25・緊急事態
この夜会以降、私たちはそれぞれの慈善活動へと戻った。
ソフィア様の変化は一目瞭然だ。慈愛に溢れた姿で民と接し、よく笑い自らの能力を遺憾無く発揮している。
時々魔法新聞越しにしか見れなかったが、写真に写るソフィア様は、どれも楽しそうだった。
私も全力で民と向かい合う。
労働者の声に耳を傾け続け、孤児院の子供たちに希望を説き続ける。
時間を忘れて没頭した。
私たちのありのままの全てを国民が見つめ、国民の支持率は毎週のように変動があった。
時には私の推定得票数が六割に。時に下回れば、「しっかりしてください。手は抜きませんよ」とソフィア様から手紙が届く。
いつしか私は、支持率を気にする事はなくなった。それはソフィア様も同じだったようだ。
次第に手紙は、互いを称え合い、励まし合うような内容が増えた。
方向性は違えど、互いに国民のために働き続ける。ソフィア様の姿を間近で見られることが、誇らしかった。
時はあっという間に流れ、国民投票まで残り一週間を切った夏の日の祝日。
私は王妃教育が始まってから初めての休日を、ララと過ごしていた。
「リリアッド王城の庭園なんて、子供の時以来です!」
「実は私もちゃんと歩くのは初めてよ。いつも部屋から眺めるだけだったから」
ララと一緒に一般開放されている王城の敷地内を巡る。今日は祝日にしては人が少ないようで、騒がれることもなくのんびりと散歩ができた。
「なにせ、ミアーナ様。前期試験無事二人とも合格でしたね!」
「ええ。ララがノートを取っていてくれたおかげよ」
「私は友人として当然のことをしたまでです。三年生後期からは授業も減りますからね」
「後期は課題研究の論文作成がほとんどよね。ララは何を研究材料にするの?」
「私は……──」
話は学校生活について盛り上がる。
正直、国民投票以降の学校生活がどうなっているかなんて想像できない。それでも、ララが楽しそうに語る姿を見るだけで楽しかった。
ララは花壇の花を見ながら、「それにしても」と口を開く。
「ソフィア様、本当に変わられましたよね。何があったんですかね?」
「……さあ。彼女の中で吹っ切れるものがあったんじゃないかしら」
「それにしても、支持率は……っと、すみません」
「いいのよ」
私がもう支持率を見ないようにしていることはララも知っているし、彼女も私の意向に寄り添ってくれていた。
「午後から街に買い物に行きますか?」
「ええ。そろそろお昼に……」
先にお昼を一緒に食べよう。そう提案をもちかけようとしたとき、城門の跳ね橋付近がザワついている声が聞こえた。
私たちだけでなく、周囲の人々も何事かと視線を向ける。
「……あれは、騎士団ですかね?」
ララは少し自信なさげに首を傾げた。当然だ。普段は帝国内でみることのない、国境警備を担う騎士団が一斉に隊列をなして駆け込んできているのだから。
王城内で箒に乗ることは禁止されている。それでも騎士団は、跳ね橋を超えても降りる素振りを見せないまま王城へ向かって突き進んでいた。
チラリと見えた表情は、随分と険しかった気がする。
「……どうしたのかしら」
「一瞬で行ってしまいましたね。騎士団なんて普段見られないので、驚きました」
騎士団もそうだが、禁止されている箒での入場を王城側の衛兵も誰も止めようとしていなかった。
曲がりなりにも私は半年近く王城で暮らしてきたのだ。明らかに普段とは違う様子がハッキリとわかる。
心が妙にざわつく。
「……ララ。ごめんなさい。今日はお開きにしてもいいかしら」
「ええ! せっかくの休日なのに!」
「今度必ず埋め合わせをするから。貴女も今日は真っ直ぐ学校に帰って」
ララは残念そうに肩を落としたが、すぐに笑顔になってくれた。
「じゃあ今度絶対、新しくできたスイーツのお店行きましょうね!」
「ええ。約束よ」
「ミアーナ様の約束は信じているので、今日のところは我慢します!」
ララは私に思いっきり抱きついたあと、手を振って王城を後にする。
その姿を見送り、私も急いで王城内へと足を運んだ。
城内に入れば、真っ先にダンと出会った。
「ミアーナ様! お探ししておりました!」
「……やっぱり何かあったのね」
「とにかく、玉座の間へお越しください。案内致します」
玉座の間。国王陛下が普段使われる部屋の一つであり、限られた者しか出入りすることができない場所だ。
当然私も立ち入りの許可が出ている場所じゃない。玉座の間へ続く通路に一歩足を踏み入れただけで、裁判にかけられるほど厳重で神聖な間として知られている。
そんな場所に呼ばれるなんて、やはりただ事ではない。
ダンの背中を着いていき、玉座の間へと向かう。
扉を開いた先には、一本の赤い絨毯が敷かれており、先程見た騎士団の面々が膝を着いて頭を下げていた。
彼らの先に、玉座に座るアイゼン様の姿がある。そして、玉座の後ろに控えるように、元老院の議員と思われる人々が真剣な表情で立っていた。
アイゼン様の最も近くに立っているのが、元老院議長であるクラーク・サリヴァン侯爵だ。
異様とも言える物々しい雰囲気に、私は息を飲む。
「ミアーナ様はこちらへ」
小声のダンに誘導され、私は壁際へと立つことになった。隣にはソフィア様もいる。
私が配置についたのを確認したアイゼン様は、静かに片手をあげた。
「では。報告を」
短い号令の後、騎士団の最も先頭にいた人物が声を張り上げる。
「ご報告申し上げます! ヒュンサレム帝国国境より東に五十キロ地点にあります、不可侵区域ルーン大森林にて、ガーゴイルの大量発生を確認しました!」
報告の内容にアイゼン様は片眉を上げた。
「……ガーゴイルだと?」
アイゼン様が目を向けた先は、今しがた報告をあげた人物の隣にいた者だった。
彼だけ風貌が違う。マントを着ていてもわかるほど、筋骨隆々な体つきだ。
アイゼン様から視線を送られたその人物は、軽く頭を下げた。
「前線より戻って参りました。イグニスのギルド長。サイモンと申します。僭越ながら、発言させていただきます」
静かで落ち着いた声だが、彼の表情は誰よりも張り詰めている。
「今朝未明に発生したガーゴイルですが、総数は不明。発生原因は、春前より問題となっておりました魔物の活性化だと思われます」
サイモンさんの淡々とした報告を聞きながら、元老院議員らがざわつきだす。
私とソフィア様も一緒だった。互いに顔を見合せ、緊張と不安が入り混ざった表情を浮かべる。
「現在、前線にてイグニスを初めとした多くのギルド所属の冒険者が応戦中。しかし、対応が間に合っておりません。ギルドを代表し、ヒュンサレム帝国軍の応援要請を願います」
報告が終わった途端、元老院議員の面々がそれぞれ口を開く。
「我が帝国のギルドを名乗りながら、ガーゴイル程度制圧できぬとは何事だ!」
「活性化で危険度が引き上がっているとはいえ、中級の魔物だぞ!」
「帝国軍は魔物討伐のための軍ではない! 何のためのギルドだと思っている!」
矢継ぎ早に飛んだ言葉に、サイモンさんは顔を上げた。そして議員らの顔をじっと見つめた。
「……ギルドに所属している冒険者らも、魔物の餌となるための部隊ではありません」
「ギルド長の分際で誰に向かって口答えをしている!」
「このままギルドが押し負ければ、ヒュンサレム帝国ならず、ルーン大森林に面する周辺諸国への甚大な被害が予測されます」
「兵士すら出さない諸外国のために、我が帝国の軍人が傷つけと申すのか!」
「……はい」
「貴様っ……!」
サイモンさんの堂々とした言いっぷりに、議員らは顔赤くして怒りを露わにする。
怒声で混沌としかけた場を制したのは、クラーク侯爵だった。
「国王陛下の御前だぞ。静かにせんか」
サイモンさんに噛みつかんばかりの勢いだった議員らは、一斉に押し黙る。
「帝国軍は魔物討伐のための軍ではない。それは、お主らの言い分の通りじゃ。しかし……帝国軍は民を守るための軍。ならば答えは明白なはずじゃが?」
誰もクラーク侯爵に言い返せなかった。
「サイモン殿。何故ガーゴイルに勝てぬ」
「……悪魔の派生であるガーゴイルは、他の魔物より闇属性が強く、こちらの魔法が押し負けています。A級冒険者の光魔法ですら、一匹倒すのがやっとです」
「軍を派遣し、数で押せば勝てると?」
「はい。なるべく多くの光属性をもつ兵士を求めます」
私は軍のことには詳しくないが、サイモンさんの要求難易度が高いことくらいは分かる。
冒険者だろうと帝国軍だろうと、そもそも光属性を持つ者が少ないのだ。
私の考えと同じく、クラーク侯爵も難しい顔をした。
「……帝国中の軍人の中から光属性の者だけに召集命令を出し、目的地に向かわせる……。半日はかかるじゃろうな」
「承知です。ですが、ガーゴイルの性質上、動きが鈍る日中に討つのが望ましいです」
日があるうちに討ちたい。しかし、編隊が済む頃には夜になっているだろう。
前線で戦っている冒険者がそれまでに押し負けてしまえば、ヒュンサレム帝国国内にガーゴイルの群れがなだれこんでくる。
状況は危機的だった。
「どうされますか、国王陛下」
クラーク侯爵がアイゼン様に言葉を願う。
大きく息を吐いたアイゼン様が口を開こうとした時だった。
「父上。前線には俺が行きます」
玉座の間に、エリオット様が入ってきた。




