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砂塵の狼  作者: れのん
第6話 道士少女
14/21

【1】

 その少女の祖父は一ヶ月前に亡くなった。旅の道中のことだった、体を酷く弱らせた祖父は、砂漠の中を進む馬車の中でひっそりと息を引き取ったのである。

 交易の旅は二人きりでしていたために、祖父が亡くなれば、まだ齡十にも満たない少女がただひとり残る。ちょうどその時馬車に同席していたのは、新婚旅行に浮かれる名も知らぬ夫婦だった。一人残された少女を哀れに思った夫婦は、養子にならないか、と少女に提案してきたのであった。

 誰がなるものか、と少女はきっぱりと答えた。

 少女は祖父に商売と道術を一通り学んでいたので、祖父の扱う商品やキョンシーをどのように扱えば良いのかわかっていた。だからこそ、これからの旅に不安などはなかった。

 確かに祖父と離れてしまうのは悲しかった。胸が張り裂けそうな思いがした。

 それでも祖父の意思を継がなければ、今まで祖父に様々なことを教わってきた意味がない。自分に力を与えてくれた祖父にできる恩返しとは、まさしくそれなのだ。

 そのためには、旅を終えることなどできない――ひとりになったからなどという幼稚な理由で、今さら旅から逃げることなどできない。


 そして少女は名もなきオアシスのほとりで祖父を埋葬してから、御者に運賃を支払い、商品を背負ったキョンシーを連れて歩き始めた。


 そこらの筋肉自慢の大男よりも遥かに巨大な体を持つ一体のキョンシー――クァンと祖父は呼んでいた。筋骨逞しい姿と青白い肌、剥き出しの牙がとても異様で恐ろしい形相だが、優しい性格であり、我々に危険が迫れば必ず助けてくれる。少女には祖父が亡くなった今だと唯一の心を開くことのできる存在だった。クァンは相変わらず無口だったが、少女にはそれが寂しいというふうには思わなかった。何となくではあるが、彼の思っていることは少しだけわかるような気がしたからだ。

 このキョンシーは祖父が道術を施していたため、慣れないまま操るばかりであったが、それもすぐに慣れた。

 途中何人かの盗賊が行く手を阻んでも、クァンのすがたを見た途端に恐れおののいて逃げ惑うばかりである。

 クァンがいれば何も恐れることはない。


 砂漠もようやく越えて、草木のよく生える地帯になってきた。この頃になると舗装された道が増えてくるので、人と出会うことも多くなるだろう。少女はあまりクァンを人目に触れさせたくなく、より木々の生い茂る場所へと入って、そこで休憩を取り始めた。

 周囲にある果物をかじり、水分補給をする。

 砂漠の旅はなかなか食料にありつけないことが特に過酷だったが、それ以外はクァンのおかげで危ない目に合うこともなく、順調に進んだ。


 クァンは疲れている様子を見せないが、あまり外にいさせるのもとても気の毒だった。少女は鏡をクァンに向け、道術の詠唱を呟いた。

 すると、クァンはその鏡に吸い込まれていき、最後には跡形もなく消えてしまった。この鏡は祖父から受け継いだ大事な鏡であり、キョンシーをその中に眠らせることができる。しかし、クァンだけしか収納できず、彼が背負っていた大きな鞄だけが、草の上に残る。

 だが、大人の身長を遥かに越えるその鞄を、まさか誰かが取りに来たりはしないだろう。たとえ盗賊が現れて、商品を盗もうとしても、運ぶのに時間がかかるだろうから、その隙にクァンを召喚できるはずだ。そもそもここは人通りの少ない林の中だし、簡単に人の目に触れることもない。


 道術を使い続けていると体力が消耗してくる。ずっとクァンを操っていた少女は疲れてしまい、人気のない森の中、そのまま少しの間だけ眠りについた。


 ** ** ** 


 一匹の鷹が頭上を越えて、青空へ駆けていく。やがて彼は南に連なる崑崙山脈へと辿り着き、豊かな恵みを頂戴することだろう。

 空を素早く飛ぶことのできる鳥は、すぐに資源にありつけることができて良い。家畜と共に草原で住まう人間は、草原の量や家畜の肥え具合を見ながら、季節ごとに、計画的に移牧しなければならない。山の恵みも無限ではないが、この殺風景な草原で生きる時ほど神経質になる必要はない。


 山脈に沿って旅を続ける月華義団は、とある牧畜民の隊商宿に辿り着いた。

 移動を続ける牧畜民の運営する宿に着くのはまさに運命的な出会いであり、野宿の続いていた一行にとって、その宿に世話にならないという選択肢はなかった。

 牧畜民の隊商宿は商人限定らしく、金よりも品物でお代を取るという。牧畜民の喜ぶような商品はあまりないため、フェイロンは何をお代として渡すか、一晩考えあぐねていたようだったが、朝になった今ようやく商品の交渉をしているらしい。

 商談に手伝えることはなにもない若者たちは、外で牧畜民たちの手伝いをする。

 朝には時間をかけて川へと向かい、その日の生活のための水を汲みに行かなければならない。主に水汲みは子どもたちの仕事であるが、水の入った桶は思いのほか重くなる。レイエンとリンシンとディジャンは、普段水汲みに同行する大人の代わりに子供たちと共に水を運んでいたところだった。

 あまり見慣れない服装のよそ者を見て珍しく思っているのだろう、牧畜民の子どもたちは何度も話しかけてきたり、ちょっかいを出したりする。それに反応するディジャンは無邪気にも彼らとじゃれ合い、それを見たリンシンは楽しそうに微笑んでいる。

 レイエンにとってはそれらはどうでもよいことだったが、野宿がしばらく続いていたこともあり、久しぶりにのどかな朝を迎えたことを実感したものだった。こういう雰囲気は好きでも嫌いでもないが、野宿で見張りをした日の朝を迎えるよりもずっと心地よい。

 敦煌から引き連れていたほかのギルドのキャラバンは、中継先で別れていき、今では月華義団が護衛を請け負っている隊商はない。旅の途中ではよく妖怪が襲ってくるために、他ギルドの護衛も気にかけないと行けなかったが、最近はその心配もなく、月華のキャラバンのみを守っているだけで良い。

 別ルートへ別れていく隊商から後払いの報酬を貰い、ギルドの資金は更に潤っていく。フェイロンいわく、今のところ旅は順調らしい。旅の始まりから危険地帯を歩いていたが、これからはずっと舗装された道を歩く。妖怪は出やすいから安全とは言えないが、まったりとした気分のままウテンへ着くことができるだろう。

 軟玉の生産が盛んな商業都市ウテンは、月華義団の西拠点であり、そこでは主に商売事務を行っている。大陸の西へ行けば行くほど、商売が盛んな地方であるため、商売に関することはそこで執り行われるのだ。

 そこは月華義団の大きな拠点があるだけではない。ウテンはどうやら国王がとても傍若無人な人柄で、フェイロンのことを気に入り、街の整備はすべてフェイロンの指揮のもとで作り上げられてある都市らしい。彼の趣味が詰め込まれている街など、どれだけ奇抜な街なのだろうとレイエンは思ったが、本人はもちろんのこと、リンシンやディジャンも「大丈夫だ」という。一応、着いていくつもりではあるが、街の様相があまりにも想像しづらく、不明瞭で、行くことが不安になるような気分が、レイエンの心の中のどこかにあった。


 水汲みから、牧畜民たちの居住区へと戻ると、屠殺を行っているのか、血の匂いが感じられた。

 見るとその日の食料とする羊をルーフンが鮮やかに捌いている。半分を月華義団に与えてくれるようで、何枚かを立っているラクダに吊り下げて干している。

 よそ者にしては肉の捌き方が慣れすぎていて、牧畜民の男たちはルーフンの屠殺しているようすを見て感心しているようだったが、ルーフンが肉を切ることにこの上ない快楽を感じていることを知らない牧畜民たちが何となく哀れに思えた。


 水筒に水を入れ終わり、ラクダも水を飲ませ終えたちょうどそのころ、村長の住まうテントから、フェイロンがやや苦い顔をして出てきた。

「してやられた、かしら?」

 彼の様子を見て、リンシンが話しかける。どうやら商談が芳しくなかったようで、フェイロンは苦笑いをした。

「うーん、そうですねぇ。あんまりにもこれが欲しいと聞かなかったのでお譲りしたのですが、少し惜しい気がします」

 珍しい物好きの村長は東洋の武具を指し続けた。フェイロンは高級葉煙草はどうかと尋ね続けたが、一族を率いる長である彼は引き下がらず、武具をねだり続けたのだという。

「まぁ、仕方ありません。お腹一杯おもてなしして頂いたんですもの、一つ二つの武具ぐらい……」

 そうはいうものの、フェイロンは肩を落として溜め息をつく。

 だが、実際、今の経営状況を見ると。少し高い宿に泊まったぐらいに思えば良いだけだった。


 出発の準備が終わると、月華義団は牧畜民に見送られながら、再び旅路に発った。

 相変わらず舗装された道を通っているが、時折行商人とすれ違うだけで、静かな道だった。

 やがて林の道に入ると、小動物が駆けている様子も見える。歩けば歩くほどに木々が多くなり、陽の光は木漏れ日が少し届くぐらいだ。

 国付近を歩いていた時とあまり変わらない景色であるが、やはり山に近付いているためか、木々が深くなっていく。舗装された道ではあるが、完全に安全であるというわけではない。


 太陽が真上に上ると、月華義団は道の外れで休憩を取ることになった。

 肉を加熱するために焚き火を用意している間、レイエンとリンシンとディジャンは肉と合わせる調味料を周辺で調達することになった。

 これだけ豊かな森だと、香辛料となる薬草が周辺に生えていることが多い。香辛料は肉に香り付けをするだけでなく、巻き付けて肉と葉ごと頂いても、また格別である。自然から取られるものはいつも、我々の食卓に味の彩りを加えてくれる。

「羊の肉だしなあ。臭みを消してくれるような草でもあればいいんだが……」

 雑草をかき分けながら、ディジャンは独り言のように呟いた。

「……そう簡単に見つかるものか」

 一応、レイエンも探すのに協力をしていたが、雑草がのさばっている様を見て、あまり現実的に思えず、こちらも独り言のように呟く。さっさと焼いてそのまま食えばいいと思った。 だがその一言を聞き捨てなかったディジャンは、レイエンの方を向いて鋭い語気で言った。「でもいい加減同じ味は飽きただろう? たまにはいつもと違う味が欲しいじゃんか」

「俺は、別に、あるものを食っていればいいと思うが……」

 その言葉に、ディジャンは息をのみ、驚いた表情をさせた。

「毎日同じ味でもいいっていうのか? お前の人生百割損してるぜ。少なくとも俺のいるギルドではそんなつまらねえ食生活させねえからな」

 知性に欠けるものの、さすが料理人の言う言葉だからか、その台詞にはやたらと説得力があるように聞こえたが、レイエンにとっては非常にどうでもよいことだった。

「私も何かいつもと違う味が食べたいな。夕べ泊まったところの食事は、結構薄味だったし……」

 リンシンも雑草をかき分けながら言う。

 ここまで来ると、言い返すのも面倒になってきたので、レイエンは探しているふりをした。

 しばらく森の中を彷徨っていると、レイエンは、よりキャンプから遠い茂みの向こうに大きな陰が佇んでいるような気配に気がついた。動きは無いが、縦にも横にも大きな陰が茂みの向こうに見えたのだった。

 妖怪――少なくとも生き物ではないように見える。だが、なぜそんなにも大きな陰が、森の中に佇立しているのだろうか? ただの岩だろうか? だが、そのようにも見えにくい。

 レイエンは違和感に思い、リンシンやディジャンには何も言わずに、その陰の方へと向かった。二人は、突然どこかへと向かうレイエンに疑問を感じたが、彼らもすぐにその陰の違和感に気が付き、レイエンの後ろに着いていった。

 茂みをかき分け陰のある場所に辿り着いた時――レイエンは思わず、目を疑った。

 そこには、人の背中ではけして背負えるほどの大きさではない、とてつもなく巨大な鞄が、堂々と置かれてあったのだ。

「な、何だこれ!?」

 後ろから着いてきたディジャンとリンシンの驚きの声が聞こえる。

 彼らと同じく、驚きはやまないが、レイエンは恐る恐る、その鞄を観察する。鞄は背嚢のようで、これもまた、人が背負うにはかなり大きすぎる。上にある開口部は空が見えるほどに見上げても見えない。

「ちょっと、あまり触らない方が良いんじゃないの」

 鞄の側面を躊躇いも無しに触れるディジャンに、リンシンは注意をする。それでもディジャンは触るのをやめないどころか、上りやすそうなところを探し始める。

「何か、硬いものがいっぱい入っているような感じがするが……?」

 そう言って、ディジャンは鞄の側面の縫合部分に足をかけて、登り始めた。いよいよ焦り始めたリンシンは、ディジャンに駆け寄って、足を掴む。

「ちょ、ちょっとディジャン!」

「大丈夫だって。少しだけ見るだけだからよー! 少しだけ……」

 レイエンは考え無しの彼の行動を止めることはしなかったが、何か嫌な予感を察したので、周囲を警戒し始めた。この鞄は背嚢であり、中にはたくさんものが、鞄を膨らませるほどに入っている。つまり所有者がいるかもしれないということだ。もしもこれに所有者がいるとするのであれば、かなり体格の大きな人間になる。だが、どんな大男の体格を一回りも二回りも大きくしても、この鞄は背負えるような気がしない。

 しかし、所有者のすがたがどうであれ、この鞄に他人が触れていることを見た所有者は快く思ったりはしないだろう。

「……おい、降りろ」

 レイエンは、ようやく開口部まで上ったディジャンに、静かに言った。ディジャンはその言葉を聞いていたようだったが、鞄の開口部を見るとすぐに、その言葉を忘れてしまったのか、中に入っているものに感心したような表情になる。

「武器だ!」

「……武器?」

 リンシンがそう聞き返すと、ディジャンはこちらに振り返って、また口を開く。

「刀とか、槍とか、武器がびっしり詰め込まれてるぜ、これ!」

 武器が詰め込まれている――そうなると、この鞄の総量はとてつもない重さになっているはずだ。そんなものを持てる者などいるというのか? おそらく、高級運搬使役動物である牛鬼を使ったとしても、この重さを運ぶことは不可能だろう。


 するとこちらに素早い足取りで草木をかき分けて走ってくる音が聞こえてきた。その音と共に、軽い地響きが、レイエンたちを揺らす。

 突然、大きくて素早い動きのする陰が、森の茂みから現れた。そしてその陰から、大きくて青白い手が伸びてきて、鞄の上にいるディジャンをはたこうとする。

 ディジャンはその大きな手が当たる寸前で、間一髪、鞄から飛び降りた。あまりにも一瞬の出来事であり、うまく着地はできなかったが、何とか大きな手に当たるのを回避する。ディジャンは尻餅をついた腰を痛そうにさすりながら立ち上がる。

 そして三人はその大きな手の主を見た。


――周囲の木々と同じぐらいに大きいその巨躯。生き物とは思えないほどに青白い肌。隆々とした筋肉。むき出しの牙。そんな妖怪のような姿をしているくせに、裾の長い華服を身に纏い、長い布飾りと呪術師の扱うような札のついた帽子を被っている。人間とは到底思えないほどに異様な姿の巨人が、そこに佇んでいた。

「ぎゃ、ぎゃーーーーー!? でかい!?」

 リンシンは森の中に響くような大きな声で仰天する。

 レイエンもディジャンも突然現れたその巨躯に驚きつつも、それぞれ構える。リンシンは急いで二人の後ろへと回り込んで、同様にそいつを警戒する。

「な、何だよコイツ……!?」

 ディジャンは巨人に驚きながら、ひっくり返りそうな声で言った。

「さぁな……これの持ち主じゃねえか?」

 レイエンは薙刀を構えつつ、その巨人の動きに警戒をする。

 巨人もしばらくこちらの動きに注意を払っていたようだが、またこちらへと近付き、素早く力強い拳を振り落とす。

 レイエンとディジャンはその拳を回避したが、巨人はすぐに体勢を整えて、次にはディジャンを勢い良く蹴り飛ばした。ディジャンは木にぶち当たって落ちる。リンシンは、一瞬意識を朦朧とさせるディジャンの側に駆け寄った。

 ディジャンはすぐに立ち上がり、その巨人に反撃をしようとしたが、既に巨人はレイエンと睨み合いを始めていた。

 その後、お互いしばらく警戒していたが、またもや巨人の方から先に、拳を振り上げて、レイエンに襲いかかる。レイエンはすぐに後ろに下がり、回避をする。回避され、拳が地面に当たり、地面はその場所から小さな地割れを起こし、元気に生えていた雑草は潰れてへたばる。

――攻撃が重すぎて、受け止め切れなさそうに見える。薙刀で攻撃を受け止めるのは危険が伴う。

 体の大きな妖怪と戦ったことは、この旅の道中幾らかあったが、これ程までに力強く隙の無い妖怪には会ったことがない。まるでルーフンを更に巨大にしたような、抜け目の無い戦闘力が垣間見える。

 レイエンは薙刀を構え直した。


――すると突然、横から光の玉が、巨人に向かって勢いよく飛んでくるのが見えた。レイエンはその玉にいち早く気がつき、当たらないように伏せる。

 玉が当たった巨人は、爆発のような電撃が迸り、苦しそうに怯んだ。

 飛んできた方向を向くと、フェイロンとルーフンがいる。気功を放ったフェイロンは、扇を巨人の方に向けていた。

 おそらくリンシンの品の無い悲鳴を聞いて駆けつけてくれたのだろう。どちらもいつもの飄々とした表情だったが、フェイロンの方はやや驚いた様子だった。――特に、目の前の巨人ではなく、大きな鞄の方に目を向けている。

「これはこれは、何と大きな鞄でしょう。誰の持ち物ですか、これ」

「ふざけんな、今はこいつの方を優先しろ!」

 怯んで倒れ伏した巨人が、また起き上がるのを警戒しながら、レイエンは少し焦燥のはらんだ声でフェイロンに言った。

 するとフェイロンは楽しそうに笑いながら、また言い直す。

「あぁ、間違えました。何と大きなキョンシーでしょう。――ルーフンおじさん、そちらの木を思い切り蹴っちゃってくださいな」

 ルーフンはフェイロンの指した木を、言われた通りに力強く蹴った。ルーフンの蹴りで、木は大きく揺れると、木の上の方から、葉がこすれる音と……

「……きゃっ!」

 か細い、少女の声がした。そしてがさがさと、より大きな葉のこすれる音と共に、木の上から、小さな女の子が降ってきた。

 小さな女の子をフェイロンが抱き留める。深紅の髪が鮮やかで美しい、人形がそのまま人間になったかのような、とても可愛らしい女の子だった。手には淡い光を帯びている不思議な手鏡を持っている。年は、この辺鄙な森に何故いるのか疑問を感じるほどに、幼く見える。

「おやまぁ、こんなにも愛らしいレディが木登りですか? おてんばにも程がありますね」

 少女を抱えながら、フェイロンは怪しく微笑む。少女は焦った顔をさせながら、じたばたと暴れる。しかし、なかなかフェイロンの腕から離れることができない。

「やだ、離しなさいよ!」

「どうしてこんな森にいるのですか? どうして木登りなんてしていたんですか? あ、もしかして食べ物を探していたとか? それなら私たちが差し上げましょうか――」

 フェイロンは軽い口調で、喋り続ける。少女はそんなことにも構わないまま、手鏡を握って一つ、大声を出した。

「クァン!! 助けて!!」

 少女が叫んだ瞬間だった。レイエンと睨み合いをしていた巨大キョンシーは、急にフェイロンの方に走り、拳を振り上げた。

――その当たる寸前に、ルーフンがフェイロンの前に出て、拳を青龍刀で受け止める。しばらく攻撃を止めていても、キョンシーの方は退くことがない。力強さは互角のようで、どちらも押すことができない状態になる。

 襲撃を受けたにも関わらず、フェイロンは微動だにせずに、少女に淡々と問いかける。

「これはあなたのキョンシーですか? 随分大きいですね、あなたの年でこのような代物を操れるとは、感心します」

 少女は抵抗するのを止めずに、じたばたと暴れながら叫び続ける。

「うるさいわね!! 早く離してよ!! クァン、こいつら全員食べてしまいなさい!!」

 長いこと、相撲のように押し合ったまま動かないでいたルーフンと巨大キョンシーだが、体格の大きさに負けているルーフンが徐々に押され始める。

「こらこら、レディがそんな高圧的な言葉を使うものではありませんよ……もう、足癖も悪い」

 それでもフェイロンは落ち着いた様子で少女に語りかけた。もうルーフンが抵抗しきれない頃になると、フェイロンはキョンシーに向かって手のひらを向けて、何かの奇紋を描いた。

 すると、たちまちキョンシーは力が弱まっていき、地面へと倒れ伏す。

「ク、クァン……!!」

 少女は悲痛と動揺が混ぜ合わさったような顔をして、キョンシーの名前を叫んだ。

「少し眠っていただくだけですよ。目覚めればまたあなたの言葉に従うことでしょう」

 倒れ伏したキョンシーを少女が不安そうな瞳で見つめている隙に、フェイロンはルーフンに指示をして、少女を道術が扱えないよう縄で縛り、地面に座らせた。

 また、道術に使っていたとされる手鏡も取り上げると、少女はこちらを睨んで来た。まだ幼く見えるが、その目はとてもしっかりとしている。少なくとも、ディジャンよりも随分大人びて見えた。

 フェイロンは彼女の目線に合わせるようにしゃがみながら、穏やかな口調で挨拶をする。

「初めまして、私はフェイロンといいます。旅をしている商人です。あなたのお名前は?」

「うるさいわね。あなたたちに名乗る名前なんて無いわよ」

 少女は冷たい口調で言い放ち、フェイロンを睨んだ。

「……相手に名乗って頂いたのなら、自分も名乗るのが礼儀ではありませんか?」

 フェイロンは鋭く、低い声で言う。少女はそれに気圧されたのか、一瞬怯んだ様子になりつつも、すぐに不満そうな表情になり、淡々と答える。

「……私の名前は、ミンミン。武器商人よ」

「では、ミンミンさん。先程はどうして私の部下を襲ったのですか? まぁ、あの子に襲わせた、というのが正確かもしれませんが」

 フェイロンは、側に倒れ伏しているキョンシーに目配せをして、尋ねた。

 するとミンミンは、より目を吊り上げて、声を張らせる。

「あなたたちのせいでしょう!? そんな盗賊みたいな格好をした奴らが、私の商品に触れているのを見れば、こっちは商品を守るのが当然の行動だわ」

「盗賊……?」

 フェイロンが彼女の商品を発見した三人を見る。そして思わず、苦笑いをした。

「まぁ盗賊に見えなくはないかもしれないですねぇ……」

「いや、少なくとも俺は見えないだろ!? レイエンとリンシンはともかく」

 ディジャンはフェイロンに反論する。それに対してレイエンとリンシンがつっこみを入れるよりも先に、ミンミンが気の強い口調で言葉を挟んだ。

「あなたは鞄に上ってたじゃないの!」

「う、うるせえな、このクソガキ!」

「ちょっと! こんな小さい子に当たらないでよ!」

 リンシンは憤るディジャンを咎める。しかし、「子どもだから」などという理由で、彼の憤りは止まるわけでは無かった。

「とにかくな! ガキだって関係ねえよ、俺たち危うく殺されかけたんだぞ!」

 その言葉に、レイエンは同調をする。

「そうだ、盗ろうなんて思ってなかったんだぜ。確かに、中身は確認していたが……いくらなんでもさっきのは過剰防衛だぞ」

 しかし、ミンミンは少しもわかろうとする気にならないようで、そっぽを向いて、厳しい声で言い放った。

「そんなのわからないじゃない。後でなら何とでもいえることだわ」

「何だと!」

 ディジャンはまたもや怒りを露わにして、リンシンに止められる。

 レイエンはきりがなく思い、溜息をついて、フェイロンに問いかけた。

「一体どうするんだ」

 フェイロンは指を顎にあてながら、しばらく考え、そして何か思いついたのか、もう一度ミンミンに向かって穏やかな声で質問をした。

「あなた、どこかギルドに所属していますか?」

 そんな質問をされるとは思わなかったのか、ミンミンは少し戸惑った様子で、答える。

「入ってないけど……」

「それではこの武器の山を、無所属のままに売るつもりだったのですか?」

「えぇ、そうよ。これは道士の術によって編まれた特殊な鍛錬法で作った武器なの、珍しい品物よ。西に行ったらたくさん売れるはずだわ」

 するとフェイロンは小さな溜息をつきながら、失笑をした。

「それはおすすめできませんねえ。今の時代、ギルドを通して物を売った方が、何倍もお得ですよ」

「何ですって……?」

「商人から消費者へ売るよりも、商人から商人へ売った方が、多くの利益を得られる。中継貿易での取引ですので、民間との売買よりも確実性があります。それに、民間よりももっと高く買い取ってくれる中継先を紹介できるかもしれない」

 フェイロンが一度言葉を区切った時、ミンミンは失笑をしながら、言った。

「だから、何? まさか私を仲間にでもする気?」

 するとフェイロンは、扇子を顎に当てながら、喉を唸らせた。

「察しが良いですねぇ。ますますあなたと旅をしてみたくなりました」

「ちょ、兄者。そいつは俺たちに襲い掛かったんだぞ!」

 ディジャンは信じられないような顔をして、フェイロンに詰め寄る。フェイロンは顔色一つ変えずに、ミンミンをまっすぐに見つめ続けた。

 しかしミンミンはしばらく黙り込んだ後、落ち着いた声で答えた。 

「……悪いけど、それは私たちのやり方では無いわ。私たちなりの商売をしなければ、意味が無いもの」

 その答えに、フェイロンは呆れたように、大きな溜息をついた。

「ミンミンさん……ご自分の状況を理解できていますか? あなたは私の可愛い部下に襲い掛かったのですよ」

 フェイロンが低い声で言うと、ミンミンは言い返せないのか、悔しそうに歯噛みする。

「あなたが我々月華義団に協力をしてくれるというのなら、先程の蛮行はお許しいたします。我がギルドを介して商売してもいいし、何なら私の作った浄化道具を無料でさしあげます――その子に施せる術も道具無しだとやりきれないでしょう」

 そんなことも見破られていたのか、とミンミンははっとした表情になったが、すぐにまた悔しそうに眉を寄せた。仙人と道士、どちらも基礎は同じらしく、同業者のようなものである。

「それでもだめというのなら、うちにも人間を食う者がいるのですけれど……」

 後ろに佇むルーフンが心待ちにしているかのように、包丁をぎらりと光らせる。ミンミンは声には出さなかったが、いよいよ怯えているような様子だった。

 ミンミンは、いわゆる脅されているのだ。確かにギルドに入れば、より確実で効率的な商売をすることができる。その上、道士に必要不可欠な道具を無料提供してもくれる。反対に、加入しないという選択肢はいわゆる死を意味する。月華義団に喧嘩を売った報いを受けるのだ。

 非常に重い空気にたえられず、リンシンはフェイロンに言い寄る。

「ね、ねぇ、兄さんちょっと大人げなくない!? こんなにも小さい女の子だよ!?」

「商人に子どもも大人も関係ありませんよ。ねぇ、ミンミンさん」

 フェイロンはミンミンを見て、いたずらっぽく微笑んだ。ミンミンは彼の含みのある笑みに苛ついたが、彼が子どもとの会話をしているつもりはない点は憎めなかった。

 この白い男は、ミンミンが子ども扱いされたくないことすらも見抜いているようだった。実際にミンミンは子ども扱いされるよりは、こうして商人と商人との取引の中に追いやられる方が、その自尊心には遙かに楽だった。

 だからといって、ミンミンにとっては脅されているにすぎない。キョンシーが扱えない以上――いや、キョンシーを扱える状況ですらも、力が彼らと比べて劣っている以上、要求をのまなければ不利な立場にあるのだ。

 選択肢は一つしかないが、彼らに心を許したくない気持ちが、その心を浸す。

「わ、私は……」

 ミンミンは視線を落として、考え込んだ。


 答えを待っている時だった。

 突然、どこからともなく大きな羽音が聞こえてくる。

 虫にしては大きくて、低い音のする羽音だ。その違和感に、その場にいる誰もが辺りを警戒し始める。

 羽音がようやく近づいてきた時――木々の合間からたくさんの大きな虫の妖怪が一同の目の前に現れた。

「ぎゃーーーー!? 虫!? 気持ち悪!!」

 リンシンは相変わらず豪快な悲鳴を上げるが、男たちは黙って武器を構える。

 鋭い顎を持った巨大な虫たちは、一同を一瞬で囲んで、早速飛びかかってきた。虫の妖怪は、早さと大きさはあるものの、叩き切ればすぐに地に伏す。しかし、落としても落としても、数が減ることが無く、とてもきりがなかった。

 皆が妖怪に集中している隙に、ミンミンは立ち上がって、一同の側から逃げ出した。

「あ! ちょっと待ちなよ!」

 ミンミンが逃げ出したことに気がついたリンシンは、すぐにミンミンを追いかける。

 こんな事態の中だと、ばらけた方が危険が伴う。妖怪は人間の臭いを嗅ぎ付けてこちらに集まってきているため、周辺を歩けばそれに遭遇する可能性がある。

 彼女たちの勝手な行動に気がついたレイエンとディジャンは、リンシンを追いかけようとする。

「お二人とも、彼女たちを助けに行って頂けますか?」

 虫を気功で燃やしながら、フェイロンは二人に声を張らせて問いかける。

 助けに行け、という意味に相違ないため、レイエンは致し方なく、ディジャンと共に虫との戦闘の場から抜け出して、リンシンとミンミンを探しに行った。

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