21・支持率の変化と違和感
そんな毎日が続いていたある日のことだった。
変化は突然現れる。
「……嬢ちゃん。なんで俺らにそんな一生懸命なんだ。そんなに国民投票の票が欲しいのか?」
仕事終わり、組合の隣に併設されている酒場で酒を飲んでいた一人の男性からそう声をかけられた。
向かい合って座れば、何事かと自然と人が集まってくる。
「票が欲しいなら、適当に宝石を砕いて組合中にばらまいた方がマシだぜ? そっちの方がよっぽど賢い」
「いいえ。私は票が欲しくて皆さんと会っているわけではないんです」
男性は意外そうな顔で目を丸くしたあと、苦笑した。
「じゃあ、俺たちを哀れんでか。立派な婚約者候補様だ」
「いいえ。違います」
じゃあ、なんだ。と目を向けられ、私は一拍置いて思いの丈を話す。
「知りたいんです。皆さんの希望がいつ潰えてしまったのか。この国で暮らしていて、いつ希望の光を見失ってしまったのか」
光に溢れる王室が導くヒュンサレム帝国で、なぜ光が届かない人がいるのか。
そうなってしまった原因はなんなのか。問題は、賃金でも教育でもないような気がした。
「……貴方の心に取り付いている闇は、どこから来たのか教えてください」
男性は少し考えた素振りを見せたあと、ボソリと呟く。
「……ガキの頃、母さんに捨てられた日からだな」
「……捨て子だったんですね」
「その頃はまだ孤児院なんて数えるくらいしかなかった。子供の受け入れ余裕もない。自分の力で生きていくしかなかった」
男性は酒を飲みながら、周囲を見渡す。
「ここにいるやつは、みんな似たり寄ったりだ。みんな傷を抱えて生きてる。大人になって親の気持ちが分かったよ。クソみてぇな親に育てられるより、捨てちまった方がお互いのためなんだ。殺しちまうよりマシだろ」
男性は酒場にいた一人の女性に視線を向ける。
「ここにいる女もみんな一緒だ」
男性に促され、女性は鼻で笑って口を開いた。
「アタシは娼婦だ。客との間で出来ちまった子を三年前に孤児院に捨てたよ」
「……それが子供のためだと思ってですか?」
「そうだよ。アタシにできる、その子への最後の愛情だ。変な母恋しさを覚えないために、毛布一つ持たせなかった。……アンタ、孤児院に行ったんだろ? 新聞で見た」
「はい」
「……アタシの子は、どうしてた。笑ってたかい?」
彼女の子供が誰だかは分からない。会えた確証もない。
ただ何となく、女性の赤髪と重なって見える子供を一人思い出す。
赤い髪の子なんて、沢山いる。けれど、雰囲気や直感でこの子かもしれないと思った。
「……赤髪の男の子ですか? 目尻にホクロがあって……確か火属性の魔力を持った」
私が途切れ途切れにそう伝えると、女性は笑い、目に涙を貯める。
「ばっかだねぇ、嬢ちゃん。アタシは、笑ってたかどうかって聞いてんだよ」
「はい。笑ってました」
「……子供の顔、みんな覚えてんのかい。それとも直感かい?」
「半分は直感です。でも、出会った子の顔と名前は全部覚えています。もちろん、ここの皆さんも」
女性は笑みを浮かべつつも、小さな声で力なく私に問う。
「……なんて名前なんだ、そのガキは」
「ユーリ、でした」
「……ユーリ。はっ、貴族みたいな立派な名前貰いやがって……」
女性は私の言った名前を繰り返し、それっきり背を向けて振り返ることはなかった。
それがきっかけで、私は彼らとの対話の仕方を間違えていたと気づいた。
彼らに必要だったのは、希望を持って暮らせという説得でも議論でもなかった。
「……皆さんの痛みを教えてください。どんな些細なことでもいいです」
痛みに寄り添うこと。ただ、今はそれでいいんじゃないか。
幼少期の傷が癒えないまま大人になってしまった人。
愛する人を亡くし、希望を失った人。
生まれつき身体的障害があり、人と同じように体を動かせない人。
誰か一人が話し出せば、次から次に「俺も聞いてくれ」と背景を語ってくれる。
そして、最後は皆口を揃えて同じことを言った。
「ここにいると、独りじゃないんだと思えるんだ。だから、俺たちはここに皆集まって傷を誤魔化して生きてる」
あれほど私が来ることを馬鹿にし、乱暴な言葉遣いで追い返していた人は、いつのまにかいなくなった。
私が仕事の見学をするのを黙って見守られ、仕事が終われば酒場で話す。
そんな習慣がやっと当たり前になり始めた頃、私が王城へ帰る日がやってきた。
「気をつけて帰りな」
「パーティが終わったら、また顔を出しますので」
「いいんだよ。次の組合に行ってやれ」
シッシと手を振られるが、嫌味がないことくらい分かる。
別れの言葉を考えていると、先に彼らの方が声をかけてくれた。
「……俺たちは今でも、別に生活の変化に期待はしてねぇよ」
「日中は糞を拾って、夜は酒を飲む。不満はねぇし、今更上級社会の中に入れられるほうが困るからな」
けど、と言葉は続く。
「嬢ちゃんと話してる時間は楽しかった。仕事を見られんのも、俺たちの仕事を誰かが見てくれてるっつー満足感があった」
「楽しい……なんて、いつぶりだろうなあ」
顔を合わせて笑い合う彼らに、私は些細な疑問を訊いた。
「どうして、私と話そうと思ってくださったんですか?」
「どうだろな。嬢ちゃんが将来の王族として金と権力で俺たちを変えると意気込んでたら、話してなかったかもしれねぇな」
お前は馬鹿正直でまっすぐなんだよ。と、男性は微笑む。
「あんたは人の痛みが分かる人間だ。絶望を知っている人間だ。なんとなく、元々は俺たちの仲間だったんじゃねぇか。そう思えた」
一人の声に、賛同が上がる。
「ああ、そうだ、それだ! なんつーか……羨ましかったんだよな」
「柄にもなく、俺たちもいつかきっと、なんて思えちまった」
「俺らが無くしたはずの夢と希望。それを見せてくれてんのは、嬢ちゃんなんじゃないかって……なあ!」
周りの人は各々に頷く。
私は彼らの闇を聞いている間、決して否定しなかった。分かるからだ。
闇に堕ちてしまった自分が醜くて、逃げたくて、でもできないから誤魔化して生きるしかないと知っている。
「……皆さんにとっての幸せは、お金でも地位でもなく……誰かに認められて楽しいと思える日々なんですね」
「はっ。まるで自分が来たおかげで俺たちが幸せだって言ってるみたいだな。……間違いじゃねぇよ」
「伝えていきます。毎日地下や路地裏で誰が働いているのか。それがどれだけ素晴らしい仕事なのかを」
「やめろよ、照れくさい。嬢ちゃんだけで充分だ」
根本の解決には程遠いかもしれない。
それでも、こうして彼らが笑っていることが未来への第一歩だと思う。
私が帰ろうとしたとき、男性の群れを掻き分けて一人の女性が私に駆け寄る。
それは、あの日話したっきりだった娼婦の女性だった。
「あの、アンタ……!」
「はい?」
目の前に差し出されたのは、手編みの帽子だった。
「あの子に……もしあの子に会ったら……渡してくれないか」
あの子、とはこの女性の子供のことだ。
「あ、アタシは金がなくて、こんなものしかあげられねぇ。今更母親ヅラすんのも、申し訳ねぇ。けど……けど……」
「分かりました。必ずお届けします」
涙声で訴える女性の背中をさすり、帽子を受け取る。
「アタシは、必ず今の生活を抜け出してユーリを迎えに行く。……こんな無茶な夢を語るアタシを笑うかい?」
「いいえ。決して」
「……あんたは、娼婦の肌にも触れてくれるんだねぇ……。王族になる身としての品格が下がるって、新聞で騒がれちまうよ」
「新聞なんて、どうでもいいんですよ。温もりは平等です。自分を不必要に卑下して、受け取ることから逃げないでほしいです。貴女は立派で……誇らしい人です」
「……聖女がどんなもんか知らねぇけど。アタシらにとっての聖女はあんただ」
女性は涙を拭い、フラリとその場を立ち去った。
もう時間が無いと、ダンに急かされて馬車に乗る。窓越しに何かを言われているのに気づいて小窓をあければ、魔法新聞が投げ込まれた。
「嬢ちゃんにはいい風がきっと吹く。またいつかどこかで!」
「はい! 皆さんもお元気で!」
窓から身を乗り出して別れの言葉を告げた。
彼らの姿がみえなくなったところで、窓を閉め、渡された魔法新聞を見る。
そういえばまた、奉仕活動を始めてからすっかり見ていない。
真っ先に目に飛び込んできたのは、国民からの支持率だ。
「……え?」
魔法新聞に書かれていたのは、予想にもしていなかった内容だった。
『ミアーナ令嬢の支持率が四割まで上昇!』
『ソフィア令嬢の支持率は暴落か? 中立派が増え、投票の行方は中立派が決めると予想される! 各領地主は、クラーク侯爵の号令で票獲得に本腰を入れる模様』
『聖女の力が奇跡を起こす! 負傷兵が次々に回復!!』
『しかし寄り添いは見られず。機械的な対応に市民は落胆』
『ミアーナ令嬢の献身的な姿が下流階級からの絶大な人気を巻き上げる!』
写真に写っているソフィア様の表情は、王城で会った時と同じように無表情だった。
「……どうして」
本来喜ぶべきだ。
しかし、どうにも変だ。ソフィア様には、焦っている様子も今の態度を変える様子もない。まるでこれでいいと言わんばかりだ。
一体何が起きているのだろう。私が持っていた新聞では、それ以上のことは分からなかった。
違和感。どうにも言い表せない気持ち悪さ。
言語化ができない。ソフィア様の姿を例える、的確な言葉が私には見つからない。
「……ダン」
「はい。何なりと」
「城に帰る前に、学校に寄る時間はある? ララに会いたいわ」
「かしこまりました。ですが、パーティには間に合うようお願いします」
「すぐに済ませるわ」
ララと話せばなにか掴めるかもしれない。
私が乗る馬車は、進行方向を王立魔法学校に変更した。




