表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/68

13.都合のいい男?

「私の両親は、私が小さいころに離婚しました。それから私は施設に放り込まれて過ごしました。母は面会なんか一度も来なかったのに、私が高校へ行き出すと、登校先に現れるようになって」


 松葉さんは私の汗ばんだ手をずっと握っていてくれる。


「アルバイト代をむしり取って行くんです。最初はようやく母に会えた嬉しさで何も感じませんでしたが、段々お金の無心に耐えられなくなりました。施設にも話して、どうにか距離を取ろうとあがいたんですが」


 私は高校時代の自分を思い出し、ぼろぼろと涙を流す。


「就職した先にも押しかけて来るようになったんです。それからは男の人と話したら駄目だとか、忘年会が駄目だとか、束縛して来るようになって。私は住居を転々としました。そのたびに見つかって」


 松葉さんはずっと頷いて聞いている。


「母はすぐお金を使ってしまうんです。今働いているところは転勤が常にあり、母をけるからと就職しました。実際、私の実家のある宮城県方面には転勤にならないよう、人事部には伝えてあります。でも、いつまた見つかるか怖くて……。私、母が死なないと自由になれないんです。だから母が死んだら絶対こういうホームに入って、のんびりしながら安心して死のうって決めてて、私……」


 その後は言葉にならなかった。周囲が異変に気づき、私たちを遠巻きにしている。ああ、あんまり泣いたら、松葉さんのご迷惑になってしまう。


 けれど松葉さんは周囲に目もくれず、ずっと私の手を握り続けて話を聞いてくれた。


「……それは、大変苦労なさいましたね」


 私は頷いた。誰にも恥ずかしくて喋れなかったこと。人によっては、きっとふがいない私を軽蔑するだろう話。


「話してくれて、ありがとう伊藤さん」


 私はきょとんとする。松葉さん、何でお礼なんか言うんだろう。私は、勝手に話し始めたのを申し訳なく思っているのに。


「きっとここは、伊藤さんの──劣等感とか、嫉妬を刺激する場所なんだ。僕も先程、親御さんのために、とか言ってしまってすみませんでした。早く帰りましょう、我々の住む町へ」


 私は泣き笑いしながら頷いた。ぬるくなったコーヒーを、互いにぐいっと飲み干す。


 そうだ。私の帰る街には、今日、松葉さんという味方が出来た。


 ほんの少しの理解が、私の栓を抜いたのだ。不幸でパンパンになった、私の体の栓を。


 松葉さん、ありがとう。こんなに心が軽くなったのは、初めてだ。




 クロークから荷物を受け取ると、私たちはグレース三崎を出た。


 夕焼けの海にさしかかると、


「……恋人同士にはなれないでしょうか」


と松葉さんが尋ねる。


 私は首を横に振った。


「ごめんなさい。松葉さんは頼れるお医者さんだし、色々相談したり、話したいっていう気持ちはあるんです。でも、恋人には──」


 松葉さんは「ふーん」と呟く。


「じゃ、都合のいい男ってわけですね」


 私は松葉さんの思いがけない呟きに身悶える。そんな定義づけされたら、何だか私、とても悪い女になってしまった気分だ。


「ところで伊藤さん、彼氏とかはいないですよね?」


 改めて松葉さんが尋ねて来る。その瞬間、脳裏になぜか安岡が浮かび、私はびっくりしてその姿を打ち消した。


「えっ!!いないです、いないです」


 自分の脳と松葉さん両方に宣言し、私は汗をかく。


「うーん、じゃあまだ僕にもチャンスがあるってことで大丈夫ですか?」


 駅が見えて来る。


「な、ないことはない……とだけ」


 私の返答に、松葉さんがぶっと吹き出す。


「本当に、伊藤さんは可愛くて不思議で面白いです。また会って話がしたいな」

「また、そういう風にからかって……」

「そうだ。元日はお暇ですか?」


 うわわ。松葉さんったら、見た目に反して結構積極的!


「んー、確かに百貨店は休館で、暇ですけど……」

「じゃあ、会いましょう。初詣なんかいかがですか?」


 初詣!?


「もうそれ、デートじゃないですか!」

「だって次会うとしたらそこぐらいしか」


 うーん。


「……伊藤さんはそうでもないかもしれませんけど、僕はあなたに会いたくて会いたくて仕方がないんです」


 うー、そっか……。


「また連絡します。返事はその時でいいですよ」


 すると松葉さんの湿った手が、私の手にそうっと伸びる。私はびっくりして手を引っ込めた。


「……」


 松葉さんがじっと自らの手を見る。


 ああ、ごめんなさいごめんなさい。あそこまで泣きの自分語りしといて、素直に手を握られおいて、こんな時だけ他人面してごめんなさい!


 松葉さんは顔で笑いながらも心が泣いているのか、少し肩を落としている。あぁー!何か、めっちゃ期待させちゃって、本当にごめんなさいっ!


「ま、いいです。……虎視眈々と狙って行きますから、覚悟して下さいね」


 気を取り直したように松葉さんがにっこり笑い、私は再び顔を赤くした。


 改札を通り、共に同じ特急電車に乗る。周囲を見渡す。きっとこんな風に男女が身を寄せ合って並んでいたら、周りには恋人と思われるんだろうな。


 二人は同じ町へ帰る。私はアパートの前まで送ってもらって、そこで松葉さんと別れた。


 自室に戻り、ベッドにぐったりと身を投げ出す。


 急展開すぎる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ