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砂塵の狼  作者: れのん
第6話 道士少女
15/21

【2】

 リンシンが向かった方の道へと二人は進む。

 幸い、虫はルーフンとフェイロンが処理している分だけで、こちらに向かってくることはなかったが、いつ妖怪と出会うかわからないため、用心をしながら道なき道を急いだ。

 相変わらず雑草にまみれた地帯であったが、草の踏まれた跡を足跡として、それに沿って歩く。リンシンがミンミンを追っていく時、確かにここを通っていく陰が見えたのだが、しばらく歩いてもどこにも姿が見えない。ディジャンは彼女のことが心配なのか、とても落ち着きのないようすだった。

 レイエンはそんなディジャンに、探すことに集中しろと心の中で思い、やや不愉快に思えてくる。最初は何も言ってやろうという気にはならなかったが、ぶつぶつと何かを呟いているディジャンにいらいらしてきた。

「……お前、少しは落ち着いたらどうだ。探すのに集中できない」

 レイエンは溜息をつきながら、ディジャンに言うが、彼の不安そうな様子は止まないばかりであった。

「リンシンは戦えないんだぞ。あのガキだって、変な術使いやがるし……何をしでかすかわからねーじゃんか」

 確かに、リンシンは護身用に鞭と短剣を所持しているだけで、その戦闘経験はほぼ皆無に等しい。砂漠越えの時も、何度も危険な事態は起こったが、リンシンはほとんど助けてもらうだけで、戦闘に参加することはないのだ。戦えないのなら仕方の無いことだが、危険地帯で一人で勝手なことをしないでほしい。

「まぁ……あのデカいのがいなければ、ガキだとて、怖くは無いだろう。術を使う前に捕まえてやる」

 怪しげな術を使う小娘も気がかりだが、彼女の使う巨大キョンシーはフェイロンが沈めていた。完全に息の根を止めたようには思えないが、道術にも長けているフェイロンが巨大キョンシーの側にいる以上、ミンミン自身が脅威になるとは思えない。

 問題は彼女たちが無事かどうかである。森の道は入り込んでいく度に、暗く湿った嫌な気分になる場所となっていく。このような場所は、妖怪の住処の場合が多い。万が一、自分の身を守れない彼女たちが、妖怪に襲われてはまずい。特にリンシンは、たとえ無事であっても、怪我のひとつでもさせてしまえば、フェイロンにどう言われるかわからない。

 レイエンはそのことが一番気がかりであった。あまり機転の良くないディジャンとはこういった戦闘地帯であまり共に行動したくないが、だからといって一人で全責任を背負いたくもない。不愉快だが、その点は共に来てくれて助かる部分でもあった。

 足跡は更に暗い森の中に進んでいく。それと同時に、嫌な気配のする視線がこちらに突き刺さってくるような感じがした。向こうの茂みから、木の上から、地面の下から……得体は知れないがとても不気味で不吉なものにじっと見つめられているような気がするのだ。明らかに、キャンプを置いた地点よりも嫌な感じの寒気を感じる。

「なぁ、変な草生えてねえ?」

 ディジャンは引きつりそうな声で、レイエンに問いかける。

 辺りを見てみると、見たことの無いほど毒々しい得体の知れない草が生えている。木の上からはどろどろとした液体を流す、不気味な蕾が数多く垂れ下がっている。それらから出てくる、青臭さと泥臭さの混じったような汚臭が鼻に突いた。

 気がつけば、雑草を倒して出来た足跡は途絶えている。この辺りを来るまで変わらず続いていたというのに、いきなり、忽然と消えてしまったのだ。

――ここで何かが起こったのだろう。レイエンは歩みを止めて、辺りを見回した。ディジャンはレイエンが歩みを止めたことに気がついて、彼もまた歩みを止める。まだ何なのかよくわかっていないようだが、レイエンが辺りを警戒している様子を見て、彼も辺りを見回し始める。

 夥しい量の蔦が巻き付いている木が目立って見える。その木の上まで上っている蔦を目で辿ると、蔦に巻き付けられてぐったりとしているリンシンが見えた。

 ちょうど薙刀の届く距離であったため、レイエンはすぐに蔦を切り、ディジャンが落ちてくるリンシンを抱き留めた。切り裂いた蔦からは、気持ちの悪いぬめぬめとした液体が流れ出てくる。

 リンシンは気分の悪そうにぐったりとしていたが、呼びかけるとすぐに目を覚ました。

「あ、あれ? ディジャン……」

「おい、何があったんだよ!?」

 リンシンがディジャンの腕から降りると、不思議そうな表情で辺りを見回しながら答えた。「う、うーん。ごめんちょっとよくわからなくて……あの子のこと追いかけようとしたんだけど、いきなり何かに捕まれた気がして。どこかに連れ去られたような気はするけど、よく覚えてない……」

 リンシンの不思議な返答にレイエンとディジャンは言葉を失う。ここで一体何があったのか、見当が付かなかった。

「ひとまず、あの子のこと探さないとね」

「……厄介だな。もう帰ってもよくないか」

 リンシンを見つけ出せた途端、ミンミンを探す気がなくなったレイエンは気怠そうに言った。しかしディジャンが、唸った。

「確かに帰りたいところだけどよ……多分、帰ったら兄者に怒られるぜ?」

「いや、またあのデカいのを取りに戻ってくるだろう。わざわざ見つけなくてもいいんじゃないか」

「でも、あんなに小さい子なんだから、助けないと。今はキョンシーと一緒にいないはずだから、一人で歩いてたら危ないもの」

 リンシンはあまり乗り気ではない二人に、ミンミンを探しに行くようさりげなく促す。

 幼くても、交易の旅をしてきただろう彼女が、このような場所にいても平気そうな気はするが……確かに今、彼女には主な武器であるキョンシーがない。彼女に襲われた身であるし、まだ仲間になったというわけでもなく、他人にすぎない人物でもあるが、彼女が一人の子どもである以上、この危険な森の中で放っておこうという気にもなりづらかった。――第一、フェイロンがあまり良い顔をしないだろう。

 レイエンは仕方なく、ミンミンを探しに行くことに決めた。


 一歩、足を前に出した時だった。突然地面がぐらつき、三人を揺らす。

「きゃっ! 何!?」

 リンシンは立っていられず、その場に座り込んだ。地面の揺れ方が、ただの地震ではないため、レイエンは辺りを見回した。しかし、これといって目立った変化は見当たらない。何が起きたのかわからないまま、三人は地面に揺らされたままとなった。

 やがて足元から、突然、無数の蔓がぬうっと現れる。まるで意志を持っているかのように動く蔓は、三人に向かって伸びていく。レイエンは蔓を切り、ディジャンとリンシンはなるたけ触らないようにして、蔓を回避する。

 足元がぱっくりと割れ、地面が大きな音を立てて崩れ、地の下に在る者が起き上がる。

 地面だと思っていたその場所は、ちょうど土を被っていた花の妖怪であり、人間たちに踏まれたことで起き上がったのである。

「ま、また妖怪!?」

 蕾と思われる部分が縦に割れて、鋭い牙を見せつける。その口からは、腐った肉のような、とてつもない悪臭が立ちこめている。赤黒い花弁は分厚く、白い斑模様を持っていて非常に醜い。

 大きな花の妖怪が、酷い臭いの液体を撒き散らしながら、ゆっくりと起き上がる。リンシンは降りる間もなく、足を滑らせて、蕾の中へと落ちかける。レイエンはすぐにリンシンの腕を掴み、蕾とは反対の方へと押し、花の上から落とした。その反動で、レイエンは蕾の方へ落ちて、鋭い牙の間へと挟まった。

 蕾の中は、とても熱い胃液のような液体が溢れている場所である。中に入れば、その胃液に溶かされて、この花の養分になってしまうだろう。

「くそ!」

 鋭い牙と蕾の縁に足をかけて何とか中に落ちずにすんでいるものの、蕾の縁からぬめぬめとした液体が出てきて、なかなか動けそうに無い。しばらくそこでもがいていると、分厚い蔓が、レイエンに何重にも巻き付いてきた。

 蔓に持ち上げられて、空に舞い上がったレイエンは、何とか蔓から逃れようと力を入れたが、蔓の力の方が強力で、まったく逃れられそうに無かった。ディジャンとリンシンが戸惑いと驚きの混ざった表情でこちらを見上げ、叫ぶが、妖怪が大きすぎて、彼らにも為す術がない。何か攻撃しても、少しの衝撃では妖怪は怯むことも無いだろう。

 人間の肉を待ち望んでいるかのように、多くの涎のような液体を垂れ流しながら、その口へとレイエンを運んでいく。

――もう食われるかのところまで来ると、何かの実が木の上から降ってくるのが一瞬見えた。 木の実のようなものがレイエンより早く、妖怪の口の中へ入った時、妖怪は苦しいのか大きな悲鳴を上げた。そしてたくさんの汚い液体を吐き出しながら、レイエンを放り投げる。着地する寸前、木の上で先程の少女が見えた。

 見上げると、木の上には我々を見下ろす、堂々とした表情のミンミンが立っていた。

「早くとどめ刺しなさいよ!」

 一同は突然の出来事に状況を把握できずにいたが、ミンミンに叫ばれ、我に返る。未だ謎の木の実ひとつで怯んでいる花の妖怪は、体を起こそうと必死に悶えている。レイエンはその隙に、口の柔らかい部分を切り裂いた。

 急所を突かれた花の妖怪は大きな悲鳴をあげて、地に倒れ伏した。腐っていくかのように、どろどろとした体液を地面に垂らしながら、焼いた石を冷やした時のような音が耳障りなほどに森の中に響く。それと同時に、周辺の所々にあった、臭い液体を垂れ流す蕾も、溶けるように萎んでいく。そして陽の光が届くようになったからか、少しだけ辺りが明るくなった。先程の妖怪は森の広範囲に取り憑いていたようで、奴の生息領域に入った途端に感じた嫌な気分も、無くなっていた。


「ありがとう。ミンミンちゃん」

 リンシンは、感嘆を混じらせながら、ミンミンに礼を述べる。幼いながらも、その冷静な対応と堂々とした佇まいを見てレイエンやディジャンも彼女の度胸に納得せざるを得ない。彼女は幼くとも、やはりこの妖怪の多い外の世界で「旅をする者」のひとりなのだ。

「本当はあの白いのに使ってやろうと思ったものだけど……あんたたちを変に放っておいて、またあいつに脅されても困るもの」

 ミンミンは冷たい声で言い放った。


 その後、ミンミンは黙ってキャンプへと着いてきてくれた。虫の妖怪は処理し終わったようで、フェイロンとルーフンは遅めの昼飯を用意していたところだった。

「おや、おかえりなさい。向こうも騒がしかったようですが、お怪我はありませんか」

 言いかけたところで、フェイロンは後ろの方でひっそりと立っているミンミンに気が付いた。目が合うと、ミンミンは不満そうな態度であるが、きっぱりと答えた。

「協力するわ、あなたたちのギルドに。そうでもしないとクァンを返してくれないでしょ」

 フェイロンは嬉しそうに、微笑んだ。

「そうですね、私がしようとすればいくらでも彼を束縛できます。残念ながら、あなたとは同業者の身でありますので」

 ルーフンは「使えたのかよ」とでも言いたげな顔をしながら、フェイロンに言った。

「死体に働かせればいいじゃねえか」

 フェイロンは口を尖らせた。

「そんな生易しいものじゃないんですっ。周りに馬鹿がひとりでもいれば事故が起こるんです。そんなことも気にせず使えれば、便利なんですけどねえ……」

 ルーフンはその言葉にピンと来ていないままのようだったが、構わず、フェイロンは再度ミンミンに向いて、クァンを指しながら言った。

「――クァンさん。と呼ぶのですよね、この子は。とても良い子です。たいへん円滑に、術が効く仕組みが施されている。これを作ったのは、まさかあなたではないですよね?」

 フェイロンの問いかけに、ミンミンは横に首を振った。

「おじいちゃんだけど……」

「そうですか、あなたのお爺様は偉大な道士ですね。ということは、あなたの道術も、お爺様から?」

 ミンミンは静かに頷いた。フェイロンは、感心したように、喉の奥を鳴らした。

「お爺様から与えられし力を思う存分使うことのできる良い機会です――我がギルドが、あなたの力をより引き出す舞台となるでしょう。よろしくお願いしますね、ミンミンさん」

 フェイロンは怪しく微笑み、焼き上がった羊肉を焚き火から取り出し、ミンミンに手渡した。彼の言葉に、ミンミンは少し表情を和らげたが、すぐに愛想の無い表情で呟いた。

「言われなくてもわかってるわよ……」

 ミンミンはその肉を食べるよりも先に、ディジャンが大きな声を出す。

「あ!! そういや味付けどうした!?」

 肝心のことを思い出したディジャンは、肉の焼き具合を見ているルーフンに大声で問いかけた。

「そのままの方が上手い」

 ルーフンも、焼き上がった羊肉を取り出し、食いちぎりながら、言った。

「なわけねーだろ馬鹿、くせーよ!! ったく、仕方ねえ。手持ちの味付けで我慢しとくか……」

 羊肉には合わないんだよな、とぶつぶつ言いながら、ディジャンは手持ちの調味料で自分の分を味付けする。


 もう正午よりも遅い時間になってしまったが、まだ陽も高いため、月華義団は再度、西へ向かい始める。

 キャラバンの後ろには、ミンミンの操るキョンシーであるクァンが、大きな鞄を背負いながら後を歩いている。あまりに奇妙な姿に荷物を運んでいるラクダたちは、最初怯えている様子であったが、クァンがおとなしくて穏やかなために、すぐに慣れて、いつも通り歩いてくれるようになった。

 盗賊もこの大きなキョンシーがいるために、近寄れる者はなかなかいないだろう。無駄な戦いの抑止力にもなるほどに存在感のある彼だが、性格はとても穏やかであった。何か喋ったり、道術以外で自由に動くようなこともなく、一見とても無機質であるが、殺意や狂気などはとても感じられない。むしろ、非常に安心感のあるような、不思議な雰囲気を醸し出す落ち着いた紳士のように見えた。

 クァンを操っている道士であるミンミンの方は、リンシンの乗っている車の隣に座っていた。――とはいっても、座らせたという方が正しいのだが。

 リンシンはすっかりと、ミンミンを可愛がってやまなかった。男ばかりがいる月華義団の中で、旅をするメンバーとしてはリンシン以外、初めての女子である。リンシンはいつも男共と過ごしているために、口調も荒く、声も大きく、度々フェイロンに女性らしさについて小言を言われていた程だったが、ミンミンに語りかけている時の彼女はとても優しげで、たおやかであった。

「ねぇ、ミンミンちゃんはどこから来たの?」

「洛陽の北の辺り。両親は私を産んですぐに亡くなったらしいから、商人でもあり、道士でもあるおじいちゃんに引き取られたの――まぁ、そのおじいちゃんもつい最近亡くなって、私がクァンと一緒に旅してたんだけど」

 ミンミンは淡々と答える。リンシンは表情を曇らせた。

「そっか……苦労したんだね」

「おじいちゃんは私に、旅の仕方……生きる方法を教えてくれたんだもの。あの商品は、私が届けなきゃ」

 ずっと冷たい口調のミンミンだが、その言葉はとてもはっきりとしていた。

「それでひとりで旅をしようとしていたのかよ……」

 別のらくだを引きながら、ディジャンは感心しながら言った。いきなり襲い掛かってきたミンミンに対して怒っていた彼だが、先程ミンミンに助けられて以来、心を許しているようだった。レイエンも同様に助けられた身であるため、彼女の冷たい口調はいささか気になるものの、先程までの警戒心は無くなっていた。

「お爺様は、どちらで修行を為された道士なのですか?」

 少し空気が沈んだところで、車の中で日除けをしているフェイロンは別の話題を切り出した。

「ん……よくわからない。多分特殊な場所ではやってないと思うわ。民間技術だと言っていたし」

「民間技術で、あれほどのキョンシーを作れるんですか? 素晴らしいですねぇ」

 フェイロンは顎に扇子をあてながら言った。彼もまた高度な技術を持っているはずだが、度々感心するならば、ミンミンの祖父は立派な道士に違いない。

 ミンミンは次に、訝しそうな表情でフェイロンに問いかけた。

「あなたは何者なの……? 道士ではなさそうだけど」

「私は泰山で修行した仙人です。師匠に追い出されちゃったので、まだ修行中の身ではありますが」

 ミンミンは思わず、失笑する。

「仙人がなんで俗世で、こんな奴らと旅してるわけ?」

「俗世にそんな仙人がひとりぐらいいたら、面白くないですか?」

「……まぁ、珍しいでしょうね」

 その時、フェイロンはいたずらっぽく微笑んだ。

「よろしければ仙術のひとつやふたつ、伝授して差し上げてもよろしいのですよ。<邪仙道>という、私が編み出した仙道門なのですが……」

「そんな胡散臭い名前の門に入る気は無いから結構よ」

 ミンミンはきっぱりと断った。

 次にディジャンが、フェイロンにひとつ質問をする。

「兄者って師匠いるのか?」

「えぇ。泰山に今もいらっしゃいます。まるで俗人のような女性でしたけど」

 するとリンシンが弾んだ口調で言う。

「つまりあのガサツだった兄さんを変えた人なんだよね? しかも、女の人。きっと凄い人なんだろうなぁ! いつか会ってみたい」

 だがフェイロンは露骨に嫌な顔をさせた。

「……やめた方がいいですよ。あんなろくでもないクソババア、会うだけで体力を刮ぎ取られますもの」

「え!? 兄さんにそう言わしめるほどの人なの!? むしろより会ってみたくなったわ」

「だめです、おすすめしません」


 もう陽がオレンジ色に染まりだした頃、レイエンは目前に街が在ることに気が付き、キャラバンに振り返って皆に問いかけた。

「おい、街だぞ。今日はあそこで休むか?」

「良かった、暗くなる前に着けましたね。今日はあの街で休みましょう」

 とても小さな隊商宿だが、入るとちょうどバザールが賑わっている。もう夕方であるというのに多くの人が市場で買い物を楽しんでいる。どうやらこの隊商宿では昼の部と、夕方の部とバザールが盛大に開かれるらしい。もうすぐで日の暮れる頃ではあるが、市場の賑わいは衰えることを知らない。

 月華義団は早速、宿に入り、各自仕事へ取りかかる。フェイロンとルーフンは商談と依頼の受諾へ、ディジャンは宿で夕餉の準備。

 レイエンとリンシンとミンミンは買い出しのためにバザールに訪れた。

 バザールではさすが夕餉の近い時間帯だからか、新鮮な川魚や、野菜が多く並んでいる。

 一行の目的は夕餉の食材を買いに来たのもあるが、リンシンはミンミンの手を引いて、婦人服や可愛らしい装飾品の露店を見回ってばかりいた。ミンミンに女の子らしい華やかな服や少し背伸びした大人っぽい服をあてがう。いずれもまだ着るには時の早い服ばかりだが、さすが可憐な美少女だけあり、美しい宝石箱をより美しく着飾るかのように、愛くるしく彩られていく。そんな可愛らしい少女と巡る市場はリンシンも満足げで、楽しそうだった。ミンミンはとても迷惑そうな顔をしているものの、リンシンと露店を巡っている内に、どこか穏やかな顔になってくる。

 荷物持ちのレイエンはバザール近くのベンチで、彼女たちの様子をぼんやりと眺めていた。買い出しに連れ回されるミンミンを見ていると、数ヶ月前、月華義団に入ったばかりの自分をふと思い出す。

 リンシンは新人に居場所を作ってやるのが上手い。大体、レイエンはリンシンと買い出しに行くことが多かったが、一緒にいて不快になることが少ない――非常にうるさい気はするが、他のメンバーとは違い、比較的気楽な人物だった。本当は宿でだらだらと過ごしていたい気分ではあるが、周囲がきびきびと働いていることもあって、それでは宿で休みづらい。だからといって、フェイロンの商談に着いていくよりも、買い出しで荷物持ちをさせられる方がよっぽどレイエンには安逸な時間だった。

 人混みは嫌いなので、レイエンは直接買い物をするわけではなく、リンシンが買い物をしているのをただひたすら待っている。

 気が付けば、リンシンのそばにはミンミンがいない。

 代わりにミンミンはレイエンのところへと近付いていた。そして荷物を積むためのラクダに挨拶代わりに首回りを撫でる。ミンミンはクァンや動物に対しては、非常に穏やかな顔を見せるのがどことなく印象的だった。

「……あぁいうのは嫌いか」

 レイエンは、女の子らしい服や装飾を指して、ミンミンに尋ねた。なぜこちらに戻ってきたのか疑問だった。話しかけると、ミンミンはまたふてくされた表情で答える。

「別に。嫌いではないけど。今はそういう気分になれないだけよ」

 そして呟くように、人混みも嫌いだし、と最後に付け加えた。レイエンはそれに対して適当に生返事を返すだけであったが、彼女の気持ちは何となくわかったような気がした。だが、よりにもよって、レイエンのところに来ることでもないような気もした。

「俺はリンシンよりも絡みづらいだろ」

「あの馬鹿女よりはマシ」

「マシって何だよ」

 するとミンミンは、やや顔を赤らめ、そっぽを向いて言い放った。

「あんたは、その、このギルドに酔ってる感じがしないもの」

 この回答にも、レイエンはまた適当に頷くだけだったが、わかる気もした。ミンミンは、この集団に入ったばかりであり、周りはギルドの雰囲気にもはや慣れている人間ばかりなのだ。それもそうだ、レイエン以外は、ずっと前から月華義団で仕事をしている連中であるのだ。レイエンもそろそろギルドに馴染んでは来れたが、彼らが共に過ごしている時間を越すことは不可能である。彼女もきっと、レイエンがギルドに加入したばかりの日と同じような気持ちを抱いている。明るくて絡みやすいリンシンのことですら「馬鹿女」と言って否定するなら尚更のことである。

 ミンミンが隣に座ると、しばらく二人の間に沈黙が過ぎる。

 レイエンは向こうの市場の様子をぼんやりと眺めているばかりであったが、やけにミンミンがちらちらと見てくるのが気になった。何か語りかけたいことがあるのだろうかと思ったが、彼女から話しかけてくるのを待った。

 そしてようやく、ミンミンは、思い決めたように語り出した。

「……あなた、その抱えているものは何なの?」

 レイエンは最初、何を指して言われているのかわからず、何か手にしていたかと手元を確認してしまったが、ミンミンの深刻そうな表情を見た時、彼女が別のものを指して言っていることを予感した。

 レイエンは驚き、おそるおそる、尋ねた。

「お前も、わかるのか」

「えぇ……少しだけ。よくわからないけど、あなたの中にものすごく、気味の悪いものを感じるから……何なのよ、それ」

 ミンミンは不気味なものを見る目でこちらを見つめた。レイエンはその目がとても重苦しく感じ、何となく目を逸らして、答えた。

「……よくわからない。いつからこうなっているのかも……何を持っているのかもわからない」

「私が感じるぐらいだから、あの白いのも気付いているはずでしょう。何か言われたことはないの?」

「あぁ……奴の術で楽にはしてもらってるが、細かいことはわからないそうだ」

 レイエンはミンミンに語られ続けている度に、自分はそういう体質を持っている、という意味ではなくて、自分の中に何かが在るということに気が付いた。そうだ、そういうようなことはフェイロンも以前に言っていた。だがそれが何なのかがわからない。

「フェイロンも、解決策を考えてくれているそうだが、痛みは増すばかりだ」

「ふうん……まぁ、気をつけなさいよ。それに飲まれたら、あなた、死ぬかもしれない。とても恐ろしく、黒く見えるもの」

 ミンミンの冷たくも重たい言葉に、レイエンは少し気圧される。自分よりもずっと幼いものの、その雰囲気と目線は年齢不相応な程に、大人びている。彼女の言葉に宿る圧力は、その辺の大人以上のものだった。


 話も続かず、再び沈黙が起こった時だった。


 レイエンはふと市場の方から、何かの視線を感じた。

 非常に気持ち悪く、重苦しい視線――見知らぬ誰かに監視をされているかのような、とても冷たい気配がした。

 レイエンは咄嗟にその視線の方向に向く。


 ミンミンは突然何かに構えている様子のレイエンに驚き、様子を伺っていたが、レイエンはそんなにも構わずに、気配の主を探し続けた。

 嫌な予感がして、レイエンは立ち上がり、市場の人混みの中へと駆けていった。


 どこにいるかよくわからないが、どこかにいる。会いたくないが、会わなければならない人物が、この街にいる。

 レイエンはあてもなく、人混みをかき分けながら、誰なのかわからない誰かを探し続けた。 ふと、民衆の中にひとり、こちらを見続ける男がいた。まるで吸い込まれるかのように彼と目が合うと、レイエンはいつもよりもずっと重い痛みがその胸に走った。

 レイエンは、立っていられず、地面に膝を付く。

 男はとても若く、この近辺ではもはや見ることの稀になった東洋風の服を着ている。呪術師のような、とても不思議な服装の男は、レイエンと目が合うと、不適な笑みを浮かべて、その場から離れようとしている。

 待てと叫ぼうとしても、この人混みの多さと距離では、声は届きそうにない。レイエンは胸を抑えて、苦痛に耐えながら、彼を見失うまで、目で追い続けた。出来る限り、その容姿を、目に焼き付けた。

 彼が完全に人混みの中へ消えると同時に、先程までの心臓の痛みが元通り治まってきた。レイエンは痛みの始まりと終わりのタイミングに違和感を覚えた。――まるで、彼とこの心臓の痛みが、何か関係があるかのように思えた。


「どうしたの!? ひとりで走ってて、すごい目立ってたけど……」

 リンシンは大量の買い物を持ってこちらに駆け寄ってきた。その後ぐらいに、ミンミンもラクダを引いて、近付いてくる。

 リンシンは素直に驚いている様子だが、ミンミンの方は何か、怯えているような、緊張感のある顔色だった。何も言っては来なかったが、その顔色だけで、彼女も同じ嫌な気配を感じ取ったのだということが何となくわかった。

「……いや、なんでもない」

 レイエンはゆっくりと立ち上がり、息を整えながら、リンシンに言葉を返した。それでもリンシンはとても心配そうにこちらを伺っている。

 説明しようとしても、説明のしようがない。何せ、自分がわからないのだから。

 だが、この、何かを思い出しそうな気分は何なのだろうか……?

 先程見た、東洋人の男の姿を思い起こす度に、昔のことが頭に沸き上がりそうな感覚になる。それでも、どれだけ思い出してみようとしても、過去を思い出すことが出来ない。記憶を掴み取ることができない。非常にもどかしい気分だった。

 

 日も暮れ、市場から人が徐々に消えていく。周辺にある民家からは、蝋燭の橙色の光が漏れている。

 宿では仲間が夕餉を待ち侘びている頃だろう。

 三人は宿への帰路に立った。

 明るい街にいるはずなのに、レイエンにとってはなぜか、とても薄気味の悪い空気に浸されているかのように感じた。

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