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02 遭遇戦と要救助者と

 血の匂いがした。

 気分が悪くて、頭が重い。

何でわたしは、こんなところで寝ているんだろう。はやく、はやく帰らないと。


「逃げ……ろ…」


 聞こえてきたのは、お父さんの声だった。慌てて頭をあげて、お父さんの姿を探した。

 瓦礫のせいで、見つからない。声はすぐ近くで聞こえているのに。足が動かない、挟まって抜けない。

「ひっ、や…やめろ、や、ぎう」

 なにかをちぎる音と、悲鳴。やめて、お父さんが苦しそう。いじめないで、やめて。

「………お願い、誰か、たすけて」

 さっき、一度大声で叫んだ事を思い出した。

そのあとで、お父さんと一緒に、襲われた。――お父さんだったものの腕を咥えて、ゆっくりと、瓦礫の影からわたしを覗き込んでくる、狼人間に。


「………ぎりり」

 大きく口が、開いた。

わたしの顔なんて一口で飲み込んでしまいそうな口、ゆっくり近付いてくる。

 もう声も出なかった、ただ、怖くて、瞼を伏せた。



 そこに、大きな振動と、

「グァァァアアアッ!」

 別の、叫び声が耳に届く。


薄く目を開くと、狼は私から顔を離して、声のする方向を見ていた。

 緑色の鱗を持つ、二足で立つ人間大の蜥蜴とかげ。金色の瞳がわたしではなく、狼人間を睨み付けて、立っていた。




→スマラクト

 東京都港区 霧の街 時刻日付不明


(見た目がおかしいだけじゃない、体の構造が人のそれとは異なっていますね、やはり)

 間に合った、とはとても言えない状況だった。けれど、二つ目の命が奪われる事だけは、阻止しなければ。

 高い建物から飛び降りて、思った以上に衝撃の無かった体に驚きつつも、狼人間のような怪物が少女を喰らおうとしていた瞬間には間に合い、咄嗟に声を張り上げた。それが思いの外大きな鳴き声になってしまったが、致し方ない。


 だが、これで注意は逸らせたようだ。

「グルルル………」

 食事を邪魔された事に苛立った様子で、狼の口端が吊り上がり、凶悪な牙が剥き出しになる。あんなもので噛まれたら一溜まりもないだろう、先程喰われてしまった人間のように。

 私は姿勢を落として身構える。両手に握り拳を作り、右腕を低く正面へ、左腕を側面から後方へと傾け、足に力を込めた。少々独特な構えだが、こういう形振り構えない相手には有効打になる。


 然し――――睨み合い。

私は摺り足で距離を詰めながら、狼人間は徐々に姿勢を低く落としてゆく。恐らくは、飛び掛かろうとしているのだろう。いつ向かってきてもおかしくはないが、少女が狼人間の近くで怯えている以上、此方だって無理には仕掛けられない。

 だが、その心配事はすぐに絶たれた。


 跳躍。否、狼は横に跳び、建物の壁を蹴って、

(―――っ!)

 三角を描くように反対方向の壁へと飛び移り、私目掛けて、突進。

獰猛な口を開き、私の喉元目掛けて高速で突き進んでくる。


 けれど。


 ―――ゴァッ


「ギャンッ!」

 私の反射神経がそれに、追い付いた。

大きな口を開く頭を下から打ち上げるように、外側から突き上げた左腕。――綺麗に顎を閉じて私の上を通り過ぎて地へと転がる狼人間の姿。

 骨を砕くような、手応えがあった。当然生身の私であれば、たかだか拳の一発でそこまでの威力は期待できない。

しかし、実際に狼は顎から力が抜けたようにだらしなく開いたまま、両手足をばたつかせている。

(これなら武器がなくてもいけます。さすがに顎を砕かれて再度向かってくるとも思えませんが――)

 所詮は狼、獣だ。自分の命に関わる程のダメージを受けて向かってくる事はないだろう。


 ――そう思って、気を抜いたのが間違いだった。


「―――ァァァァァァッ」

(なッ!?)

 

――――微かに感じる痛み。

 咄嗟に左腕を振り上げると、上顎が持つ鋭い牙の上面が鱗を抉って肉まで到達する。

目を見開けば、そこには未だに生気を失っていない獰猛な獣の両眼があった。だが、その赤い瞳に、理性なんていうものは見受けられない。まるで、

(狼の特徴を持っただけの、怪物―――ッ)

 腕を振り上げて狼を払い落とそうとするが、しかし歯がはずれたところに彼の持つ両腕が振るわれる。鋭い爪が私の視界に線を描き。


 痛みは無いまま、左目に赤い線が刻まれた。

「ギウッ!?」

 右腕を振るって狼を薙ぎ払うも、左目の視力が一瞬にして無くなっていく。振り払った事で距離は取ったが、まだ両腕と両足が健在な狼は素早く私へと突進を繰り返す。


 幸い、この肉体は痛みに鈍いのか、意識を奪われる程の痛みは訪れない。視界が塞がってしまっているものの、突っ込んでくる狼に右腕で殴り返す事は出来た。

今度は鼻先を折る感覚。鈍い音と共に狼の顔が潰れた。


 でも、狼人間の爪が私の胸部を裂く。さらには胴体をぶつけるような突進で体が押し遣られる、が。

(人だったら、死んでいましたが―――!)

 踏み堪えた。重量のある肉体へと変わったからなのか、自身も怪物と化したからなのかはわからないが。


 手を開き、砕けた顔を掴み、身を捻って壁目掛けて、

「グルァアアッ!」

「――ギャッ!!」

 叫びと共に投げつけ、叩き付け、その上で腰を落とし、跳躍。

壁に直撃した反動で戻る狼の胸元目掛けて、鋭い爪を重ね合わせ――――突き穿つ。


 体毛に覆われた柔い肉と堅い骨を貫き、破壊し、その奥にて胎動する臓を、貫いた。


「グぼっ」

 開いたままの口から赤い液体が吹き出す。ほんの一瞬でそれは途切れ、痙攣するように震えていた狼人間は、やがて私を睨み据えていた瞳からも力を失って、振り上げていた腕も重力に引かれるまま、落ちていった。

 爪を引き抜くと、もう動かなくなった狼人間だったものは、死体となった。もう立ち上がり、襲ってくる事も無い。


(………、咄嗟に殺してしまいましたけど、戻ったら怒られますかね、これ。野生動物殺傷がどうとかって)

 この状況では致し方なかった、と言う他はない。何しろ、牙を折ってもまだ向かってくるのだ、身を守る為の殺傷だ、仕方ない。そもそも、此れを動物を称していいのか、まずは怪しくもあったが。

そう割り切るように内心で呟きながら、後方で物音がして振り返る。


「ひい…っ」

 聞こえてきたのはか細い、怯えた声だった。

隻眼でその姿を捉えると、視線は確かに狼の死体――ではなく私を捉えていた。いけない、落ち着けさせないと、そう思って、

(もう大丈夫ですよ、落ち着いてください)

 と、呟いたつもりだったのだが。

「グルァ…ッ」

「や、…ころ、ころさないで…!」

 余計に怯えさせる結果を招いた。

戦いに必死だったが故、自身が言葉を発せ無くなっている事。そして怪物の姿になっている事を失念していた。

いや、正確には――他人からどう見えているのか、という事を、だが。

(これは、不味いですね。完全に怯えられてしまいました)

 何故自分が怪物になっているのかは判らないが、先程の怪物と似たように異形に違いない、という事は彼女の反応でよくわかった。だとすれば、今のこの状況は、『怪物同士が獲物の取り合いをしていただけ』に見えているのだろう、と推測する。

 早急に立ち去った方が良いのではないか、と判断を下そうとした。


(……あれ、そういえば彼女は何故逃げないのでしょうか)

 先程声を挙げた時もそうだ、少なくとも私が戦っている間は逃げる事も出来たはず。

そこで視線が少女から其れ、瓦礫へと向く。そして、察しが行った。

(足が挟まれていてそもそも逃げられなかった…成る程、先程食い殺された男性は彼女から注意を逸らそうとして立ち向かっていたのですね)

 手遅れ、とは正しくその通り。今更その事実が胸を締め付ける。体に慣れていなかった事は確かにあるが――。


 しかし、ならば捨て置いて離脱など出来ない。他に怪物の生き残りが居たなら、彼女は逃げも隠れも出来ない餌でしかない。

怯える少女の視線をひしひしと漢字ながらも、気付けば痛みの引いている左腕に『両眼』で見据えると、瓦礫に両手を添え、一つずつ丁寧に退けていく。


 腕力の強化が施されているのだろうかは、わからないが。元々の肉体では時間が掛かるだろうこの作業も、ほんの数分掛からずに終える。

慌てて少女が足を瓦礫から引き抜くと、壁際へと這い逃れ、私に対し怯えた表情を向けている。

 思わず溜息が零れそうになるが、ここは抑えてその場から離れようと考える。しかし、何処へ向かえばいいのだろう――と思考していたところ、ふと少女の擦れた問いが聞こえてくる。

「……、食べ、ないの…?わたし、を」

 思わず少女へと視線を戻すと、再び怯えられてしまった。

 言葉で回答する事は出来ないが、静かに私は頷く。すると、怯えから戸惑いの色へと表情を変える少女の変化を見た。


 もしかしたら、少しは伝えられるだろうか、この状況を。


 そう思って私は彼女へ向き直ろうとして、―――声を聞いた。


「声が聞こえたのはこっちか!?」「いや、違う方向の可能性も…ええいくそ、もう何も聞こえないぞ!」

 複数名の人間の、声。嗚呼、まだこの世界には生き残りがいるのか。それはとても――吉報だ。

同時に、この姿で生き残り達と顔を合わせた場合、どうなるのかと想像する。少女のこの反応を見るに、異形は少なくとも人を襲う敵対勢力に近い存在だ。ならば、もしこの状況を生き残りに見られたら。

 私は待つよりも、別の選択を決断する。

 未だ、少女が続けて何かを問い掛けようとしているのが聞こえたが、それはまた別の機会にしよう―――今は、


「クルァアァアァアァ―――――!!」

「ひっ!?」

 叫んだ。甲高い、怪物の鳴き声で。

 少女をまた怯えさせたのは申し訳ないが、

「鳴き声!?」「こっちから聞こえたぞ、急げ!!」

 思惑通り、遠くから足音と声が複数、聞こえてくる。後は彼らに少女の救出を任せよう。今の私には、とても出来ない事だから。

叫びを終えると、私は直ぐさま、ようやく感覚を掴んだ両足に力を込めて、跳躍し、二階建ての建物の上まで這い上がって、さらに高い建物へと上っていく。

途中、「待って…!」という声が聞こえた気がするが、私は立ち止まらずに、その場から離脱した。


→???

東京都港区、日付不明、時刻不明、魔物同士の戦闘跡地


「周囲警戒! 草薙剛≪くさなぎつよし≫さんは…そう、判った。心櫻≪みお≫ちゃんは?」

 激しい戦闘でもあったらしい現場。既に数名の男女が周囲を見回り、犠牲者――草薙剛についても確認は終えたようだった。あたしが辿り着いた頃には、怯えて蹲る、見知った少女の姿もあり、別の仲間に問いを掛けると「何かよくわからない事を言っていて…」と回答され、いまいち要領を得ない。

 直接聞く為に少女へと近寄ると、怯えているだろうと思っていた彼女の表情は――どこか、困惑し、どう伝えればいいのか自分でも判っていないような視線を向けてきてリいる。

「…、お父さん、死んじゃった」

 そう呟く彼女の表情は、痛々しい程、悲しみに満ちている。けれど、

「でも、わたし……助けて、もらったの。大きな…とかげ、さんに」

「………、へ?」

 思わず問い返してしまう。

 大きなとかげ、というと魔物の種類である『蜥蜴人間リザードマン』が該当する。然し、わからないのは『助けてくれた』という一言。怪物の性質から考えてそれは有り得ない事だ。次なる獲物となるだろう彼女を喰わずに、ただ守ったなんて、有り得ない。

けれど、心櫻の表情は真剣味を帯びている、どう伝えればいいのかわからないけれど、伝えねばならないといった様子で、私に縋り付いてきた。

「ほんとう、ほんとうなの。あの子がいなかったら、わたし…きっと…」

 すぐに、恐怖に襲われた様子で震え始める彼女。その体を抱きしめるためにしゃがみ、あたしは背中を軽く叩いて宥めた。

「わかった、わかったから。大丈夫だよ、もう怖い怪物はいないから。……そのとかげ、どこにいったかわかる?」

「…うん、えっと、建物の上と、ぴょん、ぴょんって跳んで…、公園のほう、に」

 我ながら酷い聞き出し方だ、とは思う。

 けれど、間違いなく心櫻の『助けてもらった』なんていうのは――勘違いだ。魔物にも変異種は居る、自分の命を守る為に逃げる奴だって、いる。

一頻り、あたしは心櫻を撫でてから立ち上がり、道路の続く先を見据える。

「ありがと。――こちらブラック。皆そのままでいいから聞いて、あたしはこれから離脱した魔獣を追い掛けるから、この場はよろしく」

 身に着けたイヤーホンに触れて対話状態に移行する。この装置は簡易通話装置のようなもので、ボタン操作で送受信を切り替えられるようになっている。現在は対話状態にしていて、同じ物を身に着けた周囲の人間達へ連絡を取った。

『心櫻ちゃんは?』

 そんな疑問の声を挙げる誰か。名前はわかっているが、あたしは一つ溜息を溢し、

「コードネーム忘れてるよ、ゴーキン。手空きの人が連れ帰ってくれる?」

 と言うと、怒った声色で『ゴールデンキングだッ、略すな黒いの!!』などと文句を言ってきた。視界に映っている仲間の一部が肩を竦めて笑っているのが見えた。

『…、まぁいい! それで貴様が戻らなかったら、我々はどうする』

 貴様って、と思わず突っ込みそうになるが彼に言動にいちいち反応を続けていたらキリがない。

よってもう一度溜息を加えてやることで、簡便してやった。

「はあ。いや、あたしの事は待ってなくていーよ。すぐ終わるし、時間が掛かっても勝手に戻ってくるもん」

 やる事が変わるわけではない。よって多少遅れるようであれば、判断は任せよう、と判断した。「というわけで、後よろしく」と一方的に通話をボタン操作で遮断すると、もう一度心櫻に振り返る。

 その表情は、何かを察したように悲しげだったが、それは彼女の『特性』だから、どうしてあげる事も出来ない。

「―――大丈夫だよ、あたしはちょーっと追い掛けて『お礼』してくるだけだから。ね、だから大人しく待ってて」

 だから、このように言葉を掛けて笑顔を向ける。彼女の表情が変わらなかった事は後ろ髪を引く結果ではあるが、後でしっかり事情を説明して和解するとしよう。

あたしはそのまま背を向けて足早に建物の影にある路地へと進み、入り込む。そこに停車している黒いバイクのような乗り物に跨がり、漆黒のヘルメットを被って、ハンドルへと手を触れる。


 呼応するように、静かな駆動音が響く。だがエンジン音とは異なるそれはまるで呼吸をしているかのようだ。

「頼むよ、相棒。…行け!」

 タイヤが高速で回転し、手入れがされていないコンクリートの塵を巻き上げ、一定以上の回転を得た瞬間にスタンドが外れた。

高速で建物の間を縫い、仲間達の居る場所とは反対側の路上へと飛びす。ハンドルを北側へと切って、突き進む。

 その先に向かった蜥蜴――人類の敵を追う為に。




 ―――二つの邂逅は、もう間もなく訪れる。


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