11.似ている二人
それから互いに無言で食事を終え、ドッグカフェを出ると、私と松葉先生は犬を連れて海岸沿いを歩き始めた。
「グレース三崎は何せ立地が良くて」
まるで何事もなかったかのように、松葉先生が老人ホームの話を始めた。
「駅からも近いし、最寄駅からは都内に直通で出られるし、思った以上に人気なんですよ。予約するなら早い方が」
「あの、さっきの話は」
私は話を遮った。
松葉先生は、マフラーに顔を埋めて黙りこくる。
「恋したっていうのは……」
「……迷惑だったら、無視して貰って構いません。ただ……」
松葉先生は慎重に言葉を選びながら言う。
「このチャンスを逃したら、もう二度とこの気持ちを伝えられないと思って」
海風が、熱を帯びた私の体を冷まそうと吹きつけて来る。
「二度と……?」
「あの街に帰ったら、きっとまた医者と患者の関係に戻ってしまうと思ったんです。あれは本当に一目惚れでしたし、ここで会えたことに運命を感じてしまいました。本当、単純な男ですよね」
先生は本当に朗らかに笑った。断られる断られないに関わらず、気持ちを伝えられたのがよっぽど嬉しかったみたい。
私は少し考え、首を横に振る。
松葉先生は、ふわりと柔らかい眼差しで私を見下ろして来る。
「その、謝らないで下さい。私、正直、男の人に告白されるの、初めてで」
私は正直な気持ちを伝えようと腐心する。先生は犬に引っ張られながらも、私に合わせてゆっくり歩いてくれる。
「何て言うか……ちょっと嬉しかったです」
「……本当ですか?」
「でも私、先生のことを何とも思ってないんです」
先生は押し黙る。
「……じゃあ」
松葉先生が、ポケットからスマホを取り出した。
「まずは、お友達になっていただけませんか?」
私は、ほっとして頷く。私も急に猫耳が生えて、その結果人間関係も大きく動き出して、不安でたまらなかったのだ。この大都会で友達もいない私には、話し相手が出来、しかもそれがお医者さんというのは、とても心強かった。
「いいですよ」
私もスマホを取り出して、先生のスマホと突き合わせた。連絡先の交換が完了すると、先生はスマホ画面を大切そうになぞって、幸せそうにはにかんだ。
あ、またあの笑顔だ。
私は驚きつつもまたあの顔が見られて、ちょっと嬉しくなる。
グレース三崎の出入り口までやって来る。
まだ新しいマンション型の建物。白い壁にレンガが埋め込まれ、南欧風の佇まいをしている。所々にある椰子の木が、冬の風とあいまってどこか寒々しい。
「ここが入口です。その前に、裏口から母の犬を預けて来ますね」
私は先生と連れ立って、裏口へと向かった。裏口のインターホンを押すと、バタバタと音がして初老の女性が顔を出す。
「あら、武史。長かったわね」
部屋の中だというのにツイードジャケットをしっかり着こなした女性。私はその切れ長の瞳を見て、すぐに彼女が松葉先生のお母様だということが分かった。
「……そちらのお嬢様は?」
お母様は私を上から下まで観察し、笑顔のひとつも見せず、息子に問う。
「友達だよ。偶然、散歩の途中に会ったんだ」
先生、少し声がこわばっている。私は何だか不安になって来た。先生のお母様は顔をしかめ、私をどことなく憎々しげに眺める。
この表情、似ている。
──私の母に。
「友達としたら、大学の?だって武史、高校まで男子校だったじゃない」
あ、どうでもいいことですぐ子供相手に喧嘩腰になるところまで一緒。
「……別に、どこで知り合ったって、いいじゃないの」
困った顔で松葉先生が言い返す。
「あなたには、松葉家坂井家、両家に釣り合う女性を選んで貰わないとね。全く、油断も隙もない……」
言いながら、お母様は私を睨む。敵を見る目だ。松葉先生は苛々し、ヨークシャー・テリアを押し付けるように部屋に押し込むと、力任せに無言で扉を閉めた。
しんと静寂が戻り、再び冬の風の音。
「はぁ……」
松葉先生はしゅんと落ち込んでから、
「……行きましょうか。施設内を案内しますよ」
と疲れた笑顔で言った。二人で再び出入り口まで歩き出す。
「あの、無理しないでいいんですよ?お疲れでしたら私……」
「いいえっ!」
松葉先生は立ち止まり、その切れ長の目を見開いて言う。
「疲れてなんかいませんっ。伊藤さんがそばにいてくれれば、何時までだって……!」
それから急に顔を真っ赤にして、先生は二の句が継げなくなった。
私も驚いて、顔を赤くする。
先生も普通の男の人みたいに、こんなこと言うんだなぁ……
「……とにかく、僕について来て下さい。僕について来れば、隅々まで見学出来ますから」
私は更に、どきどきと胸を鳴らす。
普段の一人称は、僕なんだ。
クールな顔立ちだから、何か意外。
私は先生に促され、グレース三崎に足を踏み入れた。