7・冬休みを前に
実家に帰った私は、幅の広い廊下の真ん中に立ち尽くす。目の前には、父の書斎の扉があった。
半開きに開かれた扉の向こう側で、椅子に座る父と対面する。
私は、この扉を跨ぐことを許されていない。
メイドと同じように両手を胸の下で重ね合わせ、少し頭を下げながら目を伏せて父の言葉を聞く。
「ミアーナ。私の耳にはいま、二つの話が届いている」
「はい」
父は冷たい視線を向けながら、淡々と手元の手紙を読み上げた。
「一つは、ナタリーのことだ。お前はまたナタリーを虐めたのか」
「いいえ」
「ナタリーがそう言っている。泣かせるだけでなく、恥をかかされたと。姉としての立ち振る舞いがなっていない、そう思わんか?」
「……申し訳ありません」
苛立つことも悲しむこともない。
ただ機械的に返事をすればいいだけの作業だ。そこに私の主張や感情などいらない。
「ナタリーは闇属性なんて呪われた力を持つお前を気にかける、心優しい子だ。私の誇りであり、宝だ。傷つけるなど、断じて許さん。お前の学費を誰が払ってやってるか、もう一度よく考えろ」
「かしこまりました、お父様」
「そして……」
父は手紙の二枚目に目を通し、声に怒りを混ぜた。
「ミアーナ、貴様……学校で闇魔法を使ったな?」
私は別に学校側から闇魔法を使うなとは禁じられていない。ただ、教えられる教師もいなければ資料も少ないので、自力で学んでいくしかないだけ。
父からは幼い時より、人前で闇魔法を使っては駄目だと言われてきた。
我が家に呪われた魔女がいると、公言したくないのだ。
「しかも、エリオット王子を傷つけたと……なにをやっている!」
「私の魔法で傷つけたわけではありません」
咄嗟に反論してしまった。
頭の中で「やらかした」とため息をつく。
「口答えをするな!!」
「申し訳ありません」
「王子のそばに近づいただけでなく、怪我をおわせたと! 貴様はこの家を潰す気か!!」
「申し訳ありません」
「今回はエリオット様の寛大なご容赦があったからいいものの。国王陛下を怒らせていれば、我が家全員の首が飛んでもおかしくないのだぞ!! お前はそれを分かって生きているのか!!」
「はい。以後気をつけます」
「いいや。これ以上学校で問題を起こされてはたまったものではない」
父はパチンと指を鳴らす。
すると、廊下の壁沿いに立っていた一人のメイドが私の元へ近づいてきた。
差し出されたのは、一枚の書類だった。
受け取り、目を通す。書類の右上には、男性の顔が写った写真が貼られていた。
「今回、ナタリーが妙案を思いついてくれた。お前に縁談をやろう」
写真の男性は……ロンだった。
「ダロウ子爵ディズリー家とは先代の頃から深い付き合いがある。ディズリー家は男子の多い家だ。第二夫人だろうと妾だろうと構わん。お前一人くらい貰う余裕がある」
「……先方は納得されておられるのですか?」
「向こうの当主には我が家からの貸しがある。闇属性だということは黙っていれば、断る道理はなかろう」
なんて強引な父だろう。
貸付けの弱みを突き、こちらの弱みは隠しておく。商人としては狡賢く利益を得られる手段だろうが、身内に向けられてはたまったものではない。
「先方にはお前の写真も送ってある。ロン・ディズリーはお前を割と気に入ったようだ」
「……婚約をしろと。そういう解釈でよろしいですか」
「そうだ。来月、二人の顔合わせを予定してある。必ず行くように。そして、十七の誕生日までには結婚させる。お前は学校をやめて、ディズリー家に入れ。そして……二度と我が家に戻ってくるな」
じろり、と睨まれる。
父はなんでもいいから私をこの家から追い出したいのだ。
学校をやめる。縁談を進める。
どちらにせよ、どうせ世界が巻きもどるのだからどうでもいいことだ。
……しかし、私の頭の中にはいくつもの顔が浮かんできた。
ララを始めとする取り巻きの女子生徒の顔。そして、エリオット様。
彼らと離れ離れになる。
どうせ終わると分かっている世界なのに……チクリと心臓が傷む。
「返事は」
「……縁談は断ります。私のことは、勘当していただいて構いません。それでお父様の納得のいくようになるのではないでしょうか」
「もう進めてある話を白紙にしろというのか!! 私の顔をどれだけ汚せば気が済む!! お前が言うべきは、はい。それだけだ!!」
「……かしこまりました。お父様」
父の意見に二回も反論をしたのは、初めてだ。やり直す前の人生でもやったことがない。
意見が通るはずもなかったが、私はそうせずにはいられなかった。
◾︎◾︎
二週間後、私は学校に戻っていつも通りの生活を送っていた。
雪が降り始めた校舎は白く染まり、周りはもう間もなく始まる冬休みに色めきたっている。
「ミアーナ様。最近元気ないみたいですけど……大丈夫ですか?」
いつも通り、私のそばにはララがいる。
「普通よ」
「いいえ、ずっと上の空ですわ。エリオット様とも最近会っていらっしゃらないようですし……」
「元々忙しい方なの。そう毎日会えるわけないでしょう」
「寂しいんですか?」
「いいえ」
私はポケットの中から魔法石を取り出し、眺める。
日常なんて、誕生日の日まで淡々と過ぎていけばいい。人間関係なんて、どうせゼロに戻るのだから気にする必要は無い。
分かっていても、胸の奥にずっと何かが引っかかったままだ。
ララは私の持つ魔法石を見て、ポンッと手を叩いた。
「それ、加工しましょうか? そのまま持ってたらいつかなくしちゃいそうですから」
「できるの?」
「はい! 私は水属性ですから、簡単です」
貸してください、と手を出されて素直に渡す。
するとララは、人差し指から水魔法を出して魔法石に小さな穴を開けていく。
「ちょっと……水浸しじゃない」
「すぐに蒸発して消える水ですよ。加工用の魔法なんです」
へぇ、とララの作業を見守る。数分もしないうちに、魔法石に穴が空き、その穴に紐が通された。
「できました! ネックレスです!」
ララは完成品を私の首にかける。ついでに形も整えてくれたのか、綺麗な丸みを持つ魔法石のネックレスだ。
「お似合いです!」
私に装飾品なんて……と思いかけて、首を小さく振り、微笑みを返す。
「ありがとう、ララ。嬉しい」
「わあ……! ミアーナ様が笑った! 私も嬉しいです!」
ララは私に抱きつき、頬ずりする。
笑えたおかげか、重苦しかった気持ちが少し楽になったような気がした。
「さあ、ミアーナ様。何を悩んでいるか、教えてくださいまし!」
「……そうね。どうせ終わるのだから、どちらを選んでもいいはずの道に……悩んでいるのかも」
「……どういうことですか?」
ララに詳しく相談するべきかどうか迷っていれば、教室にエリオット様が入ってきた。
「ミアーナ」
「はい」
教室の中で落ち着いて話せるわけもないので、私はエリオット様と一緒に廊下に出る。
「実家に帰っていたそうだな。大丈夫だったか?」
「ええ。特に問題はありません」
「帰ってきてからの君の様子がおかしいと耳にしたんだが」
「気のせいです」
エリオット様は納得のいかない顔をしつつも、「それならいいんだが……」と引き下がる。
そして、私の首元に目を止めた。
「それは、この前の魔法石か?」
「ええ。ララが加工してくれたんです」
「似合っているな」
「そうでしょうか? 学生服の上からでは、少し浮いているように思います」
まるで、闇の中にある一筋の光みたいだ。なんて柄にもないことを思う。
エリオット様は「ふむ……」とまた考え込み、パッと表情を明るくした。
「ならば、似合う服を買いに行こう」
「え?」
「この前、君のマフラーを駄目にしてしまっただろう? その代わりに、俺から何か君に贈りたい」
「そんな! 気にしなくていいんですよ!」
「いいや。どのみち君とゆっくり時間を作りたいと思っていたんだ。デートの申し込みをさせてくれ」
デート。
慣れない言葉に、一瞬で頬が熱くなる感覚を覚えた。
ただ出かけるだけなら何とも思わないのに、大層な名義がつくだけで動揺してしまう。
「その顔は……決まりということでいいか?」
「私は何も言っていません」
「はは! じゃあ、冬休みの始まりの日に行こう。待ち合わせ場所はまた連絡する」
エリオット様は言いたいだけ言って、颯爽と去ってしまった。
「なんて強引な方……」
思えば、ララもエリオット様も強引だ。
しかし、父のような憂鬱さは感じない。むしろ……どこか楽しんでいる自分がいた。
憂鬱な日常はどこへやら。あっという間に、魔法学校は冬休みを迎える。