魔力と気
今まで素手で戦う方を多少目にした経験はありますけれど、直接戦うのはこれが初めてです。
私の前で構えるエルノーラさんは先程のような殺気や威圧感等は一切出しておらず、その代わりに膨大な魔力を全身から漲らせています。それと共に何か魔力の塊の様な物を両手に纏っていますが、あれは恐らく気と呼ばれる物で、魔力とは異なる性質を持つ力です。気は剣術などでも使われ、一般的には魔法の様に気の塊を飛ばしたりします。
そう言えば、この闘技場で行われた闘技大会の際に戦った剣士さんも気の衝撃波を剣から放っていましたっけ。気とはむしろ、体術よりも剣術の為にある様な力ですね。
この大陸における体術は基本的に対人を目的とした護身用の戦闘技術です。モンスターには通用しなくても、悪者さんを捕えるには大変便利で、強い方ならば多少剣に覚えがある相手であっても素手で倒してしまいます。
私はそこまで体術に詳しい訳ではありませんけれども、素人目で見ても目の前にいるエルノーラさんは相当な熟練者だと解ります。封印されている間、異世界でどれ程の鍛錬を積んだのかは解りませんけれど、元々相当な資質があったと言う事でしょうか。
「ミズキ様ー」
「……何でしょうか」
「多分、エルノーラちゃんに私を斬り付けても攻撃が当たらないです。その上ミズキ様は近接戦闘が苦手なので、とっても分が悪いですー……」
「う……」
「一度張り付かれたら距離を取るのは難しいですー。体術は相手の懐に入り込めた時点で勝ちですからー。ですので、常に距離を取る様に心がけてください」
「解りました。何とかしてみます」
クリムさんが体術の熟練者で大変助かりますね。魔力と血を込めつつ一度斬り付けて様子を伺うつもりでしたけれど、そんな小手調べで挑める相手では無いという事です。
「クリムちゃんとのお話は終わった? 私行くよ? いっちゃうよ?」
「……ええ、いつでもどうぞ」
でしたら、中距離を保ちつつ全力を出せるだけの魔力と血をクリムさんに込める時間稼ぎをするしか無いですね。と、思考を巡らせたほんの少しの間に。
「遅いよミズキ」
「あぅ!?」
一瞬でエルノーラさんが目の前に移動し、手の平を腹に当てられて吹き飛ぶ私。数回転がった所で止まり、どうにか膝立ちの体制を保ちつつ痛みでお腹を抑えます。
「けほっけほっ」
お腹を中心にして、体の内側に波紋の様に痛みが広がっているのが解ります。ただお腹に素手の攻撃をされた訳では無いですね……。これが気なのでしょうか。
「ミズキ様、早く避けてください!!」
「くっ……!」
その場で立ち止まっている暇も無くエルノーラさんが目の前に現れますと、右足による追撃の蹴りを受けます。ですが、クリムさんの前持った助言のお陰で直ぐに飛び起き、水の足場を作り出して空へと駆け上がって回避しました。
この水の足場はリリィが作り出していた物と同じです。彼女に出来て私に出来ない事などありません。所々発育が良い点は私よりも優れているのは否めませんが……。
「逃がさないわ」
「……え」
驚くべき事に、水の魔法を扱える私だけが乗る事が出来る筈の水の足場を、エルノーラさんが駆け上がって来たのです。これは流石に予想外ですので、更に水の足場を出現させて距離を取ります。
何故エルノーラさんは水の魔法に干渉出来るのでしょうか。直接お聞きしたい所ですが、近接戦闘を主軸にする相手とは会話を取り辛いのです。
私を越える魔力に加えて、私の苦手とする近接戦闘を仕掛けてくるこの状況。少しばかり芳しくありませんね。大抵の相手ならば近づかれた所で回避する事は造作も無いのですが、ヤヨイさん辺りからの実力者を相手にする場合は私にも余裕は無くなります。
そして今、相手にしているのはこの世界における最強の少女です。天位術式の不可解な能力と膨大な魔力と体術。何もかもを兼ね揃えた美少女、と言っても差し支えないでしょう。
そんな相手でも負けるつもりは無いのですが、特大魔力の撃ち合いになると踏んでいた私の読みは外れてしまいました。もう少し近接戦闘に慣れておくべきでしたか……。
「ミズキ様ー防壁を出してくださいー!」
返答には即時に出現させる水幕の護りで応えますと、直後に凄まじい力が私の後ろに当たりました。余りに重くて、耐え切れない程の威力ですので、今にも水幕の護りが弾け飛びそうになっています。
「くっ……」
どうにか振り向きますと、エルノーラさんが拳を水幕の護りに当てて気を放出していました。魔力で言えば何らかの奥義クラスの力でしょう。それと同等と思われる力を拳に纏っている様です。
防壁の維持が数秒程度で限界に達した所で、どうにか水の膜を滑る様な形でエルノーラさんの拳を斜めへと受け流し、その場から後退します。
血を含ませていないとは言え……。かなり強固な筈の水幕の護りでは、全くエルノーラさんの攻撃を防ぐ事は出来ないようです。この分ですと、血を混ぜていても数秒が数分になる程度のその場凌ぎとなりそうですね。
更に合成魔法である雪花結晶ならば対応はまだ可能だと思いますが……防ぐ手段に忙殺されている時点で勝つ事は難しいでしょう。此方から攻撃を仕掛けて遠ざける方法を取った方が何かと選択肢は広がりそうです。
水の足場をまるで自分の物の様に軽快に飛び越えて私へと迫り来るエルノーラさんに向けて、瞬時に攻撃可能な方法で牽制します。
「真祖・血術突剣型三式・ドライ!!」
血のレイピアが音も無くエルノーラさんの斜め上に一本、横に一本、真後ろに一本出現し、即座に斬り付けます。本来このレイピアは一本だけですけれど、プリシラ母様の助力で複数展開可能となりました。
エルノーラさんは水の足場を飛んでいる最中ですし、この赤いレイピアは私の持つ攻撃手段の中でも最速の攻撃方法ですので、ほぼ回避は不可能な筈ですが……。
「はぁ!! やぁ!!」
次の水の足場に向けて飛んだ瞬間、まるで襲い来るのが解っていたかの様にレイピアを拳で捕え、上と横に殴りつけました。そして流れる様な動きで後ろに回し蹴りを放ちますと、三本のレイピアは血飛沫の様に消し飛びます。
そしてそのままストンと水の足場へ着地し、何事も無かった様に再び私へと距離を詰めて来ます。今の一連の動作はもはや、人が反応し実行できる領域ではありません。
「単体の古代血術では時間稼ぎにもなりませんか……」
牽制中に血と魔力をクリムさんに込めておりますが、牽制が即座に潰されますと、当然次の攻撃手段を直ぐに用意せねばなりません。その為、想定よりも多く血と魔力を消費し、全力に必要な分まで削る事になります。
かといって、立ち止って大技で仕切り直しと言う方法も取れません。魔術師は詠唱を必要とする分、何かと不利な場面が多い訳ですが、今の私はそれと少し似た状況に陥っているのです。私には詠唱は必要ありませんし、即座に魔法を展開出来るにも拘わらず攻撃に転じられないのです。
「ミズキ様ー辛そうに見えます。大丈夫ですかー……?」
水の足場を高速で作り出しては飛び越えつつ後退しておりますと、クリムさんが心配そうに私へ語り掛けています。今の私に返答する余裕が無い事は当然解っているでしょうから、殆ど呟きの様な物でしょうけれど。
「大丈夫ですよ、これも作戦の内ですから」
徐々に追い込まれているのは事実ですが、クリムさんに込める血と魔力が必要量に達すれば勝機はあります。いくら強い方でも、本気を出せずに負けるのならばそれが本来の実力です。勿論、私はそうはなりませんからね。
「けど、このままではー……」
「クリムさん、少しだけ込めて置いた血を使います。エルノーラさんに斬り付けますよ」
「ふぇ!?」
まるで、逃げている内に血迷ったの? みたいな声を出すクリムさんですが、私には振り返って応戦する気はありません。では、どうするのでしょうかと言うと……。
「……きゃ!?」
「ようやく隙を見せましたね」
余裕を見せ始めていたエルノーラさんの背後から、血の力を含んだクリムさんの斬撃を浴びせました。その衝撃で大きく吹き飛び、水の足場の上から転げ落ちて落下していきます。
クリムさんの剣先は血で保護してありますので、斬り付ける事で相手を傷つける事はありません。傷つけてもミズファ母様の力で瞬時に全快しますけれど、出来る限り痛い思いをさせるのは嫌ですので。
「あれ、あれ? ミズキ様、これって転移魔法ですかー?」
「違いますよ。そもそも転移魔法は比較的発動までに間がありますので、展開中に追い付かれてしまいます」
逃げている筈の私が突然エルノーラさんの背後から斬り付けた訳ですので、クリムさんが疑問に思うのは仕方ありませんね。
これは私の奥の手の一つである、水のある場所であれば瞬時に移動できる、というあれです。空気には水分が含まれていますから、視認できる範囲は全て私の移動距離な訳です。
ここ最近使用していない事もあり、エルノーラさんにお見せしていなかったのが功を奏しましたね。今の内に必要な分の血と魔力を込め終えてしまいましょう。
もう水による瞬間移動は二度とエルノーラさんには通用しないでしょうから。




