17.最悪の巡り合わせ
されど、年は明ける。
私は原宿駅の構内にいる。元旦は明治神宮の参拝のために、いつもとは違う別の改札を通るのだ。
その、臨時通路の前で待つ。
人の流れが激しく、更に男性のネイビーコート着用率の高さで、私の目は人波に泳ぐ。
……松葉さん、私のこと見つけられるかな?
「お待たせ」
私はハッとして振り向く。
いた。松葉さんだ。やっぱりネイビーのコート着てる!
「……待ちましたか?」
「いいえ、全然」
松葉さんは私の着ているコートとキルトスカート、そしてベレー帽を眺め、ふっと笑う。
「もしかして、それ、新しいコート」
「あ、はい。年が明けるので、新調して来ました!」
「もしかしてグローバーオール?」
うっ。なぜバレた?
「一緒だ。僕のも同じメーカーです」
あ、やっぱりそうなんだ。
「じゃあ、ペアルックですね」
「松葉さん──今、こういうのリンクコーデって言うらしいですよ?」
通路を抜け、神宮内を入って行く。松葉さんはくすぐったそうに笑った。
「すみません。俗世に疎くて」
「松葉さんのコート、可愛いと思って。真似させていただいたんですよ」
「ああ、フードの中がタータンチェックの」
「そうです。何か、いいですよね。伝統の柄って」
新年の独特の空気に、内心穏やかではなかった私も少しワクワクする。神宮内の湿った清廉な空気は、人々の熱気でどこかお祭りムードだ。
遠くにお社が見えるが、遠い。人並みが蠢き、芋を洗う大騒動だ。二人でお賽銭箱に近づいて行くと、頭上をお金が飛び交っていた。たまに頭に硬貨が当たる。フードにまでお金が飛び込んで来る。私と松葉さんは熱気に気圧され、言葉少なに賽銭箱の順番を待った。
賽銭箱の前まで来ると、松葉さんは私のフードに手を突っ込む。私もくすぐったく笑いながら松葉さんのフードに手を突っ込んだ。
誰かが撒き、私のフードに飛び込んだ賽銭。それを代わりに入れてあげる。
私は手を合わせた。
何を願うべきなんだろう。
多分、松葉さんのお願いは──
そこまで考え、私は目を開ける。
ようやく賽銭箱の前に来たのに何も願うことなく、私は呆然と列から離れた。松葉さんは私に尋ねる。
「伊藤さんは、何を願いましたか?」
私の願い……
「あ、無病息災です!」
私は無難過ぎる嘘をついた。松葉さんはにっこりと笑う。
「何だか伊藤さんらしいです」
私はえへへと笑い、汗をかく。
あれあれ?私、急に感情を失ったみたい。やっぱりここにいるのが怖くなって来たのだ。私はこれから松葉さんと何をすればいいのだろう。
まるで解凍を失敗した冷凍食品みたいに、私の心の芯は冷えて固まったままだ。
「食事でもどうですか?街へ出ましょうか」
私は慌てて辺りを見回した。
売店がある。
「あ、松葉さん。私、お守り買って行きたい」
私は別に信心深い方ではないのだが、毎年必ずひとつはお守りを買うのだ。自宅の鍵に着けるため、毎年新調しているのだった。古いお守りはその寺社で捨て、お焚き上げに回してもらう。私の小さなルーティン。
「いいですよ。僕も買おうかな」
私と松葉さんは連れ立って歩いて行った。ここも、人でごった返している。しばらく遠巻きにして、売店の上方を眺めた。今年はどんなお守りを買おうかな。
と、売店の列からこちらに歩いて来る人影があった。私はお守りを見るため、少し横にそれようとする。
その刹那。
「……伊藤さん」
正面の人影が、私の名を呼ぶ。
ハッとして、私は影を見上げた。
安岡がいる。
私は言葉を失った。
「あ、へ……?」
何とも間の抜けた声が出る。隣にいた松葉さんが、私と安岡の顔を見比べている。
「伊藤さん、お知り合いですか?」
松葉さんの問いに、私は頷く。なぜ安岡がここに。
安岡も私と松葉さんの顔を見比べると、
「ふーん」
と不満げに呟いた。私は昨日彼と交わした会話を思い出し、怖くなって顔を下に向けた。
「彼氏と初詣ですか?」
私は弾けるように顔を上げる。
安岡の顔は、怒りを押し殺すように歪んでいた。
「ち、違うの。この人は松葉さん。お友達なの。ほら、松葉医院の……」
私は松葉さんの顔を見上げる。
松葉さんはあえて無表情になって、安岡の顔を凝視していた。涼しい目線。けれどまるで相手を射抜くような目だ。
安岡と松葉さんの間に、火花が立つ。
私は青くなって震えた。安岡のあんな顔、初めて見る。
ふと安岡が口火を切った。
「俺と選んだ服でデートですか」
あ、と私は声に出す。そうだ、安岡から見ると、そういうことになってしまうんだ。私はその言葉に圧し潰されそうになり、慌てて首を横に振った。
「……だから松葉さんとはお友達で」
「──俺、馬鹿みたいじゃん」
もう私は二の句が継げなかった。
またしても、私は安岡に傷をつけたのだ。
取り返しのつかない傷を。
「……また明日」
安岡はそう呟くと、少し肩をぶつけるようにして私から遠ざかって行った。私は震える。何という最悪の巡り合わせだろう。
こんなことって、あるんだ。
さすが神宮。やっぱり神様はちゃんと見てる。
飼い猫のごとく甘やかされ、傲慢に他者からの親切を貪っていた自分。
──私、バチが当たったんだ。