【2】
見上げるほどに大きい岩城は、松明の明かりで怪しく照らされている。ちょうど隠れ家に使えそうな岩の囲いが、自然にあったのだろう、壁のゴツゴツとした感じがまさに、盗賊団のアジトの雰囲気を醸し出している。
砦の中へと入っていく階段はいかにも荒くれ共が作ったような粗末なものだった。
こんなにも大きな要塞であるのに、入り口を警備している者はどこにも見えない。見れば見るほど怪しげな建物だが、一行は内部に侵入するべく、階段を登り初めた。
階段を上がっていく内に、何やら怪しげな呪文のような声が、狭い階段の道の中を響いてくる。低く不気味なトーンで、聞いたこともない言葉が、近づく度にはっきりと聞こえてきた。
フェイロンが連れている捕虜の男は何やら怯えているようすだったが、それにも気にせず階段を登り続けた。
階段が途切れ、死角に気を付けながら、上にあがると、そこから下は広場を展望することができた。
広場には、みすぼらしい姿の荒くれたちが大勢集まっており、奇妙さを思わせるほど整然と並び、跪き、怪しげな呪文を、声を揃えて繰り返している。あまりにも不気味で迫力のある儀式のようすに、レイエンとディジャンは思わず唖然とした。
皆、その儀式に夢中になっているため、盗賊たちにばれないよう、様子を伺うのは容易だったが、その儀式の光景が残虐で、気分が悪くなるほど奇妙だった。
盗賊たち一同がひれ伏している前にある、煮えたぎった鍋のようなものに、他の盗賊よりも身なりの良さそうな、黒い法衣姿の男数人が、次々と人間の臓腑を投げ込んでいく。眼をすぼませないとよく見えないほどの距離にそれはあるが、異臭はレイエンたちのいる場所まで充分到達していた。ぐつぐつと煮えている鍋の中には、人間の臓腑以外にも得体の知れない何かが放り込まれているのだろう。
しばらく様子を見ていたが、彼らは儀式を行い続けているため、我々の存在に気が付くことは無さそうに見えた。
「なぁなぁ、これからどうすればいい? 強行突破でもするか?」
ディジャンは目を輝かせながら、フェイロンに問いかけた。
「いいんじゃないですか。是非もみくちゃにしちゃってください」
フェイロンは儀式を行っている荒くれ共を見下しながら言った。彼もどうやら、これからひとつの盗賊団を潰すことに心躍らせているようすだった。レイエンは、あまり気分が乗らなかったが、さっさとアジトを潰し、野営地に戻り、眠りたい気持ちでいっぱいだったため、充分戦う気力はあった。体の重さや痛みは消えていないが、動くことはできそうだ。
盗賊たちはほとんど武装をしていなかったため、レイエンとディジャンは、タイミングを見計らい、階段を登って出た足場から広場へと飛び降りて、岩場に隠れた。
こうして近寄ったとしても、なお、盗賊たちは儀式を行い続けている。武装をした盗賊も見当たらない分、さっさと彼らの儀式を中断させ、砦を平定したいところだったが、ディジャンが小声で問いかけてきた。
「おい、兄者どこ行った?」
レイエンは周りを見る。確かに、壁の上から下へ飛び降りる前にはいたはずだったが、ここにはフェイロンの姿は見えないし、上を見ても、もはや彼が鎖で引き連れていた捕虜の男すらいない。
「知らないが……」
どうせ彼のことだから、どこか我々が見えないところで、乱闘を見物するのだろう。
「くそ……兄者はこういう時に限って手伝ってくれねーんだよなぁ……さっさとやって、帰ろうぜ」
「無論、そのつもりだ」
二人は岩影から立ち上がり、儀式に夢中の盗賊に向かって襲いかかっていった。
後列の盗賊は次々と奇襲に合い、異変に気付いた他の盗賊たちは、呪文を中断し、侵入者による突然の襲撃にどよめく。
レイエンとディジャンは、彼らが武装をし始めようとする者から順になぎ倒していった。
無抵抗で一方的に殺されていく者が多いが、こちらも仕事の身であるため容赦はできない。ディジャンも商人のギルドに属している分、商人の通行を邪魔しているこの盗賊団への鉄拳は、容赦が見えなかった。
しばらく一方的に奇襲し続けたところ、早くも武装をした体躯の良い盗賊たちが、一気にレイエンとディジャンの周りを囲む。盗賊たちの兜からは、少ししか顔色がうかがえないが、皆目が血走っていて、砦を明け渡すように交渉できる余地も無さそうだった。
しかし、「潰す」ことが一番の目的であるため、二人とも交渉する気もせずに、盗賊たちを倒していく。
だが盗賊たちもやられているばかりではない。鎖帷子と顔の殆どを覆い隠す面を付けた浅黒い肌の盗賊は、鎚や棍棒、刀剣を持って、次々と襲い掛かってくる。
ディジャンは自慢の格闘術で膝や足を使い、大きな体格の敵の顔を蹴り上げていく。あまり注意深く構えていないため、敵に囲まれ、攻撃を繰り出されることがしばしばあるが、持ち前の瞬発力で回避する。
一方慎重派のレイエンは、一人ひとりの敵を着実に仕留めていく。速さは素手のディジャンよりも劣るが、薙刀の攻撃範囲の広さのおかげで、どの方向から敵が向かい来てもしっかりと攻撃を受け止めることもできるし、追撃もできる。盗賊たちはたとえ武装をしたとしても、驚異的な相手でもなさそうに見えた。
敵もあらかた片付いてきた頃だった。
背後から何やら怪しげな呪文の声がしたため振り返ると、儀式の時にいた黒い法衣姿の男たちが特殊な陣形を取り、詠唱を唱えていた。レイエンは術士との戦闘をしたことがないだけではなく、呪術すら見慣れていなかったために、何を繰り出してくるのかわからない不安感が一気に押し寄せてきた。そして、詠唱を唱えている間に倒そうと思い、前へと出た。
しかし、その瞬間、術士を中心にして、どろどろとした血のような、奇妙な線をした魔方陣が足元に広がった。
レイエンは驚いたが、次に、襲いかかったのは、心臓の痛みだった。一瞬、術が発動されたのかと思ったが、同じ魔方陣を踏んでいる盗賊やディジャンたちは、何か変化があるという風には見えなかった。
あまりにも痛みが苦しく、レイエンは思わず膝を地面につく。
(くそ……こんな時に……)
周囲には敵がいまだ大勢いるというのに、体は思うように動かない。
「レイエン、後ろだ!!」
ディジャンは、膝をついて動かないレイエンに、今にも切りかかろうとする盗賊を見て、叫んだ。レイエンは切りつけられる寸前のところで、その刃を薙刀で受け止めた。
しかし、体格の大きな盗賊はそのままレイエンに乗り掛かり、刃を押さえ付けてきた。
心臓の痛みもあり、なかなかその大男を振りほどくことができない。
レイエンはディジャンの方に目をやる。こちらに気を取られたディジャンは、いきなり彼の死角から出てきた盗賊に縄を首にかけられ、そのまま空に上げられると、壁から突き出ている岩にかけられた。
盗賊に乗り掛かられ、刃を受け止めているまま何もできないレイエンは、真上にいる首吊り状態のディジャンを確認する。
ディジャンは首にかけられた縄を手で浮かそうとするものの、盗賊に縄を揺らされ余計に首を締め付けられるばかりだった。
このままでは、彼の命が危うい。
(面倒をかけられたものだ……!)
レイエンは大男を振りほどくことよりも、その刃を折ることを優先した。刃を受け止めている力をうまい具合に変えて、盗賊の刀を折る。すると、折れた拍子に飛んでいった刃は、盗賊の頬をかすめ、ディジャンの首にかけている縄へと飛んでいった。
空に上げられていたディジャンは縄が斬れた瞬間、地へと落ちる。
「ぐっ……、た、助かったぜ」
ディジャンは咳き込みながら、礼を述べる。
レイエンは大男を振りほどき、とどめを差すと、術士たちのいる方を向いた。
先程まで怪しげな詠唱を唱えていた彼らは、一人もいなくなっていた。
今や戦うこともできずに怯えている盗賊が数人いるだけで、あとは盗賊たちの骸ばかりが、転がっている。
レイエンは辺りを見回してみたが、どこにも術士たちはいない。
彼らの消え去る気配はまったく感じられなかった。人はこれほどまでに忽然と逃げられるものなのだろうか。レイエンは訝しく思ったが、一旦ここで戦闘は終わったようなので、薙刀を鞘に戻した。
隅の方で怯えている盗賊は、もはや襲いかかってくるようすでもなく、レイエンが薙刀を鞘に戻したのを確認すると、一目散に逃げ出していった。
「追うか?」
もう一度薙刀に手をかけ、息の整え終わったディジャンにたずねるが、彼は首を横に振った。
「いや、いいよ。兄者を探そう」
レイエンは頷き、早速砦の中を調べようとする。
一歩前へ足を踏み出したときに、何か小石のようなものが、服から落ちてきた。レイエンは一瞬それが何なのかよくわからなかったが、ふと思い当たり、先程フェイロンにもらった数珠を取り出してみる。
小粒の数珠は、殆どが割れて、崩れていた。
動いた拍子に割れてしまったのだろうか?
レイエンは不思議に思っていたところ、ディジャンがこちらを大きな声で呼んできた。割れた数珠を再度しまい、レイエンはディジャン声のする方へ行った。
広場から外れた小道に、少し屈まないと通れないような狭い穴蔵がある。ディジャンは何やら晴れやかな顔をさせながら、その穴蔵の中を見ていた。穴蔵の中を松明で照らしながら覗くと、金色に輝く財宝がたんまりと積み上げられていた。
「なあ、これ俺たちが持っていってもいいかな?」
ディジャンは弾んだ声で言った。
「持ち主なんて、もういないようなものだからな。おそらく下に盗賊たちの馬があるはずだから、それに乗せていくといい」
もはやフェイロンを探すことも忘れているように、ディジャンはさっそく財宝を広場に持ち出して、馬に乗せる準備を始めた。
レイエンはあまり気が乗らなかったが、錆びていない美しい財宝を見ると、何となくもったいない気持ちがしてきたため、仕方なく、手伝うことにした。
** ** ** ** **
上へ続く階段に、バタバタと慌ただしく掛け上がっていく盗賊たちを度々見掛ける。
ゴツゴツとした防具と、大きな武器を纏った盗賊たちを見て、フェイロンは二人が広場で戦闘を始めたことを確信する。若干の呪術師がいたことは少々気にかかるが、その程度の量であれば二人に任せても充分であろう。
フェイロンは広場の平定よりも、この盗賊団の根自体を潰すために、アジトの内部を侵入していた。
皆、広場の騒動に気をとられているため、気付かれることは無かったが、内部の構造がとても入り組んでいて、盗賊団の親玉への道順が非常にわかりづらかった。
「次はどちらの階段ですか?」
大きな声をさせないよう、捕虜の男に猿轡をかけ、アジト内の道案内をさせていた。
捕虜は呻きながら、道をさす。フェイロンはその示した通りにアジトの奥へと進んでいく。
人を支配することは根からの得意分野であるため、彼が嘘をついているかついていないかを判断するのも容易だった。
広場へと向かっていく盗賊に見つからないよう、しばらく進んでいくと、他の部屋よりもひときわ大きく、豪勢な扉の前にやってきた。
ここが親玉の部屋なのかとたずねると、男は怯えた表情をさせながら、何度も深く頷いた。
フェイロンはその大きな扉をゆっくりと開ける。
中は土臭いが、他の部屋よりもずっと文化的で、大理石の床に、色鮮やかなペルシャ絨毯が広がっている。壁にかけられてある松明は、美しい紋様のランプで覆われていた。
部屋の奥にはとびきりたくさんの装飾で着飾った、筋骨隆々の大男と、アジト内の状況を説明している呪術師のような姿の男がいた。
呪術師はおそらく、広場にいた者の中の一人であろう。
そして呪術師の前にいる大男こそ、このアジトの親玉のように見えた。
その二人がこちらの存在に気が付くと、驚き、さっそく腰にある剣を引き抜いた。
「誰だ!?」
大男は荒々しい声で、こちらに問いかける。親玉らしき男は狼狽しているようすだったが、呪術師の方は嫌に冷静であり、それが少々気にかかった。
それでもフェイロンは、目を細め、穏やかな声で言った。
「今晩は、盗賊さん。今夜はとても慌ただしい夜ですねぇ」
「貴様も侵入者か? 何が目的でここに来た?」
フェイロンは捕虜の男を捨てるように、放り投げた。
「えぇ、少し。仕事で用がありましてね」
投げ捨てられた捕虜は、猿轡も解け、一目散に呪術師のもとへと駆け寄り、縋りついた。
「たっ、助けてくれ……!! みんな殺されちまう!!」
呪術師の表情は、フードでなかなかわかりづらかったが、縋りついてきた盗賊を振り払うようなことはせず、むしろ哀れな男を慈しむかのように、抱擁した。
しかしそれも束の間のことで、呪術師が捕虜の男の背中に奇紋を描くと、たちまち男の体から赤黒い炎のような靄が溢れ出し、目や鼻、口から血を吐きだしてぐったりと倒れこんだ。しばらく苦痛に呻く声が漏れていたが、すぐに動かなくなった。
侵入者に加担する裏切り者は必要ない。呪術師の佇まいからは、そういった意思が感じられた。
フェイロンはすぐに、呪術師に向かって気功を放った。しかし、その一撃はぎりぎりのところで剣で弾き返されてしまった。その後も何度も、打ち出してみるが、呪術師は攻撃に押されている雰囲気はあるものの、剣が折れることもなく、ほとんどの気功を弾き返す。
どうやら剣には、術の効かない特殊な術が張り巡らされているのだろう。
しかし、呪術師は気功の重みと速さで、だいぶ息が上がっているようすだった。フェイロンはすかさず、壁にかけてある松明を数個、気功で破壊した。
松明が破壊されて、呪術師の影はフェイロンの足元までかかった。
これには呪術師も予想がつかなかったのだろう。なぜ、突然松明を壊したのか、構えてはいるがまったくわかっていないようすだった。
フェイロンが彼の影を踏んだ瞬間、呪術師は身動きの取れない状態になった。
どうあがこうとしても、体は思うように動くことはなく、呪術師は険しい表情をさせて、フェイロンを睨んだ。
「特殊な術を使うのは、お互い様ですよ。悪く思わないでくださいね」
フェイロンは呪術師に近寄り、彼の顎を扇子で上げて、低い声で問いかけた。
「何が目的ですか? 誰に指揮をされて、ここにいる?」
アジト内を散策していた時に気付いたことがある。この盗賊団は、どうやら盗賊たちの意思で邪教を崇めていたわけではないということ。
むしろ、「邪教を崇めている」ということも大きな間違いであろう。
ここの連中は、もともとはただキャラバンを襲って奪略している荒くれの集まりにすぎなかった。しかし、怪しげな呪術師たちの何かしらの甘い罠にかかり、先程のような邪悪な儀式を行い、邪気を放出して、地域を汚染しているのではないかとフェイロンは気が付いたのであった。
そして、目の前で捕らえている呪術師こそ、そのひとりであるのだろう。
こういった害悪は早急に取り除かなければならない。邪気に振り回されている人生だからこそ、こういった事件は他人事のように思えなかったために、敦煌で依頼を請けたのである。
邪悪はすべて根本から潰さなければならない。だからこそ、フェイロンはこの盗賊団の害悪の根本の、そのまた根本を探らなければならないと思ったのだ。
呪術師はしばらく、苦い顔をさせたままで、何も答えようとしなかった。
しかし、突然不敵な笑みを浮かべた。
それと同時にフェイロンは何かの異変に気付く。
呪術師の体から、先程捕虜の男が殺された時に見たような赤黒い靄が炎のように揺らめきながら、放出されてきた。フェイロンは咄嗟に身を引き、構えるが、既に呪術師の術を止めることはできなかった。
「身動きが止められても、自らに術をかけられる点は、少し甘いな」
「何?」
呪術師は目や鼻や口から、血を垂らし、息もできず苦しそうに呟く。
「聞き出そうとしても無駄だ。……何もかもを言った後に行き着く場所は、地獄よりも苦しい世界なのだから、な」
そういうと、呪術師は突然血を吐いて、地に倒れこんだ。
彼の口ぶりからは、やはり何かの、誰かの目的があって盗賊団と関わっていたように思われる。
しかし、その目的がわからないのであれば意味がない。今後も同じような組織が地域に出現することであろう。
フェイロンはふと、盗賊団の親玉である男の方を見た。
彼の冷たい視線に驚いた男は、「ひぇっ」と言葉にならない悲鳴をあげて、尻を地面に着いた。そして、必死の説得をし始める。
「そ、そいつは半年ぐらい前からいきなりあらわれてきたんだ。キャラバンで奪ったたくさんの宝をやるから、俺たちに『気』を集める儀式をしてもらいたいって頼まれたんだよ」
男は早口で説明し、震えながら、土下座をする。
「だから、頼む。俺のことは見逃してくれ。何なら、砦にある財宝は全部あんたに渡すから!!」
「へぇ……そういうことなんですねぇ。安っぽい情報をありがとうございます」
フェイロンは足元に落ちてある、呪術師の剣を拾い、男の方へと向かった。
男は見逃してくれる気のないことを悟るものの、性懲りもせずに、裏返りそうな声で命乞いを続ける。
「俺は、ちゃんと訳を説明したぞ!? うちにある財宝も家畜も全部やる。それでも足りないなら――」
「えぇ、足りませんね。知りたいことも訊けずに、勝手に死なれてしまったこの不愉快さを、如何に晴らせばよいでしょうか」
口元は微かに微笑んでいるが、目は殆ど笑っていない。
男は恐れおののき、絶望の声色で叫ぶ。
「ふ……ふざけるな……!! もうお手上げだと言っているんだ!!」
「私はね、『楼蘭にいる盗賊団を潰してこい』と、依頼をされたのですよ……せっかくなのであなたも一緒に死んでください」
仕事とはいうものの、その一撃には『義務』というより、『憂さ晴らし』の色が濃かった。
もはや最期を見届けてくれる仲間もいない、その部屋に、男の悲痛な断末魔が響き渡った。
** ** ** ** **
三人が野営地へ戻ると、早速リンシンが出迎えてくれた。
もはや野営地にいる殆どが夕食を食べ終わっており、砂漠用の絨毯をひいて、眠りについていた頃だった。
「どうしたのよ、その大荷物は」
リンシンは三人が、乗ってきた馬に、大量に積み上げられている財宝を見て、唖然としていた。
「そのまま錆びるよりは、誰かの手に渡った方が良いだろう」
レイエンは馬を休めるために、積荷を一旦下ろしながら言った。
「まぁそれもそうね……そんなことよりご飯食べるでしょう」
「当たり前だろ! 食う食うー!」
ディジャンは上機嫌で鍋のある焚き火の前に座り込んだ。レイエンもだいぶ腹が減っていたため、同じく焚き火の前に座る。
夕食が終わると、ディジャンはすぐに眠りにつき、レイエンやリンシンもだんだん眠くなってきた頃合いだった。
気がつけば、野営地にフェイロンの姿は無かった。また周辺の浄化にでも行っているのだろう。
彼のいない野営地は、安心感も不安感も混ざった、変な雰囲気が漂っていた。それだけ、このキャラバンにいる彼の存在は、大きなものなのだろう。
リンシンがいまだに浄化の札を燃やし続けているを見て、レイエンはその浄化の札をリンシンから奪い取り、焚き火に一つずつ入れ始めた。
「いいよ、今日一日働いてくれたじゃないの」
そういう意味で代わったのではなかったが、レイエンは気だるそうに、言った。
「……あまり、眠れない」
「そっか……」
しばらくの間、焚き火のぱちぱちと弾ける音がはっきりと聞こえるほど、沈黙が続いた。別に気になるぐらい鬱陶しい沈黙ではなかったが、リンシンは何か、物言いたげなようすだった。
レイエンは何か言ってくるだろう、と思い、札を焚き火の中に入れながら、それを待った。そして案の定、リンシンは穏やかな口調で、問いかけた。
「どう? うちのギルド」
レイエンはあまり深く考えず、率直な意見を簡単に述べた。
「変な奴らばかりだ」
「ま、まぁね……」
リンシンは苦笑いをした。
「……お前らのようなギルドに、何故俺が誘われたのか、今になってもまったくわからない」
いまだに彼らの話もあまり着いていけないし、そもそも信用することができていない。彼らの話すことすべてが、胡散臭く思えて、なかなか親しもうとする気にはなれなかった。それはレイエン自身の性格も理由になるのではあるが……。
「どうしてだろうね、兄さんの考えがすべてだからね、私にもわからない。私は、ただ、この子はどうかなって兄さんに勧めてみただけだから」
するとリンシンは、焚き火の火を見つめながら、それでも遠くを見ているような目をしながら、呟いた。
「私もディジャンも、兄さんとすごく長い付き合いだけど、兄さんの考えが全部わかっているわけでもないの。むしろ、どんどん分からなくなってくる……それがすごく怖いよ。でも私たちは、兄さんに着いていくことしかできない」
しかし、すぐにこちらを向いて、はっきりとした口調で言葉を続けた。
「きっとレイエンも、わからないから信用できないこともあるかと思う。それでも、貴方の居場所は、しっかりとここにあるの」
レイエンは、小さく頷いた。そういった気遣いはしてくれなくてもよかったが、あまりギルドに馴染めていないのを察して、そんなことを言ってくれているのだろう。
リンシンはフェイロンと違って、ずっと純粋で聡明な心を持っているように見えた。
二人が兄妹であることは、初めて出会ったその日から言われていたことだが、いまだに信じられない。確かに瞳は同じ色のようだが、行動も言動もまったく似ても似つかない。
レイエンはふと、ぼそりとつぶやいた。
「……お前たち、兄妹には全然見えないな」
「えっあっ、そ、そうかな……まぁよく言われることかもしれないけど。小さい頃の方が似てたかな……」
リンシンは困ったように、はにかんだ。
そしてすぐ話題を変えて、先程とは別の調子で話し出した。
「そうだ、私達実はすっごく貧乏だったのよ。毎日毎日、奴隷みたいな生活よ! こうしてずっと商売をしながら旅をしている方が、私達には合ってるの」
「ふーん……」
幼い頃は貧乏だったことは意外だったが、レイエンは何となくこのギルドの経営の仕方に合点がついたような気がした。
奴隷のような生活をしていたからこそ、奴隷を庇うこともある。そういう魂胆だろう。
だが、なぜ、奴隷の護送の仕事も引き受けるのだろうか。
これもすべて、リーダーであるフェイロンに直接聞いてみれば良いことだろうが、彼に話しかけることさえもあまり気は進まなかったし、そもそも知らなくても良いことだろうと、自己解決した。
「レイエンは? 小さい頃はどんな子だったの? どんな家庭で育ったの?」
リンシンは無邪気に、質問を重ねてきた。レイエンは答えられない質問をたずねられ、やや狼狽える。記憶がないことをあまり知られたくはなかったのだ。
黙ったまま目を泳がせているレイエンを見てリンシンは、首を傾げる。
「……聞いちゃまずいこと聞いたかな?」
「いや……」
それでも、勘違いをされているよりは、本当のことを言った方がマシだと思えた。
レイエンは吐き出すように、答えた。
「記憶がないんだ。自分がどこで育ったのかも、どう育ったのかも……奴隷として運ばれている前は、どこにいたのかさえもわからない」
リンシンは、悲しさと喫驚の混じった複雑な表情をして、呟いた。
「そうなんだ……」
その後は一瞬だけ沈黙し、再度リンシンは口を開いた。
「……思い出せるといいね」
確かに思い出したかった。
もっと自分というのを知りたかった。
しかし、それは意味のあることなのか何度も自分の中で自問自答してしまう。
『怖いことは知らない方がいい、俺も知りたくない』
数日前に、盗賊の男に言われた言葉を思い出す。
レイエンは、記憶を思い出すことは、自分のためになるのかよくわからなくなっていた。
本当に自分には、帰るべき故郷があり、会うべき人々があるのだろうか? 生まれ育った故郷も、人との関わりも、すべて妄想なのではないか?
最初から独りであれば、思い出さなければならない記憶などないのではないか。
それが恐ろしい記憶なら、尚更思い出したくもない。
いつの間にか、リンシンは眠っていた。
見張りをしているのは苦ではなかったが、意味のない自問自答が果てしなく続く夜が、とても重苦しく感じられた。