26・守り合う
「すでに国民の間にもガーゴイルの話は届いています。半日も民を不安の中にいさせるなど、国を支える王族として有り得ない」
エリオット様の申し出に異を唱えたのは、クラーク侯爵だった。
「エリオット王子殿下! あまりに無謀な行動ですぞ! 貴方様は王位継承権第一位のお方! もし何かあれば……」
「何もせずただ軍を見送るだけの王子など、必要ない。俺はそんなカタチだけの王子になりたかったわけじゃない」
堂々とした立ち振る舞いでクラーク侯爵の言葉を遮ると、エリオット王子は騎士団の正面に立った。
「……ヒュンサレム帝国にはこんな逸話が残っている」
エリオット様が語り出した逸話は、私も聞いたことのない話だった。
──神は世界を創りし時、表裏の象徴として対なる生物を産み落とした。
──一方は光の中でしか生きられぬ生物を。もう一方は闇の中でしか生きられぬ生物を。
──光は愛を育み、闇は憎を育んだ。
「闇の血を引くのは魔物であり……光の生物の血を引くのは、ヒュンサレム帝国王族、レゴリアム家だと言われている」
原初の光属性。他のものには決して持ちえぬ、世界最高峰の魔力。
「今こそ、この力が何のためにあるのかを示すときだ! 戦場で民の血は流させない。それが、我が王族一同の矜恃!」
エリオット様の声に、騎士団は胸に手を当て深く頭を下げた。それを見たアイゼン様はこくりと頷く。
「話し合いは決したようだな。では、出立の準備を」
アイゼン様が手を挙げたと同時に、騎士団は立ち上がり一斉に玉座の間から去った。
一人残ったのは、サイモンさんだ。
「迅速な判断、深く感謝申しあげます」
お礼を聞いたエリオット様は、少し微笑んで一瞬私を見た。
「俺はいつだって一歩遅かった。もう迷って、誰かに負担を強いるような生き方はしたくない」
「迷う……?」
「いや。こちらの話だ」
サイモンさんはもう一度頭を下げ、玉座の間を出ていった。
アイゼン様も元老院の議員らと状況の精査に入るのだろう、いくつか言葉を交わしながら移動を始めている。
私は、隣に立っていたソフィア様に声をかけた。
「ソフィア様」
「……私もきっと、貴女と同じことを思っています」
なぜこんなにも緊迫した場に私たちが呼ばれたのか。
私たちのどちらかが王族にこれから入る人物として認められており……かつ、将来の王族として何をするべきか求められている。
前線で傷ついているであろう人々。
不安に陥る民。
身を呈して魔物の群れに立ち向かうエリオット様。
私は何をするべきか。私は何ができるか。
考えて、考えて、考えて……何度考えても、出てくる答えは一つだった。
「……ソフィア様」
「はい」
「私、光属性なんです」
「知っていますよ」
「エリオット様と同じく、民を守る力を神様から頂いたんです」
確かにエリオット様のような原初の光属性ではないけれど。
私の紡ぐ言葉に、ソフィア様はクスッと笑った。
「回りくどく言わず、思いの丈をどうぞ」
私は胸に手を当て、ハッキリと述べる。
「私は、エリオット様の隣にいたいです」
エリオット様が民のために戦うというのなら、私も戦う。常に隣に立ち、国に迫る恐怖と不安から民を守る。
何の役にも立たないまま、一度は失った光属性。
いまこそ、何のために取り戻したのかを証明したい。
私の想いを聞いたソフィア様は、目を伏せて微笑む。
「では、私は大聖堂に行ってまいります」
「大聖堂に?」
「祈りましょう。神に選ばれた聖女として。あなた方二人が起こす奇跡を」
その言葉を聞いた私は、笑みと共に頭を下げ、玉座の間を走り出る。
そして廊下で騎士団の面々に指示を出していたエリオット様に駆け寄った。
「エリオット様!」
「ミアーナ!」
「私も行きます!」
エリオット様は目を丸くして首を振る。
「駄目だ!」
「オークの時も一緒に倒しました! もう一度、エリオット様の隣で戦います!」
「オークなんかとはわけが違う。相手はガーゴイルだ! 君を守りきれる保証がない!」
「……エリオット様にとって、私は足手まといですか。隣に立つに相応しくない存在ですか」
エリオット様はハッとした顔をして、視線を落とした。
「……そうじゃない」
「もし今後、危機迫る状況が発生するたび、私は何もできないまま貴方を見送らなければならないのですか」
「ミアーナ……」
「俺の隣に立つのは私がいい。……そう言ってくださった言葉を、私は今でも信じています。危険だからという一言だけで、私は貴方の傍を離れたりしません」
エリオット様は私をそっと抱きしめ、耳元で囁く。
「……一つだけ、約束してくれ」
「はい」
「逃げろ。もし俺がそう言ったら、必ず逃げてほしい。君をもし失うようなことがあれば、俺は自分の選択に一生後悔する」
「分かりました」
◾︎◾︎
一時間後、リリアッド王城からはいくつもの箒に乗った人々が飛び立っていく。
その様子は、魔法通信によって帝国中に映像として放送されていた。町中に展開された映像には、空を飛ぶ騎士団の面々の映像ともう一つ。
大聖堂の中で一人、祈りを続けるソフィア様の姿があった。
光が降り注ぐ聖堂の中で祈る彼女の姿は、まるで女神のようだ。
「ミアーナ様。よそ見をしたらバランスを崩しますよ」
サイモンさんの声が聞こえて、映像から目を離して正面を向き直す。
私も、騎士団と同じように空を飛んでいた。
箒を操るのは、サイモンさん。私はサイモンさんの後ろに乗り、ルーン大森林を目指していた。
隣に並ぶのは、エリオット様だ。
ちらりと後ろを確認すれば、王城を出る時は一緒だった騎士団の隊列が随分後ろになっていた。
それだけで、エリオット様とサイモンさんの飛行がどれだけ速いか分かる。
目的地を見据えたまま、エリオット様はサイモンさんに声をかける。
「俺と同じくらい速い人がいるとは知らなかったな」
「……結構無理をしています。ですが、速度を落としてほしいとはいいません」
よくみれば、サイモンさんの額には汗が滲んでいる。表情が王城にいた時より険しくなっているので、本心だろう。
しばらく飛行を続けていると、ルーン大森林が見えてきた。
「サイモン」
「はっ!」
エリオット様が指示を出す前に、サイモンさんは火属性の魔法を使って硝煙を上げた。
森林内で今も戦っている仲間たちに、撤退の指示を出しているのだ。
サイモンさんは一度エリオット様から離れ、森の木々の間を低空飛行する。
隅々まで、知らせを届けようとしているのだ。
真っ赤な煙が尾を引き、それに気づいた冒険者たちから、青白い閃光が返ってくる。
「サイモンさんが帰ってきた!」
「帝国軍の箒だ! 交渉できたんだ!」
「助かるぞ! 負傷者を背負って下がれ!!」
すれ違った冒険者から聞こえてきたのは、歓喜の声だった。
これでこれ以上負傷者がでることはないだろう。そう安心するのもつかの間、森林の木々の間から大量の黒い物体が湧き上がってきた。
ガーゴイルの群れだ。
サイモンさんは再度上昇し、エリオット様と合流を果たす。
「……報告にあったより数が多いな」
「ですが動きは遅いです。今朝よりも鈍ってきています」
「まとめて片付けられたら早いんだが……」
エリオット様はしばらく考え込む。確かにルーン大森林中を駆け回って倒していくより、一気に引き付けられたら楽だ。
「……私が誘導します」
「ミアーナが?」
「はい。ガーゴイルは光に釣られる習性があるはずです。私が挑発してきます」
先に賛成してくれたのはサイモンさんだった。
「そうですね。私は箒の操縦に集中します。背中でミアーナ様がガーゴイルの刺激をしてくれれば、エリオット様の所まで連れてこれるでしょう」
「……分かった。サイモンの腕を信頼する」
決まれば早い。
私たちは森全体を駆け巡り、エリオット様が待つポイントまでガーゴイルを引き寄せることにした。
動きが鈍ったガーゴイルでは、サイモンさんの速度には追いつけない。
「ルークス・カイカ」
閃光弾に似た魔法でガーゴイルを刺激する。混乱したガーゴイルは、私たちを敵と認識し後ろを追いかけ続けた。
その数は百を超え、二百を越え……ついには、津波のように膨れ上がったガーゴイルたちが付いてきた。
ルーン大森林上空で、エリオット様が迎撃の体制を取る。
光属性の魔力に身を包まれたエリオット様は、粒子でできた弓を引く。
サイモン様の乗る箒とエリオット様が衝突する寸前、サイモンさんは体を傾けてエリオット様とすれ違った。
打ち合わせも何もしていないのに、見事な交差だ。
ガーゴイルの群れは急な進路変更に対応できず、エリオット様にそのまま突撃する。
「今です!」
「任せろ」
私の声に合わせて、エリオット様が魔法を放つ。
「デウス・ルジェット」
一本の弓がガーゴイルの群れを貫く。
視界が眩むほどの閃光が辺りを包み込み、ガーゴイルの動きが止まった。
一拍後には、バラバラと砕け散って地上に落ちていく。
「なんと強大な魔法を……これがレゴリアム家に受け継がれし原初の光属性……」
ずっと無表情だったサイモンさんが、エリオット様の勝利を見て口角を上げる。
少し疲れたような顔で笑みを浮かべたエリオット様と目が合う。二人の様子をみて、作戦は成功したのだと安心した。
「我々の勝ちです。ミアーナ様」
「まだ少し残っているでしょう?」
「もう帝国軍だけで対応できますよ。エリオット様と合流しましょう」
ゆったりとサイモンさんが旋回をしようとしたときだった。
「エリオット様!!」
目に映った光景に、私は悲鳴のような声を上げる。エリオット様の背後に、巨大なガーゴイルが現れたのだ。
撃ち抜かれた翼は半分が消失し、口からは血が滴り落ちている。それでも、その目はエリオット様に報復せんとばかりに真っ赤に染まっていた。
剛腕の先に黒光りする爪は、エリオット様の首筋を狙って振り下ろされる。
あまりの突然の出来事に、エリオット様は為す術がない。サイモンさんが助けようにも、私たちとエリオット様では距離がある。
焦りと恐怖が全身を襲った。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
エリオット様を守りたい。失いたくない。
やっと掴めそうな二人の夢を夢のままで終わらせたくない。
活性化したガーゴイルにまともな攻撃を加えるには、光属性しか……。
光属性?
思考の回路が繋がった瞬間、私は唇を噛み締め箒の柄の上に立つ。
このときにはもう、混乱も動揺も静まり返っていた。
「私が……守る」
いつだって、エリオット様は私を守ってくれた。味方でいてくれた。
私も、大切な人を守れる人でありたい。
「ミアーナ様、何を!」
サイモンさんの声が遠くに聞こえる。
それくらい集中したのだろう。
あまり深いことは考えなかった。
どんな魔法にしよう、だとか。
本当にその魔法が使えるのか、だとか。
外したらどうしよう、だとか。
とにかく、私を傍で守り続けてくれたのはエリオット様で。その姿を隣で見ていたのだから……。
やることは自然と重なる。
私の両手は、弓矢を引く構えを取っていた。
私の胸元が光る。熱を感じる。
煌々として私の全身を照らす発生源は、エリオット様に貰った魔法石だった。
共鳴する。
繋がる。
混ざり合う。
エリオット様が私に授けた勇気……光の根源。
ガーゴイルの頭に向け、矢を放つ。
「ルーメン・ユ・ディーチ」
お世辞にも、あの日見たエリオット様の魔法のように美しくはなかった。
それでも、一閃がガーゴイルの頭を撃ち抜く。
ガーゴイルはエリオット様に攻撃をする前に、塵となって消えていった。
「……できた」
安心するよりも早くに、倦怠感が全身を襲う。魔力切れだ。
そのまま、私は意識を手放した。




