心の旋律
心には音楽が流れている。
私にはすれ違う人、一人一人から、それが聞こえる。
ある人からはギターを掻き鳴らし、重く低いベースがどっしりとそれを支える、情熱的な音楽が聞こえる。きっと一瞬一瞬を全力で生きたい、元気はつらつな人なのだろう。長生きするよりも、太く短い人生が最高だと思っているかもしれない。
またある人からは悠久の時の流れを感じさせる、美しく荘厳なクラシックが聞こえる。どの楽器も決して存在感を主張せず、しかしそれらが合わさって完成度の高い一つの作品を紡いでいる。きっとこれまでの人生で多くのことを経験して、精神的な余裕があって、何事にもどっしりと構えることのできる頼もしい人なのだろう。ただ諦念を持っているだけでは表せない、複雑だが煩雑ではない旋律なのが、それを証明している。
心には音楽が流れているというけれど、大多数の人は、音楽と呼べるような完成されたものを持ってはいない。世の中のあらゆることに対する考え方が、一貫していないからだ。喜怒哀楽、挫折、成功体験、理不尽、ささやかな幸福。様々に経験を重ねて、やっと一つの音楽が完成する。人はそれを、大人になった、と言うのかもしれない。
私自身の音楽は、まだ音楽と呼べるようなものではない。まだ大学に入ったばかりで、人生経験が浅いから、かもしれない。人生全体から見れば、きっとまだまだ序盤だ。同級生の女の子が年上の男性に恋をしがちなのは、ある程度でも完成された自分なりの音楽を持っているからだ、と私の価値観で解釈してみる。何かと自分の物差しの範囲で考えてしまうのも、私が未熟である証拠なのかもしれない。
「……っ!」
だから私は、激しく心を揺り動かされた。キャンパスでほんの一瞬すれ違った、同級生の男の子に。特別なシチュエーションでも何でもない。講義と講義の合間、移動している時。たまたま通るところが同じだった。
立ち上がりは穏やかな時間の流れを感じさせる旋律だった。それ自体は、いろんな人から聞くことができる。聞こえたその時の心が落ち着いていれば、誰しも奏でられる一節だからだ。だから最初の数秒は気にならなかったのに、荘厳な雰囲気と力強い音の集合体が続けて自然に流れ込んできた。激しくはないのに、例えるとすれば炎しか当てはまらないような。かと思えば、軽い音がいくつか。身軽な鳥が羽ばたくような、と言えば一番近いか。全て聞き終わった時、開いていた窓からの春風とともに、暖かさ、あらゆる生き物の命が芽吹く風を、私の心にも吹かせてくれた。これだ、と思ってしまった。
運命、の一言で片づけるのは簡単だ。けれどそれではあまりに陳腐で、何より私の劣等感という劣等感を呼び起こしてしまう。そんな後ろ向きな気持ちすら包み込み、受け入れてくれると確信できるほど、その音楽は私の心に驚くほどすんなりと馴染んだ。それだけの情報が私の頭を駆け抜けてなお、私と彼はまだすれ違って数歩だった。私は振り向く。彼がどんな人か、せめてもう少し見たくて。
全く同じタイミングで、彼もこちらを振り向く。にこりと、彼がこちらに笑いかけてくれた。




