17・もう一人の婚約者候補の正体
登校当日、私は警護付きの馬車に乗って学校の門をくぐった。
閉じた小窓越しでも、学校中がざわめいているのが分かる。
「……ねぇ、ダン。毎回馬車に乗らなければならないの?」
「安全のためです。金曜日の夕方にお迎えに参ります。門の前にも常時二人は配置しますので、校舎内の安全は確保されています。不要不急の外出はお控えください」
通学が開始するに伴い、王妃教育は土日だけとなった。平日は校舎と宿舎で過ごし、休日はリリアッド王城に帰る。
「エリオット様は、帰省の時も馬車なんて使われていなかったわ」
「王子殿下は国内有数の箒遣いです。その姿を空中で捕えられる者は少なく、仮にいたとしても、原初の光属性から成る防護結界を貫いて攻撃するなどほぼ不可能。馬車でのんびり揺られるより、空を飛んでいただいた方がずっと安全なのです」
これも慣れの一つか、と自分に落とし込んで馬車を降りる。
「きゃあ! ミアーナ様がご登校なされましたわ!」
「おかえりなさいませ! お待ちしておりました!」
馬車を取り囲んで歓声を上げる者は、比較的三年生と二年生が多いように見えた。
元々魅了魔法の支配下にあった彼女らは、以前よりは少し距離が離れたとはいえ、私に対して好意的なままの者が多い。
遠くで興味深そうに眺める生徒らは、男子生徒や新入生が多かった。
特に新入生は、上級生が私に向ける異様な熱気に戸惑っている者がほとんどだ。
人の群れをかき分けて進みながら、宿舎を目指す。
「おかえりなさいませ! ミアーナ様!」
私が宿舎に辿り着く寸前、ララが宿舎から飛び出してきた。
ようやく友人の顔をみつけ、ホッと胸を撫で下ろす。
「寂しかったですわ!」
ララは私に抱きつき、思いっきり息を吸い込む。
「やはり、ミアーナ様の匂いを吸い込んでこそ、一日が始まりますわね!」
「ふふ。変わらない貴女を見ると、本当に安心する」
王子の婚約者候補である私に遠慮なく飛びつくなんて、ララくらいしかいないだろう。
彼女まで私に気を遣い出したら……と心配していたが、そんなこともなかった。
「今日の授業は昼からなので、先に宿舎入っちゃいましょ!」
「他のみんなは?」
「私たち三年生は、新入生の案内や指導に出ていますわ。二年生は午後からクラス振り分けのテストがあるので、そのうちテスト前の勉強で静かになると思います」
ララは私の荷物をテキパキと運びながら、ざっと説明をしてくれた。
彼女の言うとおり、振り返れば、あれだけ群がっていた生徒たちはそれぞれが向かうべき場所に歩き始めている。
「そういえば、三年生からは部屋替えよね。私たしか、ララとの二人部屋を希望したと思うんだけど……」
「ばっちり、二人部屋勝ち取ってきましたよ!」
嬉しい。ずっと一人部屋を希望していたけれど、ララと過ごせる今日からが楽しみだ。
新しい部屋に着けば、ララが先に入る。
「ベッド、上と下どっちがいいですか?」
ララはいつも通りの調子だ。
しかし、一瞬ララの顔が引きつったのを私は見逃さなかった。
それに、彼女はテーブルの上に制服の上着を置いた。
普段なら何とも思わないが……そもそも、ララは服を無造作に置く子じゃない。
「……ララが好きな方を選んでいいわ」
「じゃあ、私が下で!」
登校した瞬間の光景を振り返る。
私の姿が見えれば女子生徒が沸き立つのはいつものことだ。
ただ……今回に限ってはそのいつも通りが違和感だ。
それは、今一緒にいるララからも感じている。
「ねぇ、ララ」
「はい!」
「……どうしてみんな、婚約者候補のことについて聞いてこないの?」
ララの動きが止まる。
「貴女たちの今までを思えば、触れづらいのは分かる。けれど……流石に不自然よ」
「そう、ですかね……考えすぎじゃないですか?」
「いいえ。きっと今までの貴女たちなら、みんな口を揃えて心配の声を先に出したと思うわ」
当たり障りなく、私が登校したことを喜ぶ。別角度からみれば、それ以上踏み込まないようにしているように見えた。
「私のただの自惚れかしら?」
ララの前に立って顔を合わせれば、ララは申し訳なさそうに目を伏せた。
「……ごめんなさい」
「怒ってるわけじゃないの。まるでみんなが仮面を被ってしまっているようにみえて、寂しいのよ」
黙ってしまったララに、優しく声をかける。
「お願い、ララ。気を遣わないで頂戴。……テーブルの上着、下に何を隠したの?」
ララは迷いに迷った後、そっとテーブルから上着を取る。
上着の下にあったのは、魔法新聞だった。
「あの、あの……しまうのを忘れてて……で、でも、決して野次馬精神でみていたわけじゃなくて!」
「わかってるわ。大丈夫、大丈夫よ」
私に悪いことをしたと、ララは涙ぐむ。
ララの背中を撫でながら、私は魔法新聞に目を落とした。
『エリオット王子殿下の婚約者候補は二人と王室が正式発表! ミアーナ令嬢は、婚約者から婚約者候補に降格か!?』
『異例の国民投票開催!』
『侯爵令嬢と子爵令嬢の対決。エリオット王子殿下は未だ沈黙を保ったまま!』
『世論調査では、国民支持の九割はソフィア侯爵令嬢にあり。決着はすでに付いているようなもの?』
実を言えば、私がこうして魔法新聞に目を通すのは初めてだ。
そもそも王城で暮らしていたため情報が遮断されていたということもあるが、私自身見ないようにしていた。
「ソフィア様というお名前なのね」
「え! 知らなかったんですか!」
「ええ。名前を調べる余裕もないくらい忙しかったから」
「余計に申し訳なさで……お腹が痛くなってきました」
ララは肩を落としてお腹をさする。
「いいのよ。知りたかったから」
魔法新聞に書かれてあることは、深く気にしなくてもいい。
ただ、そろそろ相手の情報は知る必要があるだろう。元老院議長、クラーク侯爵のことは勉強したが、彼女自身の姿は知らない。
ララが持っている魔法新聞の記事では、ソフィア様について深く書かれていなかった。
「ララ。ソフィア様について知っていることがあれば教えてくれる?」
「私も多くは……」
「知っている限りでいいわ」
ララはまた悩む。
しばらくして、何かを決意したのか、ララの目にはいつも通りの光が戻ってくる。
そして、パチンっと自分に気合いを入れるように頬を叩く。
「しっかりしなさい、ララ・ハーマン! 私がウジウジと悩んでてどうするというの! 私は圧倒的ミアーナ様支持者! 全力で、ミアーナ様のお力になれる情報をお伝えするべき! そのために新聞をたくさん集めたんでしょう!」
高らかに宣誓し、私に体を向ける。
ようやくいつも通りのララが戻ってきて、私も笑みがこぼれた。
「ソフィア・サリヴァン侯爵令嬢。ご存知の通り、元老院議長、クラーク・サリヴァン侯爵様のお孫さんです」
「王立魔法学校で見たことがないということは……エリオット様より年上の方?」
「いいえ、エリオット様と同い年の方です。魔法学校には通わず、異国の学校に通われています」
それは珍しい。
なにせ、ヒュンサレム帝国は世界でも有名な魔法学に長けた国だ。この国へ留学を希望する人も多い。
「この国の教育は合わない、という教育方針なのかしら?」
クラーク侯爵はアイゼン様の支持者でもある。身内にそういう教育方針を与えるとは考えづらいが……。
私の独り言に、ララは首を振る。
「いいえ、ミアーナ様。ソフィア様が通われている異国は、修道学に最も長けた国なのです」
「……修道学?」
「ええ。ソフィア様は、この国では非常に珍しい、聖女のお力をお持ちの方なのです!」
元老院議長の孫娘で、侯爵令嬢で……そして聖女。
クラっと、一瞬気が遠くなった。




