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砂塵の狼  作者: れのん
第2話 旅立ち
4/21

【2】

 突然、リンシンのラクダの引いている車の窓が開いた。そしてそこからフェイロンが顔を覗かせる。

「レイエンさん、退屈ですか?」

 それに対し、やや鬱陶しそうにレイエンは答えた。

「まぁ何も出ねえからな……邪鬼の一匹でも出ればいいんだけどよ」

 するとフェイロンは、扇子を口に当てて不適に微笑んだ。

「おや……やる気充分ですねぇ。そんなレイエンさんのために、ちょうどこちらへやってきているようですよ?」

「は?」

 その瞬間、キャラバンの行く手に大きな砂煙が、爆発音と砂の舞い上がる音と共に立ち上った。

 上がった砂がこちらにふりかかり、レイエンたちは顔を腕で覆う。砂が完全に下に落ちた後、ようやくそこに現れたものの姿を一行は見た。

 とても巨大なもぐらの妖怪が、こちらを見て佇んでいる。

「さ、砂漠もぐらよ!!」

 リンシンは叫んだ。それと同時に後ろの隊商の商人たちが悲鳴のような驚きの声をあげる。

 砂漠をさまよう邪鬼に類する、砂漠もぐら。奴等は砂中にひそみ、砂の上を歩いている人間たちを襲う妖怪である。鋭い爪、牙、そして見上げるほど大きな体……こんなにも恐ろしい形相の巨大な妖怪を目の前にすれば、護衛のいないキャラバンが恐れ怯むのも無理はないだろう。

 砂漠もぐらは、大きな雄叫びをあげて、こちらを威嚇してきた。

 多くの者はその音の大きさに怯んだが、ルーフンはすかさず弓矢を向けて、あっという間にもぐらの眼を潰した。そして、瞬時に弓を背中に背負い、腰に下げてある青龍刀に持ち替え、痛みにもがいているもぐらの手足を切り落とし、最後にその首に刀を叩き付けた。目の前に現れた砂漠もぐらは一瞬のうちにして砂上に伏した。

 まるで戦闘の楽しみを早い者勝ちしたいかのように、ルーフンの動きは素早く、楽しげで、表情は不気味な笑顔だった。

 レイエンは薙刀を構えていたが、ルーフンの攻撃が早すぎて、手を入れる暇がなかった。

「ちょっと、倒すの早すぎよ! レイエンの仕事慣れにも協力してあげなさいよ!」

 リンシンはそう怒鳴ったが、ルーフンは聞いてもいないようだった。

 レイエンにとってはそんなことはどうでもよかった。むしろ足元から来る、異様な気配を感じることが先程から何よりも気になった。

 ルーフンの倒した砂漠もぐらが動かなくなったのを確認したが、レイエンはいまだ警戒を怠ることはなかった。

 何やらこの身を鈍く突き刺してくるような、得体の知れない不気味な気配を感じる。

「……いや、一匹だけじゃねえ」

 足元から揺れを感じたレイエンがそう言った瞬間、そこからもぐらの大きな爪が這い出てくる。レイエンは咄嗟に薙刀で重い爪を食い止め、勢いよく弾き返した。

 爪はすぐに砂中に潜り込み姿を消したが、また次の攻撃を仕掛けてくるかもしれない。

「砂の中を移動する妖怪です。あまり動いてはなりませんよ、あの爪に引き裂かれるやもしれません」

 フェイロンは後ろに並んでいる非力な商人たちに忠告をした。商人たちは驚きすくみあがったが、忠告通り、静かに息をひそめる。

 もぐらはいまだに、砂中の中を動いているようだった。レイエンは地面へ神経を研ぎすませながら、もぐらの位置を探った。

 手に汗を握らせ、薙刀を地面に向けて構える。

――ここだ。


 砂中のもぐらの位置に気が付いたレイエンは、一歩下がり、薙刀を地面へ、まっすぐに突き刺した。

 するとその瞬間、血が吹き出し、地面が赤く滲む。

 何とか攻撃を繰り出される前に迎撃することができたが、また次の攻撃が来ることを予測して、レイエンは薙刀を引き抜き、構え直した。

 しかし砂中のもぐらは、すぐに勢いよく地上に現れてきた。

 傷口に砂が沁みたのだろう。地上にその姿を現れたもぐらは腕を勢いよく振るい、大きな叫び声をあげている。

 砂のこびりついた腕を激しく振るい、辺りには砂と血が撒き散らされる。その様子は、まるで攻撃をあててくれと言わんばかりに隙だらけであった。

 レイエンは薙刀を握りしめ、勢いよくもぐらに斬りかかる。

 しかし、当たる寸前に、痛みにもがいてばかりだったもぐらが腕を上げ、爪をレイエンに向かって振りかざした。

 レイエンの繰り出す攻撃は、今にも当たろうとしていたところだったが、もし当たったとしても迫り来ている爪の攻撃を避けられる自信はない。

 そこまでの思考はすぐにできたが、肝心の回避の仕方を考える余裕がなかった。

 ただわかるのは、この攻撃が当たっても、自分ももぐらの爪の攻撃を食らうことだけだった。

(……まずい)

 レイエンは唇を噛んだ。

 しかしその瞬間、もぐらが後ろに大きく仰け反る。

 何が起こったか詳しくはわからなかったが、レイエンはその隙に、もぐらの心臓めがけて思い切り薙刀を突き刺した。刃が当たればその身は脆く、薙刀はすぐにもぐらの体を貫いた。

 倒れたもぐらの顔を見れば、そこには二本の矢が、ちょうど目の辺りに突き刺さっている。まさしくルーフンの放った弓矢だ。

 あれだけ激しく動いていた敵にも関わらず、そしてレイエンが近距離にいたにも関わらず、こんなにも精密な射撃を射ようと思えるその心意気に、さらなる狂気さを感じる。

 もしその軌道が少しでも外れていたらレイエンはその矢に貫かれていただろう。だが、ルーフンの一助が無ければもぐらの爪の餌食になっていただろう。

 レイエンは一瞬、焦燥にかられたが、何も言い返せない気持ちになった。


 戦闘が完全に終了すると、荷車を操縦していたディジャンが降りてこちらにやってきた。

「んじゃ、この肉捌いとくか。燻製にして食料の足しにしようぜ」

「もぐら肉は不味い」

 ルーフンは不服の意を述べながらも、腰に下げてある包丁に持ち替える。

「調味料めちゃくちゃ持ってきたから文句言うな!」

 二人は早速もぐら肉を捌き始めた。レイエンはその光景を見て、やや呆然としてしまう。

「お前ら妖怪の肉なんて食うのか? 汚れた妖怪の肉だぞ」

 そういうと、ディジャンは少しの間よくわからないような顔をしたが、すぐに快活に答える。

「あーあーそういうことね! 兄者が、浄化? っていうの? してくれるから気にしなくていいぞ」

 レイエンがしばらくその様子を見ていると、ルーフンが青竜刀を差し出してきた。先程までもぐらの首を掻っ切った刀であるため、血がこびりついている。「お前も手伝え」と言う意味か、とレイエンは心の中で面倒に呟いた。そしてだるそうにしながらも、三人で一緒に大きなもぐらの遺体の解体作業を始める。

「兄者、ってフェイロンのことか? あいつは呪術師か何かなのか?」

 レイエンは昨日のことを思い出しながら、質問をする。

 先程、ディジャンから聞いた「浄化」という言葉もあるが、フェイロンに関しては昨日からいろいろなことが気にかかっている。

 レイエンは、飯店から逃げていくエムラの地面からフェイロンが突如として現れたことを思い出した。

 もぐらのように地を割り現れたのではない。頭からいきなり上がってきたように見えたのだ。そして、先程砂漠もぐらが現れる直前には、まるで妖怪が襲いかかることを予期していたかのようなことを言っていた。

「まー、呪術師みたいなもんだろ。俺にはよくわからないけど。昔、いきなりああなって帰ってきたからさ」

 ディジャンは捌く手を少し休めながら、説明を続けた。

「兄者は十年前に仙人の修行に行くとか言って、ギルドから離れていったんだ。それで五年ぐらい、東にある泰山にこもってた。帰ってきた時には、今までの兄者と百八十度は変わってなー」

「仙人が商売事をしているのか……」

「大体仙人なんて山に住んでるようなもんだろ。兄者はその仙人の術を商売に活かしてるらしい。俺にはよくわからんけどな。直接聞いてみればいいじゃん」

「はは、やめとけ。どうせ、信じ込ませるために変な術をかけられるだろうからな」

 そうルーフンが口を出した。

「まー、そうかもな」

 ディジャンは苦笑いをしながら言った。


 だいぶ肉が採れた丁度の頃、キャラバンにいるリンシンがこちらに戻ってくるよう大声で呼び掛けた。

 夜の砂漠を動くのは命取りであるため、まだ陽のある内にキャンプの張りやすい場所へ向かわなければならない。

 レイエンたちはキャラバンへと戻り、また砂漠の道を歩き始めた。


 やがて陽が落ちて、暗くなってくると、各々のキャラバンは絨毯を引き、焚き火を作ってそこに居座った。しかし、どのキャラバンもそんなに離れているわけでもなく、みんな毒サソリ除けの油を引いた範囲の中にはいるようだった。


 完全に陽が落ちると、焚き火を灯して食事が始まった。

 持ってきた麦粉をよくこねて、それを布で包み、火で熱した砂の中にしばらく入れ、麺麭を作り、ディジャンの作った野菜や肉の入った味の濃いスープにつけて食べた。

 もぐらの肉は、確かに味は良くなかったが、香辛料の香りの強いスープが、それを飲み込む手助けをしてくれた。

「やっぱりこの香辛料持ってきたのね」

 スープを味わうリンシンがディジャンに言った。

「そりゃ、当たり前だろ。砂漠なんかにいるんだから、飯ぐらいは実家の味を思い出さなきゃな!」

 ディジャンは麺飽を頬張りながら言った。

 するとリンシンはレイエンに向かい、紹介するように言った。

「ディジャンはね、飯店の子なの。私たちも小さい頃、よくディジャンの家に行ってご飯を作ってもらったのよ」

 確かに男の作る飯ではあるが、どことなく繊細さが感じられる。

「ウテンにはたくさん香辛料があるだろ。早く帰っていろいろ作りてえな」

「ふふふ、これからも砂漠旅ばっかりで、厨房に立てないの、寂しいでしょ」

 リンシンの問いかけに、ディジャンは首を横に振った。

「そんなこたぁねえよ。ここは材料も道具も少ないからこそ、料理人の魂が燃え上がるってもんだぜ」

「そう。ディジャンがいてくれると、砂漠の食事が飽きなくてすむわ」

 リンシンが微笑むと、ディジャンは少し顔が赤くなった。

 照れているのを隠すためなのか、ディジャンは鍋のスープをかき混ぜながら、別の話をし出す。

「てか、兄者どこ行った? もうなくなっちまうぜ」

 するとルーフンは自身の器をディジャンに差し出しながら言った。

「フェイロンはやることあるからここの周辺うろついてる、だからあいつの分を俺に寄越せ」

「は~? 兄者がキレるだろうが……」

 とは言うものの、ディジャンはルーフンの器に最後の一杯を注ぐ。

「平気よ。だって兄さん何日食べなくても死なないから」

「前はあんなに食ってたのにな。仙人って霞とかいうもん食うんだろ?」

「らしいわね。実際には見たことないけど。今度見せてもらえば?」

「……なんか怖ぇからいいわ」

「試しに食ってみろとか言ってきそうだもんな」

「確かに」

 レイエンは食事を共にするキャラバンの賑やかな雰囲気に耐えきれず、自分の分を食べ終わるとすぐに立ち上がって一人になれる場所を求めた。

「レイエン、どこ行くの?」

 去ろうとするレインに対してリンシンはすかさず問いかける。

「……小便に」

 別に用は無かったが、一番手っ取り早い嘘だろうと思い、そう答えた。リンシンはそれ以上何も言ってくることはなく、仲間たちとの談話へすぐに戻った。


 レイエンはキャンプから遠ざかり、岩陰に腰をおろす。

 そして人と過ごすことで、今自分がどれだけ自分を知らないのかを理解してきた。

 奴隷車で意識を取り戻して以来、自分が以前にどんな生活をしていたのかがまったく思い出せない。思い出せることといえば、ある盗賊団から抜け出してきたことだけだった。

 その盗賊団はとても閉鎖的で、それでも優しい郷愁の漂う、おかしな場所だったのだとぼんやりとわかる。その場所がどんな雰囲気があり、どのように自分が思っていたのかということは、非常に薄い記憶だが存在する。だが、その場所がどこにあるのかまったく思い出せない。どこで生まれたのかも、どこから来たのかも、親や兄弟がいたのかもわからない。

 この状態を、レイエンは異常であると気が付いていた。だが、思い出したくても思い出せることは何もない。

 記憶を失う前の自分は、こんなにも自己のない人間だったのだろうか? むしろ、自分は本当に記憶喪失だというのか? 元から故郷も親もいない人間だったのではないか? だが、このぼんやりと存在している昔の記憶は何なのだろうか。

 果てしない疑問が頭の中をいっぱいにした。だが、自問しても、何も答えられず、得られるものはない。

 レイエンは考えるのがだるくなって、そのままうつむいた。

 皆が寝静まったぐらいで戻ればいいだろうと思って、その一人の空間に浸った。


 しばらくの間、夜の闇に浸るように動かないままでいた。

 誰かの足音がして、レイエンは咄嗟に我へ返り、足音のした方に振り向く。

 そこにはフェイロンの姿があった。

「……なんだ、お前か……」

 レイエンは敵ではなかったことに安心はしたものの、面倒な奴に会ってしまったことから、やや落胆した気持ちになる。

「おや、リンシンたちといたのではなかったのですか?」

 フェイロンは不思議そうに問いかけた。

「……別に。あの場にいても俺は関係がないから」

「関係は作るものですよ」

 わかりきっていることを言われ、レイエンは少し不愉快に感じる。

 だが、自分のことをまったく知らない自分と彼らを、どうしても比較してしまうのがあまりにもつらく、戻れる気はしなかった。

「お前こそ何をやってる」

「周囲の浄化です。浄化の念を込めた水晶を野営地の周りにばらまいて、厄除けの結界とします」

 フェイロンは小粒の水晶を砂の上に少しずつ落とし続ける。落ちた水晶は星のような淡い光を放ち続けた。彼の後ろを見れば、その水晶の列が長く続いていて、キャンプの周辺を覆っている。

「やはりお前は呪術師か、祈祷師の類なんだな……そんな奴がなぜ、商売をしている」

「ふふふ、いけませんか? まぁ、盗賊には珍しいかもしれませんね」

 レイエンは少しいらつき、フェイロンを少しだけ睨む。

 その後は、一瞬沈黙が続いた。


 どうせ結界を張るために、すぐにそばから立ち去るだろうとレイエンは思っていたが、フェイロンは突然話をし始めた。

「レイエンさん、邪気をご存知ですか」

 突然質問を投げかけられたものの、答える時間を与えられないまま、そのまま説明を始めた。

「周囲に渦巻く闇を邪気と我々は呼びます。これらは人の憎悪、忌術、妖怪から生まれやすいものです」

 親しみのない話であるため、あまりついていけていないレイエンだったが、黙って彼の話を聞くことにした。

「普通の人には見えません。感じ取ることもできません。ですがそれに触れれば、生命は心を蝕まれ、やがてその命は絶えるでしょう。――この砂漠にはその邪気が、普通の砂漠よりも何十倍もあるのです。生身の人間なら、すぐに発狂して、五回は死ぬほど、濃いものです」

 最後の方は、少し表情が真剣で、語気も強いように感じた。

「……だから、なんだ。それをお前があの車の中で守っているということか?」

 レイエンは鼻で笑いながら言った。

「まぁそんな感じですけど」

 フェイロンは顔を綻ばせて言う。だが、次はまた表情と口調が真剣になった。

「ですが、私が言いたいのはそういうことではありませんよ。……レイエンさん、よく気をつけなさい。彼らは隙があればどんどんと入り込んでくる。私の術など無意味なほどに、ね」

 レイエンは深く聞いていたわけではなかったが、何となくその言葉が印象的に感じた。


 気がつけば、野営地の明るい話声が消えていた。どうやら皆寝始めた頃合いだろう。

 レイエンは重い腰をあげて、いまだ結界のための水晶を落とし続けるフェイロンの後ろに続いて帰ろうとした。


 すると突然、背後から嫌な空気が、ものすごい勢いでその身を押してきた。

 とても重く、吐き気のする、不可思議な空気だった。レイエンはその気分の悪さと違和感に耐え切れず、思わず片膝をつく。

 前を歩いているフェイロンを見たが、何も動じている様子はなかった。

 すぐにレイエンはその重い空気が来ている背後を振り向いて、何が起こったのかを知ろうとした。そこには夜の深い暗闇が続いているだけで何かがあるわけではなかった。

だが、じっとその方向を見ていると、何かが迫ってきているような感覚を覚えた。実体の無い、けれど確かにそこには存在する。誰にも見えない恐ろしいものが、こちらに向かってきている感じがする。


 次に起こったのは激しい心臓の痛みだった。

 レイエンはその耐え難いほどの痛みに悶え、胸をおさえて地面にうずくまった。

(何だ、これは……)

 得体のしれない恐ろしいものがこちらに近づいてきているというのに、心臓が痛すぎて、立ち上がることもままならない。

 今まで感じたことのないような恐怖が頭の中にいっぱいになる。謎めいたものに抱かれ、逃れられないような気分がした。誰かがそばにいるのに、孤独で殺されそうになる。寒さと飢え。焦りと恐怖。それらが全部混ぜ合わさったような不気味な恐怖ばかりで、意識が遠のきそうになる。

 せめてその恐ろしいものがある方に向くのをやめたかった。けれど体は思うように動かなかった。

 体の震えが止まらない。


 すると、後ろから白く細い手が、頬へと寄ってきた。

「大丈夫です、レイエンさん。気をしっかり持つのです」

 その恐ろしいものがある方向を遮るかのように、その胸に引き寄せられる。

意識が朦朧とする中、レイエンは見上げて、フェイロンの表情を見た。彼はその暗闇がある方向をじっと見つめていた。先程、邪気の話をしていたような真剣な表情だったが、心なしか、その恐ろしいものを睨んでいるような感じもする。

 彼もその存在に気がついているのだろうか?

 確かにそれは、こちらへ近づいてきている。距離が近くなるにつれて、心臓が、乱暴に、鷲掴まれているような感覚に陥る。

 早く逃げたかった。この暗い場所から立ち去りたかった。

 だが、動くことのできない以上それはかなわない。

「自分自身に集中なさい。この場には、私と貴方以外誰もいません」

 痛みと恐怖ばかりで、何が起こっているのかまったくわからなかったが、フェイロンの言葉通り、その方向にあるものを見ることや考えることをやめた。

 フェイロンはその暗闇の方を向いているばかりであった。

 レイエンは目を瞑り、痛みに耐え、その暗闇について考えることをやめると、不思議と心臓の痛みが消えていった。呼吸はまだ整わないが体中がゆっくりと軽くなっていく。


 完全に痛みが消えてくると、フェイロンはレイエンを離した。

「今のは、一体……俺は……」

 暗闇からこちらへ向かいつつあった恐ろしいものは、いつの間にか無くなっていた。

 レイエンは驚くばかりでいまだ立ち上がることは無かったが、フェイロンの方から先に立ち上がった。そしてまた普段の雰囲気に戻り、微笑みながら言った。

「さて、皆の元へ戻りましょう。そろそろ眠る時間ですよ」

 フェイロンが何を見ていたのか問いたかったが、それよりも先に彼はキャンプへと向かってしまった。

 疑問が晴れず、もやもやとした気分が残るばかりだったが、レイエンもその気味の悪い場所に居続けられる気はしなかった。

早々にキャンプへ戻り、その日の疲れを癒すため、眠りについた。

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