23・ソフィアの本心
それから夜会は順調に進み、終盤へと向かう。
ソフィア様の語学力を羨んでも仕方がない。私は私にできることを精一杯こなした。
ダンから「そろそろ取材陣が入る」と伝令があり、場の空気がやや引き締まった。
出入口が開かれ、放送局の者や新聞記者が待ちに待った顔で壁際になだれ込む。
来賓にも事前説明があったのか、彼らも戸惑うことなく話を辞め始める。自然と、大広間の中心にはダンスをするための空間が開かれた。
ここからは決められた通りに動けばいい。まずは、エリオット様を中心に三人で並ぶ。
そのあと、音楽の切り替わりと共にエリオット様がホールの中心に出る。それから、私とソフィア様が順番にエリオット様と踊るのだ。
案内に従い、私とソフィア様はエリオット様の左右に並ぶ。
私が立った位置は、エリオット様の隣。ソフィア様が立った位置はエリオット様より一歩後ろだった。
あれっと内心焦る。
王妃教育を振り返ってみても、王子の隣に立つのが正しいのか一歩後ろに立つべきなのか習った記憶が無い。もしかしたら、私が変更してしまった王妃教育の中で教えられるはずだった?
思えば、ローズ様もアイゼン様より一歩後ろにいたような気がする。
もしかして……放送開始早々にやらかした?
私の焦りは他所に、会場にいままでで一番大きな音楽が鳴り響き始めた。
立ち位置を変える間もなく、エリオット様がホールの中心に出る。
今から下がるべきか、このまま不動でいるべきか。悩んでいると、私の耳にかろうじて聞こえる程度の大きさの声が届く。
「一歩分も下がれば目立ってしまいます。私が半歩前に出るので、合わせて半歩下がってください」
ソフィア様だった。
声をかけられたことにも驚くが、とにかく言われた通りに半歩下がる。同じタイミングで前に出たソフィア様と横並びになった。
「一歩控えて立つ。……そんな決まりがあるわけじゃありません。ただ、何となく蔓延ってるしきたりなので覚えておいて損は無いと思いますよ」
慌てていたせいで彼女の顔をみていなかったが、ちらりと見るといつもの真顔だ。
先程までの笑顔はどこへ?
「……ありがとうございます。あの、微笑んだりしなくて、大丈夫……なんですか?」
今は国民に向けて私たちが映されているはずだ。ソフィア様の様子は、新聞で見たままの顔だし、そんな調子ではいい印象を与えるとは思えない。
私の声に、ソフィア様も視線だけを私に向けた。
「貴女が私を気にかける必要なんて、どこにもありませんが?」
「そうかもしれませんが……」
ソフィア様は私の話を最後まで聞くことなく、歩き始めた。エリオット様がいるホールの中心へ向かい、手を取りダンスが始まる。
二人が踊る光景は、どのシーンを切り取っても絵画のようだった。
相変わらずソフィア様は無表情だし、会話をしている様子もない。ただ、並々ならぬ雰囲気を醸し出す二人に、周囲もうっとりと魅入っていた。
「……天上人」
まさしく、その言葉が相応しい。
二人の空間は、何人たりとも立ち入ることのできない神聖さがある。
あっという間に二人のダンスが終わり、次は私の番だ。エリオット様に手を差し出され、ソフィア様と入れ違いにホールの中心に出る。
私がエリオット様の手を取った途端、音楽も切り替わった。
ソフィア様の時はゆったりとした優美な曲だったが、今度は少しテンポの早い曲だった。
でも聞き覚えのある曲。私だけでなく、比較的国民にも馴染み深い伝統音楽だ。
「ミアーナ、この音楽好きだろう? 君の友人から聞いて、俺が頼んだ」
「そうですね。一番得意な曲です」
「よかった。楽しもう」
詰まることなく軽快に踊る。ソフィア様の時と違って、周りも楽しげにペアを組んで踊り始めていた。
エリオット様のリードに従ってクルリと体を回せば、楽しさで笑みが零れた。
国民の前では歯を出して笑うな、と教えられていたのに。
「いけない。また笑ってしまいました」
「いいじゃないか。微笑みしか駄目だ、なんて古い習慣だよ」
音楽を良いことに、私たちは互いにしか聞こえない声量で話を続ける。
「さっきも、立ち位置を間違えてしまったんです」
「俺の隣に立ったことか?」
エリオット様も気づいていたんだ、と首をすくめる。
「ええ。きっと国民からは図々しいと思われてしまったでしょうね」
エリオット様は数拍間を空け、私の腰に両手を当てる。
「きゃっ……!」
そのまま軽々と私を持ち上げ、一周して降ろす。王子と夫人が踊るダンスとしては、あまりにも豪快だ。
「エリオット様!」
「俺は、しきたりに従うのが全て正しいとは思わない。君は君らしくでいいと言ったはずだ」
「けど……」
「ミアーナが俺の隣に立ちたい。そう思ってくれたのなら、俺にとっては幸せ以外の何物でもない」
私は、王妃教育を受ける時に決めたはずだ。
エリオット様が願う夢を隣に立って支え、私も同じ夢を見たいと。
その想いが形としてでたのならば、過度に自分を咎める必要はない。
「俺が幸せだと感じている。だから君も幸せだと思ってほしい」
「……相変わらず、強引ですね」
二人で顔を見合せて、クスクスと笑う。
夢のような時間はあっという間に終わってしまった。
大広間は音楽隊が退出し、締めであるスピーチの準備が整いだした。
ダンスの時とは違い、エリオット様の姿はない。私とソフィア様が並んで、整列する来賓の前に立つのだ。
何より……来賓に向けてのスピーチなので、もちろん母語じゃない。
明らかに私とソフィア様の差が明確に出る場だ。
埋まらない差はどうしようもないため、私は挨拶の時と同じようにゆっくりハッキリを心がけようと緊張を抑える。
そうこうしているうちに、先にソフィア様のスピーチが始まった。
「……え?」
違和感。
それは、私だけでなく来賓も感じた。あからさまとはいかないが、来賓らは互い顔を見合せて不思議そうな顔をする。
「どうして……」
ソフィア様は淡々とした表情でスピーチを進めている。が、お世辞にも上手とは言えない。
まるで言葉を覚えたての人……私と同じようなたどたどしさがあり、時折言葉に詰まる。
ソフィア様は確かに夜会の前半では流暢に話されていた。仮に緊張を加味したとしても、明らかに別人だ。
「……私が話せないから? 私に合わせて……?」
そうだとしか思えなかった。
思えば、ダンスが始まる前も私に合わせて彼女は前に出た。私だけが下がれば、国民には私だけが間違えたように映る。
今回も、私だけが下手だったら、国民の目にはソフィア様の印象しか残らない。
同じレベルの会話能力であれば、笑う私と笑わないソフィア様。どちらの方が国民が喜ぶかなんて明白だ。
強い困惑が伸し掛る。
結局、彼女に対しての疑問に呑まれてしまい、自分自身のスピーチは何を話したのかよく覚えていなかった。
◾︎◾︎
外部記者も退出し、来賓の退席も進んで大広間にいる人が疎らになってきた頃。
私はついに、意を決してソフィア様に話しかける。
「ソフィア様。少しお時間よろしいでしょうか」
ソフィア様は何も言わなかったが、立ち去ろうとはしない。
「……バルコニーに行きましょう」
彼女の提案により、私たちは人気のないバルコニーへと移動した。
夜風の当たるバルコニーで、私とソフィア様は向かい合う。
「……どうしてスピーチの時、手を抜いたんですか」
「緊張していただけよ」
「どうして、報道陣が入った途端無表情になられたんですか」
「笑う必要を感じてないからよ」
のらりくらりと質問を躱され、私はグッと手を握りしめる。
「……手を抜いても国民投票に勝つ自信があると……侮辱されたような気持ちになるとお伝えしたら?」
「そう感じていたのなら謝るわ。貴女を立てようとしたつもりだったのだけれど」
「ソフィア様は……!」
私が言い切るより前に、ソフィア様は私と真っ直ぐに目を合わせて口を開いた。
「私は、王子の夫人になんてなりたくないの」
やっぱり、とストンと腑に落ちる。
そうでなければ納得のいかない行動の数々だった。




