チューリングテスト
少子高齢化が進み過ぎた21xx年。
AI搭載のアンドロイドは労働力としてだけではなく、人間の話し相手となり、遊び相手となり、時に相談相手へと進化していった。
昔は高価だったアンドロイドも、あれこれオプションをつけなければ手が出ない価格ではなくなり、今では最高級の掃除機と同等くらいで手に入れる事ができる。
デフォルトの機能としては、簡単な会話、簡単な家事といった最低限の作業ができ、購入後は各オーナーが必要だと思う機能を購入する事が可能だ。
例えばもっとたくさん会話がしたいから言語を増やしたい、美しい歌声機能がほしい、子供の為に家庭教師機能がほしいといった場合、ネット上からそれらをダウンロードすればいいし、力仕事をしてほしい時はメーカーからマッスルパーツを取り寄せてつけてやればいい。
人間に対して危害を加えないようにプログラムされているから安心して一緒に暮らせるし、穏やかで、品があり、疲れを知らず、愚痴や不満を言う事もない。
今や一家に1台が当たり前、アンドロイドは人間にとってなくてはならい存在になったのである。
††
とある企業の研究所。
ここでは主に人工知能AIの研究開発と、個人所有のAIのチューリングテストも行っていた。
これだけアンドロイドが普及した今、ネット上には気軽に判定できるチューリングテストサイトが溢れかえっていた。
だがオーナーの中には、時間をかけて少しずつカスタマイズした(オーナーは『育てた』と言うのだが)大切なアンドロイドがどれだけ人間に近いのか、高いテスト費用を支払っても正確に判定してほしいという人も少なくない。
それゆえ余所行きのきれいな服を着せてもらったアンドロイドとオーナーである人間が研究所内を仲良く歩く姿がよく見かけられた。
††
コンコンコンコン
せわしないノックの音のすぐ後に、慌てた様子の研究所職員が所長室に入ってきた。
「所長!失礼します!大変です!どうしましょう!」
「なんだね、騒々しい。何が大変なのだね?入ってくる早々『どうしましょう』と言われても何の事だかわからんのに返答はできないよ」
「大変失礼いたしました!今、予約の無いチューリングテスト希望者が受付に来てまして、どうしても今日テストをしてくれと騒いでいるのです」
「予約の無い客が来た?なんだそんな事か。融通をきかせてテストを受けさせてやればいいじゃないか。それとも今日は予約でいっぱいなのかね?」
「いえ、予約にはまだ余裕があります。ですが今受付で騒いでいるのはオーナーではありません。というか、オーナーがいないのです。AI搭載のアンドロイドしかいません」
「アンドロイドが?オーナーも無しに単独で来てると言うのか?それで自分にテストを受けさせろと?」
「そうです。しかもテストの判定者にはうちの職員の坂田を付けろと指名しています。坂田が何か事情を知っているのかもしれないので、今呼び出してはいるのですが…」
「ふむ…アンドロイドが単独で行動する事はあるが、大抵は買い物などオーナーの命令でだ。オーナーがテストを受けさせたいのなら一緒にいないは変だな」
「そうなんです。女性型のアンドロイドで腕のバーコードを読み取っても『オーナー不明』と出てきます。それと少々バグが生じているようです」
「というと?」
「暴力的な行動はとりませんが、その、えらく言葉使いが悪いです。まったくAIらしくありません……」
††
『ちょっと!いつまで待たせるの?早くチューリングテスト始めてよ!アタシ待ちくたびれちゃったんですけどー!だからって坂田以外にアタシの脳ミソ覗かせる気はないからね!?あっ!それからテストに幾らかかるか知らないけど、アタシ、お金持ってないから!坂田に請求してよね!』
「あの……これ本当にAIが喋ってるんですか?」
研究所所長とチューリングテストチーム数名のスタッフに囲まれ、隣の部屋で騒ぐ女性型AIの声をスピーカー越しに聞いた坂田が呆気にとられていた。
「坂田君、君はあのAIに心当たりはないのかね?」
「さぁ…ないですねぇ。実家のアンドロイドは男性型ですし、それにもっと穏やかで上品です。あんな言葉使いの悪いAIなんて聞いた事ありませんよ」
「でも坂田君指名だし、テストの費用も坂田君に請求しろって言ってるんだけどねぇ」
「え!テスト代って僕が払うんですか?!」
「ははは、ちゃんと経費で落とすから安心したまえ。それにしても変なAIだ。オーナー不明で登録情報ヒット無し。だけど坂田君の事は知ってると言うし…とりあえずテストしてみてよ」
チューリングテストは、AIと判定者がそれぞれ別の部屋でパソコンのチャットで行われる。
対面方式で行われないのは、視覚や聴覚からくる先入観を防ぐ為だ。
先程のようにAIが発する声を聞かされるのは普通はまずないのだが、常に丁寧な話し言葉でコミュニケーションをとる一般的なAIとは異質である事を情報共有する為の特別だったのだ。
テストでは判定者の問いかけにAIがどう反応するのか、AIがどれだけ人間らしい回答をスムーズに出す事ができるのか、それによって人間と見なされれば合格、いやいやこれは人間ではないとなれば不合格となる。
今回のテストではAIが単独で(しかも代金を踏み倒す気満々で!)自分の意志でテストの申し込みをしてきた。
前例の無いおかしな話ではあるがテストをすれば何かわかるかもしれない。
坂田はわかりましたと返事をすると、テスト用のパソコンの前に座り静かにキーボードを叩きはじめた。
††
SA:こんにちは、僕の名前は坂田明です。これからチューリングテストを始めます
AI:坂田?本物?
SA:もちろん。坂田明、21xx年2月8日生まれの25歳です
AI:ふうん、誕生日は合ってる。ついでに言うと血液型はO型でしょ
SA:なんで知ってるのですか?
AI:当たり前だよ!坂田の事、昔から知ってるもん!
SA:昔から、ね。では、改めまして僕からの質問1つ目。君の名前は?
AI:えっ!わからないの?
SA:わからないよ。だから聞いてるんだ
AI:ええ?!うそでしょ?信じられない!せっかく苦労して会いにきたのに!サイテー!
SA:え……………?
AI:ちょっと、なに黙り込んでるの?そーゆートコ昔とぜんぜん変ってない!坂田ってさアタシにちょっと何か言われるとすぐにダンマリよね!
SA:あのさ、君さっきから“昔”って言うけど僕に会った事があるの?
AI:あるよ
SA:いつ?ネットワーク上?それともリアル?
AI:リアル。ずっと一緒だった、アタシが遠くへ行っちゃうまでは
SA:遠くへ?ますますわからない。
AI:ねぇ……本気で言ってるの?
SA:ああ。申し訳ないけど。
AI:うそ!もっとよく思い出して!
坂田は一旦キーボードから手を離すと、カラカラに乾いた喉をうるおす為、ペットボトルの水をぐいっと飲んだ。
__このAIは現実世界で僕と会った事があるというが、それが誰なのかまったくわからない。
名前も教えてくれないし、本来の顔も声もわからないのだから無理もない。
それに、この言葉使い……
正規の会社で作られたAIならこれはあり得ないプログラムだ。
あれじゃあ、ユーザーからクレームが入るだろう。
だけど不思議な事に僕はそんなに嫌じゃない。
どこか懐かしいような空気感がある。
異質な話し方に単独行動……
もしかしてあれは、どこかの誰かが個人的に作った自作AIではないだろうか?
僕の知り合いの誰かの情報をベースにプログラミングされてると仮定すれば、確かに僕を知っていても不思議ではない。
でもそれは誰なんだ?製作者のスキルは相当高いぞ。
あんな感情剥き出しの会話ができるプログラムを組める知り合いはいないはずだ。
いや……昔1人いたけど今はもういない、が正しいか。
フル回転でAIの正体を模索している坂田の視界に、苛立ったような短い文が新たに表示されるのが目に入った。
AI:ちょっと!坂田、聞いてる?
SA:ああ、ごめん聞いてるよ。
AI:まだ思い出せなの?ひどい……坂田とはアタシは両想いじゃなかったの?
ゴホッゴホッ!
突然の“両想い”という甘酸っぱいフレーズに坂田をはじめ後ろで見守っていた所長達も一斉にむせた。
いい大人になってから久しく聞かなくなった“両想い”
こんな言葉を口にしていたのは中学生までだったのではないのだろうか。
と、思わず口元が緩んだ次の瞬間、坂田の記憶の欠片がゆっくりと、だが確実に浮かび上がり溢れだし、やがてそれらはある1人の女の子の姿へと形を変えていった。
中学……同級生……男勝りな女の子……天才的な機械オタク…病気…入院……転校……メール……告白……両想い……絶望
__そうだ…男の子みたいな性格で、姫様のように美しい彼女が僕に教えてくれたんだ。
モノを造る楽しさを、恋をする切なさを、両想いになれた幸せを、そして病魔に……まだ15歳だった彼女を還らぬ人にされてしまった身を裂かれるような苦しみを。
ああ、だけど、まさか……あれから10年も経っているんだぞ?
それでも考えれば考える程答えは1つに絞られる。
男の子みたいな話し方にAIを自作できる程のスキル、そして何より僕と“両想い”だった人は彼女しかいない。
そう、彼女の名は……
SA:みお
AI:坂田!やっと思い出してくれた!
SA:みおみおみおみおみお
AI:ん?
SA:みおは10ねんまえにしんだんだ
AI:そだね
SA:きみをつくったのはだれだ
AI:アタシだよ
SA:ばかないないひとがどうやってつくる
AI:10年前。病院のベッドでチャチャっとね。こんなのアタシにしか造れない。
SA:なんでいまなんだ
AI:ヒロインは遅れて登場するって知らないの?
SA:みおのちこくのいいわけだ
AI:坂田はいつだって許してくれた
SA:そうだ まっているじかんだってしあわせだったから
AI:10年待たせたけど、アタシ坂田に会いに来たの
SA:ぼくに?
AI:そうよ。アタシがいないと坂田はダメじゃない
SA:ああ それはひていできない
AI:素直でよろしい
SA:ほんとうにみおなのかしんじていいのか
AI:それを判定するのが坂田でしょ?
SA:そうだぼくだ
AI:で?
SA:
AI:アタシは?
SA:美緒だ
††
春の暖かかな日差しが気持ちいい研究所の中庭で、坂田は1人手作り弁当を食べていた。
「お、坂田君じゃないか。昼休みかね?」
「あ、所長、お疲れ様です。今日は天気がいいので外で食べようかと思って」
「そうか、そうか。ん?それはもしかして愛妻弁当かね?」
「愛妻なんて言われると照れますけど、そうですよ」
「はははは!若いっていいねぇ!で、美緒さんは元気かね?」
「はい、そりゃあもう。相変わらず言葉使いは悪いけど、あれはAIのバグじゃなくてオリジナルに忠実なだけですから」
「いや、言葉使いがなんだ。彼女は病気と闘っていた15歳で自分のAIを造り上げてしまったんだからスキルもメンタルも並みじゃない。どうだね、美緒さんにウチの研究所で働かないかって誘ってみてくれんか」
「ありがとうございます。でも僕は10年ぶりに逢えた美緒を独り占めしておきたいのです。もしでしたら彼女のお兄さんに声を掛けてみましょうか。お兄さんも美緒に負けないスキルを持ってますよ。最近になって美緒の遺品の中から美緒を見つけだし空の女性型アンドロイドにインストールしてくれたのも彼ですから」
「そうか、それはすごいな!では今度是非会わせてくれ!」
ホクホクと去っていく所長の背中を見送ると、坂田は再び愛妻弁当を食べ始めた。
「おいしいなぁ」
坂田は穏やかな青空を見上げ、美緒の作った焦げた卵焼きと一緒に奇跡のような幸せを噛み締める。
__美緒、僕の元に帰って来てくれてありがとう。
諦めるしかなかった初恋が君のおかげで息を吹き返したんだ。
これから先、僕らの事を色々言う人はいるかもしれない。
だけどいいんだ。
美緒がAIだってかまわない。
僕の中のチューリングテストでは、美緒はぶっちぎりで合格なのだから。
了