2・三度目のやり直し
今私の目の前では、一組のカップルが破談を迎えていた。
「ルドガー様! 急に恋人関係の解消だなんて……受け入れられません!」
「俺の心は変わらない。もう君を愛せない」
「どうしてですか!」
「俺は……ミアーナを愛してしまったんだ」
女性は声を上げて泣き崩れる。
そんな様子を、無表情で私は見つめていた。
もちろん私は、ルドガーなどという男を愛していない。
男は私に歩み寄る。
「ミアーナ。これで俺たちは正式に恋人になれるよ」
「……お断りします」
「……え?」
私はパチン、と指を鳴らして男にかけていた魔法を解いた。
男は呆然と立ち尽くし、私はその場から去る。
私がこうして壊したカップルは、山のようにある。
廊下を歩けば、すれ違う人達は私を避けるように歩き、これみよがしにヒソヒソと耳打ちをしていた。
「嫌だわ……またミアーナが人の男を奪っている」
「どうして男も、毎回ミアーナに騙されるのかしら?」
「そんなに可愛くないのにね。それに……闇属性の魔女だなんて、不気味だわ」
「一つ年下の妹さんはあんなに可愛くて素敵なのに……姉があれじゃあ、可哀想だわ」
「でも……」
私がチラリと視線を送れば、噂話をしていた人たちは逃げるように走り去っていく。
孤独による寂しさは感じていない。付き纏う噂話にも興味がない。
ただ、私はああやって人の恋路を壊せれば、それでいいのだ。
目覚めた時、私は前の記憶を持ったまま赤子として生まれ直していた。
生まれた瞬間、会ったこともない神様の声が頭の中に流れ込んでくる。
『ミアーナ。君は光の魔女でありながら自分の心を否定し、捨てようとしたね。結果的に、君の魂は魔物と同じ闇に堕ちてしまった。
君の放った魔法に呑まれ、世界の三分の一が消失してしまったよ』
声も出せない赤子の私に、神様は語り続ける。
『……ごめんね。辛く、苦しく、理不尽な世界だね。でもこれが世界なんだよと言っても、今の君には酷い言葉にしかならないだろうね』
神様は申し訳なさげに声のトーンを落としたあと、直ぐに明るい声に戻った。
『でも僕は神様だ。清楚誠実に生きた君をこのままにはしない。
やり直しのチャンスをあげるよ。僕は君が愛を受け入れ、心を取り戻し、光の魔女に戻ってほしいと思っている。期限は十七歳の誕生日まで。
もし取り戻せなかったら、世界はまた闇に呑まれてしまう。神様として、それは回避したいんだ。君にとっては苦しいやり直しかもしれない。でも、いつかきっと希望と愛で君の心が満たされることを願っているよ』
そう言い残したっきり、神様の声は聞いていない。ただ、言われたことは何年経ってもハッキリと覚えていた。
……ただ、私は神様の期待に応えるために頑張ろうとはしなかった。
「もう私は……誰の期待にも応えない」
二度目のやり直しの人生では、私は十七歳まで愛を憎んで過ごした。誰とも心通わせようとはしなかった。
その結果、十七歳になった途端意識が暗転し、また赤子に戻っていたのだ。
神様が何度チャンスをくれようとしているのかは分からない。もしかしたら、永遠に続くのかもしれない。そう思えば……これはある意味、神様からの罰のようにも思えた。
三度目の人生では、愛を壊して過ごしている。
二度目の人生で、周囲の者は愛だの恋だのに沸いていた。それが、どうにも気持ち悪くて仕方がなかった。
あくまで人生をやり直しているが、一つだけ初めの人生と違うことがある。
それは、私が最初から闇属性だということ。
両親は私を恐れ、距離を置いて接した。
母が予定通り亡くなり、継母と共にナタリーがやってきた。
私へ向けられなかった愛情も含めて、やはり父はナタリーを溺愛した。
そんなこと、どうでもよかった。
私は中庭のベンチに座り、ふうっと空を見上げる。
「やっぱり、闇属性の魔法は疲れる……」
私が男に使っているのは、闇属性の魔法の一つ……ハエリアム(魅了)。
自分の意思に関係なく相手を魅了し、こちらの意のままに操ることが出来る。
ただ、この魔法には大きな問題があった。
二階の廊下を歩く一組のカップルが目に入る。二人の仲睦まじい姿を見て、私は首を横に振った。
「あのカップルはダメね……。魂のシンクロが強すぎる」
そう。私の闇魔法は、深い愛情を向けあっている者には効かないのだ。いや、本来は効く。
しかし、私はまだ闇魔法への練度が低く、人の心を操るには限界がある。
たとえば、政略結婚をさせられた者同士を引き離すことは出来るが、母親と子供を引き離すことはできない。
付き合いたての純粋無垢なカップルも同様だ。どちらの心にも隙がない。
私が壊せるのは、偽りの愛を作り上げているカップル。腹の探り合いをしているカップル。片方が邪心を抱いているカップル。
若干の不満は残るが、やらないよりは気が紛れた。
「まあ、愛が偽物だと証明出来ているのならそれでいいわ」
私は視線を足元に戻す。
愛情深いカップルを見ると、胸が苦しくなり無意識に苛立ってしまう。
「どうせこの世界ももうすぐ終わり。次はもっと闇魔法の練度を幼いうちから上げておきましょう」
次こそは、魂のシンクロに関係なく、カップルを破綻させよう。この二回のやり直しで、やっと闇魔法の扱いにも慣れてきた。
「はあ……また、あの両親に育てられるのね」
もうすぐまた赤子からやり直すのかと思えば、憂鬱だ。
手足が満足に動かないのは、不便極まりない。それに、赤子のうちは蝶よ花よと可愛がっておきながら、闇属性だと分かった途端に手の平を返す両親の顔は、二度見ても見慣れない。
「ま、闇属性だと隠しておいても動きづらいだけだからいいか」
次に歩むやり直しの人生の計画を頭の中で立てていると、木陰で楽しげに話す女子生徒の声が聞こえてきた。
「ねぇ、私今度……エリオット様に告白しようと思うの!」
「きゃあ! 思い切りましたわね!」
「だって、エリオット様はまだ婚約者を決めてらっしゃらないでしょう? チャンスは今しかないもの!」
エリオット・レゴリアム。
ヒュンサレム帝国の第一王子であり、学校の生徒会長を務めている。
歳はひとつ上。容姿端麗、文武両道。非の打ち所のない、将来を約束された男だ。
「でも、エリオット様とどうやって会うつもりなの?」
「次の収穫祭は参加されるとの噂なの! エリオット様は下級生も分け隔てなく話してくださるから、きっとお話し出来るわ!」
ふうん、っと私は彼女たちを横目に考える。
エリオット様と会うのは困難だ。
お忙しい方で、同学年の先輩たちですらなかなか教室にいるのを見ないらしい。
彼の婚約者は、さぞかし幸せな人生を送るのだろう。愛の喜びに涙を流すのだろう。
「今でさえ中々お目にかかれないのに、婚約者が出来てからエリオット様と接点を持つのは難しい……」
それに、王子だ。きっと、心深く相手を愛するのだろう。そうなってしまえば、私の闇魔法が効かない。
「……先に仕掛けてみるのもありかもしれない」
彼が誰にも求婚せず、私に盲目していると知ったら、学校中の恋する女は泣くだろうか。
私がハエリアム(魅了)を解いた時、真摯な王子はどんな顔をするだろうか。
ふっと、口角をあげる。
「愛も恋も、偽物だって証明してあげる」
かくして、私はエリオット様との接点を図ることにした。