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少年の両手(2)

 夜の森に囲まれた村内。たいまつを灯す獣脂の野性的な匂いにも、鼻が慣れてきた。いつもより盛大に明るく照らされた村は、どことなく神秘的に映る。


「――月海の村にこれより、新たな月海の巫女が生まれる」

 先代の月海の巫女。今はヨボヨボ老婆となった大老が杖を掲げる。

 周辺には、百人に満たない村人の群れ。

 みんなして大広場の木の祭壇を笑顔で拝んでいる。


「久々に巫女の誕生じゃ」「あのアージェルちゃんがねえ」「めでてえなあ!」

 幼児も大人も老人も。そこかしこでにぎにぎしい。

 誰もが生まれたころから顔見知りの村だ。知らない人など一人もいない。

 まあ、十代半ばの男子女子となると、今は僕とアージェしかいないけれど。


「月海の巫女、アージェル=シースフィアよ。祭壇へ」


 海色の髪。森馬の尻尾のようになめらかな一本髪を、大木蚕の緑糸で結った女の子。星屑貝の青血で染められた巫女服を、精霊樹の緑葉で染色した外套で包む。

 月海の巫女の正装で着飾ったアージェは、いやに大人びて見えた。


「月の灯火を操る者が生まれよったのは、約四十年ぶりのことじゃ。月海の巫女アージェルよ。そなたの使命はこの地を穢す汚泥魔を払い、彼奴らを突き動かす泥の鎖石を砕くことと知れ」


 アージェが精悍な顔つきで聞き入る。いつもの弱々しさはない。

 その横顔を見ている僕は、唇を噛みしめるしかない。


「星護り、ネイル=シースフィアよ。星送り、グリンよ。ともに祭壇へ」


 姉さんもまた勇敢な顔つきで、幼いウッドグリフォンを両手に抱えて登壇する。

 誰もが家名を持たない月海の村では、シースフィアの称号だけが特別を表す。

 父さんと同じ金糸のような短髪。青服と緑外套はアージェと同じもの。

 違うのは、胴体や手足を包む鉄鎧と、腰に提げた二本の剣だけ。


「星護りネイルよ。巫女を護る者よ。灯火の通じぬ奇怪機から巫女の身を守れるのはそなただけぞ。そしていつの日か、彼奴らに生を与えるエマジン・ウルを見つけ出し、破壊するのじゃ」


 大陸に巣くう二つの外敵を滅ぼし、人の世を救う。

 何百年と言い伝えられてきて、何十代もの巫女に受け継がれてきた、その崇高な使命は……いまだ、何百年と達成されていないという。

 それを成して、アージェに「リアすごい!」と言われるのが、僕の昔からの夢だった。でも叶える権利はもう失った。泥団子を倒せなかったから。


 もし倒せていたなら、それなら。

 僕は姉さんに代わって星護りになれた。浅はかにも、そう信じていた。


「星送りグリンよ。巫女を送る者よ。巫女の命潰えるその日まで付き従えよ。そして聖骸を緑炎で灼き、月へと導くのじゃ。それを成せねば巫女の魂は、海の月に閉じ込められると知れ」


 まだまだ森猫のような小柄のグリンが、幼い鷲顔を傾ける。

 ウッドグリフォンは人語を理解するらしい。でもあいつにはまだ早い。


「アージェルよ。この月海の願杖を手に取ったそのときから、そなたは月海の巫女となる。苛烈な使命を前に、口惜しくも命半ばで散ることすらあるじゃろうて。巫女よ。それでもなお、月を望むか」


 大老が、実の孫娘に酷な問いを突きつける。

 いつもの溺愛な表情はかけらも見せない。

 対してアージェは、すごみの効いた老婆に気圧されることなく、白く細い腕を伸ばした。青金の柄を両手で握り、杖の先端の水宝玉を夜空にかざしてみせる。


「私、アージェル=シースフィアは、月海の巫女を拝命いたします」

 瞬間、大広場が沸いた。声援の振動がたいまつの火をも揺らす。


「みなの者! 儀は成った! 新たな月海の巫女らの旅路を称えい!」

 すでに沸き立っている場に、大老が威勢よく薪を投じる。


 祝いの喜びが広がる。つまらなさそうにしているのは僕くらいのものだ。

 祭壇から降りたアージェと、グリンを抱えた姉さんは、村人たちに一斉に囲まれた。最近やんちゃになってきた五歳児たちも、森で摘んだ花々を舞い散らせる。


「リーア。いいのか。アージェルのところにいかなくて」


 すべてに目を背け、広場の端でふて腐れていたら、姉さんが苦笑しながらやってきた。緑の外套がはためく。暗がりでも鮮明に映える。

 カッコいいそれを僕が着られる可能性は、今さっきなくなってしまった。


「……べつに。どうでもいい」

「やれやれ。私たちは明日から聖防国だ。アージェルだってきっと寂しがってる」


 子供をあやすような説教。イラつく。完全に子供扱いだ。

 母さんを連れた父さんまで、一緒に口出ししてくる。


「察してやれネイル。リーアも男だ。だがな、明日の朝にはちゃんとお別れを」

「分かってるよ!」


 姉さんたちが肩をすくめる。怒鳴り声は幸い、祭りの喧噪に埋もれてくれた。

 ふと目を向けると、アージェと目が合った。

 僕を見て、悲しそうな顔で笑っている。


「リーア。聖防国で待ってるぞ。私のように騎士学校にさえ入れば、いずれは」

「……だけど星護りにはもうなれない」

「月海の巫女は人類の希望だ。あの子を守る方法は、なにも星護りだけじゃない」

「っっ……」


 温和な説得が積み重なる。僕は諦めを迫られている。

 姉さんの顔を見ていられなかった。代わりに、姉さんの胸元に着けられたキレイなブローチを眺めた。すこし前、聖防国から帰ってきたときには持っていた。

 月の欠片で作られたという青白いそれが、火の明かりを四方に反射している。


「大丈夫だリーア。今はツラくても、いつかは笑って話せるようになる日が来る」


 鉄の手甲を着けた冷たい手に、頭をゆっくりと撫でられる。

 硬くて痛い親愛のそれが最後の一打となり、僕の夢も霧散していく。

 ――――はずだった。


「きゃあああぁぁぁあ‼」

 にぎやかだった夜。村の空気が、女性の甲高い叫び声に切り裂かれた。

 誰もが驚いた。困惑の表情を浮かべて、悲鳴の出どころを探った。


「あ、ああぁ、聖防国の……騎士さまがっ……」

 たくさんの人がいるなか、いの一番に動いたのは姉さんだった。

 緑の外套を乱暴に翻して、さっそうと走った。

 その先で、三つ隣の家に住む五歳児の母親を支える。


「ロウナさんっ。いったいなにがあっ……っっ‼」


 姉さんの顔が歪んだのと、僕が追いついたのとは、ほぼ同時だった。

 星護りになったばかりの姉さんの眼下には、男がいた。銀色の鉄鎧を血だらけにした男が倒れている。鎧は叩き割られている。手足も血の穴だらけ。

 全身も泥まみれで、それはもはや死体に見えた。


「聖防騎士っ……しっかりしろ! なにがあった⁉」


 姉さんは汚れることも気にせず、死体同然の男を抱え上げた。僕は恐怖で動けなかった。足下が冷たい。冷えきった指先に、柔らかな手が絡まってくる。

 隣で、青白い顔をしながらも気丈でいようとするアージェに手を握られていた。


「つ、月海の巫女を、迎える騎士団が、泥の女王の、汚泥魔に、やられ……」

「そん、な……セイヴルティスは⁉ 一団には第二王子も着いてくると!」

「王子は、森猫の小道に、逃がした。だが、荒野に出た、俺たちは、もう……」

 姉さんの清浄な服が血と泥で汚れていく。だけど支える手は離さない。


「星、護りよ。月海の、巫女を、聖防国の希望を、た、頼む……すぐ、にげ……」


 騎士だという男はそれだけ言いきると、動かなくなった。姉さんも息を飲んだ。

 周囲は静まり返っていた。ちょっと前までの陽気さは一蹴された。村人の過剰な呼吸音と、たいまつがチリチリと燃える音だけが、大広場を支配している。


「っ、村の者たちよ! 汚泥魔が近づいている! 狙いは……月海の巫女だ‼」

 静寂を破ったのは姉さんの一声だった。誰もが一斉に震えた。

 姉さんは亡くなった騎士を木の根元に寝かせ、村人たちを先導する。


「今、我らが根絶されてはならない! 森や海に散らばり、逃げて生き延びよ!」

 女の悲鳴を呼び水に、子供の泣き声が連鎖する。

 男たちは必死になだめている。


「みな行け! 我らが月海の民の血を、ここで絶やさぬために!」

 悲鳴と怒号が入り交じるなか、村人たちは走り出した。成すべきことのために。


「ネイル! おまえはどうする気だ!」

 父さんが姉さんの肩をつかむ。剣呑な二人への口出しなどできない。


「私は星護りです。月海の巫女は私が聖防国に必ず、必ず、届けます……アージェル、それでいいな?」


 そばで僕の手を握り続けていたアージェが、首だけでコクッとうなずく。

 白く小さな手は震えている。必死に抑えようとしている。恐怖が伝わってくる。


「アージェル。すまないが旅立ちの準備をしている暇はない。すぐに出るぞ」

「グ、グリン動かないで……ネイルさん、どうしよ。グリンが暴れちゃう……」


 アージェの足下で、緑色の毛むくじゃらがジタバタしていた。まるで幼児だ。月海の巫女の神聖な緑外套の裾を、生えたてのやわ爪で引っかいている。


「グリンやめろ。アージェの服がダメになるだろ」

 青い髪の幼なじみの足下から、グリンを無理やり両腕で抱え上げる。

 いてっ。アゴの下を引っかかれた。この野郎。全力で抑え込んでやる。


 僕は今、やけに冷静でいられた。

 いや、急な思いつきのせいで興奮が振りきれたのかもしれない。

 もうガキだと思われてもいい。だから考えついたことをそのままに口に出した。


「グリンは僕が連れてく。だから姉さん、僕も聖防国に連れてって」

「ばっ……なにを言ってるリーア‼ おまえはお父さんたちと……っ、っっぅ」


 姉さんはなぜか言葉を切った。苦しそうな顔を地面にうつむかせた。

 好機だ。そう思った。もしかして押しきれるんじゃないか。

 そう思い、邪な心が盛り上がった。


「グリンは足が遅いよ。姉さんにもついてけない。アージェには重たいし」

「……私が抱えればいいだけの話だ」

 姉さんの口調には、日々のお叱りほどのキレがない。

 いける。弱みを突けている感触がある。


「星護りは月海の巫女を守るんでしょ? それに姉さんは懐かれてないし。グリンはすぐ裏切るから。僕が連れてくべき」

「……リーア、今がどんな状況かっ」

「分かってるよ! だから行く! 僕も絶対に行く‼」


 星送りのウッドグリフォンは、月海の巫女の死を祀る従者だ。見捨てては行けない。なによりグリンは、僕とアージェが拾ってきた十年来の相棒だ。置いていけるわけがない。そこにつけ込んだ。危機を利用した。

 浮かれ半分で、アージェに着いていこうと考えた。


「ネイル。リーアを連れていってやってくれ」

「お、お父さん⁉ っっ……本気、ですか」

「私からも頼むわ、ネイル。お願いね」

「お母さんまで……そのつもり、なんですね」


 驚いた。今日一番の驚きに襲われた。

 父さんと母さんがあっさりと認めてくれたのだ。正直、両親が最も反対してくると思っていた。だからごねるセリフも考えはじめてたのに。

 暴れるグリンのせいで体が痛い反面、抑えきれぬ笑みがこぼれてしまう。


「リーア」

「なに、ってイデッ」

 目線を合わせるように、父さんが正面に屈み込んだ。

 僕の両肩を力強く握ってくる。


「リーア。命を賭してでも、月海の巫女を守れ」

「う、うん……」

 痛いほどの握力。お説教よりも怖く感じる。

 真剣すぎるまなざしに思わず尻込みする。


「リーア。アージェルちゃんを困らせてはダメよ」

 一方、母さんは場違いなほどの優しい声色だった。すこし違和感を覚えた。


「アージェルちゃん、リーアをお願いしてもいい?」

 アージェも、僕が危ないことをしようとするといつも止めてくるのに。

「…………はい」

 感情を押し殺すような一言で、僕の同行を認めた。

 ちぇっ、そんなに嫌なのかよ。


 全員、なんだか思っていたのと違った。もっと「仕方ないなあ」とか「もういい行け」とか。もっと、いつもの夕食どきばりに言い合うものだと思っていた。

 危機の最中にあるせいだろうか。安易な願望はするすると叶えられてしまった。


「お父さん、お母さん。私たちは聖防国に向かいます」

「ああ。月海の巫女を頼んだぞ、ネイル」

「お二人も、どうか、ご無事に……っつ、どうか、生き延びて」


 歯切れの悪い姉さんは、すぐに僕とアージェの背を夜の森へと追い立てた。

 自らが望んだ状況だけれども、正直、困惑している。

 駆け出しながら、つい後ろを振り返ってしまう。

 すると、母さんが温かな表情で見つめてくれていた。


「リーア、お母さんもお父さんもずっとあなたを見守ってるわ。振り向かなくていいの。ずっと、私たちが見守ってるから」


 父さんと母さんの姿を見たとき、ゾッとした。

 二人がその手で、むき身の鉄剣を握っていたせいだ。


「走れリーア。もう振り返るな」

「で、でもっ」

「おまえを村に残してもきっと、一人で逃げなければ……一人だけで、生きなければならなかった」


 無言で走るアージェが、僕の右手の袖口をギュッとつかんできた。その小さな手は、仕方ないから一緒に逃げよう、と伝えてきているように思えたし。

 もう帰ってはダメと。逃がさないようにしているとも思えた。


「村の者の多くは戦いなど無縁の身だ。より多くを逃がすために、必要なんだ」


 父さんは聖防国生まれの元騎士。母さんは月海の村育ちで騎士になった。

 そこまで思い至って、ようやく、自分以外のみんなが悟っていた未来を知った。


「お父さんたちは村の人を逃がすために……二人で汚泥魔を迎撃するつもりだ」

「そんっ……父さん、母さん⁉」


 とっさに足を止めようとした。だけどアージェに袖口を引っぱられ、前に進むことを急かされた。力のない手なのに。なぜか振りほどけない。

 アージェの家族も近くにいる。きっと耐えている。

 その手には、僕への慰めと理不尽への憤り、それとためらいが混在していた。


「振り向くな。別れは終えた。二人も最初から、おまえを託すつもりだったんだ」


 夢にまで見た英雄への旅路。さっきまで浮かれていた足は、森を抜ける前から後悔にまみれていた。背後にはもう、獣臭い明かりがわずかに見えるだけ。

 父さんと母さんの人影はもう、もう見えない。


「振り向くなリーア! お母さんが、っっ……言ってたでしょ!」

 姉さんの怒鳴り声に背筋がビクつく。思わず前を向く。僕は走るしかなかった。


 暗い森を走った。迷わぬ足取りの姉さんと、アージェに引っぱられて走った。

 ただの思いつきだった。イタズラのつもりだった。状況の深刻さなどまったく気にしなかった。浅はかに口にしただけだった。


『きちんと別れを告げられる男になれよ』

 父さんに言われたことは、すでに守れていなかった。


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