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砂塵の狼  作者: れのん
第4話 不穏の街
8/21

【2】

 会議室の扉を開くと、円卓の前で数人の幹部が座っている。彼らは会議室の扉を開いた途端にこちらに視線を向けてきた。その視線が、嫌に重たく、この身を付いてくる鋭い棘のように思え、私はやや狼狽えた。

 睨まれているような感じはしない。むしろ歓迎されているような感じがした。

 しかし、その歓迎が、妙に重苦しく、不気味に思えたのだった。本心で微笑んでいるようには思えない彼らの目が、非常に違和感であった。

 中央にはギルドの中心であるルカが居座っており、彼もまた、こちらを怪しく微笑んで見ている。

 会議が始まるまでわずかばかり時間があるが、皆が着席しているということもあり、自分も椅子に座ることにした。

 集まっている幹部たちの中に一人、皆と違ってうつむきながら何かを呟いている修道服姿の女がいる。

 彼女はギルド建設初期からずっと一緒に活動をしてきたメンバーのひとりであり、志の似ているところもあることでよく会話をする仲であった。

 いつもは朗らかで、優しい女性であるが、今日の彼女はどこか怯えているような雰囲気だった。身体を震わせながら、祈るように手を合わせている。

 それがまた、このギルドがいつもと違うように見えて、何となく、嫌な予感がした。

「シンシア?」

 呼びかけると、彼女は少し間を開けてから、こちらに振り向いた。

 とても、つらそうな表情をしていた。

「……レインド」

 やはり祈りをしていたのか、こちらの存在に気がつくと、先程のような張り詰めた感じが無くなり、いつものような優しい笑顔を見せてくれた。

 柔らかくて、温かい笑顔だったが、どこか無理をしているようにも感じた。

「まだ、足は痛むのかい?」

「あ……いえ、もうそろそろ落ち着いてきた頃です。たくさん休ませて頂いているのが、申し訳なくって……」

「そうか。でも、まだ安静にしているように。病気をもらってはいけないからね」

 そう言い、彼女の、もう存在しない片足に視線を落とした。


 シンシアの足の大怪我は、つい最近起こったものであった。

 彼女は聖職者でありながら、武術と魔術に優れた傭兵でもあり、ギルド内では布教部門の活動を多くこなしていた。

 多くの聖職者を連れ、聖書を詰んだ荷馬車を引き、コンスタンティノープルから遥か東の砂漠へと旅をして、布教の旅をする。彼女は布教活動だけではなく、その聖職者や聖書を護衛する任務を担当している。聖書を配り終え、命じられた期間が過ぎるまで各地を訪問すれば、そのままこの街へと帰還するのだ。

 遠方布教とは、とても名誉ある活動だが、道中で魔物や山賊に襲われるなどの危険が伴う。ある程度戦う術を持つ者でないと務まらない活動であった。

 彼女はいつも一人で布教隊を守った。一人で多くの聖職者と聖書を守ることの荷の重さに、私は心配をかけることが多くあったが、彼女はいつも笑顔を返し、余裕さを見せてくれた。

 だが、ある日、一度に多くの魔物が布教隊を襲撃した。そして、そこで大きな事件が発生する。

 獣の魔物が、シンシアの片足をもぎ取っていったのだ。

 聖職者の中に、医術に達する者がいたため、一命はとりとめたものの、シンシアの護衛する布教隊はそのまま強制帰還となり、傷が治るまで休養となった。

 その後はシンシアの後任が次々と駆り出されていくことになった。

 このギルドでは、彼女のような戦士は他にいない。確かに武力や魔力を持つ者は多いが、皆が戦闘に慣れているわけではなく、聖職者が布教活動へ送られれば送られる分、彼らの死亡通知がギルド本部へと届いた。

 シンシアの妹のリリシアもまた、元々傭兵であり、様々な武術を備えている。しかし知恵遅れであるリリシアは判断力の欠如を危ぶまれているため、ルカの護衛からは外れることはない。

 ティルギス聖堂会の戦力といえば、その姉妹が主になるが、もはや姉妹はコンスタンティノープルから離れることはできない。それでもルカはシンシアの事故後も、別の聖職者を布教へ送り続けた。

 杖をつきながら生活することを余儀なくされたシンシアは、もう今までのように戦うことはできない。だからこそ、彼女の代わりは臨時などではない、正真正銘の後任がいなければならない。


 彼女の不穏な雰囲気を見て、ようやく気がついたことがある。

 この会議は、その後任を最終的に決定するものだ。

――いや、もう決まっているのかもしれない。

 ますます嫌な予感が、この胸に突き刺さる。

 緊張が先走り、喉もだいぶ乾いたが、水を飲みに行く前に会議が始まってしまった。


 ルカは椅子から立ち上がり、会議室にいる数十名の聖職者全員に届くようなはっきりとした声で話し始めた。

「諸君、日々のお勤めご苦労。我々の成果は、国王のお耳にも届いており、ますますご賞賛なされている。神も同じ意思である」

 ルカはやや声の調子を落として、話を続ける。

「昨今、あまりにも悲しい報せがこのギルド本部に度々届いている。志の高い者ばかりが、天に召されていく。それも聖地から程遠い、遥か東の地で……あまりにも無念なことだ」

 するとルカに続いて、幹部たちは十字を切る。私も十字を切り、少しだけ彼らに祈りを捧げたが、会議室に漂う緊張感のために、それどころではなかった。

 皆が十字を切るのを確認したルカは、やや穏やかな声色になって、言った。

「確かに、同胞が逝くのはとても虚しいことではあるが、嘆くことはない。彼らの死には、必ず神が介在している。神の意思により、天へと召されたのだ。肉体は滅びようと、その魂は存在する。遠い地で絶えたとしても、魂は変わらず天に在る。それは私の命も、君たちの命も同じことなのだ」

 そしてルカは声をさらに張らして、話を続けた。

「だが、この世にいまだ在る我々は、次に彼らの意思を継ぐ者がいなければならない。神の教えを行う"肉体"が無ければ、我々の意思は成り立たない。祈りだけでは届かぬ意思もある。――よって、次にこれを成す者を命ずる」

 室内に緊張感が走る。

「――レインド・コルデーテ神父。君をウテンへの任務を命じる」

 一瞬、何を言われているのか理解できず、固まった。

 少しだけ沈黙が過ったのが気になるものの、すぐに、幹部たちの歓声で会議室は大賑わいになった。その歓声が、私の頭の中で酷く響き、とても鬱陶しく感じた。何かを考えることができず、視界がぼんやりとした。

 何が起きているのか、なぜ、私なのか。それを探りたいがために、ふと、ルカへと視線を移す。ルカは「立て」と、目配せをしてきた。

 私はすぐに立ち上がり、会議室中を見渡した。そして、幹部たちの歓声を一身に浴びた。

 その歓声は皮肉を感じてしまうほどに、とても激しかった。

 彼らが、私の与えられた「神の天命」を祝福しているのは、大いに理解できる。実際に私も、誰かがそれを与えられるのは、きっと喜ばしいことなのだろうと、半信半疑ながらも以前には思っていた。

 だが、当事者になれば、話は別である。


 ふと隣のシンシアに視線を落とした。

 シンシアは先程よりもずっと、体を震わせて、祈っている。とても力強く祈りの手を合わし、必死に言葉を小声で口にしている。

 だが、よく見ると、祈りにしては様子がおかしかった。

 彼女の口の動きをよく見てみる。

 何か、同じ言葉を繰り返しているようだった。


――ごめんなさい。


 周囲の同胞は、賞賛の声をあげてばかりであるのに、彼女は苦い顔をして、必死にその言葉を繰り返していた。

(シンシア……)

 謝らないでくれ。

 君が、背負うものじゃない。


 ルカが静かにするよう指示すると、会議室はようやく重たい静寂を取り戻した。

 ルカはこちらを見て、話し始めた。

「遥か東に、ウテンというオアシス王国がある。次の伝導はそこになる。君には聖職者と貨物の護衛を任せよう。出立は二ヶ月後になるが、それまでに準備を進めてくれたまえ。……何か質問はあるかね?」

 私は咄嗟に敬礼をして、緊張の先走る中、ひとつの質問をしようとした。

――なぜ、私なのでしょうか?

 だが、声に出しかけたところで、口を紡いだ。

 この場所で訊くには、あまりにも場違いな質問であったからだ。

「……い、いえ。誇りある任務を任されたこと、大変嬉しく思います」

「よろしい。まだ出立まで時間はあるが、普段通りの職務も、変わらずこなすように」


 短時間であったが、用件はそれだけであったため、会議は一時間もしないうちに終わった。

 しかし私の疲労は、その数十分の会議だけで多大なものとなり、礼拝堂の座席にひとり座り込み、放心状態となった。

 端的に言えば、とても荷が重かった。

 ギルドの大切な聖職者や聖書を、遥か東のオアシスまで何十日とかけて護衛しなければならない。だが、まったくできる気がしないからこそ、目の前が真っ白になっていた。

 たとえ残りの二ヶ月を、戦闘に関する魔術を復習する期間にあてたとしても、この気弱な性格が、わずかな希望すらも見えなくさせる。

 大きなため息をついた。


 すると、隣にシンシアがそっと座った。

 ため息を聞かれてやや恥ずかしさを覚えた私だったが、彼女の暗い顔を見ると、そんな気持ちもすぐに失せた。

 少しばかり沈黙が過ったが、先にシンシアの方から口を開いた。

「……こうなったのもすべて、私のせいです。私が、不甲斐ないせいで、皆を、あなたを……危険に晒してしまった」

 とても悲しげな声だった。

 私は強い口調で言った。

「シンシア、そんなことを思ってはだめだ。君は何も悪くない。……むしろ、僕たちは今まで、君にすべてを押し付けてしまっていたんだ」

 あまりにも気の利かないことを言ってしまったような気がしてすぐに口を噤んだ。シンシアは寂しそうに微笑みながら、「天命ですから」とつぶやいた。


 天命。

 果たして本当に、彼女の今までの業績は、天命から成っているものなのか?

 我々に力が無いから、彼女がすべてを背負っていた。恐怖と責任の重さの計り知れない役目を負ってくれていた。

 もしも、それが本当に天命だというのであれば、神はあまりにも不平等である。

 とても気まずい雰囲気が漂った。

 オレンジ色の夕陽が、ステンドグラスを通して差し込んでくる。黄昏時の礼拝堂はとても静まり返っていて、苦しいほどの寂しさがあった。

「……怖い、ですか?」

 シンシアは、重たい雰囲気の中、とても控えめな声色で尋ねた。

 私は急にそんな質問をされて、どう答えればいいかわからず、曖昧に頷いた。シンシアは視線を落とし、静かな声で話し始める。

「私も、怖かったですよ……とても。いつ盗賊や魔物に襲撃されるかわからない。いつ食料や資金が尽きるかわからない。期間までに辿り着き、帰ることができるのかわからない。そんな毎日です」

 シンシアは、こちらに視線を向けて、やや語気を強くして言った。

「それでも、怖いだけではないことを、あなたに知ってほしい。未知なる文化があります。未知なる人々がいます。それに巡り会えることは、とても幸福なことであると、あなたに感じてほしいのです」

 しばらく、開いた口が塞がらなかった。シンシアの真剣な眼差しに、私は狼狽しつつも、得も言われぬ感動を覚えた。

 彼女はその職務に確かな誇りを持っていたことを、その言葉から伝わったのだ。

 今までは、きっと苦しみばかりを抱いているのだろうと思っていた。そして旅に出ていく都度、私は心配をかけた。責任重大な仕事ばかりを請け負う彼女を、少しでも休ませてやりたかった。

 だが、今の言葉で、彼女が苦しみだけを感じているわけではないことを理解した。

 そして同じような心を持ちたいと思った。

 私も彼女のように、未知の出会いに喜びを抱ける旅を送ることができるだろうか?

 そう思うと、何となく、心の荷が軽くなったように思えた。

「……うん。怖いけど、やってみるよ。天命ですから、ね」

 そう言うと、シンシアは、ようやくいつもの優しい笑顔を見せてくれた。

 だが、すぐ後、真剣な表情になって、落ち着いた声で言った。

「レインド、出立までに多くのことをあなたに教えます。旅や、護衛に関する知識です。私が経験してきたことすべてを、お話します。これからは、一日の職務を終えたら、私のもとへ来ることをおすすめします」

 シンシアは、私の手にそっと触れた。そして視線を落として、ややか細い声で、呟いた。

「……だから……どうか、生きてください。生きて、帰ってきて……またもう一度、これから先も、あなたとお話がしたいです」

 私も、自分の手を、彼女の手に重ねて、呟いた。

「うん……僕も同じだ」

 まだ出立まで時間があるのに、明日旅に出かけるような気分だった。

 彼女とも、このギルドとも、別れが惜しかった。もう二度と戻れないかもしれない旅だからこそ、その思いは強かった。


 ふとギルバンドラのことを思い出した。

 彼がこのことを知ったらどういうふうに思うのだろう。とても懐いてきてくれた子だ、悲しく思うだろうか。

 旅に出てしまえば、しばらく会えなくなる。最悪、もう二度と会うこともないかもしれない。

 彼の成長が見たかったが、ギルド員として役目を与えられた以上、きっちり果たさなければならない。

 私の今までやっていた活動は、すべてシンシアに回るのだろう。ギルバンドラはシンシアのことも大好きだけれど、私と一緒にいた時間ほど、彼女とは過ごしていない。

 どちらにせよ、きっと寂しい思いをするに違いないと思った。もっと気にしない子であればこんなにも不安に思うこともなかっただろうが、あんなにも繊細な心を持つ彼から去るのはとても不憫だった。

 いろいろな不安が、心の中を駆け巡った。

 ギルバンドラのことだけではない、もっと先の未来の自分が、しっかりと、役目を請け負えているのかまったく見えなかった。

 やってみよう、という気持ちにはなったはいいが、恐ろしい気持ちばかりで、やり通す自信が無いのは変わることはなかった。

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