13・嘘偽りのない心で
「こんなに可愛くて弱々しい私を叩くなんて有り得ないわ!」
「私のことは何を言ってもいい。けれど、私の友人を侮辱することは許さない」
「子爵令嬢の私が平民に謝るなんて、無様なことをするわけがありませんわ! ふざけないでくださいまし!」
私とナタリーのひりついた空気に、周囲の者たちはオロオロと見守るしかなかった。
「私は平民であろうと貴族であろうと、人の尊厳を侮辱し、善行だと勘違いしている人間を決して許さない」
「お父様に……!」
激高し、私に指をさしかけたナタリーは、何かを思いついたようにニンマリと笑顔を作った。
「いいえ。お父様に言いつけるよりずっといい方法がございますわ」
「……いい方法?」
ナタリーはわざとらしい猫なで声で、両頬に手を当てる。
「エリオット様に言いつけますわ。未来の王妃候補に手を出したと知れば、きっと……お姉様を処刑してくださるでしょう!」
「……どういうこと?」
「だって私は……エリオット様の婚約者ですから!」
ナタリーは一体何を言っているのだろうか。
エリオット様がナタリーを選んだ?
一抹の不安がよぎる。
「私、エリオット様にお聞きしましたの。婚約者はお決めになられましたかと。
そしたら……私に決めたと仰ってくださいましたのよ!」
嘘だ。信じたくない。
動揺で鼓動が速くなり、目が泳ぐ。
「やっぱり、不細工なお姉様より私がお傍にいたほうが嬉しいんですわ!」
周囲に静寂が訪れる。誰しもが、絶句して口を手で押えていた。
何か言い返そうとした私の口は、言いかけたきり言葉に詰まって何も出てこない。
頭の中に浮かぶのは、私がエリオット様に相応しくない理由ばかり。
ああ、やっぱり……この世界に愛なんてなければよかったのに。
「ミアーナ様……」
ララが困惑した声で私を呼ぶ。それと共に、周囲が一瞬ザワついた。
ざわめきの方に視線をやる。
開きっぱなしだった大広間の入口に立っていたのは、エリオット様だった。
無表情なのか、怒っているのか、それとも真剣そのものなのか。どれにでも取れる硬い表情で、エリオット様は真っ直ぐに私たちの元へと歩き始めた。
コツコツと、彼の足音が大広間に響き渡る。
「お迎えに来てくださったんですね! エリオット様!」
ナタリーの歓喜の声は、まるで水中で聞いているかのような遠さを感じた。
エリオット様とナタリーが……すれ違う。
「え? ど、どうしましたの? エリオット様……」
戸惑うナタリーに振り向きもせず、エリオット様は私の前に立った。
彼を見上げる前に……強く抱きしめられる。
「ミアーナ」
低く、優しく、暖かな声。
たった一週間聞いていないだけなのに、酷い懐かしさすら覚える。
この声を、この温もりを求めて私は帰ってきた。
「……はい」
「帰ってきてくれて、ありがとう」
ありがとう。その一言で、安堵感に包まれる。
「君にどうしても伝えたいことがある。でも、邪魔がいる場では相応しくない」
エリオット様は私から体を離し、いたずらっ子のように笑った。
彼に任せようと、私は頷きだけを返す。
エリオット様は私の頭を少し撫で、ナタリーの方を見た。
「え、エリオット様……! 私という婚約者がありながら、他の女性に触れるなんて有り得ませんわ!」
「俺は、婚約者を決めたとは言ったが君だと言った覚えは一つもない」
バッサリと伝えられた言葉に、ナタリーは一歩後ろにふらつく。
「その女だと……その女の方が相応しいと言いたいのですか!!」
「……俺には、夢がある。必ず叶えるべき、俺がこの世に生まれた使命だと思っている」
エリオット様はそう切り出し、力強い声を上げた。
「俺の将来の正妃に必要なのは、美貌でも傲慢でもない。
誰かと痛みを分かち合える人。誰かの悩みに真剣に向き合える人。感謝の心を忘れない人。自分のためでなく、誰かのために怒れる人。自分を慕ってくれる者に優しくできる人。愛情の重みと大切さを分かっている人。
そして……
世界は理不尽で不平等だと理解しながら、納得ができないと民のために泣ける人だ」
エリオット様は一拍呼吸を置き、ナタリーに向かって小さく首を振った。
「周囲を貶して自分を優位にみせ、気に食わない者には手をあげ、身分という理由だけで自分の過ちを認めず、全てを自己中心にしか考えていない君を、俺が選ぶことは決してない。君の行いは全て見ていた。よくよく、神に懺悔した方がいい」
ナタリーは顔を歪め、悔しそうに唇を噛み、大広間を逃げるように立ち去った。
彼女の姿が消えたことを確認したエリオット様は、ふうっと息を吐き出し私の方に視線を戻す。
「……人にあんなに強い言葉を使ったのは初めてだ」
「後悔されていますか?」
「いいや。微塵も」
互いに微笑み合う。そして、エリオット様は私の前にゆっくりと片膝をつく。
「……俺は、君に言われて初めて自分の弱さを知った。君を失うと知って、初めて自分の悠長さを悔やんだ。君との思い出は、俺にとっては宝だ」
私も同じだ。
自分の弱さを知り、失ってから行動の遅さを知り、積み重ねた思い出は隠しようのない宝となった。
「ミアーナ・カロリーヌ。俺は、君を愛してしまった。君の容姿も魔法も肩書きも何も関係ない。君が秘める、美しく強く正しい心が好きだ。一度は疑った真実の愛は、君に向けるためだけにあったと、生涯信じると決めた。俺の傍には君がいて欲しい」
「……私がそれでも、まだ愛が怖いと言ったらどうしますか?」
「では言葉を変えよう。ミアーナ。君は俺が怖いか? 俺に怯えるか?」
答えは簡単だった。
「……いいえ。初めから怖いなど思ったことはありません。そうでなければ、あんなに怒鳴りつけたりしません」
「では、君はもう愛に怯える少女ではない。俺がそばにいる限り、君が愛に恐怖することはないだろう?」
自信に溢れたエリオット様の言葉が、私に幸せの感情を運んでくる。
闇属性に堕ちた私が、幸せを感じていいわけがない。
私の都合のいいように操った人間関係で喜びに浸るなんて……ナタリーの言う通り寂しい人生だ。
私は声を震わせ、言葉を紡ぐ。
「エリオット様のせいですよ……。貴方が私に触れるから……。貴方が私に温もりを与えるから……。私は人の温かさに気づいてしまったんです」
「ああ。俺のせいだな」
「人には勝手に与えておいて……自分は必要ないなんていうから……」
私はボタボタと零れる涙のせいで、言葉が途切れる。そんな私の手を取り、エリオット様は優しく微笑んだ。
「君を……君だけをただ一人、幸せにしたい。守りたい。闇属性関係なく、俺という人間の心を見てくれるのは、君だけだろう?」
「こんなときばかり……なんで自信満々なんですか……」
「自分に自信を持てと、そう教えてくれたのは君だ。君のせいだ、ミアーナ」
「……そうですね、私のせいですね」
彼の語る夢が愛おしい。
彼の照らす未来が待ち遠しい。
彼の与える愛が誇らしい。
私は、彼が歩む世界の先を一緒に見たいのに。彼が夢見る世界を共に愛したいのに……。
どうして、この世界は終わってしまうのだろう。
どうして、理不尽で、不平等で、それでも確かな愛に溢れたこの世界が消えてしまうのだろう。
私のせいだ。私が……
「私……エリオット様のことが好きです。貴方のことを、貴方がいるこの世界を愛しています」
私が、自分の心を否定したせいだ。
だから、せめて素直になろう。偽りばかりを作り上げてしまった私は、せめて最後くらい自分の本心を綴ろう。それを戒めとして、今後の人生を歩もう。
もう二度と……彼と交わる世界はきっとこないから。
日付の終わりを告げる鐘が鳴る。
ああ、この世界に……終焉が来る。
そっと目を閉じた私は、いつまで経っても変化がないことに違和感を覚えて目を開ける。
「……え?」
真っ先に目に入ったのは、ララを始めとする女子生徒の変化だった。
体の中から黒い鎖が出てきて、勝手に弾けて消える。
エリオット様を見たが、彼が何かをしている様子は無い。
「闇魔法が……勝手に消えている?」
私はふと、自分の魔力を発散してみた。
「え!!」
体から溢れるのは、紛れもなく光属性の魔力だった。眩い黄金の光が、大広間を照らし、埋めつくしていく。
『おめでとう、ミアーナ。君にかかった呪いは解け、本当の君を取り戻せた。もう二度と、自分の心を否定し、闇に堕とさないでね。そして……どうかこの世界を信じて、楽しんで』
何十年ぶりに聞く、神様の声だ。
エリオット様は私を抱き上げ、頬にキスを落とした。
「ほら。君は闇の魔女なんかじゃない。俺が心から愛する、光り輝く宝物だ。ミアーナ。俺の婚約者になって欲しい」
「……はい、エリオット様!」
この世界は嘘偽りで埋め尽くされている。
誰かが幸せに喜ぶ裏側で、誰かが苦しみに泣き叫んでいる。
人を騙し、自分を騙し。それでも幸せになりたいともがき続ける。
あまりにも残酷で不平等な世界だ。
それでも『愛』は存在する。
私を愛すると心から叫んでくれる者がいる。
それだけで私は生きていける。
だから共に生きて行こうと思う。
私を心から愛してくれる者を信じられる幸せを噛み締めながら──。
◾︎◾︎
それから、私とエリオット様は正式に婚約を交わした。
ナタリーは"王子の婚約者を偽った女"の烙印を押され、学校に居場所がなくなり、退学した。
子爵令嬢が王子の婚約者に。その一報を聞いた父は掌を返したように喜び、私をほかの貴族に紹介するパーティを開くと意気込んでいた。
しかし、私はそのパーティには行かなかった。
後のち、エリオット様の仲介もありつつ、私は実家との縁を切る。
第一王子の婚約者を虐げて育ててきたこと。婚約の申し込みに嘘をついたこと。醜さに溢れ、ワガママばかりの義妹。様々な悪評が貴族の間で出回ってしまった実家は、次々と事業が倒産し、あらゆる縁が切れて行った。
父は泣きながら私に謝ってきたが、私が許すことは決してなかった。
家を売り払い、地方に引っ越すと聞いたが……それより先のことは興味がないし、知る必要もない。
そして……時は流れ、三月。
魔法学校は卒業式を迎え、残された在校生は春休みを待つだけとなった。
「ミアーナ様ああ!」
朝一からララが私に抱きつく。
「ちょっと離れて、ララ」
「嫌ですわ! 朝からミアーナ様の香りを吸い込まなきゃ、一日が始まった気がしませんわ!」
ララや取り巻きの魅了魔法は消えた。
なのに、彼女たちは今でも私のそばにいる。
「どうしてまだ私のそばにいるの? もう魅了は解けたでしょう」
「言っている意味が分かりませんわ。大好きだからに決まっているでしょう?」
あまりにも長いこと魅了魔法をかけすぎた後遺症か。それとも、本当に私のことを好きになってくれたのか。
エリオット様は「嘘もつき続ければ真になる」と気楽に笑っていましたが……こちらとしては嬉しさ半分、申し訳なさ半分。
「ミアーナ様! そんな悲しい顔しないでくださいまし!」
「だって……貴方の心を作り替えてしまったみたいで……」
「いいえ! そんなことありません!! だって私は、ミアーナ様の心が好きなんです。そう叫んでいる私の心に嘘偽りがあるはずありませんわ!
そんな些細な申し訳なさで、私を見捨てると言うんですか! ずっと一緒にいると約束してくれたじゃないですか!!」
「……そうね。大好きよ、ララ」
「私もです!」
二人で廊下で笑いあっていれば、ララが残念そうに眉を落とす。
「せっかくミアーナ様がこれから春休みだというのに……エリオット様ったら、卒業したっきり学校に顔も出さないで!」
「王族としての公務、成人の儀、各国への挨拶回りがあると聞いているわ。忙しいのでしょう」
「分かっていますけど……寂しいですよね!」
私はララの断言に、声を上げて笑う。
寂しい。確かに、今すぐに会いたいという気持ちはいつだってある。
でも、彼を応援できている今が楽しくて仕方がないのだ。
「寂しさを楽しむのも、私にとっては幸せよ」
「さすがミアーナ様です! じゃあ、今日は二人で街にお買い物に行きましょう! あれを着てきてくださいよ! エリオット様から貰ったワンピース!」
「そうね。ララに髪飾りを選んで欲しいわ」
「もちろんです!」
早速二人で宿舎に移動しようとしたとき、外が騒がしいのに気づいた。
二階の窓から校門側を見れば……二頭の白馬が黄金で装飾された大きなキャリッジを引いて校舎内に入ってきていた。
あんな立派な馬車、国王陛下の凱旋でしかみたことがない。いや、というかどうみても王室御用達の馬車だ。
「エリオット様ですかね?」
「いいえ。彼は馬車に乗って学校に来たことなんてないはずよ」
気になって窓を開ける。馬車は止まり、燕尾服の男性が直立不動で立つ。
そして……学校中に響き渡る声で書簡を読み上げ始めた。
「ミアーナ・カロリーヌ令嬢殿にお伝え申し上げます!!
いますぐ、リリアッド王城にお越しくださいませ! 国王陛下ならびに王妃殿下が貴殿との謁見をご所望なさっておられます!
繰り返します。ミアーナ・カロリーヌ令嬢殿は、いますぐリリアッド王城にお越しくださいませ!」
私の名前はミアーナ・カロリーヌ。
なにせ、三回目の人生。どうみても、波乱万丈が待ち構えていることなど、簡単に予想ができてしまう。
ああ、神様。
今度は何をご所望なのですか。
たくさんの追加エピソードが入った第一部。たのしんでいただけましたでしょうか?
第一部はこれにて完結となります。
次回からは第二部。【王妃教育篇】に突入します。
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