05 リザルト
暗い世界で目を覚ます。
周囲はまるで、闇に吞まれたかのように真っ黒だ。起き上がって周囲を見渡すと、一つの人物が視界に映った。
「―――いいか、黒江」
懐かしい声が聞こえると同時に世界が光に満ちた。眩い輝きに腕を咄嗟に持ち上げ、視界を覆う。
ほんの一瞬。光が収まったかと腕を降ろせば、一人の男性がアタシと対面するように胡坐を掻いて座り込んでいた。その表情は爽やかな笑顔だが、向けて来る視線は真剣そのもの。片手で顎鬚を撫でながら、もう片方の手を着き出し、人差し指を立てている。
「戦いってのは応用だ。『それしかない』なんてのは単なる思い込みで、幾らでも変える事は出来る。とくにこの世界ではな」
突然世界が移り変わる。
蒼い霧に包まれた世界の中で、周囲の建物から火の手が上がり、無数の黒い影が飛び周り、雄叫びを響かせている。その正面に先程まで座っていた人物が、あたしに背を向けるように立っていた。
その右手に、巨大な刀身を持つ得物を握りしめて。
「任せておけ、頭を潰してしまえば群れる獣は再起不能に陥る。 人間様の戦いって物を、見せて遣るよ」
そう言って彼は炎の中に飛び込み、消えて行った。
直後に、緑色の影が、炎ごと何かを薙ぎ払って現れ、あたしの背筋が凍り付く。
緑色の鱗、金色の瞳、血濡れた腕と凶器となった鋭い爪。蜥蜴のような外見ながら人と同じかそれ以上の体躯を以って、その傍らには、動かなくなった師匠が居た。
「師匠―――」
そう叫ぶ最中、雄叫びを挙げて蜥蜴が躍り掛かってきて、視界が赤い三本の線に埋め尽くされる。熱い感触が顔を伝い、意識を失った。
体が深く、深く、沈むような感覚がある。
「貴女には力がある」
そんなアタシの意識に語り掛ける声があった。
淡々としている、事務的な声色。尚も続く言葉は、かつてアタシが力を得るに至った物。
眼前には白い魔法陣が浮かんでいる。そこへ手を伸ばし、触れると雪のような白い粒子が真黒だった世界に飛び散り、照らし、対面するように立つ何者かを一瞬、映し出した。
その姿をはっきりと捉える事は出来なかったが、その人物は確かにこう言った。
「応用すれば如何ほどの力にも成り得る。よく覚えておくんだ、この力は…貴女が持つ可能性なのだからね」
意識が再び遠退いて行く。その言葉に懐かしさを覚えながら―――アタシは、その言葉を与えてくれた人物を、終ぞ思い出す事はなかった。
→ブラック
東京都港区 黒暁団拠点 医務室
「………、痛たた」
目が覚め、飛び起きようとした途端全身に走る鋭い痛み。当然起き上がる事は出来ずに柔らかな感触に逆戻り。眉を寄せて視線を側面へと向けると、黒いシーツの上で寝ている事が判る。同時に、自身の体中に白い包帯が巻かれていて、関節がろくに動かない状態だ。これでは、起き上がろうとしても上手く体が動かせない。尤も、痛みの原因は別にあるようで、関節部というよりは動かそうとした体のほぼ全てが痛い。激痛である。肌が切り裂かれるような痛みというか、伝わるだろうか。
「それはそうだろ、君の皮膚という皮膚がズタズタに切り裂かれていたんだ、むしろ動けるまで回復している君の回復能力が恐ろしいくらいだぞ?」
顔を顰める。周囲の光景を見て、大凡予測は出来ていた事なのだが。
黒い壁、黒い天井、黒いベッド黒いカーテンという黒だらけの医務室。普通、医務室っていうのは白を基調とすると思うのだが、白衣を黒で塗り潰したような衣服を纏った男に、アタシは溜息を零す。起き上がれたなら早々にこの部屋から退室したいのだが、もう手遅れである。
「大体、ヤバイなら戻れって言ったはずなのにどうして自分で動けなくなるまで戦っていた? 魔獣の本拠点がすぐ近くにあるというのに、しかも―――」
「あー、あー、ごめんってばぁ」
耳を塞ごうとしても両腕が痛い。彼の説教は一度始まるといつまでも続くので嫌いだ、時間の無駄だ。
顔はいいのだが。髪も黒、瞳もカラーコンタクトで真っ黒にして、基本着る服もこれでもかという程に黒くして自分の肌が黒くできない事を愚痴るくらいの黒好きである点ややたらと口煩かったり、どことなく性格を歪んでいるところを除けば、恐らくアタシ達が所属するグループ内では上位に君臨する程なのだが。
性格が全てダメにしているとはまさに彼の事だろう。橋田ノイス――アタシが所属する黒暁団の医療班、班長代理である。
「――はあ、全く。 君は貴重な異能の使い手なんだ、無駄に死なれちゃ困るって上からも言われてるんでね。説教臭くなるのは許せ、しかも他グループに迷惑まで掛けて回収されたとなったら文句なんて言えないだろう」
「……、待って、他グループ?」
説教など左から右へと流してしまうつもりだった。しかし、耳に届いた言葉は疑問を浮かべる事になる。
アタシ達の所属する黒暁団は、この蒼霧に吞まれた世界で活動している団体の一つ。明確に魔獣から人々を守り通そうと活動している人類の為の団体を謳っている。しかし、団体は一つだけではない。
「例の二人組さ。ほら、最近こちらの拠点付近でも活動してる…ええと、プレアデスだっけ」
「うげ」
聞き覚えのある名前、そして思わず苦虫を噛み潰したような表情と声がアタシの口から洩れた。
プレアデス。同じく、人類の為に活動している団体ではあるのだが、その方針が根本的に噛み合わない団体である。何が噛み合わないのかと言うならば、それは彼らの魔獣に対する構え方に他ならない。
「そう渋い顔をするなよ。連中は確かに、魔獣を絶対殲滅としている我々とは馬が合わないが、今回も彼らの情報提供で変異魔獣の正体にまた一歩近づけたのだからね」
答えは今、ノイスが口にした通り。アタシ達の目的は人類を護る為、魔獣の殲滅を掲げている。発見した時点でそれは標的となり、命を刈り取るまで追い詰める。まあ、そうしなかったとしても基本的には魔獣側から執拗に追い掛けてくるのだが。
しかし、変異魔獣は別枠というか、特殊な存在である。彼らは人間に然程興味、というか敵意を向けては来ない。食欲旺盛な通常魔獣と異なって、自ら進んで仕掛けてくる事はない、というのが報告されている傾向だったのだが。
「――君が救出される前に、プレアデス所属の、例の二人組が緑蜥蜴と接触したそうだ。 その際、『この場から離脱せよ』という呼び掛けに、緑蜥蜴は応じた」
―――――は?
思わず、そんな声を抑え込んだアタシは褒められても良いんじゃないだろうか。
だって、だって。そんな筈無い。アレは魔獣だ、紛れもなく人類の敵なのだ、人を食らう怪物であるはずだ。それが、言葉を理解して、アタシの命を奪わずに立ち去った、なんて。
「信じられないって顔だがね、事実だよ。それに、アインとゼクスは連中の中なら信用できる二人だろ?」
聞き覚えのある名前。プレアデス団に所属する人物で、最も他の団体と交流を持つ男女。そしてアタシとも何度か接触している、顔見知りだ。確かに彼らは、胡散臭いプレアデス団の毒素に染まっていないようにも思いはするが――。
「信用できるにしても、限度があるだろっ! …いたたたっ」
「喚くなって、完治してないんだからぁ」
否定するつもりで大きな声を挙げた途端全身が軋む。予想以上に体が消耗している、物理的な攻撃は恐らく一撃しか浴びていないのだが――だとすれば、ほぼ自滅となるのだろうか。その悔しさも相まって、叫んでしまったわけだけれど。
ともあれ再び柔らかな黒ベッドに身を沈めながら、
「痛……ぁあ、もう。だからさ、魔獣が言葉を理解したなんて、誰が言ったって信用できないよ。あいつらは獣だ、全部が全部知性がないわけじゃない、それだけの事だろ」
アタシはアタシの考えを頑なに曲げない。認める訳にはいかないのだ、そのような事は。対話が可能かもしれない、そんな可能性は、
「あいつらが自分で奪い去ったんじゃないか」
苦虫を噛み潰したような表情をしている気がする。やけに表情が引き攣っている気がする。けれどこれは仕方のない事だ。彼らが全て、全てを奪い去って行ったんだから。
「はあ…頑固者だなあ君は。まあ無理に信じろなんて俺も言うつもりはないが」
言いながら、彼はアタシから離れて病室の出入り口の方へと向かう。すると、その扉のノブを捻って開き、
「お?」「わっ?」
二人の影が、バランスを崩したように飛び込んできて、床へと重なって倒れたのを見た。
小柄の二人組は驚いた様子で瞬きをしながら、ノイスを見上げている。
「助けてくれた奴に礼を言うのは、魔獣とは関係なかろう?」
小さな男女と目が合う。彼らは苦笑いを浮かべているものの、どこか気まずい様子。嗚呼、成程、初めから外でアタシ達の会話を聞いていたのか。
「アイン君、ゼクスちゃん。少なくとも、君を救ってくれた恩人に違いないんだからね」
アタシは唖然と三人を見据える。
そして次第に頭が痛くなってきて、痛む左腕を持ち上げて頭を抑えながら溜息を一つ零した。
「………だからって別の団員を、気軽に施設へ置いておくんじゃないよ…」
呟くような言葉は、彼らの耳に届いたかどうかは定かではなかった。
けれど、これも機会であろうと思考する。何故なら彼らは、魔獣に関する情報を多く保有しているからだ。アタシはそれも含めて。
「色々聞かせてくれる? アタシが意識を失っていた時の事」