャリーケースを発見する。彼はにっこりと笑ってこう言った。
「何って……お泊りセット」
!
「お……お泊りセット!?いつの間にそんなもの……」
「今日は色々あってもう疲れたし、祥子のうちに泊めてよ」
航平が私の肩を抱き、猫耳に囁いて来る。何ということだ!男は狼だという噂は本当だったのだ。
「だ、駄目だよ帰って!だってベッド、ひとつしかないよ!?」
私が慌てふためくと、それをあざ笑うかのように航平はキャリーケースから何かを取り出す。
「じゃーん」
「……何それ?」
「何って、寝袋」
寝袋。
「俺、今日のところはこれで寝るから。祥子にやらしいことは絶対しないって約束する。だから、一生のお願い!泊めて!」
君の一生の価値、軽すぎやしないか?
「何もしないなら、帰ればいいじゃないの……」
「いや、何もしないわけじゃない。お風呂上がりの祥子、パジャマ姿の祥子、寝起きの祥子を鑑賞するという目的が」
「ばッ……馬ッ鹿じゃないの……」
「いいね。もっと罵って」
全くもう……
私は悩んだが、夕飯を作ってくれ、松葉先生の家の片付けまで手伝ってもらった手前、彼の懇願を無碍に断るのは気が引けた。
「しょ、しょうがないなぁ……」




