九尾さんと私
私と母様、そして九尾さんの三人で街の外へと移動した後。街道から逸れて、遠くまで広がる草原地帯を少し歩いた所で「この辺で良いか」と九尾さんが言って立ち止まりました。周囲を見回しますと、遠くで街道を通る人々と、時折立っている木、そして獣人さんの街が見えるだけでそれ以外は草原が広がっています。
そよ風で草が揺れ、とてものどかな草原地帯。ここで昼食などを頂いたらとても素敵でしょうね。
「とても綺麗な草原ですね」
「うん、僕もそう思います! ここで皆とご飯を食べたら絶対美味しいです! 今でこそこうして草原が広がってますけど、昔は瓦礫だけの荒廃した地だったんですよ」
母様にそう言われ、港町でエステルさんから聞いたお話を思い出しました。プリシラさんが一度この国を滅ぼした為、何もない瓦礫だけの地になり、そこから新たな国を作り上げたと。
「この素晴らしい草原も、母様達が頑張ったからこそ、ここにこうして広がっているのですね」
「僕達だけじゃ流石に無理でした。沢山の人や獣人さんの力をお借りして、共同で作り上げたんです。とっても大変でしたけど、形になって行く街やこの国に移り住んでくる人々を見るのが嬉しくて。だから頑張れたんですよ!」
この国に来たばかりの私では母様のお話の重さは測れませんけれども、この広大な大地に街を作り上げる大変は十分理解できます。
「まぁ、また焦土に戻るかもしれんがな」
物騒な事を仰る九尾さん。今の感動的なお話の後に出る言葉ではありません。
「あの、本当にここで戦うのですか?」
この見晴らしの良い草原に傷をつけるなんて、私には出来ません。今のお話の後で尚更そう思います。獣人さんの街も近くにありますのに。それと私戦闘に入りますと……性格が。
「そうだ。お前の強さがどの程度か、私に示して見せろ」
「どうして私と戦いたいのですか?」
「理由はまぁ、兎も角。私は戦闘が何よりも好きでな。話は終わりだ、行くぞ!」
一方的に会話は打ち切られ、九尾さんが胸元から何かを取り出し、目を瞑りました。
「来たれ我が分身よ。御魂に宿りし我が力よ。我が命により一尾を開放せよ」
胸元から取り出した何かを握りしめて、詠唱らしき言葉の後。九尾さんが輝きだし、光に包まれた瞬間、その光が二つに分かれました。そして分かれた光が収まっていきますと……。
「え……え?」
私の目の前に、九尾さんが二人立っていました。目の幻覚等ではなく、目の前の九尾さん二人共に違う動作をしています。今の光で九尾さんが増えた……ようですね。
「さて、では始めようか」
「え、あの。九尾さんが増えたように見えるのですけれど」
私の焦った質問の後、片方の九尾さんが前に出て。
「私は後ろに居る本体の身代わりのような物だ。この私ならお前も本気で相手にできるだろう」
「え、でもどう見ても何方も九尾さん本人に見えますけれど……」
混乱している私に「それはですねー」と母様が切り出します。
「九尾ちゃんは御魂と呼ばれる宝玉を持っているんですけど、その宝玉の効果で自分の分身を最大で九つ作る事が出来るんです。魔力も姿も全部同じなのでどちらも一緒に見えますけど、片方は生きていません。心臓の代わりに宝玉が動力になってるからです」
「宝玉ですか……」
母様の説明を受けてある程度理解は出来ましたけれども。どう見ても、もふもふの尻尾もぴこぴこの耳も生き写しですのに、生きていないと言われても困ります!
「まぁ生きてはいないが、この通り本体と能力は変わらないからな。中々に便利だぞ。あぁそうだ、何なら私を一人共に連れて行ってもいいぞ?」
「本当ですか!?」
「私に勝てたらな」
分身さんを一人連れて行ってもいい、と言われてすぐさま食いついた私ですけれども。やっぱり戦わないと駄目なようです……。でもでも、九尾さんの分身を連れて行けるとなりますと、話は別になります。あのもふもふと一緒に居られるなんて、もう考えただけで幸せな気分になってしまいます。
「ミズキ、急にやる気出したみたいですね。なんか頬に手を当ててくねくねしてますし」
「そんなに私を連れて行けるのが嬉しかったのか……」
何やら母様と本体の九尾さんが若干引いてますけど。私にだってほしい物が出来たりします。たまには欲しい物の為に頑張るのもいいと思うのです。
「あの、戦います。九尾さん欲しいです」
「……ま、まぁやる気を出したなら好都合だ。「この後の事」もあるからな。しっかりお前の力を見せて貰うぞ」
御魂の九尾さんが大きく魔力を膨らませて戦闘態勢に入りました。私も御魂の九尾さんと同時に、周囲に水を出現させて剣の形を作り、空中に数本停止させます。
「なんだ? 氷魔法……では無いな。なんだそれは?」
「やっぱり九尾ちゃんも気になりますかー」
私が操る水を訝し気に見つめる御霊の九尾さん。その返答は私ではなく、何故か母様が得意げに話し出しました。
「ミズキは第六の属性「水魔法」を操れる唯一人の水属性なんです!」
「……何? 水の精霊の力などでは無いのか?」
「僕も最初はそう思ったんですけど、間違いなくミズキ自身から発させられる能力です。そもそも、精霊が行き過ぎた加護を人間に授ける訳ないですし」
母様の言葉にびくっとする私。実は水の精霊さんに一つだけ好意で頂いた、水属性付与の能力があるのですよね……。一応内緒ではあるのですけれど、水晶五姫との戦いなどになればその能力も何ればれるでしょうし、早い内に母様だけには教えておいても大丈夫でしょう。
「ふむ、これは楽しめそうだ。水を操るだけならアビスもやっている事だが、それとはまた別なのだろう?」
「はい、私の力はアビスさんとはまた別の物です」
私は更に、空中に停滞させている水の剣に血を混ぜました。すると、直ぐに真っ赤な剣に変わります。古代血術も赤い剣を出せますけれど、水魔法に古代血術を重ね掛けして作った場合、その破壊力には大きな違いが生まれます。
「プリシラと似たような雰囲気を持つと多少は感じていたが……これは。あいつと同じ能力まで使えるのか」
「本当は草原を傷つけたくはないのですけれど。もふもふの為です、仕方ないのです」
私は右手を前へ向けて差し出しますと、凄まじい速さで赤い剣が射出され、御魂の九尾さんを襲います。
「妖術「幽世の門」」
御魂の九尾さんの目の前に黒い門が出現しました。門の扉が開きますと、数え切れない程の「手」が伸びて来て赤い剣を掴み、そのまま門の中へ引きずり込みますと、扉が閉まり門が幻のように消えました。
「な、なんですかその門……。魔法では無いようですけれど」
「今のは妖術と言ってな、私にしか扱えぬ能力だ。今の門は対象を幽世に引きずり込む術なのだが……水魔法とやらは想像以上の破壊力だな。門の中で剣が暴れて幽世の手が消滅したぞ」
門の中に消えていく剣を操ったのですが、門から脱出する事は不可能のようです。門が消えた瞬間に、赤い剣との血の繋がりが切れましたもの。門が消える前であれば大丈夫だとは思うのですけれど。何分、初めて見る能力でしたので対応が遅れてしまいました。
「まだこの程度は小手調べの内だろう? どんどん撃ってくるがいい」
「では、これでどうでしょうか」
大量の水を出現させ、上空に巨大な水の龍を出現させます。水晶五姫のミカエラさんとの戦いで放った物よりも更に大きい龍です。その龍が上空で長い胴をくねらせながら、御魂の九尾さんへ向けて、威嚇するように大きな咆哮を上げます。
「ふむ、これは流石に防御しなければ駄目そうだな」
「九尾ちゃんがもう防御姿勢なんて珍しいですね」
「瞬時に詰め寄って接近戦に持ち込んでもいいが、あの龍は自立して動いている。ミズキを叩きに動けば返す刀のように此方もただでは済まない」
「まだこの龍は完成していませんよ」
そう二人と御魂の九尾さんに言って、上空の龍に血を混ぜます。血によって深紅の体へと変化した竜が二度目の咆哮を上げた時、大気が震え暴風を呼び起こし、この周囲一帯にだけ雨が降り出しました。
「まずいな……」
「あーこれはやばいですねー。あの龍の攻撃を素で受けたら僕も死にますよ」
「本気で殺し合ったなら、こうなる前にミズキを仕留めるべきなのだろうが……こんな力を持つ存在がまだ私より上にいた事に驚きだ」
上空から見下ろしている赤い龍が私の考えを血の繋がりによって理解し、真っすぐに御霊の九尾さんへと落下してゆきます。
「名づけるなら、「血龍哮破」です。耐えられるでしょうか?」
胸の前で手を組み、くすくすと笑う私。膨大な力を展開しますと、破壊衝動を抑える副作用で少し性格が変わってしまう事を自覚しているのですが、こればかりはどうしようもありません。
「これは僕も防御しないと余波がやばいです。ていうかこの周辺が街道もろともふ吹っ飛びますね。仕方ないので僕の空間に隔離しますか。……「魔力回廊」」
母様が何かの魔法を展開しますと、辺りから草原が消え周囲に虹色の波が漂い始めました。どうやら、私達の居る周辺だけがこの謎の空間に閉じ込められたようです。
「妖術「現世隔絶」」
謎の空間の中で御魂の九尾さんが妖術を展開します。上空から落下していた赤い龍が見えない壁にぶつかり、突き破ろうと凄まじい力で壁に牙を立てています。
「ぐ……ぬぬ」
御魂の九尾さんが上空に両手を向けて必死に耐えています。その姿は、いつぞやのミカエラさんが水晶に惨めに助けを求めた時のようですね。ふふ、とても愉快です。
「御魂の九尾さん?」
「ぐ……なんだ?」
「龍が自立して動いていると貴女は直ぐに気づきましたよね?」
「そうだ。それがどうした?」
「それに気づいたのに、まだこの状況に気づかないのですか?」
くすくすと笑う私。可笑しいのは仕方ないのです。既に母様と本体の九尾さんは当然気づき、もう状況を理解しているようですけれど。御魂の九尾さんの周囲には……「真祖・血術真紅の大災厄」によって作られた血の武器がいつでも刺し貫ける状態で停止しているのですもの。
「そういう事か。……降参だ」
御魂の九尾さんのその言葉と共に。私との血の繋がりを持つ血の竜が弾け飛ぶように消えました。力の展開をやめた途端、自分の発言に対して恥ずかしくなり、顔を真っ赤にする私。性格変化だけはどうにもならないのです……。
「これで十分ミズキの強さが解りましたね」
「あぁ、予想以上だ」
周囲の謎の空間も消え、辺り一面に穏やかな草原が広がりました。




