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少年の両手(3)

 暗黒をただひた走る。しばらくは口を開けなかった。村の状況が恐ろしかった。

 姉さんとアージェも声をかけてこなかった。両手のグリンもおとなしかった。

 三人とも、無言で暗がりを突き進んだ。

 見慣れているはずの森も、暗いと知らない場所に映った。


「ここらは月明かりも差さないか……アージェル。すまないが灯火を導けるか」

「はい。やってみます」


 一瞬、アージェが視線を向けてきた。

 心配そうな目。僕に配慮している。気付かないふりで返す。

 彼女はとくになにも言わず、目を伏せた。己の成すべきを成すために。


「月の灯火よ。零れて我らを照らし給え」


 アージェの声が、夜の森に溶ける。

 両手で握られた月海の願杖の先端、水宝玉に青白い光球が生じる。

 月海の巫女になり得る乙女だけが導ける、超常の御業――月の灯火。

 大老が言うに、いにしえにはマホウなどと呼ばれていたこれは、ここ数百年間は月の灯火しか存在していないらしい。


「ありがとう。明るいな。これなら汚泥魔が現れても、どうにか」


 光球は手のひらほどの大きさ。ぼんやり光り、周囲の暗がりを青白く照らす。

 汗ばんだ体もほんのり安らぐ。錯覚ではない。

 月の灯火は、人を癒やす光だと聞いている。


「そろそろ大玉荒野に着くはずだが……っ⁉ アージェル、リーア、下がれ!」


 急に姉さんが叫んだ。緊張感が途切れた僕の手を、アージェが強く引っぱる。

 姉さんが俊敏に一歩前に出た。腰に提げた二本の剣帯から、一本だけ剣を抜く。

 濡れた明かりをまとったような反り。

 星護りの証たる片刃剣、星鉄の鋭刃だ。


 直後、真っ暗な森の奥から、二人の大人が歩いてきた。

 灯火の光で輪郭が浮かび上がる。徐々に見えてきた姿は、形こそ人体だが。


「こ、これが、汚泥魔なんですね……」

「……汚泥魔兵はすでに、森にまで侵入したようね」


 姉さんが遠くから鋭刃を突きつけたモノ。光に照らされながらも黒々としている人体。頭や体のところどころが、ドロドロと汚らしい黒い泥で覆われている。

 泥のない部分は骨身。骸骨だ。薄汚れた白い人骨が、顔や体のそこら中からのぞき見える。二体とも、汚泥の付いた部位も、露出した人骨の割合もバラバラ。

 まるで、腐り方の異なる死体をもとにしているかのように。


「うっ……」「リアっ。下がろっ」


 黒い泥をまとった骨身の死体たちはふらついている。

 けれど、こちらへと着実に近づいてくる。骨がむき出しの手には、錆びた剣や柄の折れた槍。壊れた先端を僕たちに向けている。

 明確に感じる。命を狙ってくる害意。

 全身が震える。両腕に抱えているグリンも暴れ出した。


「リーア安心して。お姉ちゃんはね、星護りなの」

 自我も意識も感じさせない汚泥魔たちに、姉さんが単身で飛び込んだ。

 思わず「待って」と叫びそうになった。精神は未知の恐怖に溺れていた。


 だけど一閃。星鉄の鋭刃が夜ごと切り裂くように、剣持ちの上半身を断った。

 さらに一閃。折れた槍が突かれるよりも早く、その持ち手が切断されて落ちた。


「これくらいの雑兵、聖防国で千は斬ったわ」

 腕を落とされたことにも気付いていなさそうな骸骨の首を、鋭刃が斬った。

 泥まみれの骸骨がゴトンと地に落ちる。汚らしい体も地べたに倒れる。


「二人ともケガはないわよね」

「う、うん」「は、はい」

「汚泥魔兵の動きがやけに鈍かった。これが灯火の力ね。助かったわアージェル」

「い、いえ。私はなにも……」

「もう、星護りに謙遜しないの。私はあなたの、月海の巫女の従者なんだから」

「……はい、ネイルさん」

「よろしい……なーんて。私ももうすこし従者っぽくならないとよね」


 クスッと、姉さんが普段の姉さんらしく笑う。それだけで二人とも安心できた。

 二体の汚泥魔兵はまもなく、自らの黒い泥に飲まれるようにして消失した。地面には人骨や武器どころか染みすら残っていない。存在ごと完全に溶け消えた。


「これが汚泥魔。月海の巫女が討ち滅ぼすべき仇敵よ」


 汚泥魔の姿は、大人たちがよく話していた。

 だけど、話に聞いていたよりも醜悪だった。

 荒野のヌシ、泥団子も黒い汚泥まみれではある。でもおぞましさが違う。

 姉さんが周囲を見渡す。安全とみて、星鉄の鋭刃を納刀する。一人で歩き出してから手招き。僕とアージェはすがるみたいに、精霊樹色の外套の背を追った。


 それからは走ることなく、静かに歩いた。月の灯火の明かりを頼りに獣道を進んだ。しばらくして、視界がほのかに明るくなった。森の切れ目だ。

 明るかったのは、その先の大玉荒野のせい。

 昼は真っ茶色な大地が、月明かりで照らされていた。


 この荒野に生き物はいない。はぐれ者の泥団子だけしか見たことがない。

 荒野の先には真っ黒な壁。断崖天壁と呼ばれる、険しい大壁が横たわっている。


「夜に進むのは危険ね。汚泥魔兵がいても気付きづらいわ」


 姉さんが一人つぶやく。僕らをひと目見て、森へと後戻りする。行かないんだ。こっそり不満げになると、両腕で抱いたグリンがジタバタと反抗してくる。

 アージェは姉さんに素直に付き従っている。まるで巫女のほうが従者である。


「森の東側は精霊樹の領域だから。汚泥魔もいないと思いたいけど」


 長く感じる夜。体も重たくなり、疲れきったころ、姉さんが足を止めた。

 そこは北の荒野からも南の村からも外れた、東側の月海の断崖沿いにある森林だった。僕とアージェが十年ほど前にグリンを拾ったのも、このあたりだ。


「ここで休みましょう。明日は朝に大玉荒野を縦断して、森猫の小道に入るわ」

「はい、ネイルさ……ふぁぁ」

 パタンと。アージェが脱力し、その場に座り込んだ。同時に月の灯火も消えた。

 僕はグリンをその場に放り投げて、慌てて駆け寄った。


「アージェっ。どうした大丈夫かっ。もしかしてケガしたかっ」

「しー。リーア、よく見て」

 姉さんに注意される。落ち着いてアージェの顔を見つめる。

 月海の巫女は地面に座ったまま、目を閉じて眠ってしまっていた。


「二刻と灯火を導いてくれていたの。たぶん限界だったのね。寝かせてあげよ」

 うつらうつらと、首をコクコク踊らせるアージェを眺める。

 願杖が器用にもつっかえ棒になっていて、倒れ込むのを防いでいる。


「こんな状況で立派だったわ。さあリーアも眠りなさい。私が見張ってるから」

「……いい。僕が見張る」


 言葉は口から勝手に出た。姉さんは不思議そうな表情を浮かべた。

 アージェの体を優しく倒して、落ち葉の豊かな草地に寝そべらせる。ついでに、放られて不満げなグリンを乱暴に引っぱって、彼女のお腹に寄せた。

 巫女の外套の内側に潜り込んだグリンは、朝まで暖になってくれるだろう。


「見張りなら僕がやる。姉さんは寝ていい」

「そういうわけにはいかないわよ。リーアには夜を見る技術がないでしょ」

「いい。僕がやる」

「なあに意固地になってるのよ」


 実際その通りだ。僕は意地を張り、大きな倒木を椅子代わりにして座り込んだ。

 後ろ腰に垂らした採取用ナイフの柄が臀部に当たる。ちょっと痛い。

 弟を見かねた姉さんは隣に座ってきた。

 そしてアージェに抱かれたグリンのように、外套の内側で包まれてしまう。


「お父さんもお母さんも、大丈夫だから」

 星護りではない、普段の姉の声。優しげな音色はかすかに震えている。

「きっと、大丈夫だから」

「…………うん」


 非情な夜だった。全員とっさの判断しか選べなかった。

 それは分かってる。だけど。

 僕の浅はかさと、姉さんの決断は、二度と取り返しがつかないことなのかも。


 長く短い時間、姉弟で無言でいた。

 姉さんの体温が、鎧のない部分から伝わってくる。


「姉さんもアージェも、使命を果たしてるのに、僕だけなんにもない」

「だから見張りを?」

「それくらいしか、できないし」


 僕はグリンを運んでいるだけ。ただの荷物持ちでしかない。むしろ足手まといになりかねない。汚泥魔があんなに怖いとは思ってなかった。


「アージェルは月海の巫女よ。それも大老によれば、歴代でも類に見ない才のね」


 村の大人たちがアージェのことを持てはやしていたのは知っている。

 僕にとっては、臆病で怖がりで、月海を眺めるのが好きなだけの女の子なのに。


「私も星護りだけど、この時代の、この役目に、たまたま適性を持っていただけ」

 だから無理しないでいい、と慰めてくれているのだろう。

 姉は昔からときどき怖いが、いつもはこんなふうに優しくしてくれる。

 でも嫌だ。嫌なんだ。このままじゃ自分だけ……。


「もしかしてリーア、自分だけ格好悪くて情けない、とか思ってる?」

 的確に言い当てられた。分かりやすくビクッとしてしまった。

 ハッキリとは自覚していなかったモヤモヤ。

 それに答えを突きつけられた気がした。


「世の中、誰も彼もが戦えるわけじゃないわ。だからリーアも、それでいいのよ」

「よくない。僕だって父さんから剣を習ったし。戦えるし」

「そ? お姉ちゃんには一度も勝ててないけどね~」

「うっ、うるさいしっ」

「クスッ。あなた今朝も、アージェルと泥団子のとこに行ってたんだってね」


 からかうような口ぶりで、青服の胸元に提げたブローチを指で弄ぶ。僕は外套の内側で拘束され、ついでに腕で抱え込まれていて、反撃できない。


「ねえ。リーアはなんで星護りになりたいの」

「だって、強いし、尊敬されるし」

「アージェルにカッコいいって思われたい?」

「っっ! そ、そんなんじゃっ」

「あら。だってリーアいっつも、アージェルに一目置いてほしそうじゃない」

「っ、っっ~~……‼」


 適中だ。僕はただ、アージェにカッコよく思われたがっている。

 英雄がどうとか、星護りがどうとかじゃない。もっと子供っぽい理由だ。

 生まれてからずっと一緒にいる、実はすごい女の子。

 そんな子に、置いてかれるのがイヤなだけだ。


「いいのよ。私だって、お母さんみたいなカッコいい女騎士に憧れただけだもの」

 ギュッと、姉さんが抱き寄せてくる。込められた腕の力は強い。


「でも、星護りの使命は月海の巫女を守ることだから。ときにはカッコ悪いことだってしなくちゃならないのよね」


 森の天井から差し込む月明かり。その下で、姉さんがクスクスとほほ笑む。

 僕と母さんよりも明るい、父さん譲りの金糸のような髪が輝いて見える。


「さあ、明日は早いからもう寝なさい。聖防国まで、ちゃんと頼りにするから」


 傾げた頭をコツンと当てられ、追加でゴツゴツした手甲で頭を撫でられる。

 冷たくて硬くて痛い。僕に見張らせる気もないし。本気で抗議してやろうかと思ったけど。情けないことに、疲れきった心身はそのまま微睡みに沈んだ。


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