6・約束
庇われた?
エリオット様は、私と同じように地面に転がっている。状況に動揺しながらも体を起こせば、エリオット様が真剣な表情で私の頬に手を当てる。
「怪我は!」
「……ありません」
「本当か! 痛いところは!」
「ありません」
エリオット様がホッと息を吐くのも束の間。すぐに強ばった表情でオークに目を向けた。
オークは攻撃を外したことに首を傾げつつも、再び私たちの方へ体を向け始めている。
「立てるかい? 追撃が来る前に、俺の後ろへ」
「逃げましょう! 教員を呼んできます!」
「間に合わない。他の生徒に被害が出る前に、ここで倒してしまおう」
「相手は中級の魔物です! 学生が手を出していいものではありません! それに、きっとあのオークは私のせいで……!」
ミアーナ。と、静かな落ち着いた声で呼ばれる。顔を私に向けたエリオット様は、いつも通り柔らかな笑みを向けていた。
「君のせいじゃない。大丈夫だ」
「しかし……」
「俺を信じろ」
エリオット様は両手をオークに翳し、魔力の放出を始める。
確実に仕留めるためか、オークが一歩、また一歩とこちらに近づいくるのを待っているように見えた。
エリオット様からああ言われたものの、どう見てもこの状況は私のせいだ。
私の存在が、一国の王子を危険に晒してしまったのだ。
このまま守られるだけ守られて……私だけが生き延びましたなんて、納得していいはずがない。
私は動揺を気力で抑え、意識を集中する。
オークは強いが、動きは遅い。耐久性の高い魔物であるため、エリオット様は一撃で心臓を撃ち抜く必要がある。
ならば……私はあのオークの動きを確実に止めて、エリオット様の援護をする。
「ウンブラ・ストゥーラ」
闇魔法の基本の術だ。
私の手から放たれたいくつもの黒い鎖は、月明かりでできたオークの影を捉える。
『ンオ……?』
身動きを封じられたオークは、不思議そうな顔をして立ち止まった。
「今です、エリオット様!」
「ああ。助かる」
エリオット様は手を動かし、まるで弓矢を引くような姿勢を取った。
煌々と輝く光属性の魔力が光の粒子となり、エリオット様の手の中で形を作り上げていく。
「……ルーメン・ユ・ディーチ」
エリオット様がパッと右手を離せば、一本の光の矢がオークの心臓目掛けて真っ直ぐに飛んだ。
そして、その矢はオークの心臓を撃ち抜く。
「凄い……上級光魔法……」
私も習得できなかった光属性の魔法だ。こんなに容易く成功するものじゃない。
それを、一発でエリオット様はやり遂げた。
オークはその場に倒れ、やがて魔素となって消えていく。その一部が私の体内に勝手に吸収され、先程使った分の魔力が回復したように思えた。
エリオット様はすぐに私の元へ駆け寄ってくる。
「凄いな、ミアーナ! あの状況で動ける者など滅多にいないぞ! よく頑張ったな!」
「それは、エリオット様もです」
気が抜けたせいもあってか、少し口角が上がる。何事もなくて良かったとエリオット様の顔から目を外せば、先程矢を放っていた右腕が目に入った。
服が破けてしまっている。そして、その先にある傷に私は口を覆った。
「エリオット様……怪我を!」
あの時だ。私をナタから庇った時にできた傷だ。傷口からは血が流れていた。
私の視線につられて、エリオット様も自身の右腕を見る。
「ああ。大丈夫だ。気にするな」
「私のせいで……!」
私が早々に自分の命を諦めなければ、怪我なんてさせなかっただろう。
私はマフラーを首から取り、魔法で引きちぎってエリオット様の傷口に巻く。
「私なんか庇わなければ……」
「ミアーナ」
顔をあげれば、少し悲しげな表情をしたエリオット様と目が合う。
「私なんか。私のせいで。もう、その言葉を使うのはやめないか?」
「……え?」
「君を誘ったのは、俺の意思だ。君を守ったのも、俺の意思だ。オークが現れたのは君のせいじゃない。必ず調査を入れてそれを証明してみせる。だから、君が自分自身を卑下する必要などどこにもない」
その言葉に、私はエリオット様のそばから一歩離れて俯く。
「……私はエリオット様に目をかけてもらえるような存在ではありません。契約以上の干渉はお控えください」
「では、この腕に巻いてくれたマフラーはどうしようか? これは君の中では契約以上の干渉じゃないのかい?」
「それは……」
エリオット様は私が離れた分の距離を詰め、腰をかがめて視線を合わせる。
「君は勇気ある魔女だ。強い正義の元動けている人だ。誰かを思いやれる優しい人だ。ミアーナ……もっと自分に誇りを持て。もっと自分を大切にしろ」
素直に頷くことはできなかった。
エリオット様が言うような生き方をしてきて、損をした記憶は簡単には消えてくれない。
それでも……小さな温かさを感じた。やり直した年月も含めて、何十年ぶりに感じる、喜びだ。いつの日にか与えられなくなった、「褒められて嬉しい」という感情。
「……エリオット様に、その言葉をそのままお返しします。どうかこれからも誇り高く。そして……怪我のないようお過ごしください」
私は自分の感情を誤魔化すように、ぶっきらぼうに返す。
「はは。お互いにな。これは契約の追加じゃない。ただの約束だ」
「……わかりました」
無邪気に笑うエリオット様が、私の頭を撫でる。
「さあ。これは君にあげる。君が今夜、勇気を出した証だ」
エリオット様は私の手に、先程拾った魔法石を握らせた。無色透明だったはずの魔法石は、エリオット様の光魔法の影響を受けてか金色に輝いている。
「こんな綺麗なもの。闇属性の私が……」
「ミアーナ」
言葉が止められる。
「やめると、今約束したはずだ。じゃあ、ここではなんて言えばいいと思う?」
「……ありがとうございます」
小さく呟けば、エリオット様は満足そうに笑う。
私は残ったマフラーを首に巻き直し、自分の顔を隠した。
◾︎◾︎
結局、調査の結果、オークが出現したのは私のせいじゃなかった。
学校の管轄を分断する防護結界の一部に穴が見つかったのだ。裏で仕組んだ者がいたのではないかと、エリオット様が深く調査したが、ただの結界の老朽化だったとのこと。
数日間、魔法騎士団が出入りして結界を一から張り直す作業が行われたが、それも無事終わった。
私が知らなかっただけで、前の世界でも同じようなことが起きていたのだろう。
自室で一人、エリオット様からの報告書に目を通していた私はため息をつく。
そして、引き出しの中から一通の手紙を取り出した。
差出人は、父からだ。
「至急……家に戻ってこい」
ただそれだけが書かれていた。私がオークと対峙してしまったことは、学校を通じて通達が行っている。
「まさか、心配で帰ってこいだなんてあるわけないだろうし……」
一度は無視しようかと思ったが、無視した結果更にややこしい事態になりそうな予感がした。
次の日、私はエリオット様に「数日間お仕事お休みします」とだけ伝え、入学して以来となる帰省をすることになった。