私の名前
「あの、それはどういう意味なのでしょうか?」
確かに私は人としての正式的な生まれ方では無いかもしれませんが、この胸の鼓動は間違いなく生ある者の証であると考えます。ですので、人では無いと言われますと悲しいですし、今後の身の振り方を考えるにあたり、どうしてそう思われたのかを聞いておかねばなりません。
私の問いに、赤い少女は眠そうな目でジーっと見つめています。
私は事あるごとによく見つめられるような気がしますが、気のせいでしょうか。
「ん、お前、私の知ってる奴と同じ」
「同じ……?」
要領を得ない返答を貰い、更に混乱する私。
「そのお話は私が代わりに説明して差し上げます。イグニシアちゃんは言葉足らずな面が多いですから。そこが可愛い所なのですけれどね?」
三つ編みの女の子がそう言いながら頭をなでますと、当の赤い少女はまた気持ち良さそうな、可愛い表情をしています。小動物のような愛らしさ、と言えば良いのでしょうか。
「その前に。先ずは自己紹介から致しませんか?」
「自己紹介、ですか」
「はい。私は貴女に興味が御座います。それに貴女のような少女を、ローブ一枚で街に放り出すような真似は出来ませんものね?」
羽織っているこのローブと呼ばれている物だけでも、私は感謝しています。
その後、中に着る物のあてがある訳では無いのですが。
「先ずは私から名乗っておきましょう。私の名前は「ヤツシロ・ミツキ」と申します。そして、此方の赤い髪の子は「イグニシア」と言います。さ、イグニシアちゃん、ご挨拶を」
「ん、私イグニシア」
二人が丁寧に名乗ってくれました。
「ええと、私の名前、名前は……」
名乗ってくれましたのに……。
私の名前は……?
先程まで考えもしませんでしたけど、と言うかそのような状況では無かったのですが、私には名前が無い事に、今になって気づきました。その考えに至ると、唐突に悲しい気持ちになってきます。自分を証明する事が出来ない事が、こんなに辛くて悲しい事だなんて。
どうしましょう。どうしましょう……。
「……」
いつまでも名乗らない私を、二人がずっと見つめています。私はローブの裾をギュッと掴み、俯きました。
名前はありません、と正直に言うべきでしょうか。けれど、それは失礼に当たるような気もします。こちらだけが名乗らないのは、私のような存在でもおかしいと思いますから。
「貴女……泣いているのですか?」
「え……」
悩んで俯いていた私に、唐突に声がかけられました。
いつの間にか、私の頬に涙が流れていたようです。
「あ、私、あの……」
涙まで流れてきて、どうしたらいいのか解らなくて。それが更に涙を流すきっかけになって、私はついに泣き出してしまいました。
「私、私は……。私は……」
「……」
泣きながら、その先が言えないでいる私。
とても変な子ですよね、私。裸だし、何も知らないし、名乗らないし。
でしたら、せめて、せめて正直で居なければ……。
名前はありませんと、口に出そうとした所で。
「……っ!」
赤い少女、イグニシアさんに抱きしめられました。
「悲しいなら、言わなくていい」
私と同じ位の華奢な体ですのに、大きな何かに抱擁されているような安心感に包まれました。
「あの、御免なさい……」
「ん、構わない。お前、一人なのか?」
「はい……」
「前の私と同じ」
短いやり取りを淡々と続けるイグニシアさんと私。その間、抱きしめてくれる彼女からは、慈しみの感情を感じ取れました。それがとても、とても嬉しくて。出会ったばかりのイグニシアさんに、甘えるようにすがり付いてしまいました。
「イグニシアちゃんが抱きしめる所なんて、初めて見ましたよ? 余程その子を気に入ったんですね」
「ミツキ、この子の面倒私が見る。旅に連れてく」
「あら、イグニシアちゃんは強引ですね。 金色の髪の貴女、ご両親等は?」
「いません……」
「そうですか……」
「あの、ただ……世界の何処かには居る、と思います」
「それを聞いて安心しました」
また、私はミツキさんから頭をなでられました。それが気持ちよくて、嬉しくて。なでられる度に、悲しい気持ちが少しずつ何処かに飛んでいくようです。
「金色の髪の貴女?」
「はい」
「お名前が解らないのはお互いに不便ですから、一先ず仮という事で、私が名前を付けても構いませんか?」
「私の、名前をですか?」
「はい、そうです」
「……」
私に、名前をくれる……。自分を証明し生きる証となる、名前を。
それを聞いた私は、早まる気持ちを抑えられず。
「あの、お願いします。私に、私に名前を下さい!」
「逆にお願いされるなんて、余程の事情がおありなのですね? それでは……」
彼女が私にくれた名前。これから私が名乗る、その名前は。
「貴女のお名前は「ミズキ」です」
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「……ふふっ」
「嬉しそうですね、ミズキちゃん?」
「はい!」
名前を呼ばれる度に、とってもとっても嬉しくて。つい顔が綻んでしまいます。
私の名前は、ミズキ。この世界で生きていく者の名前。
両手を頬に当てて、幸せ一杯な気持ちを満喫しています。
裏路地の一件で、私は名前を頂いた事にとても感激してしまって、ミツキさんに抱き着いて喜びを表現してしまいました。嬉しいのですから、どうしようもないのです。
「ミズキ、人増えてきた。手を繋ぐ」
「わ……」
イグニシアさんが私の手を取ると、先導するように歩いていきます。可愛い暖かな手、この手に掴まれていると自然と心が温まっていくようです。
その後、私はミツキさんとイグニシアさんに同行を求められ、現在二人と一緒にとある場所へと歩いています。向かうそのとある場所とは「冒険者ギルド」と呼ばれる建物です。
ギルドと呼ばれる場所に登録をすると、今後生きていく上で色々な恩恵を受けられるそうで、そこは私のような素性の知れない者でも快く受け入れてくれると、二人が教えてくれました。
それと、私が人ではないという事については、ギルドに登録した後に教えてくれるそうです。
正直に言えば直ぐにでも知りたい所ですけれど、我慢なのです。
街の中を歩いていると、沢山の人々が往来しています。
私はこの街について良く知りませんでしたので、二人に質問をしてみた所、ここはベルドア王国と呼ばれる国の最南端にある「ギュステルの街」だと教えてくれました。通りにある建物の軒先には様々な食べ物が並べられ、何か小さな丸い物と交換している人の様子が見て取れます。
もしかして、あれがお金と呼ばれる物でしょうか。またもや知らない筈の知識が、頭の奥から引き出しを開けたように浮かんできました。
真っ白だった私の頭の中は、少しずつ空白が埋まり始めています。一緒にいる二人との出会いと私の名前。狭間のお姉さん、そして親や夢など、少しずつ記憶や知識として増えています。
暫く興味深げに周囲をキョロキョロと見ていますと、前を歩いていた二人が立ち止まり、私に振り返ります。横には二階建てのひと際大きな建物がありました。
「ついた」
「さぁ、ミズキちゃん? ここがギルドです。早速中に入りましょう」
「はい!」
ミツキさんは数回咳をした後、ギルドと呼ばれる建物の中へと入っていきます。私も後を追って中に入りますと、沢山の人が壁際に集まっています。その壁には何かの紙が沢山張り付けられていて、皆がその紙を見ているようでした。
壁際の人だかりを気にする事無く二人が奥へと進んでいきますので、私も遅れずについて行きます。
「御機嫌よう、新しく登録したい子がいるのですけれど、宜しいでしょうか」
「新規登録希望の方ですね。それでは此方の書類に目を通して頂き、必須事項をご確認の上、お名前の記入をお願い致します」
「この子を登録したいのですが、諸事情により私が代筆をします。私のギルド証があれば可能ですよね?」
「ええ、大丈夫です。貴女様のギルド証、確かに確認致しました」
ミツキさんが手慣れたように奥にいる女の人へと話しかけると、何かを書いています。
その後、女の人と会話を交わしていましたが、それも直ぐに終わり此方へと戻ってきました。
「ミズキちゃんの登録は終わりました。これが貴女のギルド証です」
ミツキさんからギルド証と呼ばれる物を受け取りますと、私の名前が刻まれている事に気づき、とても嬉しい気持ちになりました。けれど、今のやりとりで本当に登録されたのでしょうか。登録が早すぎて、逆に不安になってしまいます。
それと、何故かスラスラと文字が読める事を不思議に思いましたが、とても便利ですし、これについては深く考えないでおきます。
「あの、私は本当に登録されたのですよね?」
「はい、一昔前のギルドは今のような素早い対応は出来なかったそうですけれど、増え続ける冒険者への需要に対応すべく、各国がギルドの人事整備に力を入れたそうですよ」
良く解りませんけど、冒険者とはそれ程人気のあるお仕事なのですね。
「さて先ずは一つ、モンスター退治の依頼でも請けてみましょうか。ミズキちゃんの能力を実際に確認してみたいですからね?」
「ん、私も見たい」
「え?」
二人が私を見ています。あの、モンスターとは何でしょうか?
そんな疑問は後回しにされ、壁に貼り付けられていた紙を一枚先ほどの女の人へと渡しますと、私は再びイグニシアさんに手を引かれて、洋服店へと連れて行かれました。
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街から出てしばし、石畳の街道沿いを歩きますと。依頼にあった目的のモンスターがうろついています。
この世界には倒しても倒しても一向に数が減る事の無い、人々の外敵であるモンスターと呼ばれる存在がいると二人が教えてくれました。
そしてこの街道は常日頃から「ワイルドウルフ」と呼ばれるモンスターが群れを成して闊歩しており、その度に掃討依頼が出されているそうなのです。
「さて、ミズキちゃん。あそこに此方にむけて唸っているワイルドウルフがいますね?」
「はい」
「倒してみて下さいませ」
「……え?」
行き成り何を言っているのでしょう。
私、戦うすべなど持ち合わせていませんのに!
「え、でも私」
「あ、徐々に仲間を呼び出していますね。程なく囲まれますよ」
「あの、でも私戦いなんて」
「戦いは実戦でなければ身につかないのですよ?」
優しかったミツキさんが別の人に見えますです。
イグニシアさんに涙目で助けを乞いますが、街道の上で寝っ転がっていました。
「あの、本気ですか?」
「ええ、冒険者は常に危険が伴いますから、いつでも本気ですよ」
「……」
そんなやり取りをしていますと、ワイルドウルフが7~8匹程此方へと走り出しました!
「ひっ、あの来てます! 来てますけど!?」
「そうですね」
物凄い速さで疾走してくる獣のようなモンスター。
もう20m程度先まで迫っています。
それを見ている私は、ただその場で狼狽するばかりです。
「ど、どうしましょう、どうすれば」
「落ち着いて下さい。ミズキちゃんにも、必ず得意とする攻撃方法がある筈ですよ? 意識を集中させて、思い浮かんだ通りに力を展開して下さい」
思い浮かんだ通りに……。もうこうなったらやってみるしかないですね。
私は目を瞑り、自分が出来る事は何かを考えつつ意識を集中させると、体全体から中心に向けて収束していく力があるのが解ります。その力を焦って抑えつけると、何か良くない事が起きる気がしましたので、少しずつ体に馴染ませていく感覚でゆっくりと収束させていきます。
すると、まるで初めから知っていたかのように、頭の中に攻撃方法が浮かんできたのです。
自分が何者であるのかが更に解らなくなった私ですが、今はそれ所ではありません。
上空に向けて手をかざし、力を展開します。
「真祖・血術深紅の大災厄!」
今まさに私達へと襲い掛かろうとしているワイルドウルフの群れの上空に、大きな血溜まりが出現しました。その血は幾つもの雫となって滴り落ちると、数え切れない程の様々な赤色の武器へと変化します。
そこには剣があり、槍もあれば、斧、レイピアなどもあります。物凄い数の武器が上空で生成されると……ワイルドウルフの群れ目掛けて射出されました。
次々に赤い武器が街道に突き刺さり、目を背けたくなるような状況が目の前に広がっています。
イグニシアさんが咄嗟に飛び起きて何かを呟くと、私達は淡く青色に輝く球体に包まれます。
街道に突き刺さった赤い武器の余波が此方に来る事をすぐさま察知したらしいイグニシアさんは、私達をその余波から守ってくれたようでした。
やがて街道に突き刺さった沢山の赤い武器は、再び滴り落ちて消えますと。
ワイルドウルフの群れは粉々になっており、無残な姿となって死亡していました。
それを見た私は気分が悪くなりうずくまると、イグニシアさんが優しく背中をさすってくれます。
「やはり古代血術を展開しましたか。それとは別に、膨大な魔力も持ち合わせている……。イグニシアちゃん、どう思います?」
「ん、間違いなく「あいつ」と同じ。でも、ミズキの方が魔力が桁違いに上」
「そうですか。私にも何か、二つの力を併せ持つような、尋常ではない力を感じますね」
そのような事をミツキさんとイグニシアさんが話していますと、その後「まぁ、一先ず」と付け加えて。
「この街道、どうしましょうね?」
「……」
私達の前にある街道は、周囲10m程のクレーターとなって、大きな穴が開いてしまいました……。