少年の両手(1)
「我は月海が堅なる剣っ! 巫女の星護りが一振りっ! いざ悪しきを断たん!」
「リ、リアっ。危ないよお。やめようよお……!」
アージェが葉っぱ色の目を潤ませた。逃げ腰で僕の袖を引っぱってくる。
オドオドしてばっかの腰抜け巫女め。そんなのは無視だ無視。
「ほら、グリンも危ないって言ってるよお……」
足下からキュルキュルと音が聞こえる。小動物の鳴き声のごとき弱々しさ。月海の村の森に生息する、毛むくじゃらの四肢動物。ウッドグリフォンの子供だ。
顔だけは鳥っぽく、森猫のように頼りない体のこいつは。
こいつは、今晩からアージェの守護獣になる。
「キュルキュル……」
「へんっ。この裏切りもん。自分は星送りになれるからって」
情けない女子と一匹を無視して視線を戻す。
目標は当然、茶色い荒野に巣くうヌシだ。
遠くにいても見える。真っ黒な球体状の巨体。下肢に虫のような足を無数に生やしている。あれこそが大玉荒野の怪物。
僕が今日こそ倒さねばならない強敵、泥団子だ。
「リアぁ……やっぱり危ないよお……潰されて死んじゃうよお」
泥団子はかなり遠くにいる。ご自慢の巨体も、ここからじゃ黒い豆粒にしか見えない。僕がせっかく星護りの名乗りを上げてやったってのに。
……ケッ。気付いてすらいない。
「大玉荒野にいるってネイルさんが知ったら、また怒られるよ。ねえ帰ろ?」
「やだね。僕があいつを倒さないと、今日中に星護りになれない」
「……ふーん。そんなに私の星護りになりたいんだ?」
「っっ! ち、ちがっ。アージェには関係ないっ!」
蒼海のような青髪。背に垂らした一本髪を揺らしながらアージェが笑った。からかうようなイタズラ顔の角度。村の大人たちいわく〝小悪魔〟と呼ぶらしい。
二人でギャアギャアと騒がしくしていると、荒野の向こうで騒音がした。
目を向ける。泥団子だ。泥団子がきてる。
泥団子が無数の虫足を気持ち悪く動かして、こちらに走ってきている。
「や、やべっ‼」「き、きちゃうよっ⁉」
豆粒くらいの大きさだった泥団子の姿が、見る見るうちに膨らむ。どんどん近づいてきている。それも恐ろしい速さで。まずい。やばい。こわい。
あんなに勇んだのに。どうしようもないほど怖い。草花を採取する手のひら大のナイフを片手に、体がこわばって動かない。
「リアっ、早く逃げよっ」
空いた左手をアージェに引っぱられた。彼女の剣幕につられ、つい走り出してしまう。数歩後ろの森に逃げた途端、茶色一色だった視界が青々と染まる。
足下で鳴き声がした。幼体のウッドグリフォンが足をもつれさせ、とろくさく転んでいた。ほんとダメなやつだ。
仕方ない。急いでナイフをしまう。右手で強引に抱え上げる。
「もー。毎日毎日、またおじさんたちが心配しちゃうよ?」
「あんなの、危なくない」
「泥団子だって、かわいそうだよ」
後ろ髪を引かれる思いで振り返ると、泥団子の姿は遠かった。
これで僕の野望も潰えた。
「……今やらないと、ダメだったんだぞ」
「うん」
「……これじゃあ僕は、星護りになれない」
「うん」
「…………自分だけ月海の巫女になれるからって」
凪いだ海のようにとろける笑顔で、アージェが下から顔をのぞき込んでくる。
「リアが無事なら、私はそれでいいよ。危ないことはしてほしくないから」
慰めの言葉はやけに悔しく感じた。
思わず涙が出そうになったので、顔も背けた。
僕が泥団子に勝つのも、星護りになるもの。もう今しか残ってなかったのに。
二人と一匹で森を走って、月海の村に帰った。それから一人で、村外れの海辺に座り込んだ。アージェは途中、今夜の祭りの件で引き止められた。そのままグリンとどっかに連れてかれてしまった。
視界に映るのは空と海。どちらも鮮やかで真っ青。
海辺の名物の夜の月は、まだ浮かんでいない。
月海は凪いでいる。穏やかな波がぶつかり合っては、海面をとろけさせている。
「リーア。また大玉荒野に行ってたのか」
「どうしたのリーア? 海ばっかり見てると、また大老に叱られるわよ」
背後から声がした。粗雑な麻の服の袖で両目を拭う。ザラつきが肌に刺さる。見上げると、父さんと母さんのにこやかな顔。僕の顔をのぞき込んでいる。
僕と同じ麻の服。二人とも腰に狩猟用の鉄剣を提げていた。仕事帰りの姿だ。
「……姉さんは?」
「ネイルは大老に、星鉄の鋭刃を受け取りにいったよ。今夜のためにな」
「……そお」
「あの子、聖防国から帰ってきてまだ一年なのにね。またお家が寂しくなるわ」
しんみりした父さんと母さんが、僕に負けないくらい肩を落とす。
大陸の僻地にあるという、南の海に面した森のそば。
ここ月海の村では今夜、祭りが開かれる。月海の祝祭と呼ばれるそれは、いつもならただの騒がしくて楽しい祭りだったけど。今年は違う。
人類救世の担い手。月海の巫女が久しぶりに任命されようとしている。
巫女を護り、その身を悪しきから守る勇猛な戦士、星護りも。
巫女に従い、生を遂げた巫女を月海に送る葬送獣、星送りも。
アージェと、姉さんと、グリンがその栄誉を授かり、村を発つことが決まろうとしている。僕だけを、この村に置いてきぼりにして。
「リーアも剣の腕が上がってきたが、まだまだ早いからな」
「ふふふ。聖防騎士育ちのお父さんの血は、ネイルのほうが色濃いものね」
母さんが、父さんの金糸のような華やかな髪を撫でる。姉さんと同じ色。
「そのぶんリーアには、母さんの優しさが受け継がれてるさ」
父さんが、母さんの小麦のような素朴な髪を見つめる。僕と同じ色。
「やだもー。お父さんってばー」
そうして息子を置き去りに、二人でのろけ合う。昔からいつもこうだ。
「リーアもあと三年だ。十七になれば聖防国の騎士学校にだって入れる」
「アージェルちゃんに追いつきたいなら、ちゃんとお勉強しないとだね」
父さんと母さんの言葉は、いじけた心にはまったく響かなかった。
村で唯一の同い年。生まれたときから近くにいたアージェ。さっきもいつも通りだった。なのに、あいつは今夜、世界を救う偉大な月海の巫女になってしまう。
かたや僕は、ちっぽけな村で星護りごっこをする子供のままだってのに。
「……騎士なんてヤダ。僕は星護りになって、すごい強い英雄になりたかった」
本心からの言葉は、父さんに笑われた。
「リーア。星護りは英雄じゃない。生涯をかけて、月海の巫女を護り通す者だ」
言い方は優しい。だけど子供心は見透かされた。
「残されるのが寂しいのは分かる。ただ今は、アージェルとネイルを誇ってやれ」
父さんの代わりに、母さんが無言で頭を撫でてくる。
子供扱いがやけに恥ずかしく感じる。
「聖防国に発てば、二人ともしばらく、月海の村には帰れない」
「…………」
「きちんと別れを告げられる男になれよ」
父さんの忠告はしっかりと聞こえた。
お酒に酔ったときによく語られる、男気なる気持ちも理解した。
でも、わずらわしくて。頭のなかのすべてを、月海の潮騒で塗り潰した。




