夕暮れの旅立ち
もうコヤさんの魂は長くはありません。その事はコヤさん自身がよくご存じでしょう。魂の同化や負の塊による乗っ取り、加えて元々コヤさんが持っていた魂の深い傷。途中いつ魂が壊れてもおかしくない状態がずっと続いていたのです。
女神移行を開始した今の私だからこそ解るコヤさんに秘められた強さ、女神候補となれる程の器であったからこそ、魂を維持出来ていたのです。ですが……私達との戦いに置いて全てを出し切ったコヤさんの魂はもうボロボロです。もし私達に勝っていたとしても、元いた世界の破壊と引き換えにコヤさんも消滅していたでしょう。
その様な状況下で、深層に私を受け入れて下さったコヤさん。つい先ほどまで敵対していた方を死に間際に招き入れる理由は……一つでしょう。
「コヤさん、貴女は私が女神移行を始める事を解っていたのですね」
「……」
「コヤさんも少なからず以前の世界の経験を引き継いでおりますから、その過程で先見の力の様な物が身に着いたのかも知れません」
「……そんな能力、死にかけてる今になってからじゃ何の意味も無いわ」
「いいえ、意味はあります。意味があるからこそ私を深層に招き入れて下さったのでしょう」
招き入れて下さったのは無意識だったのかもしれませんし、逆にこれ以上の記憶の断片は見せまいと深層に入れて下さった可能性も御座いますけれど、理由は一つだと思っております。それは助けて欲しいから、です。
「再三申しますが、私は貴女を助けに来ました。その為の女神移行です」
「…………そう言って、助けるフリして近寄って来た奴は沢山居たわ。もういいから放って置いて」
「放っては起きませんが、待ちます。貴女がお話してくれるまで」
「…………」
私が本当にいつまでも待つつもりだと言う事と魂が長くは無いと言う点からでしょう、それ程無くして「……はぁ、ほんとうざいわね、アンタ」と諦めた様に呟きました。
「…………前の世界はどいつも私を騙そうとする奴らばかりだった。身体目当てや大きな不運を背負っているから祓ってやるとか言うお金目当ての馬鹿まで居た」
「……」
「……けど、今思えば不運なのは当たってたかもしんないわね。結局、この世界に来ても私は変わらなかったし」
「不運、ですか……」
その不運の原因は恐らく、元々身に宿していた女神候補としての器による物ではないでしょうか。ミズファ母様曰く、元々いた世界では身に宿る大きな力を自覚出来ず、力を調節出来なかったそうです。そもそも、自らに宿る力を操る術が無い為に、例え魔力暴発状態となってもどうする事も出来ない様です。
実際は魔力暴発等と言う現象は起こらないみたいですし一つの例でしかありませんが、もし知らぬ内に暴発の様な状態が起きていたとしたら。それは別の形で身に災いが降りかかっていたのでは、とミズファ母様は推測しておりました。
それがコヤさんにとって、不運と言う形で内に眠る力が暴発していたと言う事なのかもしれません。
「私はコヤさんの記憶を一つしか見ておりませんが、きっと深層の外に在る記憶の断片はその殆どが辛く悲しい記憶なのでしょう」
「……」
女神候補となれる程の器であった事が全ての原因だとすれば、勿論コヤさん自身に非はありません。理不尽な毎日を送り、必死に生きた末にこの世界へと召喚され、不運と言う名の暴発が魂にヒビを入れ、この世界でボロボロとなり、今まさに死を迎えようとしています。
何処に、この方の人生の何処に、生きた幸せがあったのでしょうか?
「私は……コヤさんともお友達になれたらなって今は思います」
「…………は?」
「今こんな事を言っても怒らせてしまうかもしれませんね。でも、普通に出会えていたらきっと凄い術士としてこの世界にコヤさんの名が広まっていたでしょう」
「……本当に虫唾が走る慰めね。なんで私こんなヤツを……」
「いいえ、慰めではありません。実際にそうなり得るお話です。「これから」のコヤさんなら」
私はガラステーブルの前で立ち上がり、両手を胸に押し当てますと。水色の輝きが手の内に現れ、徐々に大きくなっていきます。
そして両手が満たされる程の大きさとなったの輝きは一つの玉となり、私の手元から離れて行きます。向かう先は、コヤさんの所です。
「さぁ、受け取って下さいコヤさん」
「……何?」
「私の精一杯の気持ちです」
「気持ちって……て言うか受け取れって言われても」
「大丈夫です、何もせずともその輝きはコヤさんの中に入っていきますから」
ゆっくりと向かっていた輝きはコヤさんの体の中に消えて行きます。そして、直ぐにコヤさんの体に変化が起きました。
「……私水色に光ってる」
「ええ。そしてご理解頂けたと思います、私の気持ちを」
「……十分解ったわ。救いってこういう意味だったのね」
「もはや、ミズファ母様ですらコヤさんを現世に留まらせる事は出来ません。ですから、私はコヤさんを転生させます。幸多き新たな人生へと」
「……誰も頼んでないけど。……でも、この気持ちは受け取っとくわ」
水色の輝きは次第に大きくなり、コヤさんの体全体を包み込みました。それは現世からの旅立ちを意味します。
「……もう行くわ」
「まだ少しこの世に留まれる時間は御座いますよ?」
「これ以上アンタの話に付き合うのは嫌だから。それにこの世界に未練なんて一欠けらも無いし」
「そうですか……私はもっとお話していたかったのですけれど」
「冗談言わないでよ、転生する前に死ぬっての」
「ふふ、そうですよね」
コヤさんの体は丸い水色の輝きとなり、綺麗な天球の夕暮れが差し込む窓際へと飛んで行きますと「……悪いわね、私の最後の我儘に突き合わせて」と呟きました。
「いいえ、私がしたかった事です。それに最後なんかじゃありません」
「……そう言えばアンタは女神だったわね。転生した先の私に干渉しようと思えば出来るのよね」
「殆ど見守るだけですけれどね。私が何もせずとも、今まで得られなかった分を上乗せした幸せがコヤさんを待っていますから」
そう言ってとびきりの笑顔をコヤさんに向けますと「……ありがとう」と言って夕暮れの空に飛び立っていきました。
―――
―――――
意識を深層から戻した私の前に、まるで眠っているかの様に安らかな顔のコヤさんが横たわっています。けれど、もう此処にはコヤさんはおりません。新たな世界へと旅立って行かれましたから。
コヤさんの両手を胸元で組ませた私はミズファ母様達の方へと振り返りますと、やはりそれ程時間は経過しておりません。先程阻止作業を始めた段階のままです。
「さて、では私も皆様に加わりましょうか」
崩壊阻止に奮闘中の皆様の近くまで近寄りますと、水神様が驚いた様に私を見ていらっしゃいます。
「え、ミズキ帰って来るの早くね?」
「ええ」
「ちゃんとコヤと話してきたんかい? 強制的に転生させたりしてないだろうな?」
「しませんよそんな事。それよりほら、また消えかかってますよ」
謎のうめき声を上げながらエルノーラさんに助けを求める水神様。私が加わればもう水神様が消えかけたりする事も御座いませんし、足りない点もありません。程無く崩壊阻止作業も終えられるでしょう。
「……」
こうして危機を脱せた訳ですけれど。今思えば、最大の敵となる負の塊をコヤさんが支配し返した事も勝因の一つだったのかもしれませんね。元々持っていた女神候補としての器に加え、以前の世界から引き継いだ経験がそれを可能として居たのかもしれません。
「過酷な世界に生きた分、新たな人生を楽しんで下さいね」
「ん、何か言ったのよさ?」
「いいえ、独り言です」
「独り言って。あれですか、ミズキ早くも歳か」
「黙って作業してください!!!」
……全く水神様は。けれど、こうして冗談を言えるのは水神様がお強いからです。作業を終えればコヤさんの様に水神様も旅立たねばなりませんのに。
自ら進んで転生したいと願っていると仰っていましたが、それはきっと……。いいえ、駄目ですね。折角こうして私達の為に必死に頑張って下さって居るんですもの、それを無下にするような考えを持っては。私は、最後まで笑顔で居ると決めているのですから。




