10回目の夢は見ない
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
ばくばくとうるさい心臓を押さえながら、布団をそっとめくる。
「うわ……」
男の生理現象。仕方ないと言い切るには、夢の内容がキツすぎる。
「人妻は駄目だろー……」
目を閉じて顔を覆えば、瞼の裏に、あの夢が蘇る。
ずっと好きだった彼女の、あられもない姿。
罪悪感で眩暈がする。なのに、下半身は正直だ。
「いい加減諦めろって、俺」
彼女はもう、結婚するのだから。
マナミは、5つ年下の近所に住む女の子だった。マナミの家は両親が共働きで、俺の家で面倒を見ることが多かった。俺は正直、5つも下のガキの面倒なんて見る気はなかった。けれどマナミは、なぜか俺によく懐いて、「タケ兄」と呼んで俺のあとをついてまわった。
ちまちまと懸命に追いかけてくる姿は可愛いもので、次第に俺も絆されて、マナミによく構うようになった。俺たちは、本当の兄妹のように親しく育った。
そんなマナミを初めて意識したのは、高校の入学式の日。
「見て見て、タケ兄! 制服どう? カワイイ?」
くるりと回ったマナミは、それは可愛かった。
中学までは全然ガキだとしか思っていなかったのに、急に大人びた気がした。
ああ、マナミは、女なのだと。その時、初めて男の目で見た。
でも俺は既に成人していて、マナミは未成年だ。間違ってもそんな感情を抱いてはいけないと、気持ちを押し殺した。
マナミは高校に入ると急にモテだして、同年代の男との恋愛相談をよく聞いてやった。俺はずっと、兄の顔でマナミに接してきた。
高校を卒業すると、マナミは県外の大学へ進学を希望した。一人暮らしが不安だと零すマナミに、夢を叶えるためなら頑張れと、俺は笑顔で背中を押した。
そして大学を卒業したマナミは、地元に戻ってきた。
大学で出会った、婚約者を連れて。
「あたし、この人と結婚するの! タケ兄には一番に紹介したくて!」
満面の笑みで言ったマナミに、俺は兄の顏で「おめでとう」と言った。
それ以外に、できることはなかった。
大学を卒業したら。大人になったマナミになら。告白できるのではないか、なんて。悠長に考えていた俺が、甘かったのだ。
だったらいっそ、戻ってこなければ良かったのに。どこか知らない場所で、勝手に幸せになってくれれば良かったのに。
マナミは、就職は地元でするのだと言った。俺はこれから先、他人のものになったマナミを見続けなければならない。
俺は今まで通り、兄のように親身に相談を聞いて、兄のように優しく接して、兄のようにじゃれつく妹をあしらわなくてはならない。
マナミがそれを、望むから。
マナミの結婚報告を聞いてから、俺は悪夢を見るようになった。
俺が、マナミを抱く夢を。
夢の中では、マナミは俺を「愛してる」と言って、愛しそうに腕を絡めてくる。
でも決してキスはしない。いつもいつも、唇が触れる寸前で、目が覚める。
夢の中での白い肌を、甘い声を、潤んだ瞳を思い出しては、罪悪感で吐きそうになる。
忘れなければならない。俺は、彼女の、兄でいなければ。
「タケ兄ぃ~……!」
泣きながら俺の家に来たマナミを、俺は驚いて迎え入れた。
地元に住んだままではあるが、親元は出て、俺は今一人でアパートに暮らしている。
さすがに婚約者がいい顔をしないだろうと、マナミには一人で来るなと言ってあった。けれど今回は緊急事態だ。
ソファに座らせて、温かいココアを入れて、泣きじゃくるマナミをなんとか宥めて話を聞き出すと。
「あいつ、浮気してたの! 婚約までしてるし、謝ってくれたら、一回くらい許そうって、思ってたのに。結婚するんだから、その前に、少しくらい遊んだっていいだろって。不倫じゃないんだからって、逆ギレされてっ、全然、謝って、くれなくて……! 信じらんない! あんなやつと結婚なんて、無理!!」
無理、と喚きながらも、多分マナミは、俺が宥めてやるのを期待している。
男なんだから、そんなこともあるさ、と言うだろうと思っている。
結婚できないなんて、本気じゃないのだ。何度もマナミの相談にのっているから、わかっている。
わかっていても。そんな男にマナミを渡す気には、なれなかった。
「だったら、俺と結婚しようよ」
マナミが、ぴたりと呼吸を止めた。
「タケ兄……?」
「俺だったら、絶対マナミのこと泣かせない。浮気もしない。一生、大事にするから」
「やだ、タケ兄。慰めるにしても極端だよ。だってタケ兄は」
「俺は、なに? 兄みたいなもんだから? だから、なに言っても安全だろうって?」
俺はマナミの肩を押して、ソファに押し倒した。
「俺は、とっくにマナミのこと、妹だとは思ってないよ」
呆然としたマナミの唇を塞ぐ。
夢では一度も触れることができなかった唇は、ココアの味がした。
もうあの夢は見ないだろう。
現実になった出来事は、ただの記憶でしかないのだから。
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