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32.もうひとりの猫耳少女

 私はもうひとりの猫耳娘の出現をにわかに信じることが出来ず、目を瞬かせる。


 松葉先生はそんな私に、様々な角度から撮った彼女の写真を見せた。


「この子は東洋人ですが、幼い頃何らかの形で売り飛ばされ、シリアからドイツへ不法入国したらしいんです」


 どこか遠い目をしている、おかっぱ黒髪に猫耳、少したれ目の小さな女の子。確かに、黄色人種の見た目だ。


「研究機関に隔離され、調べている最中なんです。まだメディアに嗅ぎつかれてはいないようです。僕は──」


 先生はいったん迷うように言葉を止め、その迷いに答えを出すように宣言する。


「僕は、この子……いや、この子と伊藤さんの猫耳の背景を、解き明かしたい」


 私はこくりと頷く。


「だから、その……伊藤さんにも、協力してもらいたいんですけど、出来ますか?」


 私は疑問をぶつけた。


「メディアには嗅ぎつかれていないとおっしゃいましたね。先生はなぜそれを知っているのですか?」

「……この研究機関の調査チームに私の友人がおりまして。偶然伊藤さんの画像を見たらしく、診察しているのが私の医院ではないかと連絡が来たんです」


 ああ、私の画像は既に世界中で見られているんだ。しかも、どこぞの研究機関に追跡されていたの?私はくらっとしそうになるが、何とか踏みとどまる。


「伊藤さんの了承がないので何とも言えない、と、とりあえずはお断りしたんですが……」


 先生はそこまで言うと、訴えかけるように私の目を見た。


「伊藤さんは、どうしたいですか?」


 私は考える。余りにも忙しい私の日常。確かに気になるけど、協力なんてしばらくは無理そう。


 先生は難しい顔をする私をじっと見つめてから、


「……以前、僕はあなたに言いましたね。好きで医者になったわけじゃないって」


と、急にそんなことを言った。


「実は、以前の僕は町医者ではなく、研究の方に行きたかったんです。特に、遺伝性疾患研究の方面です。けれど親に大反対されまして、整形外科医になれと道を決められそうになりました。僕は病変や肉体的ハンデを治したいという希望があったので何とか形成の方でと頼み込んで、今までこうしてやって来ました。でも、あなたやこの子を見てしまったら、その気持ちが再び湧き上がり、止まらなくなって……」


 そうなんだ……


「この人たちを助けたいって、どうしても思ってしまって。猫耳がついていたから幸福になる人、不幸になる人、色々いると思うんですけど。彼女たちが自分でどちらを選択しても、幸せに生きて行けるようにしたいなって」


 先生……


「本当に、伊藤さんが来てくれて僕は変わりました。やっと、僕に進むべき道が出来たんです」


 私はちょっと泣けて来て、目をこする。ああ、いいな。夢や希望のある人の目。私は胸を熱くした。先生はあの何もかも強制して来るお母様の影響を振り切って、ようやく好きなことをする決心がついたのだ。


 私は意思を持って、少し痩せた松葉先生に告げる。


「その猫耳の女の子が幸せになれるなら、私、先生とその研究機関に協力します。私もこの猫耳のおかげで、沢山の素敵な人に出会えました。きっとその女の子も……」


 そうなのだ。私は猫耳で幸せなこともあったけど、この子は売られたというから、猫耳のせいで不幸なのかもしれない。猫耳を選択出来たり、予防出来たりすれば、確かに不幸になる確率は減らせそうだ。


 松葉先生はとても嬉しそうに笑う。そしてごく自然に、私にこう告げた。


「だから、松葉医院はそろそろ閉院しようかと」


 ん?


 せ、センセイ……


 今、何て!?


「僕はその研究所に入ろうと思います。先方に入所出来るか打診したところ、語学試験と入所試験にさえ合格すれば入れるんだそうです。であれば僕も研究所の一員として……」


 待て待てー!


「先生!それ、本気で言ってるんですか!?」


 先生はこけた頬で、無理に笑う。


「本気です。実際にその研究所の試験を受けるために、再度勉強も始めました」


 あわわわわ。


「だから、ちょっと体がもたなくなってしまったんです。急遽代診の先生を呼びましたけど、地域の患者さんには悪いことをしたなぁ……」


 それで、部屋もこのありさまか。


 私はそろりと周囲を見渡す。先生の生きる道、猫耳の未来。このとっ散らかった部屋では、そういった大事なことは何も決まらなさそうな気がする。


「先生、この部屋」

「あ、この家も次に担当する先生に明け渡すことにして」

「違います!片付けましょう、この部屋」


 先生はまるでその言葉が刺さらない顔をして、ふらりと台所へ歩いて行き、弁当を開けたりなどしている。


「せ、先生……?」


 私は震撼した。こんな部屋で暮らしていて、何も感じないというのか?


 あっ、何と台所で立って食べ始めたぞ。こいつは重症だ!!


「先生!立って食べるのは、お行儀が悪いですよ!」

「何ですか?毎日立って食べてますけど。診察、間に合わないんで」


 先生……働き過ぎて、おかしくなっちゃったんだ。人としての生活基盤が麻痺しちゃってる。


「あ、あのっ。私、また改めて片付けにうかがいますので、待っててもらえますか?」

「そんな、気を使わないで下さい。これ食べたら寝ますから」

「こんな部屋で寝ても良くなりませんよ!ああ、もう……!」


 私は玄関に走り出す。


「またすぐ来ます!鍵は開けておいて下さいね!!」


 そろそろ九時になってしまう。航平、もう待ちくたびれてるだろうな。


 でも、松葉先生も心配だよ。あの部屋は松葉先生の心そのものだ。散らかって、こんがらがって。あと一歩を踏み外したら、人間界に引き返せなくなるかもしれない。


 私はようやく自室に戻る。扉を開けた航平の嬉しそうな顔が迎えてくれてほっとするけれど、本当にごめんね。今は緊急事態なんだ。


「あ、あのね。夕飯食べたら、来て欲しいところがあるの!」


 航平は目を丸くする。私は倒れ込むように、息せき切って玄関に膝をついた。

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