14・二人目の
リリアッド王城。
世界的にも有数の規模を誇る王宮である。厳格で耽美な外装に加え、千はあると言われている部屋は、世界中から芸術家から集まったデザインを組み上げ、どれもが歴史的価値の高い装飾だと言われている。
休日は庭園や大広場、礼拝堂、王室図書館の一部が一般開放されており、国民からの親しみも強い王宮だ。
私が乗った馬車は外壁の内側へと続く大橋を渡り、城の内部へと向かっていく。
案内に従って降りれば、何百人という衛兵が壁際で身動きひとつせず立っていた。
「これが……リリアッド王城……」
一般開放されているとはいえ、私は見るのも来るのも初めてだ。特に、今私がいる内部には伯爵貴族以外立ち入ることのない場所だろう。
高い天井、いくつも飾られたシャンデリア。アーチ型の窓からは太陽の光が綺麗に降り注いでいる。
「国王陛下ならび王妃殿下の元へお連れ致します。大変失礼ではありますが、視線は斜め下に落とし、合図があるまではあげないよう、ご注意ください!」
私は素直に絨毯へ視線を落とし、前を歩く二人の衛兵の足取りだけを頼りに歩き進める。
何度か角を曲がり、階段を昇ったあたりで、もう自分がどの道をどう辿ってきたのか分からなくなってしまった。
二十分ほど歩いただろうか。目の前の衛兵が足を止める。
「顔をお上げください!」
視線を上げれば、目の前には重厚な扉があった。刻まれている細かな紋様とアーチ型の形状に思わず見とれる。
「来賓の間でございます。これより先は我々も立ち入ることができませんので、一人でお進みください!」
「中には上級衛兵が控えております。決して、不要な立ち振る舞いはなさらぬようご注意ください!」
そう言い残し、衛兵は壁際に戻って動かなくなってしまった。
一方の私は、緊張のしすぎで息すら上手くできない。
僅かな失礼でもあったらどうしよう。こんなこたなら、もっとマナーを極めていればよかった。
何度も深呼吸をしようと焦る私に、後ろを着いてきていた燕尾服の男性がそっと耳打ちをする。
「カロリーヌ嬢殿。陛下と王妃殿下は大変お優しい方です。そう緊張せずとも大丈夫です」
「わ、私は国王陛下らに謁見できるほどのマナーを持っておりません」
「両手は胸の下、右手を上に重ねて。扉の中へ入ったら、三歩進み顔を下げ、膝を軽く折ってください。国王陛下からのお言葉があるまでは、そのままで」
男性の言葉を何度も頭の中で繰り返し、イメージを確立させていく。
「そ、そうしたら次はどうしたら……」
「あとは、貴女様のお心のままに。貴女様が真に敬意ある心を持っていれば、失礼などするわけがありませんから」
男性は衛兵に向かって片手を上げる。
その瞬間、衛兵が持っていた槍が二度床を鳴らし、「開扉」の声が響いた。
ゆっくりと来賓の間に続く扉が開かれる。
うじうじといつまでも入らない方が、お待たせしてしまい失礼になると、私は腹を括って足を前に進めた。
扉をくぐり、言われた通り三歩先で頭を下げ、膝を折る。それを確認したかのように、後方の扉は音を立てて閉まった。
時間にして数秒か、それとも数分間そうしていたのかは分からない。
「よい。顔を上げよ」
エリオット様によく似た、でも一段低い声が耳に届いた。顔を上げ、姿勢を正す。
ようやく視界全体に捉えた来賓の間は、豪勢というより、落ち着いた雰囲気のある場所だった。
白を基調とした壁は、金色の塗装でワークアートが施されている。暖炉の上には国王陛下の肖像画が飾られ、部屋の端には大きなグランドピアノが置かれている。
いくつものインテリアが飾られた部屋の中心に、国王陛下と王妃殿下が並んで立っておられた。
「お初お目にかかります。ミアーナ・カロリーヌと申します。この度はリリアッド王城にお招きいただき、ありがとうございます」
「よい。急に呼んだのはこちらの方だ。改めて名乗ろう。ヒュンサレム帝国国王、アイゼン・レゴリアムだ」
様々な場所で肖像画を目にすることはあったが、改めて対面すると威厳と風格に圧倒される。
国王陛下は視線を隣の女性に移す。
「ヒュンサレム帝国王妃、ローズです」
王妃殿下が軽く会釈されたのに合わせて、私も慌てて再び会釈をした。
ローズ様は、女性らしさの美貌の全てを兼ね備えたような人だった。エリオット様の黒髪と目は、母親譲りだ。よく似ている。
互いの挨拶が済んだ段階で、話の主導を国王陛下が持つ。
「エリオットも昼には帰ってくる予定だったが、どうにも先方との会談が長引いているようだな。夕方には城に戻ってくるだろう」
「ごめんなさいね、ミアーナさん。一人でこんな所に呼び出されて、不安でしょう?」
「いいえ! 公務に励まれるエリオット様のことは、心より尊敬しておりますので」
アイゼン様とローズ様は顔を見合わせ、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
なぜそんな顔を? と思っていれば、ローズ様が私を真っ直ぐに見る。
「今日貴女をお呼びしたのは……いくつかお伝えしたいことがあったからです」
ローズ様も言葉を選んでいるように見える。その様子が、余計に緊張を高めた。
「エリオットから聞きました。ミアーナさんは、子爵家のお生まれですね?」
「はい」
「貴族マナーを批判しているわけではありません。ですが、王族になる身が持つべきマナーと、社交界で必要なマナー。これら二つは全く異なるものだとご理解ください」
「はい。重々承知しております」
「特に、過去の例を見てもエリオットとの身分差があることは明らか。国民からは今まで以上に厳しい目で見られるでしょう。すでに、王室にはそのような民の声が届いています」
当たり前だ。私はまだ、国から正式に認められたエリオット様の配偶者ではない。たとえ仮身分だとしても、私の一挙一動の全てがエリオット様の評価に直結する。
すでに巷では、私がエリオット様の婚約者として本当に相応しいのかと、ゴシップ紙が出回っている。
「王妃とは、常に国民に透明感を与え、心の底から憧れとなるような存在になる必要があります。ミアーナさんがエリオットの正妻を目指すのならば……王妃教育を受けて貰う必要があります。厳しく、時として理不尽に感じるでしょう。それでも、受ける気はありますか?」
迷うことはなかった。
「はい。真摯に向かい合い、心身ともに努力させていただきたく思っております」
今更理不尽を理由に逃げることはない。今更、悪意に怯え心を閉ざすことはない。
私の返事を聞いたローズ様は一瞬表情を和らげる。
「もちろん、魔法学校は卒業していただきます。どちらも両立してくださいね」
「かしこまりました」
ローズ様は再び真剣な表情に戻る。その顔は、先程よりも強ばって見えた。
「もう一つ。ミアーナさんにはお伝えしなければならないことがあります」
「はい。お聞きします」
「王子とは本来、幼い頃から婚約者が決まっているのが慣例。ですが、私たち夫婦はエリオットの自由意志を尊重し、あえて婚約者候補を選んできませんでした」
ローズ様はそこで言葉に詰まる。それを助けるように、アイゼン様が続きを話す。
「エリオットには本来、三年生の夏までに婚約者を決めるよう言いつけていた。それを超えれば、もうこれ以上、元老院や公爵位貴族の意見を無視することはできない、と」
夏、といえば私たちが出会うより少し前だ。
初耳ではあったが、それだけでは意図が分からず首を傾げる。
「エリオットが君の名前を出したのは、年明けだ。……あいつは少し遅かったのだ」
「遅い……とは?」
「勘違いして欲しくないのは、今から言うことはエリオットも知らない話だ。決して、君を騙そうとしたわけではない」
ごくり、と息を飲み込む。
次に紡がれた言葉に、私は目を見開いた。
「エリオットには、もう一人、婚約者候補がいる。それに伴い、君の立場は婚約者ではなく、婚約者候補とすると、つい先程決定した」




