1・裏切りの婚約者
「ミアーナ。君との婚約を破棄させてくれ」
婚約者であるダロウ子爵ロン・ディズリーにそう告げられたのは、婚約披露パーティの一週間前だった。今日は、私の十七歳の誕生日。お祝いをしたいと呼ばれて行った先で、婚約破棄を言い渡された。
屋敷の中庭で呆然と立ち尽くす私の前には、ロン様……そして、妹であるナタリーが立っている。
二人は腕を組み合い、幸せそうに微笑み合っていた。
「なぜ……」
震えた声で理由を問う。
「なぜって……君の妹の方が可愛らしいからに決まっているだろう?」
何をとぼけたことを? と言いたげな瞳でロンは首を傾げる。
「こんな堅物のお姉様より、私の方がいいでしょう? ロン様」
「ああ。やはり、人生を共にする女性からは癒されたいからな」
「でも私、家事はしたくなくってよ」
「いいんだよ、ナタリー。君は可愛い。それだけで充分だ。
珍しい光属性のミアーナを手放すのは惜しいが、愛嬌がないしな」
ああ……また、だ。
妹の方が可愛いから。それは、私にとっては嫌というほど聞きなれた言葉だった。
フィリップス子爵家の長女として生まれた私は、期待され、厳しく育てられた。
基礎勉学、マナー、音楽、魔法教育……特に、私が世界でも珍しい光属性持ちだったことを父は大いに喜んだ。
幸いにも私は、父からの絶大な期待に応えることができた。
母からの「いつも真面目で、心優しくありなさい」という教えを忠実に守り、いつだって人を恨んだり妬んだりすることなく、聞き分けのいい子供時代を送った。
自慢の娘だと褒められ、両親が私を色んな人に紹介するのが嬉しかった。
五歳の時、母が亡くなるまでは。
半年もしないうちに父は再婚した。
新たな母親の連れ子が、一つ年下のナタリーだ。
ナタリーは、魔法に恵まれなかった。
それどころか、私が三歳の時には出来ていた勉強を、五歳になっても出来なかった。
それでも、父はナタリーを溺愛した。
『ナタリーは可愛いな。本当に、お人形のような顔だ。いいんだ、ナタリー。何も出来なくても、お前は笑っているだけで人を幸せにする』
同い年の子よりもずっと優秀で
誰にも迷惑をかけず、忠実に誠実に生きる私のことなんて、次第に父は見なくなる。
それでも、パーティでは私をまた褒めてくれるんだと思っていた。
『いやあ……ミアーナは確か優秀で真面目だが、愛嬌がない。どうしても、不出来な可愛らしい子の方に愛着が向いてしまいますな。ははは!』
『わかりますぞ。父性とはそんなものです』
『ナタリーの我儘を聞くのが、老いゆく人生の最後の楽しみなんです』
他の大人にそう話しているのを見て、酷く傷ついた。カーテンの後ろに隠れて、必死で泣くのを堪えるので精一杯だった。
ミアーナは賢い。でも、ナタリーの方が可愛い。
ミアーナは優れた魔女だ。でも、ナタリーの方が可愛い。
ミアーナは聞き分けがいい。でも、ナタリーの方が可愛い。
ナタリーを憎みはしなかった。
ナタリーを妬んだりはしなかった。
ただ……父に愛されなくなって、寂しかった。
この世にはもういない母が、恋しかった。
そんな人生を送る中で、縁談があった。会ったこともなく、父が勝手に決めた結婚相手。
けれど、ずっと私に見向きしなかった父が私のために何かをしてくれたことが嬉しい。
不安はあった。自信はなかった。それでも、父からの期待に応えようとデートでは一生懸命に笑顔を作った。
今思えば、ロン様はいつもつまらなさそうだったような気がする。家族を交えての食事会で、ナタリーと話しているときのロン様はいつも楽しそうだった。
「……婚約パーティは来週よ。こんなこと、お父様が許すはずありません」
私がそう言えば、ナタリーは勝ち誇った顔をした。
「お父様にはちゃんと話してありますわよ! お姉様への伝言を預かっていますわ。『ミアーナ。ナタリーが欲しいと言っているなら譲りなさい。お前は姉だろう』……とのことですわ!」
少しでも期待した私が愚かだったかもしれない。
ナタリーが私に歩み寄り、そっと囁く。
「惨めでとっても可愛いわ、お姉様」
「ナタリー……どうして、ロン様じゃなきゃいけなかったの……」
「そんなの、お姉様を苦しめるために決まっているでしょう。お姉様が私以上のものを持つなんて、絶対許さない。不細工な顔で浮かれて笑ってるお姉様ったら……気持ち悪くて仕方なかったわ」
昔からそうだった。
ナタリーは私が持っているものを全部欲しがる。譲ってあげるのが、「いい姉」だと信じて、文句は言わなかった。
「ロン様も馬鹿な男ね。私がちょっと胸を押し当てたら、すぐに私に夢中になったわ。この世の中、全部顔なの」
初めて、自分の中に怒りが湧いてきた。
父に対してではなく、ナタリーにでもなく、ロン様でもない。
自分自身にだ。
私は何を期待していたんだろう。
真面目に誠実に生きていれば、いつかきっといいことがある。
今は足りなくても、いつかきっと愛に溢れた家庭が築ける。
優しく接していれば、いつかきっとナタリーとも仲良くなれる。
いつかきっと。いつかきっと。……そんな「いつか」なんて、こないと知っていたはずなのに。
知っていて、見ないふりをした。気づかないふりをした。
「やだ、お姉様ったら泣いてらっしゃるの? 嫌だわぁ。そんなに私のことが羨ましいからって、私を悪女みたいに扱わないでくれます?」
家族。恋人。姉妹。この世界に、誠実な愛など存在しない。
初めて、世界が憎いと思った。
初めて、生まれてしまった自分を恨んだ。
初めて、何もかもがめちゃくちゃになればいいのにと思った。
高ぶった感情に呼応するように、私の全身から魔力が溢れる。
「嫌だわ。悔しいからって私を魔法で痛めつけるおつもり? 怖いわ、ロン様!」
「呆れた。君がそんなに野蛮な女だとは思わなかったよ。大丈夫だ、ナタリー。
光属性は魔物には圧倒的に強いが、人間へダメージを与える技は少ない。ちょっと眩しいだけさ。僕が抱きしめていてあげる」
ロン様の言う通りだ。
私が知っている魔法では、人間を傷つけられない。
人間を守るための光属性魔法が大好きだった。
今は……その力さえも憎かった。
私は、今まで自分を象ってきた全てを拒絶したい。見えない愛を妄信する、私の心を否定したい。
どうしたら、もう奪われない人生を送れる?
どうしたら、私は私の全てを否定できる?
どうしたら、私はもう愚かな心を持たずにいられる?
「っあああ…………!!」
喉の奥から声を振り絞る。
涙で滲んだ視線を二人に向ければ、二人は顔を青ざめていた。
私を包んでいたはずの眩い魔力のオーラが……真っ黒に変化していく。
「ま、まさか……嘘、ロン様!! これって、闇属性じゃ……」
「ありえない!! 闇属性は魔物固有の力だ! 人間が……それも、光属性の人間が闇属性に変わるなんて、聞いたことがない!!」
「じゃあ、この黒いオーラは……!!」
うるさい。
うるさい、うるさい、うるさい。
真面目に生きてきたから、損をした。
人に優しくしようとしたから、損をした。
人のために生きようとしたから、損をした。
愛を求めたから、損をした。
全部……壊れればいいのに。
私自身も知らない魔法が、勝手に言葉として口から出てくる。
「|テネブラー・モルティス《滅亡の黒》」
一瞬にして……世界が闇に包まれた。
◾︎◾︎
何度この世界に産まれ直そうとも、私は愛を信じない。
フィリップス子爵家子女、ミアーナ・カロリーヌ。
十六歳の私はこの春、王立魔法高等学校の二年生になった。
……三回目の、学生生活である。
短編が日間総合1位を頂きましたので、連載を開始しました。
序盤の改稿に加え、エピソード追加多数。キャラクターの深堀りをやっていこうと思います。
短編で読んだ方にも、新鮮な物語としてお届けし、絶対楽しませます!
ミアーナ、頑張れ。作者、連載頑張れ。短編良かったから、この物語にどんな展開が加えられて、どんな長編になるのか楽しみだ! 闇落ち令嬢作品、需要あるぞ。この子が幸せになる物語が見たい。
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