表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/68

10.本当の松葉先生

 松葉先生の案内してくれたドッグカフェは、アメリカンテイストの内装だった。


 きっと、西海岸をイメージしているのだろう。ブリキやペンキの装飾が各所に見られ、英字がそこかしこに踊っている。メニュー表を開くと、主にハンバーガーやライスバーガーなどのファストフードの写真が並んでいた。どのパンズにも、犬のイラストの焼き印が押してある。とってもおしゃれだし、美味しそう。


 大きく取ってある南窓からは、水平線が見える。


 先生が犬に座るよう言伝ると、犬はしゃんと座って見せた。


「お、偉いワンちゃんですね」


 私がそう言いながらダッフルコートを脱ぐと、先生はじっと私の顔を見つめて来る。


「……ど、どうしましたか?私の顔に、何かついてます?」


 先生はハッとすると、何かを隠すようにニコっと笑う。


「いや、帽子……取るのかな、と」

「取りませんよ、大丈夫です!先生にご迷惑はおかけしませんからね!」


 すると先生はコートを脱ぎながら


「猫耳、見たいなぁ」


とぽつりと呟く。


 ん?何で?


 私の顔にそう書いてあったのか、先生は照れ臭そうに笑う。


「私は猫派で」


 へーと私は思わず口に出す。そういえば松葉医院の受付も、猫グッズだらけだったっけ。


「正直、伊藤さんが医院に見えた時、内心ちょっと小踊りしている自分がいました」


 私は思わず笑ってしまう。


「……踊っていただいて、構いませんけど?」

「そういうわけには行きません。でも、あの後伊藤さんがお帰りになって、どこか、その」


 松葉先生は言い淀む。


「その……医者になってみるもんだなぁ、って」


 私はぽかんとする。てっきりおかしな奴が現れて、メンドクセーと思われているだろうなと予想していただけに、意外な言葉だった。


 その間に店員さんがやって来て、二人の注文を聞いて厨房に帰って行く。


「何でそう思ったんですか?」


 私は素直にそう尋ねた。すると松葉先生から、すっとあのお馴染みの笑顔が消えた。


「ま、ここだけの話……別に医者になりたくてなったわけじゃないんです」


 私はどきりとする。そこに先生はおらず、松葉武史その人がいる。彼は私の目に、何か訴えかけるような視線を送って来る。


「先程も申し上げましたが、母はあの老人ホームを経営しています。が、元々母は内科の女医で、父は産科の医師でした。医者同士の子どもが、医者以外になるなどということは許されない」


 私の胸の鼓動が早くなる。それから、急に目の前がふわりと明るくなるような錯覚を覚えた。


 この人は、私に似ている。


「親に決められた道を、決められた通りに歩かざるを得ない人生でした。不足なのに、無理矢理充足させられる、そんな子供時代でした。小学校受験に失敗し、ようやく中学受験で名門校に入りました。けれど、私はその学校では並みの学力で──努力した分、辛い思いをしました。一浪してようやく医学部に入りましたが、やりたいことではないので苦痛です。けど、それ以外の選択肢を取り上げられていますから、やるしかなかった」


 そう一息に言ってから、松葉先生ははっと我に返った。


「あ、あ。すいません、何だか変な話をしてしまって……」


 そして、真っ赤な顔でうつむく。


「ご、ごめんなさい。今の話はその……忘れて下さい」


 私はびっくりしたが、思うところがあってこう尋ねた。


「猫耳、見ます?」


 松葉先生はすぐに顔を上げた。


「……いいんですか?」

「はい、ぜひぜひ」


 私はニット帽をするんと取る。ぴょこんと猫耳が現れ、先生はもごもごと口を動かした。


「どうですか?」


と私が問うと、 


「癒されます、すっごく」


と先生は幸せそうにはにかんだ。ああ、やっぱり、と私は思う。


 これだ。これが先生の、本当の笑顔だ。


 にっこり笑うあの笑い方は、先生が先生になって身に着けた、患者向けの営業スマイルなのだ。この猫耳を見た時が、本当の笑顔になる瞬間。


 私はお医者さんに少しの癒しを提供出来、ちょっと得意になっていた。親に悩まされる松葉先生の人生に、少しでも癒しを分けてあげられればいいな。


 先生は頬杖をつくと、こちらを覗き込むように、その切れ長の目で私の猫耳をうっとりと眺める。


「……可愛いな」


 ぽつりと呟いてから、先生は熱っぽい瞳で私の目を見る。


「……伊藤さんが見えてから、ずっとあなたのことを考えていました」


 私はぽかんと口を開ける。


「……ずっと?」

「ずっとです」


 先生は断言した。


「多分、これは恋です」


 !?


 ……この人、今なんつった?


「はい?」

「だから恋したんですよ、伊藤さんに」


 そのタイミングで、目の前に注文したライスバーガーランチセットが運ばれて来た。


 松葉先生は実にスッキリした顔で、すぐにそれを食べ始めた。


 私はというと全く思考が追いつかず、ランチを呆然と胃に流し込むしかなくなってしまう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ