9・王子の夢
「ミアーナ!」
店から出てきたエリオット様だ。私がいないことに気づいて探しに来たのだろう。
エリオット様は一瞬驚いてはいたが、すぐに状況を把握したのか真剣な顔になった。
「城の者に伝令をすぐに出す」
「エリオット様……?」
「大丈夫だ。ミアーナ。この子は必ず、責任をもって国が経営する孤児院に送るよ。決して悪い生活にはならない」
エリオット様は手早く魔法郵便を飛ばす。
しばらくして私たちの前に馬車がやってきて、子供を乗せて走り去った。
私がどうすることもできないと嘆いていた状況を、一瞬にして解決してしまったのだ。
私たちは会話することなく道の端に立ち、馬車が立ち去った方角を日が暮れるまで見つめた。
「……エリオット様が動いて下さらなければ、私は何もあの子にしてあげられませんでした」
「ミアーナが見つけなければ、あの子はあのままだった」
「どうしてこんな理不尽が……」
理不尽で、残酷な世界。綺麗事ばかりが起こるわけじゃない世界。
それは、私が一番よく知ってる。
ただ、エリオット様に救われたのならばきっと、あの子は幸せになれるのではないか。根拠もなくそう感じた。
エリオット様は自分の首からマフラーを取り、私に巻く。
「そうだ。国は、全てが綺麗事ではできていない。人間の世界は、そういう世界だ」
「……分かっていても、納得のいくものじゃありませんね」
「だから、俺は変えるんだ」
力強い一言に、私は顔を上げる。
「一人でもこの国で悲しむ民が出ないよう、その為に俺は国王になる」
「……無茶です。人間は王の期待に応えてくれるような善人ばかりではありません」
「無理だと、最初から決めつけた人生を送りたくない。父上が必死にやっている事業への取り組みを、俺も継ぐと決めているんだ」
「お父様の?」
「ああ。孤児院の増設と孤児の地位改革を父上は成し遂げた。あとは、そんな子供がいなくなるような国としての潤いを高めていく必要がある」
エリオット様がどこか遠くの存在に感じた。
いままで学生として接してきたせいか、今初めて王子としての輪郭をみた気がする。
このお方は、国を背負っていく人だ。
相応しい地位と相応しい名誉を携え、民を導いていく人だ。
考えずとも分かる。エリオット様が導く未来は、果てしなく明るい未来だろう。
彼は私のように、絶望で足を止めたりなんかしない。
「……心より応援しています」
「ミアーナ、だから俺は……」
「帰りましょう」
私は会話を無理やり終わらせ、学校への帰り道を辿る。エリオット様は何か言いたそうにしながらも、結局口を閉ざしたまま私の横を歩いた。
真っ暗な夜の道。学校の門の前まで辿り着いた私は足を止める。
エリオット様はこのまま城に帰省されるから、ここでお別れだ。
「今日はありがとうございました。最後少ししんみりしてしまいましたね。どうか、お帰りはお気をつけて」
一息で言い切り、軽く頭を下げる。
エリオット様は少し困ったような顔をしながらも、たどたどしく口を開いた。
「楽しかったかい?」
「……普通、です」
「つまらなくはなかったんだね」
「最後はエリオット様の予定を狂わせてしまいましたから」
「気にするな。また一緒に行けばいいじゃないか。君と深い話ができたことのほうが嬉しいよ」
また、一緒に。
きっとそんな日は二度と来ない。
「でも、悔しいな。結局君を笑わせることはできなかった」
「笑ってましたよ。お気づきになられなかっただけで」
「え! 本当かい?」
「さあ。どうでしょう」
エリオット様は少し考えて、右手を空へと掲げた。つい釣られて、私も空を見上げる。
満天の星空。ああ、星を見るなんていつぶりだろう。
「──ノータ」
エリオット様の指先から一閃の輝きが放たれる。それはまるで花火のように夜空に打ち上がった。
大好きだった……私の誇りだった光属性の魔法。
「綺麗……」
無意識に、口から言葉が零れる。
「どうだい?」
「……星は好きです。嘘偽りなく輝くので」
「ミアーナ」
「ああ。朝日も好きです。この世界が変わらないことを証明してくれるので」
「ミアーナ」
何度も名前だけを呼ばれるので、私はエリオット様に視線を戻す。
「君、今笑っているよ。気づいているかい?」
言われて気づく。私の頬は、自然と緩んでいた。
「うん。やっぱり君は笑っている方がずっと可愛いよ」
「……適当な嘘はおやめください」
エリオット様は私と距離を詰め、首を振る。
「嘘じゃない。今日という日まで、君をずっと見てきた。段々笑顔が増え、変わっていく君を俺は知っている」
私は一歩下がる。それでも、エリオット様が一歩詰めてくる。
「口では鬱陶しいと言いながら、学生の相談にいつも乗っているだろう? 今日だって、子供を助けようとしてたじゃないか。昔の君からは想像がつかない」
「……断れなくて仕方なくやっているだけです。それに、泣いている子供に声をかけるなんて、普通のことですよ」
「相談されるのが嫌なら、断ればいいだろう? 適当にやればいいだろう? でも君は、至って真剣に考えて相手を選んでいる。
子供だって、多くの人が目を逸らしていた。君は逸らさなかった。
ミアーナ。君はもしかして……元々凄く優しくて、真面目な子なんじゃないのかい?」
息が詰まった。
思い出したくもない……こうなる前の私の人生。
そして、やり直しの人生で私が人とこの世界に何をしてしまったか。
エリオット様が変えたいと望む世界を、私のせいで巻き戻し、変わらない世界にしてしまっている。
「誰かのために何かをするのが好きなんじゃないのかい?」
「……やめてください」
痛い。痛い。痛い。
知ってしまった幸せと喜びが、罪悪感となって心臓に突き刺さる。
「君は愛を憎んでいると言っていたね。違うと、今俺は確信した。君は愛を憎んでいるんじゃない。……怯えているんだろう?」
エリオット様の手が私に伸びる。
「やめて!!」
私は叫んで、全身から闇属性の魔力を放出した。
しかし、エリオット様の光属性に打ち砕かれ、手首を掴まれる。
「ミアーナ。愛に怯え、泣いている君をどうやって俺は救ったらいい」
私はポロポロと涙を流しながら、エリオット様を見上げる。
どうして今回の私の人生はこうなってしまったのだろう。
楽しさを知った。人を信じる勇気を持てた。誰かへの感謝を告げる温かさを感じた。
幸せのカタチに触れた。世界の美しさに笑うことができた。
自分の力で得たものじゃない。
……すべて、エリオット様から与えられたものだ。
たとえ始まりが契約だったとしても、知ろうとせず、信じようとしなかった頃の自分には戻れない。
そして今日身をもって知った。
私は、エリオット様の隣を歩いていい存在じゃない。これは卑下ではなく、確信だ。
希望と光に溢れ、誰かの導となる人物の隣に立つべきは、同じような希望と光に溢れた人。
心を闇に堕とし、汚れた魔法しか使えない私ではない。
今はただ、目の前の輝きの強さから逃げたくて仕方がなかった。
「いりません。契約以上に私に構わないでください」
「一方的な契約は契約とは呼ばない。ただの主従関係だ。君が俺に何かをしていてくれている分、俺も君に何かをしたい」
「……じゃあ、この手をお離しください。それが私の望みです」
エリオット様は素直に私の手を離し、私はその場から逃げるように立ち去った。