21.猫耳、ありがとう
駅から電車に乗り、二人の住む町へ。
安岡はそれまでずっと黙りっぱなしだったが、商店街を出る辺りで、ぽつりと言った。
「送って行きます」
私は頷き、安岡を見上げる。
安岡はどこか追い詰められたような顔をして私を見下ろしていた。
私はその顔を眺めると前を向き、再び安岡と並んで歩き出す。
彼も前を向き、ぎゅっと口を結んだ。
そのまま二人は、私のアパートまでの道を歩く。何かを惜しむように、ゆっくりと。
「安岡くん、助けてくれてありがとう」
「いいえ」
冬の澄んだ夜道。月が明るい。
「安岡くんが来てくれて、嬉しかった」
「……」
「あの、私、安岡くんに聞きたいことが」
すると、彼は道の隅で立ち止まってしまった。
「安岡くん?」
「俺も、聞きたいことがあって」
私はどきどきと胸を鳴らす。街灯が逆光になって、安岡の表情がより魅惑的に見える。
「松葉さんとは、どんな関係ですか」
私は何も包み隠さず、正直に答えることにした。
「松葉さんには、告白されたの」
安岡が憮然とする。更に私は続けた。
「でも、お付き合いする気がなかったから、お友達ね、で終了した」
安岡は、困った顔になる。
「じゃ、明治神宮にいたのは」
「先生には色々とお世話になったし、お友達になったし、誘われるまま行ってみた。それだけ」
「でもその人、松葉医院のお医者さんですよね」
「う、うん」
「じゃ、診察とかされましたよね?」
こらこらこらー!!
「いきなり何の話よ!」
「……いやもう許せねーって思って」
「ば、馬っ鹿じゃないの!?」
私が憤ると、ようやく安岡は笑った。
「……よかった」
私はその言葉で、もう何も言えなくなってしまう。
「俺、伊藤さんに気持ち伝える前に振られるんだって思ったら、なんか……」
安岡くん。
「すごく怖かったから、でも」
ああ、まだ迷ってるんだ。
「気持ちを伝えられなかったのは、どうして?」
安岡は叱られた子供のようにうなだれる。
「だって伊藤さん、仕事好きでしょ」
「うん」
「恋愛より好きでしょ」
「ああ、そうね」
「だから俺みたいなのが早まったら、伊藤さん、大好きな職場に居辛くなるんじゃないかって」
そこまで分かってくれてたんだね。
……嬉しいな。
「だから伊藤さんの売り上げを抜かして気を引いてみたりとか、色々下手な鎌かけてみたりしてたんです。向こうから何かアクションがない限りは、俺、待とうと思って」
「うん」
「でも猫耳なんか生えて来たら、気持ちが抑えられなくなって」
「うん」
「めちゃくちゃ可愛くて、もう、だめなんです」
「うん……」
安岡は満ちたように、ぽつりと言った。
「好きです。付き合って下さい」
「……はい」
そう答えると、なぜだろう。ぶわっと感情が高ぶって、私の目は熱くなって来る。
あれ?なんで私、泣いてるんだろう。
「ありがとう、その、私」
喉が絞られる。声が出ない。悲鳴にも似た音が喉を荒らす。安岡はベレー帽の上から、鼓舞するように頭を撫でてくれる。
「私、今、凄く嬉しいの。安岡くんが猫耳生える前から、私を好きでいてくれたこと」
ようやくそう言えて、私はほっとする。安岡も安心したようにはにかみ、私に手を差し出した。
私の手は、彼の手を選び取る。
固い握手。
「俺も今、すっごく嬉しいです」
私も嬉しい。声にならないけど。
「ようやく、我慢が報われました」
「ご、ごめんね。私がはっきりしないばっかりに……」
「そんなことないです。俺の方が、すねたりして馬鹿なことをしました。お願いですから謝らないで下さい」
街灯の下、二人は身を寄せ合って歩き出す。
私の住むアパートが見えて来た。
玄関ホールの前に立ち、私が手を振ろうとすると、安岡はその腕をぱっと取る。
「……部屋まで行きたいな」
「あ、それは無理」
ぐいぐい来るなぁ。さすが元モデル。どうせ色んな女の子に同じことを囁き続けて来たに違いない。
「ふん。何人の女の子にそう言って、何人からオッケーが出たの?今の言い方だと、勝率高そうね。私、猫耳生えたって、そんな簡単になつかないよ?」
すると安岡は困ったように笑う。
「そ、そういう過去のことを言い当てるのはナシでしょう」
「へー、図星なんだね」
「ぐっ……昔のことですっ」
「先が思いやられるわ。やっぱりやめとこうかな?」
安岡はそれを聞くと、急にしゅんとした。
まるで安岡に猫耳が生えたみたいに見えて来て、私は笑う。
「……笑わないで下さい」
「あはは。じゃあここでさよならね」
「あの、伊藤さん明日早番?」
「うん」
「なら、明日の朝も迎えに来ますよ」
私はぽかんとする。
「だって、また狙われるかもしれないし」
ああ。確かにそうだ。安岡がついてくれれば、こんなに心強いことはない。
「じゃお願いしてもいい?」
「勿論です。伊藤さんは俺が守りますからね」
「うん、期待してる」
すると安岡は私のベレー帽を取り、猫耳をくしゃっと撫でる。私はその感覚を覚えておこうとするように、安岡と別れるとそそくさと自室へ駆け込んだ。
猫耳が、気持ちを抑えられなくしたんだって。
私は洗面所に行って、猫耳の自分を眺める。
興奮し、どこか得意げにぴんと立つ猫耳。
「猫耳、ありがとう」
ようやく、私は猫耳を好きになれそうな気がした。