【2】
宿に戻り、怪我をしたリンシンを寝台に横たわらせた。頭に包帯を巻かれたまま意識を失っている実妹を見て、フェイロンは一気に青ざめる。
彼から大目玉を食らうことを充分に予想していたレイエンとディジャンは、言いづらそうに口籠もらせながら、先程起こった出来事を話す。
「なんて無茶を……貴方たちがいながらどうしてこんなことになっちゃったんですか!?」
「どうもこうも、この女が勝手に始めたことだ。俺たちが止められるわけないだろ」
大柄のラクダが何度も体当たりをし合う競技である。身の危険は避けられるものではない。しかしさすがのフェイロンも、リンシンが意識を失っているさまを見て大事に思わないわけがなかった。
「リンシンは悪くない、あの暴れラクダを乗りこなせない奴が悪かったんだろ」
レイエンの態度が気に食わないディジャンが食って掛かる。彼はリンシンのことになるとしばしば口うるさくなる性分である。レイエンは面倒臭く思った。
「……誰もリンシンが悪いとは言ってねえよ。ただの事故だ」
「さっきの言い方は悪いって言ってるみたいだっただろうが!!」
「うっせえな、事故だっつってんだろ!」
レイエンとディジャンがいつもの小競り合いをしている中、意識が目覚めたリンシンはだるそうに身体を起こした。
「あーもう、うるさいわよ……頭に響くじゃない。兄さん、心配かけてごめんね」
「リンシン……おぉ、かわいそうに。どこのどいつがあなたに暴力をふるったのですか? 今からその馬鹿の元へ行って叩きのめしに――」
言いかけたところで、リンシンは慌ててフェイロンの肩を揺する。
「ま、待って。兄さんの気持ちは嬉しいけど……レイエンの言った通りこれは私が始めたことなの。だから私がけりをつけに行くわ」
「しかし……」
リンシンは声を低くして言った。
「何かよくないことが起きているのかもしれない……ラクダが暴れ出したのは、何か原因があるんじゃないかと思うの」
フェイロンは思わず口を閉じるが、依然として心配そうな表情を浮かべている。
部屋に沈黙が過ぎる中、壁に寄りかかっているミンミンが淡々と話し始める。
「……その馬鹿女が言っている通り、さっきのラクダには確かに問題があるわね」
「ミンミンちゃん、何か気付いてたの?」
「ラクダが突然邪気を纏い始めたの。ただのラクダだったのに、一瞬で妖怪になってしまったようだったわ」
「それってどういうこと。その場で妖怪になっちゃったってことなの?」
リンシンは食い気味でミンミンに質問をするが、不快に思ったのか眉をひそめる。
「わかんないわよ。あんたの怪我の処置で調べるどころではなかったんだから。……ただ観客たちが、またか、なんて言っていたから、初めて起こったことではないのでしょうね」
ふむ、とフェイロンがうなり、仮説を投げた。
「一定の邪気に触れると、人も動物も狂気に陥ることがあります。常習的にそのような騒動が起こるのなら、どこかに邪気の根源があるとは考えられますが……」
「じゃあその根源ってやつを探し当てれば、あの子たちは安心して暮らせるってこと?」
フェイロンとミンミンは小さく頷いた。
少し沈黙が続いた後、リンシンはレイエンとミンミンに向かって寝台の上で跪き、手を合わせた。
「お願い! ラクダがどうして暴れたのか、調査したいの。あなたたちも手伝ってくれないかな?」
「はぁ? 俺もかよ」
面倒事の嫌いなレイエンは、すぐに文句を言った。ミンミンも面白くなさげな顔をしていたが、黙ったままだった。それに対してディジャンは無駄に張り切っており、「俺は行くぜ」とでも言うような誇らしげな面持ちをさせている。
「ただラクダが狂ったというだけの話じゃないって確信しているの。だっていきなり暴れ出したんだよ? 他の子たちだっていつ自分が襲われるか、怯えながら暮らしているはず」
なぜこの女は面倒事に首を突っ込みたがるのか、こういう性分は実に兄にそっくりである。ふと、フェイロンの視線を感じ、嫌な気分のまま彼の方を見る。その鳶色の瞳からは、「どうか妹の世話をしてやってくれ」とでも言いたげな雰囲気を醸し出している。
邪気絡みの仕事は、レイエンにとって簡単なことではない。
「お前な……俺の体質わかってんだろ……」
レイエンは小声でそう言いつけると、フェイロンは片眼でまばたきをさせ微笑んだ。
「大丈夫です、帰ったらお祓いをしてあげますよ」
レイエンは呆れるようにため息をついた。このギルドにいる限り、フェイロンとリンシンの発言に抗うことが難しいのは、今まで敦煌から旅をしてきた分、よく理解している。レイエンは渋々承けることにした。
「ミンミンさんは? リンシンを助けてやってくれますか?」
フェイロンがミンミンに尋ねると、ミンミンは訝しそうにして質問を返した。
「あんたは行かないの」
「手伝ってやりたいのは山々ですが……私もまだ仕事がありますので」
「そもそもあんたがぱぱっとやってくれば、すぐに解決する話じゃないの?」
「あらぁ、ミンミンさん。あなたも道士なのですから邪気の浄化ぐらいは出来ますよねえ? まさか出来ないのですか?」
「何よその言い方! ムカつく、それぐらい出来るに決まってるでしょ!!」
激昂したミンミンはリンシンを指差しながら甲高い声で叫ぶ。
「私だって手伝ってやるわよ! 別にこの女のために行くわけじゃないんだから! この街のラクダたちが可哀想だから協力するだけよ、わかった!?」
「きゃー、ありがとー!! ミンミンちゃん!」
リンシンがミンミンに抱きついた。逃れようとするミンミンを抱きしめながら、次にフェイロンに向かって言った。
「兄さんは安心して他の仕事しててね、私たちはちゃんと街の問題を解決してくるから!」
「ふふふ、気をつけていってらっしゃい」
レイエン、リンシン、ディジャン、ミンミンの4人が宿を出て、再びラクダレースが行われていた競技場に向かっていった。
それを見送ったフェイロンは、宿の2階で寝ているルーフンを叩き起こす。
「ルーフンおじさん、起きてください。若者がせっかく休日に働いているのに、おじさんはぐーぐー寝てばかりじゃないですか」
「……んぁ?」
ルーフンは寝ぼけているのか、みっともない声が漏れる。
「ちょっと心配なので、リンシンたちの護衛をこっそりお願いしたいのですが……」
「はー?」
突然のフェイロンの要求にルーフンは把握できていないようだったが、それにも構わず、フェイロンは言葉を続ける。
「何も無かったら普通に帰ってきてくださって構いませんから、ねっ、ルーフンおじさん。あ、それと。帰ってくる時美味しいもの買ってきてほしいです」
「うん」
ルーフンは依然として眠そうだったが、ゆっくりと身体を起こし、少しの小遣いを貰ってから宿を発った。
競技場までの道中、先導するリンシンを呆れた眼で見つめながら、レイエンは愚痴をこぼす。
「ほんっとあいつもお人好しだな。こんな小さな街の草試合に手を貸したところで、何の利益があると思ってんだよ」
それを聞いていたディジャンが言った。
「俺たち月華義団が報酬無しで人助けすると思ってるのか?」
レイエンはディジャンの方に視線を向ける。
「リンシンも兄者もお人好しには見えるけどな、無益の助太刀なんてしねえのよ。あいつの思惑はおそらく……ラクダレースの景品が目的だな」
「ほんと、がめつい奴だな」
「ははは、まったくだ」
ディジャンはリンシンに視線を向けて、もう一度口を開いた。
「いや……でもリンシンは、ラクダのためっていうのも本心だと思うぜ」
段々とディジャンの口元が綻んでいく。
「リンシンは俺たちが商売を始めた頃からずっとラクダの世話をしてきてくれたんだ」
今では安定した商売と刺激のある旅を続ける月華義団にも、下積み時代というものはあった。貧乏生活の中、商売の仕方や外国語、金の計算、大陸の地理など商人に必要なあらゆる知識を備え付けることができたのはフェイロンだけだった。リンシンも兄に倣って商人の勉強をしていたが、幼い頃からわらを編むことばかりしていた彼女にとって座学はあまり集中できる方では無かった。しかし純粋な心を持つ彼女は、ラクダやロバなど運搬使役動物の世話をするのがとても好きで、すぐに彼らと仲良くなることができる。月華義団の中では、リンシンが一番動物への思いやりが強い。
「リンシンって、マジで優しいんだぜ……」
どこかうっとりとした表情をさせているディジャンには構わず、レイエンはリンシンについて先を急いだ。
先程まで競技場だった場所は、コースの柵やスタート地点の屋根が撤去されており、数匹のラクダがうろついている以外ただの空き地に戻っていた。運営本部のテントには数人の男が残っており、突然入ってきた月華義団を見て、テントの中はどよめく。男たちはリンシンに駆け寄り、心配の声を掛けた。
「先程のレースで負傷をされた方ですね、お怪我の具合はいかがでしょうか」
「えぇ、ありがとう。まだ痛むけど、意識ははっきりしているわ。ところで、さっきの暴れ始めたラクダについて少し聞きたいことがあるんだけど」
すると男たちは顔に疑問を浮かべたが、詳しく事情を聞こうとはせず、テントの外に向かって誰かを呼び出した。程なくして、レースの主催である男が入ってきた。この地域でよく見られる中肉中背で肌の赤黒い、髭面の中年だった。
「これはこれは……心配しましたよ、リンシンさん。私どもの調教が及ばず、このような事態に……申し訳ございません」
「あー、いいのよ。あんだけたくさんのラクダがひしめき合っているのだし、怪我の1つや2つあって当たり前だわ」
楽観的な彼女に、主催の男は小さく笑った。主催の男はサマドという名前で、隊商宿の運営をする片手間に街の行事を切り盛りしている。手広い事業をしていることもあって、機転のよく利くビジネスマンという印象だった。
「とにかく、頭の怪我は用心なさってください。さて、どういったご用件でしょう」
「さっきのラクダの暴走事件のことよ。ラクダが暴れたのは、あなたたちの調教がなっていないからじゃないでしょう」
突然ミンミンが鋭い口調で話を切り出す。幼い外見にして、正確な洞察力を示してきた彼女に、サマドは喫驚して言葉を失った様子だった。そしてやや暗い面持ちになる。明らかに、図星といったような態度であった。
「……わかりました、すべてをお話し致します。まずは私の店にいらしてください、ちょっとした間食をご用意しましょう」
サマドはそう言うと、自身が経営する隊商宿へと4人を連れて行った。
宿は大して豪華な作りではないのだが、遙か西方のオアシスに自生する杉によって作られた木造の建築物であり、長い砂漠の道を歩いてきた商人たちを癒やす安心感と素朴さを持ち合わせている。この地域はウテンから多くの隊商が来ているため、上品で美しい軟玉細工の装飾がよく目立つ。
サマドは月華義団に見せたいものがあるらしく、それを取ってくるまでの間、1階の客間で待つことになった。間食は自家製のラクダ乳と発酵乳。ラクダ乳は先程採れたばかりのもので、ほのかな温かさを帯びている。ラクダの乳は塩辛いことが多いのだが、もてなされた方の乳はとても甘く、独特な臭みも少ない。一方、発酵乳はこれもまたラクダ乳で作られているようで、少しばかりの酸味と優しい舌触りがとても特徴的である。街の東にある小さなオアシスの近隣には果樹園があるらしく、そこで採れたリンゴのスライスも添えられており、独特な甘みをより際立たせる。地産地消の隊商宿だからこそなせる、絶品のデザートだ。
しばらくすると、サマドが客間へと入ってきた。手には塗料の磨り減った鞘を携えている。
「いかがですかな、ラクダ乳の味は」
「えぇ、とても素晴らしいものだわ。私、普段は発酵した乳を頂かないのだけど……この発酵乳は本当においしい」
レイエンにはその言葉が、商人がよくするような真偽の分からない陳腐な褒め言葉にしか聞こえないが、サマドは満足そうに微笑んでいた。
「それで、今回の事件だけれど」
「はい。お約束通りお話致します。皆様、こちらの宝刀をご覧ください」
サマドが持っていた鞘を月華義団に見せる。使い古されてぼろぼろになっていること以外、ただの短刀にしか見えない。
「ラクダの暴走については、実を言うと理由があるのです。話は、私がこの宿を営むよりも先代に遡ります。この刀は、ある逞しい雄ラクダに乗っていた男の愛刀でした。強い絆を持った彼らは、幾度の戦に躍り出て、勇猛果敢に戦い、栄光ある戦果を勝ち得るほどの猛兵でした」
サマドはその短刀に、暗い視線を落としながら、遠い昔話を語るように話し始めた。
戦士と雄ラクダは、いつも一緒にいた。言葉を交わすことはできずとも、お互いに何をしたいか、何を求めているのかがわかるほどに信頼関係の熱い、ひとりと1頭だった。
しかし、ある時の遠征の道程で、砂漠の妖怪から襲撃を受け、戦士は命を落とす。ラクダは命からがら生き残って、この街の馬小屋で保護された。彼の悲しむ様子は、目も当てられないほど哀れなものだった。猛々しかった彼も、最愛の主を亡くした後はみるみるうちに老け込んでいってしまう。
時を経て、もうすぐで老衰で息を引き取るだろうと思われていたその雄ラクダが馬小屋から姿を消した。その日から、ラクダたちが突然暴走をするという事件が頻繁になってきた。家畜動物の扱いに手慣れた砂漠の民が、穏やかなラクダを手懐けられないわけがない。ましてや飼育の行き届いたラクダが暴れることなど考えられるはずもない。次第に人々は、主と死別したラクダの怨念なのではないかと騒ぐようになった。
「私は、今回の事件もラクダの怨念が原因であると考えています。彼の主の形見であるこの宝刀を返すことができれば、せめてもの鎮魂になるのではないでしょうか」
ここまで話が深刻であるとは予想もしなかったリンシンは思わず言葉を失う。客間の空気が重くなり、しばらく沈黙が過ぎったが、この中でも妖怪関連のことに専門性のあるミンミンが、話を切り出す。
「主人の形見を返してもらうことを鎮魂と捉えるかどうかは、その子次第よ。人の魂であれば、まだ交渉は容易かったかもしれないけど、相手は言葉が伝わるかどうかもわからない怨念に駆られた獣なら……鎮めるには骨が折れるでしょうね」
「いえ、きっと伝わります。どんな時でも、ずっと一緒にいた関係なんです。この刀を見れば、きっと弔いになるはず……!」
サマドは宝刀を握りしめ、必死に訴えかける。
「そうはいっても、あんたはそのラクダを見たことあるのか? 今した話は、先代の出来事なんだろう。そこまで熱くなる義理があんたにあるとは思えんが……」
猜疑心をほのめかすレイエンに、リンシンは慌てながら、唇に指をあてて失言を注意する。しかしサマドは深く頷き、掠れそうな声で、けれども強い語気で答えた。
「えぇ……仰るとおり。この話は私の父が年若かった頃のことでございます、私は父や祖父、そのほか年配の住民に何度も何度もその武勇伝と怪談を聞かされ育ちました。温厚で義理堅い彼らが語る話は真実のものであると強く信じているのです」
サマドは月華義団の前に跪き、よりはっきりとした口調で言葉を続ける。
「私はこの街をより賑わせたい。そのためには、一昔前の怨念に囚われたままではいけないのです。どうかお願いです、旅のお方。邪鬼を鎮める力がお有りなら、どうぞこの街のためにご助力くださいませ。――お礼といっては何ですが、ラクダレースの優勝賞品を差し上げましょう」
リンシンは、その言葉を待っていたとでも言わんばかりの表情をさせて、彼の拳を握った。
「もー、サマドさん顔を上げてくださいな。そんなに畏まらずとも、そのご依頼しっかりと承けさせて頂くわよ。何せ商売をしながら旅先の困った人に手を差し伸べる! それが私たち月華義団なんですから」
そしてレイエン、ディジャン、ミンミンにそれぞれ視線を向ける。その眼には「やるわよね?」と言いたげな色をさせていた。
まったくこのギルドの兄妹は、ここぞという時に同じ眼をしてくる。レイエンは呆れながらも小さく頷いた。ミンミンも無表情ではあったが、このまま引き下がるわけにもいかないというような強い気持ちを持っている。ディジャンは相変わらず、リンシンの決めたことに着いていくことしか考えていないようだ。
サマドの依頼を承けた月華義団4人は、早速目的の妖怪ラクダがいると思われる場所が示されてある地図を見ながら、街の北西へと向かった。
交易路であるため、街に近い道はある程度舗装されているのだが、サマドが示した場所はタクラマカン砂漠の東西を横切っていく、二手の道のど真ん中、いわゆる「死の砂漠」の由縁に等しいほど危険極まりない地帯である。一度入ったら二度と帰っては来れないため、人間は自ら奥深くまで足を踏み入れることはない。
この砂漠の恐怖には、2つの理由がある。1つは妖怪が多く生息しているということ、しかしこれは様々な砂漠――いわゆる人の寄りつかない辺境でも同じ特徴が見られる。だが、特にこの地域では、古代文明にあった寺院が多く捨てられているために、より凶悪な妖怪たちが蔓延っているという。2つは砂漠の砂の粒子がとても細かいこと。砂嵐に飲み込まれて窒息して、命を落とす者もいる。砂嵐は堪えることが出来ても、それを堪えている間に血肉に飢えた妖怪たちに襲われる可能性もある。そして妖怪たちの猛攻から逃がれようとしても、足場の悪い柔らかな白砂が、逃げる足を鈍くさせる。
こういった理由があり、以前通ったゴビ砂漠よりも死と隣り合わせの危険な砂漠となっている。
いかなる探検家も古代遺跡を調査しないだろうし、いかなる猛兵も妖怪退治に赴く気にはならないだろう。
まさに自然と邪鬼の楽園だ。
だが、そんなにも恐ろしい領域の縁に、月華義団はほぼ準備の整っていないままに踏み込んでいく。
太陽が燦々と光っている白昼だと言うのに、不気味さが体中をつつく。先程まで色鮮やかなバザールにいたはずだったものの、街の外の舗装されていない荒れた砂の道は、やけに灰色がかって見える。満ちあふれる邪気により、体中を大きな手で握りしめられているような重みを感じる。
頼みの綱は、フェイロンから頼まれたお使いで買った浄化道具のみ。しかもミンミンだけしか使い方はわからない。一行はいよいよ、フェイロンを連れてこなかったことを後悔した。
特にこういった危険地帯で邪気の影響を受けやすいレイエンは、依頼を請け負ったことやリンシンに着いてきたことを後悔した。身体の不調はますます強まっていく。街から離れていけばいくほど、レイエンの歩みは遅くなった。
レイエンは自身の呪いのことをリンシンやディジャンには詳しく言っていない。だが、2人とは今まで共に砂漠を旅してきたのだから、何となく感づいているようだった。特にリンシンはレイエンの体調を気に掛けてくることもよくあった。レイエンはその性格もあって、リンシンの気遣いを心から受け入れることはできず、おまけに皆との歩みが遅れることを嫌悪した。
余計なお世話だ、とでも言いたげなレイエンの眼に気が付いたリンシンは、帰ることを勧めようか勧めまいか戸惑いを抱いている。
放っておいてくれた方が気が楽だ。フェイロンが面倒を見てくれているのだから、これ以上他人に気に掛けられることだけは避けたい。
しかしその身に降りかかる見えない苦痛に抗うことは出来ない。
感覚のすべてを忘れることに集中していたレイエンが我に返る。ふと横を見れば、ミンミンがこちらを冷静な目で見つめていた。
「……あんた、帰った方が良いわよ」
滲む汗を拭いながら、レイエンは鼻で笑った。
「まさか。そんなことしたらフェイロンに何言われるかわかんねえだろ」
「でも、あんたの身体がもたない」
余計なお世話だ、とレイエンは言いかけた。人の近寄らぬ砂漠で倒れるわけにはいかない。ましてやまだ怨霊のラクダと対峙してもいない。ここまで歩いたのなら、何かしらの収穫を得たかった。
しかしサマドが示した小さなオアシスに来ても、目的と思しきラクダに遭遇することはかなわなかった。
4人はそのまま砂漠の真ん中で野宿をすることにした。食糧は軽食程度の干し肉と干しぶどうほどしか持ってこなかったため、空腹感が満たされることはない。
「腹減ったなー……」
ディジャンがそう呟いたが、他3人はかまいもせずにぼんやりと焚き火を眺めているばかり。4人の間にはどことなく、きまずい空気が漂っている。どうしてこんなにもきまずい雰囲気になっているのかわからず、ディジャンはそわそわと気を揉ませる。
砂漠の夜は妖怪の襲撃が危険だ。今はミンミンが敷いてくれた結界によってキャンプは守られている。焚き火に浄化札を投げて燃やすことで、その煙が周囲を浄化してくれる。レイエンはその札を焚き火に投げ入れる度に、昼間より少しばかり不快さが和らぐ気持ちがした。
だからといって4人の間の気まずい空気は無くなることはない。レイエンは何も喋る気が起きなかった。
やがてリンシンが何か話したそうに、レイエンの方をちらと見てくるようになった。
「……あのさ、レイエン」
気まずそうに呼びかけた後「苦しかったら帰っても良いのよ」と呟いた。
レイエンは返答に困って、口をつぐんだ。
「あなたが砂漠にいると苦しそうにしているのは知ってる……兄さんから時々聞いているの」
あいつ、何を話しているんだ、とレイエンは心の中で思った。
リンシンは同じ調子で言葉を続ける。
「もちろん、レイエンが着いて来てくれたのは嬉しいわ。だけど、このままじゃあなたの身体がもたない。夜が明けたら、一刻も早く街へ戻るべきよ」
心配そうな目で見つめるリンシンに、レイエンは顔を向けたいと思わなかった。
他人に心配されるなんて冗談じゃない。
「お気遣いはありがたいが、お前たち3人で妖怪退治が務まるとでも? 先に倒れるのはどっちだろうな」
「お前な……!」
「ディジャン、やめて」
落ち着いた様子のままのリンシンを見て、レイエンはますます苛つき始める。
「大体、リンシン。お前は何ができる? 戦闘になれば何もできないで、邪魔になるだけじゃねえか。何が妖怪退治だ。それとも砂漠でへばっている俺の方が足手まといか」
それなら俺は喜んでこの仕事から降ろさせてもらうぜ、と言ってレイエンは立ち上がって、街への方角に振り返る。
「そういうことを言っているんじゃないの」
「じゃあ何なんだよ、いちいち俺を振り回しやがって、ふざけんな」
「確かに私は皆みたいには戦えない、足手まといだわ。でも私にはあなたたちの仕事を無事に終わらせられるために、監督する役割を持っている。兄さんの代わりとして、あなたたちがスムーズに仕事を完遂できるよう、全体を把握しながら指示を出す仕事を持っているの。私たちがご飯を食べられて街で好きなことができる旅を続けられるのは、私や兄さんが指示する仕事をあなたたちがこなしてくれているからなのよ」
リンシンは声を低める。
「私の仕事は確かに目に見えにくいかもしれない。でもこれだけは覚えておきなさい、私たちは楽しい旅行のために旅をしているわけじゃないわ。ギルドの仕事を果たすために旅をしているのよ」
リンシンの真剣な眼差しを見て、レイエンは何も言い返せなかった。そして言い返せない自分が非常に腹立たしく思えた。思い返してみれば、月華義団においてリーダーであるフェイロンがいない時に決断の要となるのはリンシンである。
指示を出すのが仕事だなんて屁理屈のようなものだと思いつつも、フェイロンもリンシンもいない状況下で判断をして行動ができる自信はレイエンには無かった。それだけ、このギルドにおける仕事の経験の無さを明白に感じられた。ただ正論を投じられ、狭苦しい感情に襲われた。そしてその場にいるのが苦しくて、とうとう焚き火から離れていった。
「おい、待てよ。レイエン!」
彼の態度を見て不機嫌そうなディジャンが語気を荒げるが、冷めた目と呆れた口調でミンミンが呟く。
「少しぐらい頭冷やしてくればいいんじゃない」
キャンプから離れていくレイエンを、リンシンは心配そうな眼で見つめ続けた。




