真っ暗です
何か、とてもふわふわとした感覚があります。
「突然に私という自我が生まれ」、最初に感じたのはそんな気持ちです。
自我を持った者は、いつから自分は自分だと気付けるようになるんでしょうか。
頭の中が真っ白で、知識が無い私には解りません。
解りませんが、私は私だと認識出来る程度の「何か」ではあったみたいです。
唐突に自我がある事に気づくと、私は広大な空に浮いていました。
空から地上に視線を下すと、女の子が居るのが見えます。
その女の子がいる場所がお城なのだと、知識が無いと自覚している私が理解出来た事に戸惑っていると。空を見上げて、何かを探すように見回していたその子と私は、いつしか視線が合いました。
暫く私を見上げていたその子は、何かを理解したかのように笑顔で手を差し伸べています。
何故かは解りませんけど。
私はその子の手に触らなければいけない気がして、地上へと下りようとするのですが。
その行動を意識した瞬間、空に引っ張りあげられる感覚に襲われました。
段々とお城は遠くに消えて、私は空へと昇っていきます。
そして理解しました。
あぁこれは夢の中なんだって。
「私という存在がそう気づいた」事に、とても不思議な感覚があります。
夢の世界から離れて行くと、意識が現実へと浮かび上がっていくのが解りました。
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「……ん」
唐突に私が目覚めます。
目覚めたと言いますか、突然私という「何か」がそこに生まれたかのようです。
そう思ったのは、「私が何なのか解らない」からなのです。
ゆっくりと体を起こすと、それが引き金のように夢の中の記憶が脳裏に蘇ります。
お城が見える空に浮いていた私に、笑顔で手を差し伸べていた女の子の記憶。
私の頭の中は真っ白で何もありませんので、そのせいなんでしょうか。
夢の記憶がとても鮮明に残っていました。
「……」
ふと、意識を周囲に向けて、周りを見回しますと……真っ暗ですね。とても怖いのです。
暫くキョロキョロ見回しますが何にもありません、いえ……何も見えません、が正しいでしょうか。
「気づきましたか?」
突然後ろから声をかけられました。
透き通った女の人の声でした。真っ暗な空間の中、確認の為に後ろを振り向くと、声の人物らしき女の人が立っています。その人は暗い空間の中で淡く光っていて、とても不思議な光景でした。
にこにこしながら、座ったままの私を見おろしているその女の人は、赤と白の二色で作られた服を纏っています。服という概念は何故か解るんですけど、どういった物なのか解りません。ですので、二色で作られた物としか私には言えません。
その他の特徴としては、綺麗な黒髪が腰まであり、先端を少し結んでいます。
その綺麗な髪を持つに相応しい、とっても可愛い顔をした女の子、というのが私の第一印象です。
この女の人のお陰で、真っ暗な空間に私は一人じゃないという安心感だけは得られました。
けれど、何時までもこうして女の人を見上げていても仕方がないので、話しかけてみます。
私が置かれているこの状況にはとても不安を感じているので、この人に聞けば何か解るかもしれません。
「あの……ここは何処で、私は何なんでしょうか?」
私が今素直に感じていて、不安に思っている事を率直に聞いてみました。
「……」
女の人はそんな私の質問には直ぐには答えてはくれず、おもむろに隣に座り出すと、ジーっと此方を見つめています。
「成程、確かに似ていますね」
「え……?」
隣に座った女の人は、更に質問を無視して何やら意味不明な事を言っています。私の質問の仕方が変なのでしょうか? そもそも、私という存在が正常なのかどうかも解らないのですけど。隣の女の人はその後も暫く興味深げに、にこにこしながら私を見つめ続けていました。そんなに見つめられますと、なんだか恥ずかしいのです……。
暫く見つめられるまま、黙って事の成り行きを見守っていますと。
「あ、そうでした。ここは何処で、貴女は誰なのか、でしたね」
両手をポン、と合わせながら「うっかりしていました」、と付け加える女の人。
なんだかのんびりしている、と言えばいいのでしょうか。私が言ってもいいのか解らないのですけど、ちょっと変な人です。
「ここは世界と世界の狭間です。何らかの形で、世界の境界を飛び越えてしまった命が、必ず通る交差点のような物、と言えばいいでしょうか。そして貴女は、とある世界で生まれる筈でしたが、その未来が閉ざされた命です。つまり、本来は存在していない筈の命、という事になりますね」
変な人、もとい女の人がそんな事を言い出しました。世界の狭間とは何でしょうか? 世界の境界とは?
解らない事ばかりですけど、私は本来存在していない命という説明だけは少し納得しています。私自身、生きていた実感が無いのですから。
「微妙な表情をしていますね。無理も無いでしょうけれど」
「私そんな顔をしていました?」
「ええ、よく解らないけれど、何となく納得できた。そんな顔です」
私声に出していない筈ですけど、思っていた事を言い当てられてしまいました。
「今度は不思議そうな顔をしていますね。ふふ、可愛らしいです」
「可愛い? 私がですか?」
「ええ、とても。鏡を所持していませんから、お見せ出来ないのが残念です。ですが、本当に可愛らしい女の子ですよ」
「ええと……よく解りませんけど、有難うございます」
不思議と言えば、隣に座るこの女の人です。私と同じく生きてはいないようですけど、こんな真っ暗な空間で何をしていたんでしょう?
「可愛い貴女をなでたり、抱きしめたりしたい所ですが、悠長に貴女を拘束していますと、「あの世界」に下りる事が出来なくなってしまいますね」
「あの世界?」
「ええ。貴女はこれから「あそこに見える世界」で生きていくんですよ」
座っている場所の更に下に指をさすので、目線をその先へと落としますと、星が見えました。あれ、なんで星だと解ったのでしょうか……。ともあれ、座っている感覚から、まるで宇宙に浮いているような感覚に切り替わりました。先ほどまでは真っ暗でしたのに、女の人とお話をしている間、足元に星が見えるようになっていました。
私は私自身に謎を深めるばかりです。
私は何を知っていて、何を知らないのか……自分が解りません。ですが何かしら、一定の知識はあるようなのです。頭の中は真っ白だという認識はあるのに……。
本来私は生まれていない事になっているようなので、知識などは持ち合わせていないと思うのですけど。
「さて、貴女と会えた事で、私の役目もこれでおしまいですね」
眼下の星を見ながら物思いに耽っていましたら、隣に座っていた女の人がそう言いながら立ち上がりました。不思議な事を言っていましたので、質問せずには居られません。
「貴女は私と会う事が役目なのですか?」
「ええ、そうです。正確には私が勝手にその役目に就いただけですけど」
返答を聞いてもよく解りませんでした。
私と会う役目とは何なんでしょう。
「その役目に就く事にどんな意味があるのですか?」
「意味、ですか。そうですね。あまり時間もありませんが、少しだけ説明して置きましょう。私は貴女を「あの世界」へと導く為にここで待っていました。しいて言えば貴女専用の、一度だけの受付嬢ですね」
受付嬢という言葉は解りませんけど、下に見える星に私を送る為に待っていた、という事は理解出来ました。
「貴女の親になる予定だった方は、とある世界で若い内に死亡してしまいました。その為、後に貴女は生まれてくる事が出来なくなったのです」
「私の親……?」
「ええ、そうです。先ほど貴女は意味について尋ねていましたが、私が役目に就いた理由は、貴女の親と面識があるからです」
私の親……解りません。親とはなんでしょうか?
でも……何故かとても胸が暖かくなる言葉のように思います。
「あの、生まれていない私は、どうしてここに存在出来ているのでしょうか?」
「不思議パワーを炸裂させました」
「そうでしたか。有難うございます」
「そこはつっこんでくれませんと……」
私に命をくれたのがこの人なのであれば、そのお礼はしないといけない気がしたのですけど、逆に落胆されてしまいました。
「冗談は置いておきまして。貴女が存在出来ている理由に、私は一切関与していません。貴女がここに来る事は解かっていましたが、どういう経緯で貴女が生まれたのかは不明です」
つまり、私という存在が「何なのか」は解らないままなのですね……。
落ち込んでいる私に、「ですが」と付け加えて女の人は続けます。
「あくまで推測ですけど。「あの世界」の影響により、貴女という概念を土台にして魂が作り出されたのだと思っています」
「「あの世界」の影響?」
「ええ、貴女がこれから向かう場所はとても不思議な世界です。ですから、不可解な事が少し起きた程度では、別に驚く様な事でも無いのですよ」
どう不思議なのかは解りませんけど、少しだけ理解は出来ました。その不思議な世界が私に命をくれた、という事なんでしょうね。
「それと大事な事を伝えて置きます。貴女の親は現在、「あの世界」にいます」
「あの。ええと……親という方は死亡したと先程言っていたような」
「ええ、貴女の親は元々いた世界で死亡した後に、「あの世界」で新たな人生を歩んでいるのです」
その説明ですと、まるで死亡した者が行き着く場所のようにも聞こえます。よく解りませんけど、それが「あの世界」と言う場所が不思議な理由の一つなのでしょうか。
「私は貴女を「あの世界」に導く事は出来ますが、親に会えるかどうかは貴女の生き方次第です」
「私の生き方……?」
「もし貴女にその気が無いのでしたら、別に会う必要はありません。貴女の親には悪く思いますが、貴女は貴女ですから。貴女の思うように生きていけばいいと思いますよ」
私は私。
私の生き方……。
「あの、貴女は私の親という方の」
居場所を知っているのでしょうか? と言うつもりでしたけれど、突如眩い光に包まれて、私は言葉を遮られてしまいました。
「残念ながら時間切れですね。本来の世界で生まれる事が出来なかった貴女には、「あの世界」で人生を謳歌する権利があります。生きる事は大変な事もあるかもしれません。ですがどうか、挫けないで……」
段々と意識が遠のいていく感じがします。
体が重く、倒れるように寝そべりながら、私は急いで最後の質問をしました。
「あの! 貴女は、貴女は誰なのですか!」
「私は……「あの世界」で人生を全うした者。それだけですよ」
そう女の人に満面の笑顔で言われた私は。
眩い光に全身を包まれると、そこで意識を失いました。