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もしもの時に必要なものはなんだろうか? とりあえず食料と水は必須。
それも保存のいいものとなると缶詰か?
普段そんなことを考えて、買い物をしたことがない宗田のかごにはびっしりと食べ物が詰め込まれてた。
重いな。
「あっ……まただ。あの人……」
買い物かごを押す女性の姿が、瞬きをした一瞬で変容していた。
白い骨にはわずかばかりの肉が残り、垂さがる皮膚と服が融合したような布切れが、かごの入り口に被さっている。
思わず足が地面から離れ、後退るとその女性がこちら向いた。
「――ひっ」
顔面のほとんどが欠損し、残った二つの眼球が宗田をギロリと見ると、細い声が漏れて慌てて下を向く。
黄ばんたように濁った瞳が脳裏から離れず、足早にその場を去った。
ここからは可能な限り人を見ないで買い物を進める。
レジもセルフを使い、接触をさけた。
どうにか何件かはしごして、車の後部座席には大量の缶詰とパスタ、日持ちする乾パンなどが詰められている。
「あー、終わった……」
買い物一つでかなりの神経を削り取られた。
でも、ようやく終えたことに息を吐き出すとへたり込むように座る。
額の汗を拭い、軽く目を閉じて呼吸を整えると、脈が落ち着きを取り戻す。
「神崎さんは……大丈夫かな?」
スマホを取ろうと手を伸ばすが、指先が震えている。
一度、机の上に置いて反対側の手で自分の手を強く掴み、強く目を閉じる。
体の強張りが取れていくのを感じると、もう一度手を伸ばしたら、スマホがカタカタと揺れて驚いた拍子に落としそうになった。
心臓が爆発しそうなほど鳴り響いて、画面に焦点が合わない。
感覚を頼りに、画面をタップすると
「――ピンチです!」
その文字が浮かんで、息が完全に止まった。
体が自然と前のめりになり、指先がせわしなく動く。
「どうしたの!?」
急いで送信ボタンを押すと、既読と言う文字がすぐに浮かんだ。
その返事を待つ時間がもどかしくて、服の擦れる音すらも耳の奥で大きく反響して聞こえた。
それが、神経を撫でるように気持ちだけを急かす。
一秒が何倍にも膨れたように、視界の流れが遅れて見える。
すると、再びスマホが揺れた。
手元は震えているが、動きは速く、メッセージを開くとそこには。
「――荷物が多くて動けません!」
空気が一瞬、鼻から強く入り込むとすぐに全て逃げていく。
全身の力がふっと抜け、目線の高さにあったスマホを持つ手が落ちていく。
脳裏には買い物をしていた時のあの現象が蘇り、彼女に万が一のことが起きたかと思っていたが、全て杞憂に終わったらしい。
何もなくて良かったけどさ……めちゃくちゃ驚いた。覚えてろよ。
絶対に仕返しをしてやると心に誓い、返事をする。
「迎えに行こうと思うけどさ……分かってるよね、神崎さん」
「ん?(笑)」
一言だけ送ってくる。
それを見て、どんな仕返しをしようか考えたが、スマホ越しに少しだけ元気な姿が分かり、それだけで満足した。
「――ありがとうございます。運転上手ですね、宗田さん」
画面の向こうでは元気な彼女だったが、迎えに行った彼女の顔色もだいぶ良くなっていた。
それに、どう言うわけか彼女の姿はあのゾンビのように崩れていない。
バックミラー越しに何度か確認したが、神崎唯は神崎唯のままだった。
待ちゆく人のほとんどは、体が崩れているが唯だけはそれがない。
「もう着いちゃったんですね……ドライブもっとしたかったな」
車を降りて改めて彼女の顔が視界に入ると、少し赤らんだ瞼が見えた。
泣いていたのだろうか? 車で会話してる分には普通だったが、雰囲気はいつも通に戻っていた。
「よし! 宗田さん! 運びますよ!」
腕まくりをして、意気揚々と荷物を取り出す姿を見て、少しだけ腹の重みが取れた。
「ほら、早くー!」
階段の途中で振り返る唯の背中には、大きなボストンバックが背負われて、両手には小さいバックを持っていた。
その姿に苦笑すると、宗田も荷物を取り出し彼女を追う。
「これまた……壮観だね。いや、凄いわ」
でも、多いと言っていたが荷物が予想以上過ぎて、それには流石に驚かされた。
トランクいっぱいに詰め込んでもまだ足りず。後部座席も完全に埋まってしまっている。
それを二人で何回も往復して、ようやく終わると、部屋の隅に小さい山ができていた。
「へへへ、頑張っちゃいました。あ、私も食料確保したんで食べてくださいね」
唯は親指を立てて、はにかむように笑った。
「あのさ……神崎さんは他の人、どんなふうに見える?」
宗田は確かめることにした。
「え? 何も変わりませんけど? 宗田さんは宗田さんで当たり障りのない顔をしてますし……他の人も特に」
一言余計だが、この現象は宗田にしか見えていないらしい。
「そうなんだね。俺も神崎さんが、いつものようにタヌキみたいな顔で可愛いと思うよ」
「ちょっ、それ汚してますよねっ!」
してやったりとニンマリと笑って返す。
「でも宗田さん……こんなにいっぱい準備して、何もなかったらどうしましょう」
唯が困ったように笑う。
「そしたら……一人で持って帰って貰おうかな」
「えー、それは意地悪が過ぎます。宗田さん、嫌いです」
「まあ、そん時は、笑い話で。でも、戦争とか殺し合いとかまっぴらごめんだから、笑い話の方向で」
いつもこうだった。
真面目に話すけど、すぐに冗談を言う。だから、つい話が弾むんだ。
そして、自然と笑顔にさせることが魅力的で、ずっと話していたい気分にさせられる。
この、時間がずっと続けばいいのにと思うが、それは今日決まるはず。
日常を壊さないで欲しい。
それだけが、願いだ。
持ち物の整理がひと段落すると、二人でテーブルを囲んでお菓子を食べていた。
「これ、もぐ、美味しいです」
そう頬張っているのは、チョコレートのスナック菓子。
「ほら、食べながら喋らない、もぐ、んだよ」
「宗田さん、お父さんみたいですね」
そのワードが出た時、自分の家族のことが頭に浮かぶ。
「神崎さんは家族に連絡した?」
「あ、はい。宗田さんはしました?」
「もちろんしたよ。妹含めて今のところ大丈夫だってさ。それに、みんな何もないって」
「それなら良かったです。私も同じでした。大丈夫だって、家にこもってるらしいです」
それは何よりだ。本当にこの変な感じ、なんなんだろうか? 今もほんのりと温かい。
「そう言えば、気分はどう? 落ち着いた?」
「……はい。目から出すもんしっかり出したんで」
「そうか……それなら……何もなかったら一人で持って帰れるね」
「そうやって意地悪言うけど、宗田さんは助けてくれますもん。私わかってるんですからね」
本当にこんな毎日が続けばいいのになって思うよ。
「戦争なんてまっぴらごめんだからね。何もなくて、神崎さんが全部背負って帰る未来が見えるよ」
仕事は嫌いだけど、日常が壊されるのはもっと耐えがたい。
まして、神崎さんのように気を使わない親友を失うことは考えたくもない。
家族だってそうだ。
でも、本当にそうなったら。
「でも……もしそうなったら。量産型日本人の意地を見せないとね」
「でた! 量産型日本人。なんでしたっけ? どこにでもいるなんの変哲もない人間でしたっけ?」
「そうそう。主人公でもスーパーヒーローでもなく、その辺のモブキャラってこと」
瞳を細めて声を出して笑う彼女に癒されると、つられて口元が緩んだ。
たが、その時、机の上にある時計が映り、その秒針が間もなく日付を跨ごうとしていた。
残り三十秒。脈が跳ね、そこから一気に加速する。
さっきまで、楽しく談笑していたのが嘘のように静けさが這い出てきた。
ただ、秒針を眺めるだけだったが、呼吸が浅くなり心臓の音が鼓膜を叩いていた。
――闇が訪れた。
「――え」
異変が突然襲った。
「あ、ぐぅ――なんだよこれ」
内臓をねじ切ろうとする激痛に、たまらず横に倒れる。
どうにか片方の目だけを開けるが、痛みは次第に強くなり、額からは脂を多く含んだ液体が滲む。
汗が目に入るが、拭い落とす余裕なんてない。
「い……たい」
彼女の苦しそうな嗚咽に、少しだけ消えかかった意識が戻った。
「かん……ざき、さん」
何とか体ごと振り向くと、同じように倒れている姿が見える。
真っ暗な部屋の中だが、薄っすらと浮いた彼女の影は動いていない。
這うように、近づいて手を伸ばすと、指先が手に触れる。それは、凍りついたように冷たく、生命を感じさせなかった。
「そ……んな」
どうにか、体を起こそうとするが限界だった。
手を握る指先が滑るように落ちると、意識が暗転する。




