12・本当の気持ち
あの日以来、エリオット様には会っていない。
ララたちには心配されたが、愛想笑いで誤魔化した。
「僕の話を聞いているか?」
ハッと顔を上げる。
隣には不満そうな顔をしたロンと目が合う。
「すみません」
「もう何度目だ。いい加減にしてくれ」
苛立ちの混ざった声に、もう一度深く謝る。
今私は、父の言いつけ通りロンとの顔合わせをしていた。貴族御用達のカフェのテラス席に座り、彼の自慢話をかれこれ数時間は聞いている。
いつ帰りを切り出そうか。本来予定していた帰省の時刻は、とっくに過ぎ去ってしまっていた。
ララたちが心配するだろうな。
「君の父親は勘違いしているが、この縁談が無くなれば困るのはそっちの家だからな」
「……はい」
私のしおしおとした態度に多少満足したのか、ロンはウエイターを呼び、何かを申し付けた。
歩幅の大きいロンに合わせて街を歩いたせいで、靴擦れが起きた。これみよがしに案内される場所は、どれも興味を引かない。
雪が降るテラス席は寒く、彼の話は退屈で仕方がなかった。
エリオット様は……私のペースに合わせて歩いてくれた。連れて行って貰う場所は、どれも私好みの場所だった。
きっとこんな寒い場所に座らせないだろうし、話だって笑いを抑えるのに必死になるくらい面白い。
彼がどれだけ私に寄り添って接してくれていたのか。今、強く実感できた。
ウエイターがテラスに戻ってくる。大きなバスケットの中には、色とりどりのマフィンが入っていた。
「今僕の家は、菓子工場の拡大事業をやっているんだ。特別に、新製品を用意した」
甘いものはそんなに好きじゃないんだけど……自信満々に「食べてみろ」と視線を送られ、私はそっと手を伸ばす。
「ありがとうございます。いただきます」
一口食べようとした瞬間に、ロンに止められる。
「なんだ? ありがとうございますとは」
「……え? あの、お菓子を用意してくださり、ありがとうございます……とそのままの意味ですが」
「用意して頂き、"申し訳ありません。大変恐縮です"だろ? 婚約を申し込んだ側だという立場が分かっているのか?」
今までの私だったら、そう答えていたかもしれない。私なんかのために用意して下さり、もうしわけない、と。
でも変わった。
無意味に自分を卑下しないと約束したのだ。その代わりに、「ありがとう」と感謝を伝える温かさを教えてもらった。
感謝の言葉が、相手との関係を穏やかにし、自分の心も満たすのだと知った。
モヤモヤとした気持ちと自分の主張をグッと堪え、私は抑揚なく呟く。
「……はい。以後気をつけます」
私がマフィンを食べる様子を観察していたロンは、首のネックレスに気づいて片眉を上げる。
「それは何だ?」
「魔法石のネックレスです。友人が加工をしてくれました」
「外せ、いますぐ」
思いもよらない言葉に、食べる手が止まる。
「僕の嫁として、それなりに相応しい物を身につけてもらう。そんな学生のままごとで作った値打ちのないネックレスなんて、論外だ」
これは、エリオット様から頂いた勇気の証だ。
ララが施してくれた、優しさの結晶だ。
お金なんかには替えられない、私にとって大切な思い出の塊だ。
「……従いかねます」
今日この場だけ、穏便に片付ければいい。
そう思っていたのに、私は無意識に反論を口にしていた。
「なに?」
「これは、私にとって命より大切なものなのです。それ以外であれば、ロン様のお気に召すようにします。ですが、ネックレスだけはご容赦ください」
余計な反論だったと分かっていても、私は後悔しなかった。
場に沈黙が訪れる。
「ミアーナ」
名を呼ばれ、顔を上げる。
ロンは、ただ呆れた顔をして私を見ていた。
「君は僕の正妻を希望しているんだろう?」
そんなことを言った覚えはないが。
特段返さず、続きを待つ。
「地味な顔。愛想のない振る舞い。それでいて、魔法はほとんど使えない。まあ、化粧をすればどうにでもなりそうだが……どこに取り柄があるんだか」
魔法が使えないは、父が勝手についた嘘だ。
ロンは私に向かって手を伸ばし、私の手の甲に重ね合わせた。
「それでも僕がこの話を受けたのは、子爵同士の権力争いにおいて君の家に大きな貸しを作れるからだ。……夜な夜な呼ばれるだけの第二夫人でもいいんだぞ?」
ゆっくりと、私の手が撫でられる。
途端に、全身に鳥肌が立った。
触らないでほしい。
近づかないでほしい。
私をそんな目で見ないでほしい。
私に触れていいのは……私が触れてほしいのは……。
「……は? 泣いているのか?」
私の目からは、一筋の涙がこぼれ落ちていた。
たった一人の顔が、たった一人の微笑みが私の頭の中にハッキリと映る。
なんで今更、気づいてしまったんだろう。
私がデートをしたいのは、
私が甘いものを甘いねと言いながら一緒に食べたいのは、
私がお洒落をして、可愛いねと褒められたいのは、
私がありがとうと伝えたいのは、
私が手を握ってほしいのは、
全て、エリオット様。エリオット様がいい。
エリオット様じゃないと嫌だ。
どうして……あの夜、伸ばされた手を「離せ」と叫び、振りほどいてしまったのだろう。
愚か。あまりにも、愚か。
あんなにも暖かく、あんなにも優しい光を私は怖がって逃げた。
どうせこの世界は終わる。そればかりを言い訳の種にして、向かい合うことを恐れた。
「……ロン様」
私は手を引いて、椅子から立ち上がる。
「縁談を……お断りさせて頂きます」
「何を言っている! 僕に恥をかかせる気か!」
全て、全て今更だ。
叶わなくていい。愚かだと世界中から馬鹿にされてもいい。不釣り合いだと、自覚していてもいい。
それでも……全身が「いますぐ会いたい」と叫んでいる。
「私は……私を認め、光の方へと導いてくれる方のお傍にいたいです。それは貴方じゃない。私は、嘘偽りのない心で笑い合える方のお傍にいたいです。それも、貴方じゃない」
カフェを飛び出し、走る。
淑女たる者、スカート姿で箒に乗ってはならない。そんなマナーなど無視して、私は途中で見つけた箒にまたがり、一直線に学校を目指した。
ロンといた街から学校までは随分と離れている。
ようやく校舎が見えてきた時には、すっかり日が落ち、日付すらも越えようとしていた。
「ミアーナ様あ!」
私が今日必ず帰ると言ったことを信じていたのか、多くの生徒たちが校門前で出迎えの声を上げる。
珍しいことに、ララの姿がない。
「遅いですよ!」
「大広間で、誕生日パーティーの準備はできてます! 早く行きましょう!」
次々と声がかけられ、グイグイと背中を押される。
「あ、あの……ちょっと人を探したいの。すぐにいくから」
「エリオット様のことですよね! ララが呼びに行ってくれています!」
校門から生徒会室の窓を見る。まだ明かりが付いていた。
エリオット様がいる。まだ姿は見えなくても、それだけで安心ができた。
「……ララにはなんでもお見通しなのね」
自惚れかもしれないが、魅了の効果を超えての繋がりをララと感じる。
冷めきった心が喜びで満たされ、私は彼女たちの案内に従って大広間へと入った。
深夜だというのに、大広間は昼間のような明るさだった。
壁一面の飾り付けや魔法で作られた小人たちが踊っている。オルガンが音楽を奏で、テーブルには沢山の食べ物が並んでいた。
その中心に、ララが立っている。
しかし、私が予想したのと反して彼女は不安そうな悲しそうな顔をしていた。
「ミアーナ様!」
かけよられ、耳打ちをされる。
「エリオット様をお誘いしようと思ったんですが……」
「忙しいって?」
「いいえ、ナタリー様に追い返されてしまって……! ミアーナ様がエリオット様とお会いになられていない間、ナタリー様がずっとエリオット様のお傍に!」
必死に訴えかけるララの腕は……ナタリーに叩かれたのか赤く腫れていた。
途端に、怒りが湧き上がる。
「許せない……私の大切な友達に、こんな仕打ち……!」
彼女はどこに。とララに問おうとしたとき、ナタリーが大広間に入ってきた。
「おほほほ!! コソコソと何をやっているかと気になって来てみれば……なんて安っぽい誕生日パーティなのかしら!」
下品な笑い声を上げながら、勝ち誇った顔でナタリーは言葉を吐き捨てる。
私は彼女の言葉に反応せず、つかつかと歩み寄る。
「闇魔法で操ったご友人たちに祝われて嬉しいなんて、なんて惨めなお姉……」
パチン、と大広間に乾いた音が響き渡る。
私がナタリーの頬を叩いたのだ。
「謝りなさい、ナタリー。ララに、いますぐ謝りなさい」
「……叩いたわね!! 私のこと、叩いたわね!!」
ナタリーは顔を真っ赤にし、癇癪を起こし始めた。




