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16・王妃教育

 次の日の早朝から始まった王妃教育は、学校とは比にならないくらいの過密スケジュールで行われた。


 午前中は歴史、語学、魔法学などの座学が行われる。どれも、学校で習うより広く深い内容だ。

 午後からは実技。といっても、ダンスレッスンやテーブルマナーを教わるわけではない。

 人と会話する時の口調、声のトーン、間の開け方。歩く時の姿勢、視線、笑顔の見せ方。王妃としての威厳を保ちつつ、人に不快感や威圧感を与えないようにと指導される。


 何より厳しかったのは、私の意識教育だった。


 王妃教育は、自分が今まさに王妃だという認識を持って受けなさい。決して、"まだ王妃でもないのに"という意識で受けてはならない。それでは、何一つ身につかない。

 そう強く、教育初日に念を押された。


 実際、実技では自分のことを「王妃」と名乗らされることは少なくない。厳しい指導の連続に、たとえ教育だとしても恐れ多い、なんて考える余裕すらなかった。


「ミアーナさん。相手が話している時は、そう何度も頷いて相槌を打つのではなく、ゆっくりと瞬きだと教えたはずです」

「はい。気をつけます」

「それと、集中するとすぐに笑顔がなくなる癖を直してください」

「はい」


 新しく覚えることも多いが、作法に関しては染み付いた癖から直さなければならない。

 頭の中が覚えたことと気をつけなければならないことでいっぱいになればなるほど、表情が険しくなり必死さが滲み出てしまう。


「挨拶はもっとゆっくり! 笑うのではなく、微笑むのです!」

「はい!」

「返事ばかりがいいだけじゃなんの足しにもなりませんよ! もっと王妃としての自覚をお持ちください!」


 問題の具体性よりも、自覚の方を指摘される。

 何度も体に叩き込んで覚えるしかなさそうだ。


 日中の王妃教育が終わったあとも、私は夜遅くまで復習を欠かなさい。

 鏡に映る自分を話し相手だと想定し、繰り返し練習する。座学もノートを見返し、分からないことは王室図書館で借りた本をめくり、調べる。


 朝は六時に起き、夜は二時に寝る。

 そんな生活が二週間ほど続いた日の夜だった。


 コンコンっと、自室の扉が叩かれる。


「はい」

「夜分遅くに失礼します」


 入ってきたのは、執事のダンだった。彼はよく、深夜に紅茶を運んできてくれる。


「こんばんは、ダンさん」

「ダン、とお呼びくださいと申したはずです」


 ああ、そうだった。

 彼は呼び捨てを希望する上に、敬語を使うことも細かく注意する。


「今は良くとも、将来的にはエリオット様の正妃を目指されているのでしょう? 王族が自分の従者に敬語を使うことはありません。今のうちに、私で慣れてください」

「……ごめんなさい」


 ついさっきまで、一人で練習していたときはできてきたはずだ。まだ身につかないのかと、嫌でも落ち込んでしまう。


「簡単に謝罪の言葉を述べてはならない、とも教わっているはずです。腰の低さは、時として王妃の威厳を損ないます。外交では、ヒュンサレム帝国が下手(したて)に出たと思われ、舐められかねません」

「はい……」


 エリオット様が私に「謝罪ではなく感謝を」と言い続けたのか、王妃教育を通して痛感する。

 王族の言葉は、一つ一つが国を代表する言葉になるのだ。

 特に外交では、「そんなつもりじゃなかった」は通用しない。立ち回り一つで、国の評価に直結する。


 頭では分かっていても、咄嗟の癖がまだ抜けない。それどころか、いつもできていたはずのことさえ、ままならなくなっているみたいだ。


 自惚れかもしれないが、自分は器用な方だと思っていた。しかし、頑張ろうとすればするほどから回っている気がしてならない。


 私は深呼吸をして気を取り直し、ダンに顔を向ける。


「いつも美味しい紅茶をありがとう、ダン」

「どういたしまして」


 ダンは紅茶を机に起きながら、微笑みを返してくれた。


「そう落ち込まなくて大丈夫です。私は懐かしいですから」

「懐かしい……?」

「ええ。ローズ様もミアーナ様と同じ年頃の時、同じように苦労されていましたから」


 私がぽかんとした表情で瞬きをしていれば、ダンはおや? と言いたげな顔をした。


「ローズ様のことはまだお聞きになられていないんですか?」

「ええ。特に……」

「実は、ローズ様は異国の伯爵家のお生まれなんですよ」

「え!」


 初耳だ。確かに黒髪はこの国では珍しいとは思っていたが、あまり深く気にしたことはなかった。


「国王陛下が七歳の頃、お父上……前国王陛下の外遊についていかれました。その時のパーティで国王陛下が一目惚れされ、求婚されたそうです」


 あの厳格なアイゼン様の幼少期など想像が付かないが、きっと微笑ましい光景だったに違いない。


「前国王陛下も、子供の冗談だと思われたそうですが、何年経っても国王陛下の意思は変わりませんでした。あまり表向きにはされていませんが、王室の歴史で初めて王子が自分で婚約者を選んだのです」

「でも……異国に住まわれるローズ様とどうやってやりとりを?」

「お二人が再会したのは、十五歳の時。国王陛下はヒュンサレム帝国の王立魔法学校には通われず、ローズ様の国へ留学されたのです」


 ダンは記憶を懐かしむように斜め上を見上げながら、当時を語る。


 前国王陛下が冗談だと思ったのと同じく、ローズ様も冗談だと思っていたらしい。

 それが本当にアイゼン様が「迎えに来た」と言って自国に来たものだから、その国は大騒ぎになったそうだ。


 他国の王子の婚約者になるというあまりの重責に、ローズ様は一度は断りをいれたらしい。


「しかし国王陛下は、自分が必ず守る。そう言って、本当にローズ様をヒュンサレム帝国に連れてきてしまったのです」


 エリオット様の強引さはアイゼン様譲りだったのか。

 私は学校でのエリオット様とのやりとりを思い出し、クスリと笑う。


「ヒュンサレム帝国は当時、まだ戦後十年も経っていません。今までなかった事態に、国民にも動揺が走りました。国家機密が他国に漏れる。帝国の弱みになり、他国からの侵略を許したらどうするのだ……と、批判の声も多くありました」


 ローズ様の存在は決して国の弱みにはならないと、今日までの歴史が証明している。

 なんとなく、アイゼン様の平和思考の根幹が見えた気がした。


「約束通り、国王陛下はローズ様をお守りし続けました。国王陛下の想いに応えようと、ローズ様は言葉も分からないこの国で、倒れるまで王妃としての勉強をなさったんですよ」


 謁見の際のローズ様の様子を思い出す。

 何を言われたのかは記憶が曖昧だが、心の底から私を労わってくれていた。

 もしかしたら、昔の自分と私を重ねてくれたのかもしれない。


 知れば知るほど、アイゼン様とローズ様がどれだけ慈愛に満ちた人物なのか分かる。


「そんな過去を持つお二人だからこそ、我が子であるエリオット様にも自由意志をお与えになったのです」

「そうだったのね……」

「ですが、今回はこのような事態になってしまいました。国王陛下もローズ様も、エリオット様との僅かなすれ違いから生じた事故に心を痛めておられます。決して、ミアーナ様を苦しめようと思っているわけではないことを、ご理解ください」

「分かっているわ」


 笑みを返して頷く。


「ミアーナ様のお背中は、ローズ様によく似ています。私から何かアドバイスが送れるとしたら……そうですね。ローズ様は何を思って国王陛下のおそばにいられるのか。それを考えてみてはいかがでしょうか?」


 そう言ってダンは頭を下げ、部屋を出ていった。


「何を思って……そばにいるのか」


 私はベッドに潜ってからも、そのことばかりを考えた。まだ一度しか会っていないアイゼン様とローズ様。

 二人の全てを知ったわけではないが、確かなのは……二人は常に支え合っているように見えた。


「私……一人で頑張っている気になっていたわ。紙と鏡に向かい合っていても、自分自身しか見えないのに……」


 ダンから聞いた話は、私に大きな変化をもたらした。

 意識教育が、何のためにあるのか。理解していた気になっていただけだと気づき、考え方を改めた。


 どの講義を受ける時も、私は自分とエリオット様の姿を思い浮かべる。

 将来国王となるエリオット様の隣に立ち、国民と向かい合う。賞賛も批判も、全てを一身に受け止める。時には支え、時には励まし。そうして、エリオット様が望む夢へと続く道を私も共に歩む。


 王妃教育とは、仮の名前。私にとっては、エリオット様と共に夢を叶えるための教育だ。


 常に、常に想像する。


 他者と会話をするときは、エリオット様が先に話す。そして、私にきっと目線を送るだろう。それから私は口を開く。

 相手を思いやり、慈愛のある心で接する。


「……お初にお目にかかります。ヒュンサレム帝国王妃、ミアーナと申します」


 私の挨拶練習を見た講師は、歓喜の声を上げ、拍手する。


「素晴らしい間の取り方です! 素晴らしい微笑みです! 先日までとは別人のようです!」


 怒られ続けていた日々が一変し、褒められることの方が多くなった。

 そうなれば、講義を楽しんで受ける余裕が生まれた。


「次の授業は魔法学ですね。といっても、ミアーナ様は充分魔法がお上手ですが。どうします? 語学に変更しますか?」

「いいえ。私の光魔法はエリオット様にはまだ及びません。彼と並んで相応しい魔女になりたいんです」

「素晴らしいお心がけです。では、今日から上級魔法学に入りましょう」


 一日、また一日とあっという間に毎日が過ぎ去っていく。


 エリオット様とは、相変わらず会えていない。それでも、二人で頑張っているのだと思えば寂しくはなかった。


 彼もきっと、公務の中で私を思い描いてくれている。


 その信頼は間違いではなかったと、エリオット様から届いた手紙を見て確信した。


『聞いてくれ、ミアーナ。俺は今、南の国にいるんだが、君の口に合いそうなフルーツを見つけたんだ。君が喜びそうな場所を探したよ。俺は暑い場所が苦手なんだが……ぜひ君を連れて来たい』


 口を抑えてクスクスと笑う。


「エリオット様。私も暑い場所が苦手なんです。二人で暑い暑いと言いながら旅行できる日が楽しみですね」


 互いが互いを信じて、思い描き、日々を送る。それがまた、私の新たな幸せの一つとなった。


 まもなく春休みが終わり、私は王立魔法学校三年生となる。当然だが、学校には通う。

 つまり……ずっと王城で過ごしていた私が、ついに公の場にでるということだ。

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