24・正々堂々
ソフィア様は淡々と言葉を紡ぐ。
「元々は、いつまでも異国にいる私を心配した祖父が勝手に進めた話よ。私は何一つ望んでいない」
「それで、あえて国民投票で負けようと……?」
「勘違いしてほしくないのは、私は別に愛国心がないわけでも、エリオット様が嫌いなわけでもないわ。投票に負けるためには今の振る舞いが最短で最適。ただそれだけよ」
半年しかない投票準備期間。元々爆発的な人気を誇るソフィア様が、あえて支持率を落としていくのは困難を極める。
「ご自身よりも私の方が人柄として最適である。……そう国民に刷り込んだ方が早いということですか? それ以外の選択肢はなかったんですか?」
「周りを巻き込み、傍若無人な振る舞いで支持率を落とすこともできた。でもそれは、サリヴァン侯爵家だけでなく、合意した王室の顔にも泥を塗ることになる。それに、私自身の品格を不必要に落とすことにもなるわ。私は投票に負けたいけれど、悪役になりたいわけじゃない」
ソフィア様の言葉を額面通りに受け取るのならば、彼女はクラーク侯爵や王室と対立したいわけではないのだ。
私が何も言えずにいると、ソフィア様はバルコニーの外に視線を向けた。
「私は私の願いのためだけに周りを巻き込みたくないの」
「……願い?」
すぐに返事はなかった。
夜でほとんど見えない景色を眺めるその姿は、果てしなく遠くを見つめているような印象を受ける。
「この国に、聖女はいらないのよ」
ようやく口を開いたソフィア様から聞けたのは、質問の答えではなかった。
ソフィア様が何を言いたいのか分からず困惑していれば、今度は彼女の方から質問が飛んだ。
「貴女は、この国がどれほど安全か知っている?」
「治安、ということでしょうか。世界的に見ればヒュンサレム帝国の犯罪率は低く……」
「そうじゃないわ。どれだけ、国としての完成度が高いか、ということよ」
つまりそれが治安なのではないか。
そう思ったが、違うと言われた以上ほかの言葉が見つからなかった。
ソフィア様は一度私に目を向けたあと、再び遠くを見つめながら語り始める。
「この国は魔法に恵まれた民が生まれやすい。個人の得意不得意はあれど、ヒュンサレム帝国の持つ魔法学で右に出る国はないわ」
「はい。そう聞いています」
「それがそのまま、国としての軍事力の高さに繋がっている。軍事力の高さはすなわち国防力の高さよ。だから、この国は平和主義に舵を切ることができたの」
ソフィア様の言い分は正しい。
どれだけ自国が武器を捨てても、攻め込まれてしまえば平和は叶わない。
生々しい言い方ではあるが、「戦うも手を繋ぐも、全ての優位性は我が帝国にある」と他国に示す必要があるのだ。
ソフィア様は話を続ける。
「ヒュンサレム帝国は和平条約を裏切らない。その信頼は、ようやく世界共通の認識になったの。成し遂げた国王陛下に、私は心から敬意を示しているわ」
先程のパーティでは、警備こそいたものの外交官との交流は和やかに進んだ。
特段国政についての嫌味な質問もなかったし、警戒心を顕にしている人もいなかった。
もしかしたら、他国にとっては異様な光景なのかもしれない。
「……そんな国ばかりではない、ということですね」
「そうよ。常に戦場で兵士が息絶えている国。医学さえあれば救える命があるのに、発展が足りない国。魔物からの襲撃に成すすべがなく、呪いを抱えた民で溢れている国……沢山見てきたわ」
ヒュンサレム帝国では聞かない話だ。
エリオット様とオークを倒した日のことを思い出す。
勝敗の結果論は置いておいて、私たちは魔物と戦うための知識はあったし、手段も持っていた。
仮に、知識もなく魔法も持たない国で同じようなことが起きたら……と思うと、自分らがどれだけ恵まれていたかを実感する。
ソフィア様は視線を落とし、自分の両手を見つめる。
「私の力を今すぐに欲している人々が今この瞬間にもいる。私がいれば助かる命が世界中に溢れている。
全て、だなんて傲慢は言わないわ。でも私は常に苦しむ人たちのそばにいて、この命が続く限り助けたい」
ソフィア様の声に次第に力が入る。
それは、彼女の叫びにも聞こえた。
「帝国で生まれ、神に選ばれ、力を持って生まれたのならば、それは全て帝国に還元すべし。そんな意見はわかっているわ! でも、知った世界を見なかったふりには出来ない!」
「ソフィア様……」
「確かに慈善活動の巡回で、私は多くの民を助けたわ。でも、その何十倍という数の苦しむ人々を置いて帝国に帰ってきたの!」
数に関係なく、命は平等である。
そんな教科書に乗っているような綺麗事……彼女の葛藤を目にして言えるはずがなかった。
そんなこと、彼女自身が一番分かっている。
そしてなにより、世界とは綺麗事以上に不平等で残酷だと私自身も知っている。
ヒュンサレム帝国にはソフィア様以外に聖女がいないか、と言われるとそうじゃない。
珍しいというだけで確かに存在している。
そして、ヒュンサレム帝国自体、聖女の少なさに困ってはいない。
ならば、縋る思いで聖女を求める国へ。
ソフィア様の持つ願いは、自分が信じた道を歩きたいという確固たる意思を感じた。
ソフィア様は僅かに潤んだ目元をぬぐい、私に体を向ける。
「……私はこの国民投票でどう言われようが気にしないわ。私がこのまま民に冷たく当たり続ければ、投票日までには支持率が逆転するはずよ。だから今日以降、私に構わないで」
ソフィア様は賢い人だ。
自分の夢のために最短で、最適で、最大の手段を選んでいる。
ソフィア様と私の利害は一致している。
このままいけば勝てるし、彼女も負けを望んでいる。
彼女が民になんといわれようと、私には関係のない話だ。
それでいい、これでいいじゃないか。
ララの訴えが今にも耳に聞こえそうだ。……それでも。
「……私も、一度知ってしまったことを見なかった振りにはできない性格なんです」
何が正しくて何が間違いかは分からない。
ソフィア様の正義に私の正義を向けることは、もしかしたら邪魔で、鬱陶しいかもしれない。
それでも、私はソフィア様の自己犠牲に耐えられなかった。
「夜会でみた笑顔、素敵でした。あのお姿が、ありのままのソフィア様なんですよね」
「……否定はしないわ」
「民に冷たく接するのは、やりたくてやっているわけじゃないんですよね。ただ私を勝たせたいから選んだだけですよね」
「そうよ」
「じゃあ、私……そんな勝ち方をしても嬉しくないです」
私の言葉に、ソフィア様は驚きを露わにする。
「たとえ自分が望んで作り上げたものだとしても、他人からの批判的感情を向けられることは辛いはずです。辛くないと、自分に言い聞かせて誤魔化すしかないはずです!」
「辛くないわ。知ったような口を……」
「知っているから、言っているんです!」
私はかつて、愛を否定することを望んだ。
そのために自ら心を閉ざすことを選んだ。
自分の望みのためだと信じて疑わなかった。目的のためなら手段を厭わず、結果他人になんといわれようが構わなかった。
「自分は苦しくないと、虚勢を張らなければならないのは……そうしないと、目的と心に矛盾があると認めてしまうからです!」
本音は苦しいと認めてしまえば、自分が無様で滑稽に思えてしまう。
目的のために生まれてしまった自己矛盾は、いつだって自分を傷つける。
「……私にも夢があります。絶対に叶えたい、私を闇から救ってくれた夢なんです。エリオット様が見せてくれた光です」
「じゃあこのまま勝てば……」
「でも、ソフィア様の犠牲の上に成り立ったとしたら……私は夢が叶った日を心から喜べません」
きっとずっと私の心に残り続ける。私の勝利は、ソフィア様の傷があって成り立ったものだと、忘れられなくなる。
「ソフィア様は違いますか。ずっとヒュンサレム帝国の国民からは嫌われていると……そう思いながら夢が叶った日を喜べますか」
ソフィア様は何も言わなかった。
ただ静かに目を伏せる。
私はソフィア様に歩み寄り、手を取った。
「……教えてください」
返事があるまで、ただ静かに待つ。やがてソフィア様は僅かに震えた声で答えてくれた。
「……怖いわ。救いたいと願う人々から期待はずれだと言われ続けるのは……怖い。でもそんな心は、私の我儘よ。私が望んでそうしているのだから、当然で……!」
「じゃあ、もうやめましょう」
ソフィア様は目を見張り、顔を上げた。
「お互い正々堂々、ありのままで戦いましょう」
私の提案にソフィア様が慌てる。
「そんなことをしたら……」
「私が負けると?」
私に対する失礼だと思ったのか、ソフィア様は口を閉じ、目を逸らす。
だからといって怒ることも傷つくこともない。私は彼女に笑みを向けた。
「負けませんよ。負ける気なんて一切していないです」
「……え?」
「ソフィア様がどれだけ全力で来ようとも、私は負けないと信じています。私が信じると決めた道は、ソフィア様なんかに閉ざされないと確信しています」
ソフィア様は何度か瞬きをしたあと、体を前にかがめて笑った。
「無理だと、少しも思わないのね。貴女は」
「無理だと最初から決めつけないと、教えてもらっていますから」
「……いい教えね」
「はい。私は正々堂々勝ちを勝ち取ります。ソフィア様も、正々堂々負けを勝ち取ってください」
自分で言っておきながらなんて変な言葉だ、と首をすくめる。そんな私の姿を見て、ソフィア様はまた笑った。
なんて可憐に儚く笑う人だろう。
やっと素顔で向かい会えた気がして、嬉しかった。
「……貴女って、よく強引だって言われない?」
「言われたことはありませんけど……」
「じゃあ、エリオット様に似てきたのね。彼って、たまに凄く強引な時があるんだから」
「ええ。けど、怒られて謝ってくる時なんてまるで……」
捨てられた子犬みたい。と、ソフィア様と言葉が重なる。
一拍間があって、二人で笑い声を上げた。
ひとしきり笑いあったあと、ソフィア様はなにか吹っ切れたような顔で私を真っ直ぐに見つめる。
「私は聖女としてあるべき姿で接するわ。あとで後悔だけはしないで頂戴ね」
「はい。ソフィア様に勝つと宣言する私を、どうか信じてください」
「……私の態度なんて、関係なかったのかもしれないわね」
ソフィア様が呟いた言葉に首を傾げる。
「今、貴女を信じてみたいと思えた。それはきっと、貴女を今日まで見てきて、支持先を変えた民も同じよ。貴女の努力で勝ち取った票だわ」
「そうかどうかは、投票日に分かります」
「……そうね」
ソフィア様は満足気に微笑んだあと、私と手を離して数歩下がる。
「私、貴女のことが好きよ。今まで冷たくしてごめんなさい」
「私もソフィア様が好きになりました」
「お互い正々堂々、夢を勝ち取りましょう」
「はい!」




