20・奉仕活動
国民投票へ向けての判断材料となる奉仕活動は、一言で言えば楽しかった。
「ミアーナせんせえ! ここがわかりません!」
「どこ? ああ、ここは……」
平日の半分以上を使って、ヒュンサレム帝国各地にある孤児院を巡回する。
私の様子は細かく撮影と中継で国民へ知らされたが、そんなことは気にならないくらい仕事に没頭した。
孤児院では、子供たちの臨時講師をやった。
「できた!」
「凄い。よく出来たね」
清潔な服装と整った施設。キラキラと輝く目を見せる子供らを見れば、孤児院の環境がどれだけ恵まれているか分かる。
王室が進める国の改革を間近に触れることができた。
「先生! 算数より魔法みせて!」
「ぼくも! ミアーナ先生のキラキラの魔法すき!」
座学に飽きてきた子供らが、私の足元に抱きつき、せがむ。
王妃教育では人前で歯を見せて笑うな、と教えられていたが……私は子供らの可愛さに耐えきれず、表情を綻ばせた。
「いいわよ。皆でお庭に行きましょう」
子供らは歓喜の声を上げ、我先にと教室を飛び出していく。
私も行こう、と廊下に出た時、授業を見守っていたシスターから声をかけられる。
「ミアーナ様。子供たちに沢山触れ合って頂きありがとうございます。お疲れではありませんか?」
「大丈夫です。こちらもとても楽しんでやらせて頂いているので」
そう伝えれば、シスターはホッと胸を撫で下ろす。子供たちがどれだけ生き生きと過ごせているかも重要だが、従事してくれている者の声も聞きたい。
私はシスターとの会話を続ける。
「シスターの皆様は、何かお困りごとはありませんか? もっと良い施設改善だったり……」
「いいえ! もう充分国王陛下からは頂いております。資金の面もまったく気にしなくていいですし、私たちも幸せに働けています!」
ただ……とシスターは目を伏せた。
「ミアーナ様も実感していただいた通り、孤児院での生活は苦労がありません。子供たちの輝かしい未来のための手筈が全て整っています」
「……それが何かの問題に?」
「……近年、捨て子が増えています。自分の元で育てるより、孤児院の方がいい暮らしをさせてあげられる。そう考えた親があえて、孤児院の前に赤子を捨てることがあるんです」
納得せざるを得なかった。
与えられる衣服も食事も環境も、貴族のようにとはいかずとも、平均的な家庭よりずっと安定している。
国が推し進める孤児就労支援も相まって、学がないまま育てるよりは……と考える親は少なくないだろう。
シスターは悲しげな顔をして窓の外を見つめる。
「確かにここの子供たちは、表面的には満たされています。……ですが、私たちがいくら頑張ろうと、心は満たせないんです。欲しくてたまらない母親の愛情を代わりに注いであげることはできないんです」
「……そうですよね」
「親が考える子供にとっての幸せは、必ずしも子供にとって至福とは限らない。……伝わればいいんですが」
自分の子供時代を振り返る。
私は、環境自体は恵まれて育った。子爵家として家の財産は充分にあったし、召使いもいた。
私に人以上の教育を受けさせる財力はあったし、幼い頃から社交場に出て大人との付き合い方も覚えた。
鈴を鳴らせば運ばれてくる食事に不満を持ったことはない。
ただ……心は満たされなかった。
母が死んで温もりが消えた。父は私を見なくなった。
私の心が満たされ、幸せに今を生きられているのは偶然で、この国にはずっと心のどこかが欠けたまま育つ子供が多くいるのだろう。
「……一方の話だけでは理想論にしかなりません。労働組合も訪問する予定なので、大人の意見も聞いてきます。聞いた上で、どうしたら理想が現実になるのか一緒に考えていきましょう」
私がそう言うと、シスターは慌てて手を振った。
「いえ! それを考えるのが私たちの役目でもありますから! 王室に住まわれる方がそこまでやる必要は……」
「やります。私は皆さんの痛みも苦しみも悩みも、すべて隣で聞きたいんです。聞くだけでなく、どうしたら叶うのか一緒に考えていきたいんです」
心からの本心を伝えれば、シスターは嬉しそうに笑った。
「ありがたいです。私たちなんかにそのように目をかけて頂いて」
私は微笑みを返し、シスターの手をそっと握る。
「やめましょう。私なんて、私なんか……そんな言葉を使う必要はありません」
「暖かいお言葉ですね……」
「私の言葉ではないです。大切な人から教えてもらった、自分の認め方です」
子供たちから「早く来て!」の声がかかって、私は庭に出る。
私が描くささやかな造形魔法にも子供たちは喜び、まだ不安定な自分の魔力を使って真似をしようと試みる。
私が得意な魔法で子供たちが喜ぶ姿をみるのは、とても幸せだ。
「先生! もっと凄い魔法やって!」
日が暮れ始めた頃、一人の男の子からそうせがまれた。
「凄い魔法?」
「うん! 強くて、かっこよくて、キラキラで、勇気が出るようなやつがいい!」
はて。見かけが大きい光魔法はいくつか存在するが、それが子供の要望に叶うのかは分からない。
光属性は人を攻撃できないが、壮大な魔法は子供にとっては刺激が強く、怖がる子もいるかもしれない。
しばらく考え、空を見上げる。
まだ茜色だが、昼にやるよりは見えやすいだろう。
「じゃあ、空を見て」
私の声に従い、子供らが一斉に空を見上げる。
私は指を天に向け、詠唱を紡いだ。
「──ノータ」
指先から放たれた一閃は、まっすぐ空へと打ち上がる。そして、小さな破裂音と共に光の花火が空に咲いた。
エリオット様が私に見せてくれた魔法と同じ魔法だ。
「辛い時も悲しい時も寂しい時も。みんないつだって空を見て。空を見れば光が見える。光に向かって歩く勇気が出る。勇気を信じて歩く人は、皆かっこよくてキラキラしていて、誰よりも強いのよ」
子供たちは無言で空を見つめ続けたあと、今日一番の歓声を上げてくれた。
それから日が暮れるまで子供たちと遊び尽くし、最後は「帰ってほしくない」と泣く子をなだめるのに大変だった。
◾︎◾︎
孤児院を回ったあとは、次は労働組合だ。
孤児院とは一変し、表通りから一歩外れた殺伐とした雰囲気が蔓延る場所。
「あんたが王子殿下の婚約者候補か」
「はい。今日は皆さんのお話を聞かせてもらいたくて」
「ないない。話を聞くくらいなら、聖女様でも連れてきて、俺たちに金が降ってくる奇跡でも起こして欲しいね」
今まで触れ合ったことのない乱雑な口調を使う人が多い。服はゴミの山から拾ってきたようなものばかりだし、体の一部に傷を負っている人もちらほら目に入る。
妙な酒臭さと暗い瞳。低所得労働者組合には、希望も活力も存在しなかった。
「あんたが王妃になったら、俺たちに何をしてくれるんだ」
「正当な賃金引き上げや、仕事内容の見直しを……」
私が食い気味で言えば、数人の男性らは声を上げて笑った。
「俺たちの賃金を引き上げれば物価が上がる。結局、最低層には変わりねぇ。生活は変わんねぇ。お嬢様にはそんなこともわかんねぇのか」
「仕事の見直し? 地下水道の糞の処理を俺たちより下の層を作り上げてやるつもりか?」
「いえ! 人の手でやらずともできる国づくりを……」
言いかけて、じろりと睨まれ口を閉じる。
「世間知らずに教えておいてやるよ。仕事ってのはな、どんだけクソでも人の手でやるから生きていける層がいるんだ」
「それを機械にでも取られてみな。俺たちは次はどこにいったらいい。学もねぇ、魔法も大して使えねぇ。礼儀は知らねぇ。生きる希望も気力もねぇ。こんな風呂にも入ってない汚ぇ奴らを誰が拾うってんだ」
「大人でも今から正当な教育を……」
「それ、いつまでかかる話だ」
ワントーン声を落とした大柄な男性が、呆れたような声を発する。
「俺たちがまともになんのに、いつまでかかんだ? 一年か? 十年か? それとも一週間か?」
「それは……」
「覚えときな。嬢ちゃん。俺たちは……今日を生きる金もねぇんだよ。王子殿下の婚約者候補に失礼を働いたと、処刑された方がマシなくらいな」
その日は、返す言葉がなかった。
それでも私は、労働組合に通い続けた。
本来の日程を超えても、毎日、毎日。
からかわれ、追い返され、目に止められなくても。それでも、足を運び続ける。




