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砂塵の狼  作者: れのん
第4話 不穏の街
7/21

【1】

 美しい装飾の施されてある石畳に、白昼の陽の光が反射し、目の前にある市場のさまざまな品々を照らしている。

 都のバザールは、東西、あらゆる地域から持ち寄られた特産物で彩られていた。

 西からやってきた葡萄酒、武器、宝石、学問書、毛織物。東からやってきた香辛料、奴隷、馬具、動物の毛皮、そして上質な絹。これらは東西それぞれの文化の発祥元の中間に位置する首都、コンスタンティノープルが、交易ルートの中継を担うことで輸入できる特産物である。

 この街の南北には広大な海があり、そこから鰊や鱈などの魚介類、さらには周辺地域に実る穀物や 果物、オリーブも、地産地消できる。

 贅沢を言わなければ衣食住に困らない、仕事もたくさんある、街の安全も確保されている、そんな繁栄の絶え間ない、一都市である。

 踏み慣れた石畳の上を歩き、聞き慣れた商人たちの快活な声を聞き、買い慣れたパンを買って、教会へと戻る。

 美しい民家が立ち並ぶ中に、ひときわ大きな建物がひとつ。大きな鐘と針のある、時計台。手間をかけ、上質に磨きあげられてある石造りの屋根と壁。天にある神や天使、地上にある花や建物、この世の万物を写し取った色鮮やかなステンドグラスがとても良く目立った。

 あの教会こそが、我々聖職者が中心に活動している、ギルド拠点である。


 この都には、民間で作られた宗教団体ギルドである、「ティルギス聖堂会」という組織の本部がある。

 神の教えに従い、神の教えの元に民を導き、救い、神の教えを広めることが、我々の最も基本的、且つ、最重要使命となっている。

 この組織にいる聖職者は、各々役割を与えられ、その活動に従事することにより、自らの生活を成り立たせている。殆どの者は生活に苦しむ者への慈善奉仕を任せられるが、中でも武術や魔術に長けた聖職者は、慈善活動だけではなく、布教活動にも任じられることがある。

 布教部門とは、言葉では綺麗に聞こえるかもしれないが、非常に残酷で泥臭い仕事が多かった。確かに神の教えを広めることは、秩序を生み、保たせ、より整然とした人間社会を築くことに繋がるだろう。

 だが、そこに至るまでの聖職者の苦労は、市民には計り知れない。

 民間で起こった小さな聖職者の集団が、やがて名声を得て、ギルドとなり、国王に奨励され、直々に支援金を賜るほど大きな組織となるまでには、数多の苦労と犠牲があった。

 彼らの死を、同僚も、上司も、皆口をそろえて「聖なる死」であると言った。

 もちろん私にもそう思っていた時期はあった。そして臆病な私は、聖なる死を称えるだけで、それを為せる気はなかった。だから、信仰心の足りない、愚かな聖職者であると、ひたすら卑下した。

 だが、その考えが先日起こった事件を堺にして、変わろうとしている。

 本当に彼らの死は、聖なる死なのだろうか? と。

 確かに、救済のために死ぬのであれば、それは天命であると納得できよう。だが、我々聖職者の死がすべて、救済にあたるのだろうか?

 我々が死ぬことで、果たして民は幸福になるというのか?

 こうした甘い考えを持つのも信仰心が足らないからだと自分に思い込ませるだけで、それ以上考えることを恐れた。

 今は、このギルドの活動が半信半疑の状態にある。

 少しでも疑わしく思っているのが、もしかすると自分だけかもしれないので誰に言うこともできないが、先日の事件を思い出す度に、疑いの方に傾きかける。

 しかし、もう自分も若くはない。十年前、ギルドの建設に携わった時より行動力も欠けている。今更この慣れすぎた日々の生活を変えることに、気力がついていける気はしなかった。


 それでも不安感を抱きながら、教会の入り口の大きな扉を開ける。

昼はみな、休憩を取るために教会の外にいるため、講堂は人気がまったくないのが常である。しかし、その日はいつもと違い、とても美しい歌声が耳に入ってきた。神像の前に、金髪の美しい子どもがひとり、聖歌を歌っている。

 どうやら一人で練習をしているのだろう。あまり邪魔をしてはいけないような気がしたが、その細い歌声を聞けば聞くほどもっと聞きたくなり、静かに講堂へ入って、座席に座り、こっそりと鑑賞した。

 彼の歌声は朝の陽のようになめらかで、小川の水のように澄んでいる。その歌から滲み出てくる世界観には、歌を歌うこととは、自然と調和することという意味が込められているようだ。

 白い小鳥が、窓から飛び立ち、青い空を仰いで、向こうに見える優しい森へと出掛けていく。そして木漏れ日を浴びながら、木の実を頬張り、仲間たちと命の喜びを歌い合う。

 そういった世界観が、彼の歌声や、歌う様子から、鮮明に連想されるのであった。

 とても平和で和やかで、何の汚れもない、尊い世界。

 そんな美しい世界に浸っていたが、突然「あっ」というか細い声と共に、その世界は途切れる。


 目を開けてみると、神像の前で歌っていた子どもはこちらを見て、恥ずかしそうにしていた。

 途中で歌を止められ、やや惜しい気持ちもしたが、歌を聞かれていたことを後ろめたそうに、もじもじとする彼を見て、申し訳ない気持ちになった。

「あぁ、ごめんよ。つい聞き入ってしまったよ。とても綺麗な歌声をありがとう」

 そう言うと、子どもは優しくはにかみ、こちらに近寄ってきた。

「また今度、お歌の発表会があるのです」

 十歳になったばかりの子ではあるが、控えめで丁寧な喋り口で言った。

「そうか。以前は観に行けなくて、ごめんね。仕事が忙しかったものだからね……」

 少年は首を横にふった。

 聡明で純粋な彼であるが、時折儚げな微笑みをする。私はそれがあまりにも、気の毒に思えた。


 ギルバンドラ・フォーガイヴ。彼はエリート志向に傾倒しすぎている家に生まれた、高い身分の貴族の子であった。しかし抜きん出た能力をあまり持たないギルバンドラは小さい頃から兄たちに阻害されてしまい、家の中では孤立してしまっているようだった。

 とうとう両親もギルバンドラを邪魔に思い始め、彼を我々ティルギス聖堂会に、住み込みで魔術の勉強をさせるよう預けてきたのが、彼がこの教会にいる経緯になる。

 慈善部門の中で働く私は、その中でも魔術の教育に勤しんでいる。そこで、ギルバンドラの魔術の勉強の面倒を見ることになった。

 最初はとても控えめで物静かな男の子だと思った。

 しかし魔術の勉強をし始めると、彼の見た目からは考えられないほど、純粋な好奇心の高さを見せられ、それにこちらが圧倒され続けた。確かに理論的なことへの飲み込みはやや遅いかもしれないが、それは経験や少しの努力で補える程度のものだ。

 こんなにも、純粋で、清らかな子をなぜ、親は平気で見捨ててしまうのだろう。

 あまり思ってはいけないことかもしれないが、彼のような子が家族から愛情を注がれないのはとても残念なことだと思った。


「……レインド師匠?」

 彼の小さく控えめな、声で我に返る。ギルバンドラは不安そうな顔をして、こちらを覗いていた。

「少し、考え事をしていただけだよ。それより、お腹が空いただろう?」

 私は小脇に抱えている紙袋からパンを取りだし、彼に差し出した。

 すると、彼はぱっと顔が明るくなり、小さな手でパンを受け取り、小さな口でひとかじりして、美味しそうに頬張った。

 こういった、身分に恵まれても、家庭環境の恵まれない子どもたちに、人との関わりの本当の温かさを教えてやれるのが、このギルドの良い面だと思った。身分の低い子にも高い子にも、不自由を被る子には分け隔てなく接することのできるこのギルドが好きだった。そして、そんな仕事を続けられることこそ幸せなことであり、天命にも思えたのだ。

 彼らの笑顔を見るだけで、心の中のわだかまりが軽くなる。


 パンを食べ終えると、ギルバンドラが魔術の勉強でわからないところがあるから教えてほしいと言ってきた。

 今日はもう会議しか予定はないため、私はその時間まで彼に魔術の勉強教えることにした。

 ギルバンドラと資料室へ移り、さっそく初等魔術の教科書を開く。

 この世には魔術という学問が存在する。遥か古代から長きに渡って編まれてきた、人間の知識の集大成だ。扱える人間はごく限られているため、魔術に無縁な生活を行っている者には不可思議な奇技だと思われがちだが、歴とした学問領域である。

 理論の生成、研究と実践、それらの試行錯誤を繰り返され今日の魔術が存在しているのだ。

 この世には、マナと呼ばれるものがある。物質でもあり、力の源でもあるこのマナは、人の目には見えないが世界に多く散りばめられている。

 想像力と精神力がある程度鍛えられてある人間が命令式を唱えれば、その命令はマナの中にあるエネルギー体に呼応し、神秘的な力が引き起こされ、式に沿った魔法が発動されるという仕組みである。

 マナに呼応する属性は四つ存在する。

 火、水、地、風。それぞれの属性ごとに、扱いやすさも唱えやすさも違う。

「最初は火を覚えるといい。水は優しいが、その優しさのあまり飲み込まれてしまうことも多い。風は目に見えるようになるまで、時間がかかる。地は一番我々と接している属性だからこそ、術の幅があまりにも広くて、覚えきれないだろう」

 そして、火の呪文の記されてあるページを開けた。

 初等魔術なので、詠唱も消費魔力もごくわずかだが、子どもには、この程度の呪文がちょうどよいぐらいだ。

「ギルくん、火は怖いかい? 君にとって、火とは、どんなイメージかな?」

 たずねてみると、ギルバンドラは、少し恥ずかしそうに頷いた。

「……火は、熱くて怖いです。火の精霊はいじわるだから、さわったり、近付いたりしたら、怖いことをしてきます」

「そうだね……確かに、私たちには直接さわることのできない、恐ろしい物質かもしれない。火の精、サラマンダーは多くの生命をその熱で葬ってきた。彼の逆鱗に触れた生命は、復活すら望めぬほど、その身を焼き尽くされる……」

 私は試しに、手のひらに火の玉を現して見せた。少し低い声で言ったからか、ギルバンドラはやや強張った表情をさせながら、その揺らめく火の玉を見ていた。大きさは小さいが、その火の中をよく見てみると、轟々と激しく燃えているように見える。彼の言うような「恐ろしさ」がその中に見えているようだった。

 ギルバンドラが緊張しているのを確認したところで、次に優しい口調で説明して見せた。

「しかし、私たちや、私たちの先人は彼の火のおかげで、こうして生かされている。火の暖かさで凍てつく冬を越し、火の眩さで夜の暗闇を照らす。あれらはもはや、日々の生活に欠かせないものだろう?」

 壁にかけられてあるランプや、暖炉を指差しながら説明すると、ギルバンドラは相槌を打った。

「つまり、正しい使い方さえすれば、サラマンダーは喜んで君の味方となってくれるだろう。私たち生命を、長い間生かし続けてくれた存在だ、頼もしいと思わないか?」

「はい」

 ギルバンドラは綻んだ顔で、また頷いた。

「それでは、実際に唱えてみようか。まずは、彼にどのくらいの力をかしてもらいたいか、イメージをするんだ。……そうだね、たとえば、夜の暗い部屋で、本を読むのにちょうどいいぐらいの小さな火を想像してごらん」

 そう言うと、ギルバンドラは静かに目を閉じた。

 彼はすでに物を宙に浮かす呪文や、傷を治す呪文などを勉強している。出来はまだまだだが、しっかりとその魔法が唱えられるようになるよりも先に習得しておかなければならない技術があった。

 それはまず想像することである。

 魔法とは想像力によって、描き出したい状況を具現化する。魔法に必要なものはマナだけではないのだ。

「そして、詠唱を唱えるんだ。『炎の精霊よ、怪夜に安寧を与えたもう、汝の一滴は迷える旅人をたすく、闇夜の月が如し』」

「……『炎の精霊よ、怪夜に安寧を与えたもう、汝の一滴は迷える旅人をたすく、闇夜の月が如し』」

 ギルバンドラは人差し指を立てて、か細く、途切れ途切れで詠唱を呟く。

 しかし、彼の人差し指からは、火花すら出ず、軽い音をさせてかすかな煙が出ただけであった。

 ギルバンドラは「あっ」と言って、その見えるか見えないか危うい煙が揺らめくのを眺め、それが完全に消えると、残念そうに肩を落とした。

「落ち込むことはないさ。いつか出るようになるよ。今はまだ、詠唱につられてイメージに集中できていないだけだからね」

「……はい」

 それでもギルバンドラはやや俯いているばかりであった。そんな彼がとても気の毒に思い、彼の肩に手を乗せて、落ち着いた声で、ゆっくりと言った。

「ギルくん、懸命なのはとても良いことだが、焦らなくても良いんだ。勉学とは、未来の自分が、功を奏することを期待しながらでなければ、続けることが苦しくなってしまうよ」

 何の成果も得られなくて苦しみ、足掻いている時期が私にもあった。どれだけもがこうと、納得できる成果を得られず、学術書を開くことすら苦痛になるぐらい、勉学に倦怠した時期があった。

 誰にでも訪れるであろう、成果の得られない時期は、意味のない被害妄想と焦燥が四六時中襲い掛かってくる。誰かの褒め言葉も皮肉と決めつけ、共に優れた魔術師になろうと志を共有した学友たちには見下されていると勝手に信じ込み、何をやっても、何をやろうとしてもまったく意味のない、最低の人間であると自己嫌悪し続ける日々だった。

 けれどそれは己の発達を鈍らせるし、精神もすり減るしで、良いことは何もない。

 自分を省みすぎることは、かえって自分の発展の兆しを潰してしまうことに繋がるだろう。学生時代を終え、魔術師として、神父として活動をし始めた後になって、そのことにようやく気がついたのだった。

 今の自分はまだ、大それた神父でも、魔術師でもない。

 しかし、今になってようやく、将来に期待する気持ちを持つことができるようになってきた。すると、世界が広がったように見えた。勉学に努める自分と、自分の周りとを分離させた世界を見ることができるようになった。

 自分の非力さを垣間見る場面に遭遇すると、すぐに考え込んでしまう癖のあるギルバンドラには、若き日に陥ったあの地獄の日々を過ごしてほしくはなかった。せっかくの勉学を、もっと前向きに取り組まなければ何の意味もない。こんなにも純粋な子が、自身の内向的な感情だけで、己も他者も信じられなくなるような人間になってはいけない。

 気分を変えるため、もうひとつばかり簡単な呪文を教えてあげようと、教科書をぱらぱらとめくっていた頃だった。

 後ろから、誰かの足音が聞こえてきたので、ふと振り返ってみた。

 そこにいた人物を目にした瞬間、心臓が跳ね返りそうな気分になる。


 片眼鏡の長髪の男は、手を後ろに組みながら、堂々とした様子でこちらに近寄ってきた。

「……ルカ枢機卿」

 私は咄嗟に立ち上がり、敬礼代わりの十字を切ると、もう一度ルカに視線を向けた。

「ご機嫌麗しゅう、神父。小さな子どもにすら、丁寧な魔術の講義、ご苦労様です」

 ルカは怪しく微笑み、冷たい声で言い放った。

 彼の後ろには、涎を垂らしながら、にたにたと楽しげに笑っている修道服の女がふらふらと立っており、こちらに不気味な目線を向けている。気にはなったが、上司が目の前にいることの方が、より嫌な緊迫さが感じられる。

「レインドくん、今日の会議は必ず出席してくれたまえよ。とても重要なことを話さなければならない。是非――」

「あー、ギルだー! ギルが、いるよ、ねえ、ルカ、遊んで、いいよねー?」

 ルカの後ろにいる落ち着きのない女は、幼稚な喋り口でルカにそう問いかけた。ルカは一度女の方を振り返り、にこにこと微笑みながら、子どもに対してかけるような優しげな声色で承諾した。

「彼に迷惑をかけない程度でよろしく頼むよ、リリシア」

「あはははは! やったやったー、ねえ、ギル、遊ぼー、早く、お外、いこーーーー」

 ギルバンドラは強引に外へ引き連れていこうとするリリシアにやや怯えながらも、何も抵抗できないまま、彼女に手を引かれていった。思わず前を通り過ぎていく彼の手を掴もうとしたが、それも一歩手前で止めてしまった。

 立場上、どうしても今はルカに相手をしなければならなかった。

 騒がしい子どもたちも図書館から消え、しんと重く静まり返った雰囲気だけがその空間に残る。

やや沈黙があったのが耐えきれず、思わず聞かなくても良いような質問を投げかけてしまう。

「重要なこと、とされますと?」

 ルカの顔がやや苦くなるのを見ると、また心臓が冷たく感じた。

「そんなことは今ここで話してはいけないことだろう? まぁせいぜい楽しみにしておいてくれたまえ」

 紳士的で丁寧な喋り口だが、えも言われぬ圧力が、彼の表情や佇まいから感じた。

 ルカという一人の男がその場にいるだけで、先程までのどかだった図書館が、とても張り詰めた、居心地の悪い場所へと変わる。

 彼は、西国から王宮へ派遣された聖職者だった。このギルドには、途中から入ってきたが、その活躍ぶりは他の聖職者から賞賛を受けるほど、当初からよく目立っている。その高い行動力と交渉力から、数々の街での布教を認めさせ、異教徒の数を大幅に減らし、貧困地域へ慈善活動を行った。その活躍ぶりを国王にも認められ、ついには国から支援金を賜るほどになった。

 まさに、このティルギス聖堂会とは、ルカの存在があって、ここまで成長できたのである。彼がいなければこんなにも多くの分野に手を出すことのできるギルドにはならなかっただろう。

自分自身、ルカのことを尊敬しているつもりである。しかし、その一癖も二癖もある性格が、どうしても合わなかった。


「レインドくん、君は人の命をどのように思う?」

「人の命……ですか」

 突然質問をされて、うろたえながらも、返す言葉を探す。だが、質問が非常に漠然としすぎて、彼が不満に思わない程度の答えがなかなか見つからなかった。

 考え込んでいたが、ルカはまたもや言葉を続けてきた。

「たとえば、砂漠を歩く旅人の持っている、わずかな水を欲し、それに襲い掛かる浮浪者も、一人の『命』と捉えるかい?」

 何のために質問をしてきているのか意図は読めなかったものの、緊張を押し殺したまま、重たい口を開けて、答えた。

「……はい。神のお声を知らずとも、浮浪者も救済を求めている者のひとり。求める者には均しく、分け与えるべきだ。それが、神の教えです」

 短い沈黙が過った。

 その間だけでも、緊張感が先走る。

 妙な空気になったが、すぐにルカはにやりと微笑んで、口を開いた。

「クク……そうだね。その道は、非常に険しいものとなるだろう。だが、それも神が与えし試練なのだよ」

「……ルカ枢機卿?」

 怪しく笑いながら、独り言のようにつぶやくルカがあまりにも奇妙で、すぐ近くにいる人間なのに遠い場所にいるように感じられた。思わず、おそるおそる小さな声で彼の名を呼んだが、またすぐにいつもの彼の雰囲気になった。

「もう会議室に集まっている者がいたよ。まだ早いが、我々も先に向かおうじゃないか」

 ルカはそう言うと、振り返って図書館から出ていった。

 ルカのいなくなった図書館には、開放感が満ち溢れた。先ほどとは違うその優しい静寂さにしばらく浸っていたい気持ちもあったが、ルカの言う通り、会議室に向かうために図書館から出た。

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