【2】
次にフェイロンとレイエンはようやく、領主の屋敷へと向かった。
領主の名はエハメット。領主にしては、まだ若すぎるほど、若い、それでも落ち着いた雰囲気の好青年だった。二人が屋敷の門の前まで着くと、エハメットと、その小間使いたちは、敬礼をしながら、歓迎の挨拶をして出迎えた。
「ようこそ、且末国へ。門番の兵から、あなた方が屋敷へ来ることを知らされております。よろしければどうぞ、私達におもてなしをさせてください」
「おやまぁ……こんなにも手厚く迎えていただけるとは。何も用意せずに参上してしまったご無礼をお許しください」
レイエンはフェイロンの「少しでもいいから身なりを整えろ」といった意味の含むだろう目配せが少々癇に障ったが、とりあえず後ろで足元の泥だけ払い落とした。
「いえいえ、お気になさらず。お話の前に、且末国のお食事でも、いかがですか」
エハメットはそう言うと、さっそく二人を屋敷へ迎え入れてくれた。
屋敷内は回教の美術品が多く飾られている。中でも金属のような輝きを持つ陶器や唐草文様の施されてある色鮮やかな西洋絨毯、白銀に輝く長剣などの装飾物がよく目立つ。それらに刻まれている文様は、西洋的なものもあれば、東洋的なものもあるのだが、どことない統一感が全体からよく見受けられる。まさに東洋と西洋の文化が絶妙に調和した室内空間であった。
「飯、か……」
レイエンは街に着いてから、ろくに食べ物を食べていないことに気が付く。まだ少し、昼には早いが、空腹で今にも腹が鳴りそうだった。
「リンシンたちには悪いですが、私たちだけでいただいちゃいましょうね」
一瞬、呼びに行かないのかと思ったが、彼女たちは休暇で、こちらは仕事。わざわざ呼びに行くこともないだろうとすぐに思った。
出された食事は、この街の感想と同じく、非常に素朴で、田舎風の料理であった。炒めた羊肉や野菜を、この地帯の主要の生産物でもある麦から作った麺麭で包んだ料理が数多くあり、味付けはとても牧歌的でどことない懐かしさがある。だからといって、雑でありふれた味であるわけではなく、独特な丁寧さが舌を優しくなぞる。
レイエンは皆が休暇の中、仕事に連れ出されていることにうんざりしたが、宿よりも豪華な飯にありつけたことに関しては悪い気持ちにならなかった。
「私達、砂漠で長いこと旅をしてきましたので――こんなにも優しい味のお食事を頂けて、この上なく喜ばしい限りです」
フェイロンがそう感謝の意を述べると、エハメットはまた恭しく言葉を返す。
「それはよかった。粗餐ではありますが、こころゆくまで、お召し上がりください」
次にエハメットは少し控えめなようすだが、わくわくとした声と表情をさせて訪ねて来た。
「それにしても……あなた方は砂漠を通っていらっしゃったのですよね? 素晴らしいです。まだ私は、東の砂漠の砂を踏んだことがありません。一体どんなところなのでしょうか?」
エハメットは少年のように瞳を輝かせながら尋ねた。フェイロンは一度箸を置き、はっきりとした声で言った。
「真昼の太陽は暑く、月夜の闇は冷たい。陽の光が、砂丘を白く照らし、旅の足跡は、舞い上がった砂塵に埋もれていく。多くの気候と自然によって織り成す巡りが、時に猛威となり、時に風情となる。そんな場所です」
フェイロンの美化を加えた言葉に、若い領主はますます瞳を輝かせる。砂漠を共に越えてきた身としてレイエンは、その話の盛り方に呆れながら、黙って食事を口に含んだ。
「わぁ……素敵ですね。しかし、危険は多いのでしょう。私などで渡り歩けるのか、やや気がかりですね……」
エハメットは寂しそうに語る。しかし、フェイロンは笑みを崩さないまま、またもや都合の良い言葉を語る。
「なに。少々危険なこともありますが、不便なことばかりではありませんよ。すぐに領主様も、砂漠の情緒を解せるでしょう」
エハメットはそれを聞くなり、よりいっそう顔を輝かせる。フェイロンは、綺麗な言葉を並べることで、この純粋無垢な青年領主をたぶらかして、楽しんでいるようだった。
食事も終わると、小間使いたちは長机の上の食器を下げて、暖かい紅茶と菓子を用意してきてくれた。フェイロンはグラスをゆらしながら、その甘い柑橘の香りを楽しむ。レイエンはどう手をつければ良いかわからず、それを口にしようという気にはならなかった。
小間使いが部屋から出ていくと、本格的な商売の話が始まろうとした。レイエンはただの用心棒であるため、彼らの話をぼんやりと聞くだけだった。
「さて、本題に入りましょうか」
フェイロンはグラスを置いて、エハメットに向き合った。
先程までニコニコと世間話をしていたエハメットだが、仕事の話になろうとした途端、彼も真剣な面持ちになる。
「我々があなたを訪ねてきた理由は、おそらく、すでにお判りでしょう。我々月華義団に、露店許可を頂きたく参りました」
だが、エハメットは、寂しげな表情をさせ、答えた。
「遠路遥々、多くの御品物をお運び頂いたのでしょうけれど……且末国の我が領土では、商人に営業権を与えられない状況にあります。何卒、ご理解くださいませ」
だが、フェイロンは引き下がらず、同じ調子で言った。
「……川の汚染が原因ですよね?」
その言葉に、エハメットは目を丸くする。
「なぜそれを……」
唖然とする領主に、フェイロンは怪しく笑いながら言葉を続ける。
「この土地はとても豊かです。きっと作物の実りもよいことでしょう。ですが、ある問題を抱えているために、その豊かさが奪われようとしている。――灌漑に回す水が邪気で汚染されているのでしょう」
心当たりのあることを言われたのか、エハメットはだんだんと、複雑な表情になっていく。
フェイロンはそれにも構わず、言葉を続けた。
「地下水で代用しているようですが、砂漠に近いこの地域では、作物に行き渡らせる恵みにはならない。あまり使いすぎても森が枯れるだけですもの。だが、問題の根本である川に行っても、邪気を祓えずにいる……」
エハメットはますます複雑な表情になり、視線を机に下した。
「どうにもならないでしょう……もはやあの山は人の踏み込める土地ではありません」
エハメットは独り言のように、呟き続ける。フェイロンは少しため息混じりに言った。
「そうでしょうね。あれだけの邪気に覆われてしまえば、生身の人間ではどうすることもできません。――そこで、です。あの山一帯に蔓延っている邪気を、我々がお祓いいたしましょう」
フェイロンの言葉にエハメットは唖然とした後、吃驚を混じらせた声で、言った。
「……無理だ。いくら砂漠を越えてきたようなあなたがたでも、あの邪悪な山を鎮めるなど……!」
「ですが、そうでもしなければ、この町は商売ができないどころか、飢え死にしてしまいますよ」
「……っ!」
エハメットはしばらく戸惑っているような顔をしたが、思い決めたような顔をさせてから、静かに立ち上がった。そして窓辺のそばで、物思いにふけるように、空を見上げながら言った。
「遥か昔、狩猟を多く行って日々を生きていた我々の祖先は、獲物を壁に記すことで、大漁を願ったそうです。――しかし、農業の知恵が編み出されると、人間たちはある程度、生産を制御できるようになった。豊穣の儀だけに頼らずとも生産の危機を回避できるようになった。人間は知識を持ったからこそ、すべてを、神へ頼む必要は無くなった」
しかしその次に、声が一段、低くなる。
「つまり、知識が無ければ、人間たちには何も成せない。何も成せなければ、危機に瀕しても回避はできない。――我々はその知識が、無い状態に等しいのです」
エハメットはこちらに振り返った。
「どうかお願いします。旅の商人殿。この街を救って欲しい」
心から縋るような声でそう頼み出た。その領主のひたむきな姿勢に、フェイロンは感心するように唸ったが、すぐに冷たい声で言った。
「……えぇ、良いでしょう。ただし、無償では、私たちがここへ訪ねてきた意味がありません」
「露店の営業でしょう? もちろんですとも、どうぞお開きください」
エハメットは「心得ている」とでも言いたげな顔をして、そう許可を下した。
これにより、ようやく我々と領主の間で公式に報酬を受け取れる間柄へとなれた。レイエンはもうここに用はないだろうとフェイロンの様子を伺ったが、まだ彼は下がるつもりではなかった。
「営業の許可だけでは足りませんね。売り上げの徴収も、我々の分を無しにしていただきたい」
エハメットの表情が固まる。それにも構わず、フェイロンは言葉を続けた。
「我々の分だけでよいのですよ? それ以降は、どれだけ商人から貪り取っても構いません。ただ 我々にすべての売り上げを与えるだけで、再びこの街の安泰と繁栄が臨めると思いなさい」
「しかし……」
思い悩んでいるようすだったが、すぐに頷いた。
「わかりました。ただし、適切な販売を行ってくださいね……?」
「当たり前です。そんな暴力的なギルドではありませんよ」
最後の言葉は、レイエンにとってはあまり信用のできない言葉に聞こえたような気がした。
エハメットから聞いた話だと、畑に水を引いている川の上流に行くと、緩やかな山に着く。木々の生い茂る豊かな山であるが、ちょうど町から反対では、よく異民族たちが衝突し合い、小さな戦が多く起こっているのだという。
いつもは町から見て山の向こう側で衝突する異民族だが、ある日やたらと町に近い場所で戦が起こった。戦火は街にかからずに済んだが、その場に伏した死体から多くの邪気が発生するようになった。
その日を境にして、川が汚染されて、作物への水に回せなくなったという。すぐに用水路を封鎖したために、邪気の含まれる水が、作物に触れることを回避したはいいが、やがて川の近辺に妖怪が多く湧くようになったらしい。
妖怪に粉挽所を占拠され、地下水だけでは作物は十分に育たず、自国で消費するものを作るのに精いっぱいで、商人との商売を再開できる目途は立たない。このままだと且末国はじっくりと、落ちぶれて行ってしまうだろう。
この町に住む人間にも不都合だろうが、せっかく砂漠を越えてきた旅の商人たちにも不都合である。過酷な大砂漠を越えた後には、豊かな緑と水の町で、疲れを癒したいはずだ。
そして我々月華義団には、とても"邪魔"な宝物を多く詰んである。それをこの町を出るまでには消化しなければならない。本当に消化できるのか、レイエンには謎であったが、フェイロンはそんなことを考えている様子はこれまで一度もなかったのが少し違和感であった。
だが、そんなことよりも今は街の浄化に専念しなければならない。
川を沿って山へと入っていくと、どうやら麓の街よりも随分嫌な気配の漂う世界になる。確かに木々や小動物たちは普通に暮らしているようだが、街にいた時にはなかった重苦しい空気が強く感じられる。
幸い、レイエンはフェイロンの厄除けが効いているのか、そこまで痛みを感じることはなかったが、山に進んで行きたくない気持ちは止まなかった。
黙々と進んでいる内に、気が付けば、フェイロンは後ろでゆっくり進んでいる。
あまり人の通らない山になってからは、舗装された道にさえ雑草が生い茂り、地面には草が膝の辺りまで長く伸びている。山を登るには軽装すぎるフェイロンには、足元の草がとても煩わしそうだった。レイエンは、フェイロンがよろけたところを、腕を掴んで支えてやった。すると彼ははにかみながら、ありがとうございます、と言った。
「叶うことなら、ここに目的地まで担いでくれる良い男がいるといいんですけどねぇ」
レイエンは癪に触り、支えてやっていた腕を振り払う。
「……悪かったな、俺なんかで」
「おや、レイエンさんでも構わないのですよ? 私、レイエンさんのこと大好きですから」
フェイロンは目を細めながら、上目遣いで言った。レイエンは思いっきり「気持ち悪い」と言いたそうな顔のまま、フェイロンを睨み付ける。
フェイロンはそんなレイエンには構わず、言った。
「おそらくもうすぐで着きます。直、人間の亡骸に出会うでしょう」
そうは言うものの、嫌な気配はともかく、山の中の景観はいたって普通の緑多き山である。
しかし、フェイロンの言う通り、川の最上流へ着くと、錆びた武具の散乱する地帯になった。鎧のまま息絶えた白骨死体が点々としており、豊かな森の中と比べると非常に不釣り合いで、それがより不気味さを漂わせる。
レイエンは戦が起こったと思われるその一帯に来た途端、またもや心臓が痛くなるような思いだったが、何とか耐えながら、辺りを観察する。後から着いたフェイロンは、足を止めて、浄化をするための道具をその場に出した。
「ここに祭壇を作りましょう。祭壇は四神による結界の中心となり、その領域の魔を滅します」
祭壇とはいうものの、石を積み上げただけの簡単な祭壇にすぎなかった。こんなもので本当に山全体の浄化ができるのか、レイエンには半信半疑になる。
祭壇の設置が終わると、フェイロンは四枚の札をレイエンに差し出した。
「なんだこれ」
「四神の護符です。これを東西南北に張り付けて来ていただけますか?」
「どうして下にいるとき貼らなかったんだよ……」
「中心を決めないと護符の術式を展開できません」
「俺ひとりで?」
「ひとりでは怖いですか?」
フェイロンはいたずらっぽく微笑んだ。レイエンは渋々その四枚の札を受け取り、祠へと出かけた。
フェイロンが札を貼ってくるように示すのは、邪気の発生源とされる現在地から麓までの東西南北の祠だった。この山は崑崙山脈といって仙人による加護が備わっているという。しかし、ここ且末国付近は山の最東端であり、仙人の加護が完全に行き通らない。そのため、邪気によって 人々は心の穏やかさを奪われ、地域を汚染され、妖怪が出没しやすいのだ。
しかし、山の仙人たちはそれを危惧したのか、微力ながらもこの地を守るための祠を置いているようだった。今回はその力を利用して、祠のある範囲を四枚の札で囲み、この地を浄化をしようという作戦であった。
フェイロンは浄化の術の準備をするために、中心にとどまり、レイエンは札を貼りにその場から離れた。さすが邪気の多い地帯だからから、フェイロンから離れれば離れるほどレイエンは心臓の痛みを強く感じることが気がかりだったため、さっさと終わらせたいところである。
まず行き着いたのは南の方角の祠だった。祠は思いの外小さく、特別な力を持っているようには思えないが、レイエンはフェイロンに言われた通りに、朱雀の絵が書かれてある札を貼り付けた。
街が近いため、南の祠付近の道中は比較的穏やかだが、東の祠に近づくほど、段々と心臓の痛みが強くなっていく。
邪気に弱いというのを知っていながら、一人で貼りに行かせるフェイロンは正気であるとは思えないが、すべて貼ればこの地帯は浄化される。痛みに耐えるよりもまず、浄化を展開させるために札を貼り終えなければならない。
東の祠の次に行った北の祠は異民族たちがよく戦を起こす地帯であるためか、今までよりずっと不気味で重苦しい空気の漂う場所だった。
重い足を引き摺りながら、祠へと近づく。
(あと一枚……西だな)
レイエンが玄武の絵が書かれてある札を祠に貼り、次行く最後の祠の位置を地図で確認していたところ、突如地面から、白骨の手が這い出て、レイエンの足を掴んだ。突然のことに驚き、咄嗟にその手を振り払う。しかし、それだけでは終わらず、今まで草木に埋もれていた死体が、ゆっくりと起き上がってきた。
レイエンは異変を感じ、薙刀を手にして構える。骸骨は落ち葉を掻き分け起き上がると、レイエンの方へとゆっくり歩み寄る。
戦で死んだ亡者はもう一度戦を始めたいのか、またあちらの世界へ連れていこうとしているのか、錆びた武器を手に取り、こちらを襲おうとしている。何体も、何十体も、次から次へと這い出てくる。
レイエンは彼らの足の遅さと、量を考えると、相手にせずにさっさと札を貼った方が懸命であると気付いた。そして彼らの横を素早く通り過ぎて、西の祠へと急いだ。
一方、フェイロンは浄化の術式を展開するために長い呪文を唱え続けていた頃だった。
あまり広範囲の浄化をする機会は無いので、準備に手間取るが、やはり山の神仙による神通力があってか、効率的な浄化になるだろうと確信した。
一応、体温でレイエンの行方を追っている。何かに追い掛けられているようで不規則な動きをし始めたが、順調に札を貼れているようだ。これならすぐに浄化はできるだろう。
瞑想の中、何かの気配がフェイロンの精神領域に入ってきた。実体ではないが、とても大きな力を感じる。
目を開けば、そこにはひとりの女仙がいる。おそらく、この地帯を司る仙人のひとりだろう。
物珍しく思うのか、このような仙人の司る山へ入ると、よくフェイロンは彼らに絡まれる。何の前触れもなく精神の中に入り込まれ、くだらない話をして帰っていくのだ。
おそらく彼女も同じだろう。
「これはこれは、西王母よ。お目にかかれて光栄です。しかしどうして私の最愛の妹の姿でおいでになったのでしょう」
フェイロンは皮肉をこめて、西王母に言った。リンシンの姿をしている西王母は、いたずらっぽく微笑む。
「あなたの気が乱れるかと思って」
その返事に対して、フェイロンは鼻で笑った。
「確かにあなたと比べれば、私はたいへん未熟者でしょうが……そんなことで気が乱れるほど愚かな仙人ではありませんよ」
西王母は微笑んでばかりだったが、つまらなく思っているようだった。話足りないのか、興味があるのか、西王母は続けてフェイロンに問いかける。
「どうしてあの子を飼っているの? あれは魔の権化。あなただってわかるのでしょう」
「魔の権化とはひどい言われようですね。まぁ、言葉通りのようものですけれど……」
フェイロンはやや視線を落として、しばらく黙ったが、すぐに答えた。
「どうしてでしょうね。――ある人の真似事なのかもしれません」
西王母はにやりと怪しく微笑んだ。
「そう……でも、貴方の言う、ある人は滅んでしまったわ。現世にはもう、いられない存在になった。それをどう思うの?」
物珍しいからといって絡んでくる仙人には、ろくなやつがいない。無駄にこの世に在り続けている老害は、平気で人の心を探ってくるのだ。フェイロンは不愉快に思いながらも、言葉を返した。
「彼は永遠に尊い存在になった。この現世に在り続けることが、すべての価値であるとは限りませんよ」
「それでは、あなたも滅ぶのかしら。あの子を救った後、あなたも、現世から消えて無くなるの? おかしな話ね」
年老いた仙人共は誰もが固定観念の塊である。柔軟な考えなどない、自らが築き上げた能力に心酔しながら、俗世を嘲笑う。
その考え方自体は好きでも嫌いでも無かったが、つまらなさが非常に野暮ったく思えた。
「私は私の信じる道を往く。信じる世界で生きる。――より信じられる世界を創る。彼は己の信じる道へ行ったのだ。私の信じる道が彼の道とは違えど、同じ意思だ」
そしてフェイロンは声を低くして、続ける。
「失せろ、阿婆擦れ。これ以上、妹の像を借りながら話し続けるのなら、この山を邪気で染めるぞ」
西王母は楽しそうに笑い、フェイロンの頬に手を触れた。
「トラウマを探られすぎて怒っちゃったわね。ごめんなさい。わかったわよ、ちゃんとあなたに力を貸すわ。――でもね、あなた」
そして耳元に近付き、冷たい声で囁いた。
「こんなことをずっと続けられるとは、けして思わないことね」
そして、西王母はフェイロンから離れ、けらけらと笑いながら、空へと舞い上がり、消えていった。
それと同じぐらいの時に、レイエンがこちらへ戻ってくることに気が付いた。
邪気を浴びて苦しいのか足を引き摺らせながら走っているレイエンの後ろを見ると何百体もの骸骨が武器を振り回して追い掛けてきている。
フェイロンはすぐに、祭壇に空で奇紋を描いて、最後の詠唱をした。
「『龍章鳳篆に我が勅を命ずる、青龍・白虎・朱雀・玄武は我が気を以てこの地の邪を鎮めん。我が勅の定めるよう、速やかにこれを執り行うように』」
たちまち地面から青白い閃光が放たれ、辺り一面を輝かせる。祭壇から東西南北に貼られた札が境界線となり、一帯を浄化の光が包み込んでいく。
レイエンを追いかけていた無数の骸骨兵は光にゆっくりと蒸発するように空気に溶けていった。姿の薄れていく骸骨には、もはや恨みも不気味さも感じられない、ただの骨になっていく。
レイエンは安心と疲れが混じったような表情をさせながら、地面に倒れるようにしゃがみこんだ。息を整えながらフェイロンの方を見ると、彼はどこか遠い場所を見ているようにぼんやりとしているようだった。どこか翳りのあるような、それでも遥か遠くを眺めているような――普段見せない、神妙な面持ちの彼を見たレイエンは、少し違和感を覚えた。
浄化も終わると、二人は山から下りて、街へと戻った。あんなにも気味悪く流れていた川は今は爽やかな水の流れる美しい川に戻っている。妖怪も澄んだ空気の居心地の悪さに逃げていき、粉挽き所は壊される心配はないだろう。
これで月華義団は街での露店許可を貰うことができたが、レイエンにはひとつ気がかりなことがあった。
「本当に全部売り切れると思うか?」
レイエンはリンシンと露店の準備をしている時にそうたずねた。
今から売りさばくのは、以前邪教徒のアジトの中から持ってきた金銀財宝の数々である。おそらく価値のあるものだが、この街の人々がそんな派手なものや高価なものを買ってくれるような気がしない。
しかし、リンシンは堂々と答える。
「大丈夫よ。今日みたいな時にうってつけのものを、兄さんが用意してくれてたからね」
「うってつけのもの?」
レイエンが首を傾げると、リンシンは馬車の中から何か大きいものを運んでくる。
それは敦煌で市場から買い取ったボロボロの仏像だった。
「……これがか?」
レイエンは言葉を失いかけながらも、再度問いかける。リンシンは変わらず、余裕の表情のまま、頷いた。
「そうよ、これを置くだけでいいの」
「わけがわからん。こんな仏像じゃ招き猫の代わりにもならねえよ」
「じゃあ、ちょっとこの仏様のお顔を、じっと見てみなさいよ」
レイエンは半信半疑だったが、リンシンの言う通り、仏像の顔をじっと見つめてみる。
普通の仏像じゃないか――と思った矢先だった。何かよくわからない愛しさが、突如心の底から湧き上がってくる。見つめれば見つめるほど、その言葉では言い表せないような、この世のものに思えないような、魅惑が感じられる。目を離さなければ、それに吸い込まれてしまうような――面妖だけれども、抗えないような感覚に陥る心地がした。
釘付けになり、意識を持って行かれる寸前でリンシンが仏像をレイエンの視界からどかす。レイエンは我に返ったが、何が起こったのかわからず、あんぐりと口を開けた。
「これ、兄さんの幻術ね。前にもやったことあるの、これを見たお客さんは心を奪われてどんどん商品を買っていくんだ」
「セコくねえか!?」
レイエンの一言にリンシンは少し鬱陶しそうな表情をする。
「セコいも何も……売れればいいのよ売れれば!! こっちだって荷物が増えて大変なのよ、お互い様だわ」
そう言い捨てると、リンシンは早速仏像を客の見える場所に置いて、露店を開いた。
どんなものが売っているのか気になってゆっくりと客が集まってくる。素通りする人も何人かいたが、久しぶりに外部商人の露店が行われているために、わくわくとした顔で露店に立ち並ぶ財宝を見ている者ばかりである。
しかし、そばに例の仏像があるためか、皆が魂を抜かれたかのような顔になって、品物を見つめるようになった。
客は思い切って、これください、あれください、と、次々に札束を振りかざしながら欲しい財宝を指し示す。リンシンは営業スマイルで金銭授受をして、金色に光る宝飾品を客に手渡していく。耕作をして過ごしている街の人々には似つかわしくない、派手な装飾品を、いったい彼らはどのような思いで買っているのか。売ればおそらく多くの富を得ることができるだろうが、まさか自らの意思で買っているわけがない。邪仙の力で買わされているだけである。
こんなふざけた術に引っ掛かって、思わず買ってしまうのか、と、レイエンは売る側にも関わらず、どこか気の毒な気分になった。
客同士で取り合いになるほどの売れ行きの末、半刻もしない内に馬車一台分持ってきた盗賊たちの財宝は綺麗さっぱり無くなっていた。きっと財宝を買っていった客はすぐに術が溶けて、どうしてこんなものを買ってしまったのだと思うだろう。
通りすがりの商人に交換のものとして使うのであれば、まぁいいかと、レイエンは心の中で無理やり決めつけた。
無料の仏像のおかげで無料の財宝が完売し、金は充分過ぎるほどに稼ぐことができた。これならこれからの旅費を心配する必要も無いだろう。
「さーって、休暇は終わったことだし、旅費は稼げたし、早いところ出発ね!」
「俺はまったく休めなかったけどな……」
レイエンはぼそりと呟いたが、リンシンに聞こえていなかったようで、何か言った?、と訪ねてきたが、二度言うことでもないだろうと思い、聞いていないふりをした。
これからは崑崙山脈に沿って歩いていく。ウテンまではもうしばらくかかりそうだ。




