1.猫耳が生えて来た!
百貨店家具売り場のバックヤードで、私は営業売上表を見上げる。
自分の名前を探す。
〝伊藤祥子〟
表のてっぺん。いつも一番だった場所。
そこに、私の名前はなかった。
その代わりに書いてある名前は──
〝安岡航平〟
あとからこの百貨店に入って来た、私の後輩だ。私は眼鏡の位置を直す。
こんなに簡単に抜かれるとは、思ってもみなかった。
そんな時に、私の肩を叩いてくる奴がいる。
私は振り返り、歯ぎしりする。
案の定だ。安岡航平がそこにいた。背がひょろりと高く、髪を少し明るく染め、目鼻立ちのはっきりした男。大学時代まではモデル事務所にいたらしいが、卒業と同時に辞めて新卒で就職したと言う。何でも、大学生モデルということに価値があった、とか言っていた。色々と癪に障る奴だ。
私より二つ年上だが、私の方が高卒、彼の方が大卒で入ったので、私の方が先輩となるのだが。
「いやー、伊藤さんを抜ける日が来るなんて思わなかったですよ!」
爽やかな笑顔で私を覗き込んで来やがる。んー?それは謙遜?それとも勝利宣言なの?
「俺、札幌店から来て、まだ二か月ですもん!」
あー、はいはい。勝利宣言の方ですか。
「伊藤さんの指導のおかげですよ。そうだ、お礼におごりますよ、一杯」
ほほう、負けた先輩をフォローしようってわけね。
「悪いわね、安岡くん。今日は予定があるの」
彼は、それでようやく気づいたようなフリをする。
「あっ……ですよね。何せ今日は、クリスマスイブですもんね」
少し傷ついたような顔をする安岡を振り切って、私は無言で歩き出す。
「明日からのセール、頑張りましょうね」
眉間にしわが寄るのをこらえる。構ってやる気には、どうしてもなれなかった。
イルミネーション溢れる都会の雑踏。けたたましいはしゃぎ声。テレビクルーの集団。
それらを通り過ぎ、駅のホームの黒々としたサラリーマンの群れに入ると、ほっと息が出来る気がする。
電車に揺られ、いつもの家路へ。
がらんどうの、小さなワンルームアパートにようやく辿り着く。
ぽつんとあるベッドに体を投げ出して、私は布団に顔をうずめる。
何もする気になれなかった。
安岡にとって、営業成績一位とは、どんな意味を持つのだろう。
勝利?ボーナスアップ?どうせその程度だろう。私は歯噛みする。苛々が止まらない。
私にとってのそれは、生きがいだったのだから。
地味で高卒で、何の取柄もない私が、唯一誇れることだったのに。誰よりも稼げる得意分野だったのに。これを元手に、高級老人ホームに入るのが私の夢だったのに。
一位と二位では、ボーナス査定に結構な差が出る。私は差額を計算し、ため息をついた。
イケメンで大卒で誰にでも軽率な雰囲気の、全方位において恵まれているあの男に後塵を拝すとは。転勤したばかりで心細いだろうと、世話役を買って出たのが仇となったようだ。
いつ転勤の辞令が来てもいいように、物が少ないこの部屋。
ずっと、頑張って来たのにな。
全てが空しくなり、ふっと意識を失うように眠りの中に入る。
あーあ、猫にでもなりたいな。
何の競争もない世界で、ただエサを探す毎日を過ごしたら、こんな気持ちにはならずに済んだだろう。
ふわふわと夢の中を漂う。
耳元で、聞き覚えのある音がする。
鈴の音。
私は目を覚ました。
早朝になっている。驚いて時計を見ると、朝六時を回っていた。
「うわっ、大変!」
慌てて洗面所に駆け込み、メイク落としシートを開けたところで、私ははっと鏡を見た。
ちょっと寝ぐせ、ひどくない?こんなに頭がもりあがることって、あるかな。
ベッドに戻り、眼鏡をかける。再び洗面所に戻り、私は呆然とする。
ナニコレ。
頭から、猫耳が生えている──
「わーっ!」
思わず叫ぶ。何よこれ。触ってみる。おもちゃじゃない。痛覚もある!
「ヤダヤダ!ど、どうしよう」
何かの病気!?
こ、怖い!愉快な見た目に反して、本当に怖い!!
私は迷ったが、今日の出勤はナシにしようと考えた。猫耳生やして家具なんか売れないよ!
「病院に行かなくちゃ……」
ああ、でも、待って。
もしも手術とかいうことになったら、保証人として、親が必要になるじゃない。
親には金輪際会いたくない。
絶対絶対、会いたくない!!
「そうだ、帽子……」
ニット帽をクローゼットから探し出して来る。これを被れば、いつもの私だ。
猫の耳って、柔らかい。ぺたんと帽子の中に納まってくれる。
「ああ、でもこれじゃ余計に売り場に立てない」
ひとりごち、しばらく頭をひねる。
「……スカーフ……」
一張羅のエルメスのスカーフを頭に巻いて、いわゆる「マチコ巻き」スタイルにしてみようか。
世の中は「多様性」を認めて久しい。
いちかばちか、〝宗教上の理由〟にしてしまえば、これで売り場に立てる可能性も……!
「あるかー!!」
ひとりノリツッコミをして、スカーフを床に叩きつける。
無為に時間ばかりが過ぎて行く。
とにかく、落ち着こう。今日は仕事を休もう。有給もまだあったはずだ。
一日じっくり考えよう。
私がまずやるべきことは──
病気に行くことと、猫耳の件を上司に相談すること。
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